第二十七話 神話の再現
カノンはシラノに命じられた通り、ユリアの閉じこめられているという地下へ向かっていた。格は違えどもシラノと同じ者になり果て、クトゥルフを取り込んだ事により幅広い魔術を使えるようになった彼女にとって、王城地下に閉じこめられている人物を捜し当てることなど造作もなかった。
等間隔に蝋燭が備え付けられた石煉瓦の壁を辿りながら、カノンはゆっくりと石畳を歩いていく。静まり返り閉鎖したその通路には、彼女の足音が反響し響き渡っていた。
目的の場所には一つの鉄製の扉が取り付けられており、その奥にあるたった一つの牢獄にユリアはいた。彼女には手枷足枷が複数つけられており、そこから延びる無数の鎖が奥の壁に埋められていた。
カノンが入室すると、ユリアはうなだれていた首をゆっくりと持ち上げ、その腐った魚のように濁った瞳をカノンに向ける。
カノンはゆっくりと鉄格子に近づくと、その牢獄の中の異様な光景に肩を竦めた。牢の中には血がまき散らされており、ユリアの纏う黄衣にも血しぶきが掛かったように血痕がこびり付いていた。
「誰ですか……?」
ユリアは掠れた声を絞り出すようにしてカノンに問うた。
「私はカノンと言います。初めまして、第三王女ユリア様」
挨拶というには冷え切った声音でカノンは答えた。彼女は蔑みの視線をユリアに向けながら話を続ける。
「哀れですね。この大量の血痕、もしかしなくても死のうとでもしましたか?」
「ええ……結局死ねませんでしたけど」
その全てを諦めたようなユリアの笑みを見ても、カノンは何とも感じなかった。以前までの彼女であったなら、共感にも似た憐憫の情をもよおしても可笑しくはない。しかし、存在が昇華されシラノと同じ舞台に立ち、人としての未練を完全に断ち切った今の彼女には、ユリアのことを自身よりも下位の生物としてしか見ることが出来なかった。
「まあ出来損ないとはいえハスター、黄衣の王の契約者ですからね。舌を噛み切った程度で死ねるわけないでしょう」
「……ハスター?」
「自身の契約したものがどういうものかも分からないとは本当に哀れですね。まあ冥途の土産という言葉もありますし、特別に教えて差し上げましょう」
――ハスター。『名状しがたきもの』や『邪悪の皇太子』などと呼ばれる旧支配者の一体。風関連の神々の首領格ともいえるそれは、水や風と関連の深いクトゥルフと敵対関係にある。
それらを事細かに説明されると、ユリアは自虐の笑みを浮かべることしか出来なかった。
「そういう貴方も、人間ではないようですが……」
「そうですね。ですが貴方には関係ないことです。もう貴方は死ぬのですから」
「私が……死ぬ?」
「ええ、光栄に思いなさい。その賤しくも浅ましい魂でも、私の元でシラノ様のお役に立つのですから」
「死ぬ……私が……シ、ヌ?」
ユリアの雰囲気が急変したことに気付いたカノンは、何かを呟き続けるユリアの様子に悪寒が走った。
ユリアの様子から何かまずい事が起こると直感的に理解したカノンは、ハスターの契約者である彼女を殺しきれるだけの魔術を即座に展開する。
「いあ いあ はすたー」
そう呟いたユリアが三日月のように口端をつり上げて笑うのと同時に、カノンの魔術が完成する。しかし完成した魔術の発動よりも早く、ユリアが手枷足枷を引きちぎり天井を貫いて地上へと飛び出した。
その衝撃で牢獄の天井がすべて崩れ去り、カノンは崩れ落ちてきた土や岩に生き埋めにされた。
「それで、ここで待っているとどうなるんだ?」
ルドルフは内心の苛立ちを隠そうとせずにそう言った。
シラノはルドルフとエヴィンを引き連れて訓練場に来ていた。そこはかつてシラノがドラゴンと星の精を召還し、貴族達が震え上がった余興を披露した場所だった。
ルドルフにとっても訓練場とシラノという組み合わせは恐怖の象徴のように感じており、シラノが薄ら笑いを浮かべながら案内したという時点で、彼は嫌な予感しかしていなかった。
「まあそう苛立つこともありますまい。これから最高のショーが起こるかも知れないのですから、それをこの特等席で見ないのは余りにもったいない」
シラノは心底楽しそうにしているが、ルドルフは眉を顰めるばかりだった。
「ほら、来るぞ」
次の瞬間、爆音にも似た地鳴りが当たりに響き渡った。突き上げるような地面の衝撃と共に、闘技場中心の地面から一つの陰が飛び出てくる。そのまま空高くまで飛び上がったそれを目撃して、ルドルフは愕然とした様子で呟いた。
「ユリア……」
飛び上がったユリアの後を追うようにして、もう一つの陰が同じ場所から飛び出てくる。それは宙にいるユリアの元までたどり着くと、彼女を殴りつけ地面へと叩きつけた。通常の人体なら木っ端微塵になっているであろう豪速で地面へと叩きつけられたユリアは、人の身とは思えないほど跳ね上がった。
その様子を見ていた彼女達を見ていたシラノは、心底楽しそうに笑みを深めた。
「ああ、実にすばらしい。演目はさながら神々の代理戦争と言ったところか。カノンはその身に取り込んでいるため代理ではないが、まあ気にするほどの違いではなかろう」
シラノは唖然としているルドルフ達に振り返り、上機嫌で彼らに言った。
「おそらくこの世界でも類を見ないほどすばらしい舞台となるだろう。我々はその幸運を噛みしめながら、この結末を見守ろうではないか」




