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第二十九話 ルルイエ再び

「ふざけるな……ッ」


 カノンは自身の包む炎に身を焼かれながら、おぞましい声音でそう呟いた。口を開いた瞬間に走る肺の奥まで焼き尽くす痛みすら気にした様子はなく、視界を埋め尽くす爆発的に燃え続けている炎の奥を彼女は睨みつけながら歯軋りをした。

 先ほどまでは彼女にとって有利でしかない一方的な展開だった。それが、ユリアが読み上げたたった一句の呪文によって形成が逆転してしまった。


――クトゥグア。クトゥルフやハスターとならぶ旧支配者の一体であり、『生ける炎』とも呼ばれている。旧支配者であるナイアーラトテップ唯一の天敵でもあり、召還に成功さえすれば人がナイアーラトテップに対して切れる唯一にして最高の切り札。


「これがシラノ様による灼熱の炎ならばこの痛みさえ愛おしかったでしょうに……」


 この間にも、彼女の皮膚は炎に焼かれ、爛れては回復するのを繰り返している。

 片方が不完全とはいえ、旧支配者二体を同時に相手をしなければならない事実をカノンはしっかりと認識していた。

 彼女はこの状況を打破する為に、鉤爪の生えた腕をゆっくりと自身の胸に差し込み埋めていった。


「シラノ様に命じられている以上、私に失敗は許されないのです」


 自らに言い聞かせるように呟きながら、彼女は一つの魔術を自身の背後に展開した。

 その魔術は徐々にその規模を広げていき、シラノの張った結界を飛び出し加速的に拡大していく。


「おや。これは……」


 その様子を眺めていたシラノは、その魔術がどのようなものなのかを瞬時に見破ると、指を鳴らして別の魔術を発動した。

 訓練場に展開した結界とは別の半円状の結界が、シラノの横にいたルドルフとエヴィンを覆った。それは、かき混ぜきっていない絵の具のようなマーブル模様をしており、その模様は虹色に輝きながら常に変動している。しかし、半透明なため結界内から外の様子を観察することは出来た。

 その結界が張られると同時に、闘技場を覆っていた結界が砕け、瞬く間に王都すべてを豪火が包んだ。その様子になにも言えぬほど放心しているルドルフ達に対し、豪火に包まれながらも平然とした様子のシラノが懇切丁寧に説明を始めた。


「まずは安心したまえ。世界の位相をずらし、元の場所とは切り離した。故に、ここは王都であって王都ではない。君達の大切な国民は今も各々の生活を営んでいるだろう」


 シラノが国は安全だという説明をしても、ルドルフ達は未だ呆然とした様子で正気には戻っていなかった。何ら反応はなくともシラノに話を止める気はないようで、彼は話しを続ける。


「そして、ここからがこの舞台の佳境だ。ようこそ、神話の世界へ。無論、その結界には精神を保護する類の効果もあり、君達が発狂してしまわぬように最大限の配慮はしてある。安心して、この舞台を楽しんで行って欲しい」


 シラノが話し終わると、加速的に拡大し続けていたカノンの魔術が完成し、発動した。

 その瞬間、視界のすべてにガラスのような罅が入り、一気に砕け散った。その一瞬で、豪火に赤く染まっていた世界は青く染まり上がった。そこが水中だということにルドルフ達が気が付いたのはしばらくしてからだった。先ほどまで燃え上がっていた炎はまるで嘘のようになくなっており、唯一残っているのは倒れているカノンのそばにいるクトゥグアだけだった。そのクトゥグアだけは、水中においても燃え盛り猛るように蠢いており、この場において唯一の光源でもあった。

 その光源が届く範囲は意外に広く、その周囲がどういうものになっているか目を凝らせば見えてくる。ルドルフとエヴィンはカノンの背後にある建造物群を目にしてしまい怖気が走った。

 彼女の背後に立ち並ぶ建物は余りにも奇妙な形をしており、非ユークリッド幾何学的というこの世界では絶対に見られることのないもので、それを目にしたルドルフとエヴィンは視界がねじれるかのような錯覚を感じだ。吐き気すら催しそうなその光景に、彼らはこれが神話の世界なのかと思い知った心境だった。だが、シラノの言っていた神話というのがこの建物のことではないことを、彼らは数秒後に改めて思い知ることになる。

 それらの建物から、人の形をした影が飛び出してくる。その影は一つ二つと徐々に数を増やしていき、気づけば無数の影がカノンに向かって泳いで来ていた。光源に近づけば近づくほどその影の姿形がはっきりと見えていき、その姿をはっきりと視認してしまったルドルフ達は思わず小さな悲鳴を上げる。

 それは人の形をしているが、頭髪はなく、その顔は両生類そのもので、ぎょろりとした目はまっすぐとカノンに向けられている。エラのような首は腫れ上がったように太く、良く目を凝らすとその手足の先には水掻きのようになっていた。そして、先が三つ叉になった槍を握りしめたそれらが群れをなして向かってくる様子は、人の本能的な恐怖を駆り立てるものだった。

 『深きもの』とも呼ばれるそれらはカノンの元までたどり着くと、順に跪いていった。それはまるで神に祈りを捧げる敬虔な信徒のようであり、その光景には神々しさすら感じられる。


――テケリ・リ! テケリ・リ!


 そしてその光景とは別に、突然そんなあざけるような奇怪な叫び声が聞こえてくると、カノンの背後に黒々とした玉虫色で不定形なものが海底からにじみ出てくる。


「さて、ここからが本当の神話の再現。舞台も役者もすべてが揃い、通常は人類には見ることすら許されぬ大舞台。我が王もしっかりと目に焼き付けておいた方が良いですよ。こんな機会は一生ないでしょうから」


 もはやそれを起こしている片方が自身の娘だなどと考えられないほど茫然自失となっているルドルフにシラノは話しかけると、彼はいつものような軽薄な笑みを浮かべていた。しかし、その瞳は慈愛に満ちている。


「全く、ルルイエで発狂寸前になりながらもクトゥルフと契約した奴隷の娘が、今は見る影もない。私が手助けをしたとはいえ、やはり人の可能性も捨てたものではないということか」


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