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第二十話 狂気の果ての力

「なんで私達がこんな事を……」


 全く整備されていない獣道を歩きながら、エレナは額の汗を拭いながら文句を漏らす。彼女は普段の鎧姿ではなく、私服に急所のみを守るように付けられた軽鎧を着ている。

 辺りには草木が生い茂っており、先端が鉤状になっている針がびっしりと表面に生えている植物の種子が、服に幾つかついている。草をかき分けながらでなければ進めないその道をただ延々と歩くだけの作業に、エレナは既に限界が来ていた。


「ピクニックだっていうから来てみたら、結局こんな落ちじゃないですかぁ。休暇ではなく勤務日数にカウントされてる時点で気付くべきでした……」


 うなだれる彼女とは対象に、カノンとカインはただ淡々と歩いている。カインはエレナと同じく私服に軽鎧というすがたであるが、カノンはいつも通りのメイド服だった。


「そもそも、あの方の命令は何なんですか。エルフの森でアードラース領ぎりぎりの場所でひたすら歩いてこいって……一体何の意味があるんですか」


 エレナはこの面々が集められた段階で、シラノからただのピクニックだとしか聞かされていなかった。


「……エレナは聞いてないんですね」

「何をですか?」

「エルフの森で出会った敵を排除しろ。それがシラノ様の命令です。あ、森を傷つけるなとも言ってましたね」

「……え?」


 その言葉に、エレナが歩みを止めて固まった。


「私、急用を思い出しました」


 そう言って逃亡を謀る彼女の襟首を、カインが即座に掴んで離さない。エレナも鍛えられた騎士とはいえ、カインとでは体格差が違いすぎ、逃げようとする彼女は一歩も進まない。


「離してカイン! 私は行かなければならないの!」

「エレナ、主命だ。諦めろ」


 騎士家系に生まれたエレナにとって絶対に守らねばならない主命を引き合いに出され、彼女は諦めたようで、その場でぐったりとうなだれた。

 ちょうど良いからここで休憩しようという事になり、各々が地面から飛び出した木の根などに腰を下ろす。しばらくして落ち着いたエレナは、相変わらず文句をいいながら昼食を取っていた。

 食事中は、エレナとカノンが他愛もない会話を続けていた。基本的にはエレナが質問し、それにカノンが答えるという会話というには少々寂しいものだったか、それでもカノンは満更でもない様子で、彼女達は会話に花を咲かせていた。


「こんなこと聞いていいのか分かりませんが、カノンさんって最初シラノ様が拾ったときはすごいボロボロだったじゃないですか。それはシラノ様に治療してもらったんですか?」

「いえ、偉大なるクトゥルフと契約を交わすまでに死なない程度には治療していただいたようですが、後は勝手に直りました」

「勝手に?」

「はい、気付いたらまるで傷など無かったかのようにすべて消えていました。おそらく、この力の影響でしょう」

「その力はクトゥルフとかいうものと契約した結果手に入れたもの何ですか?」


 普段は聞かないようなことまで深く切り込んだ質問をしてくるエレナに、カノンは若干不信に思いながらも隠すようなことではないとありのままを伝える。


「そもそも、この腕はクトゥルフの触腕の一部です。契約し借り受けていると言うのが最も適切だと思います」

「そのクトゥルフというのが分からないんですが……」


 クトゥルフが何なのかという質問に、エレナは若干答えに窮していた。答えられない訳ではない。契約を交わした彼女はその存在を常に自身の背後に感じているのだから、ただ目撃しただけの人間より彼女はそれについて多くを語れるだろう。しかし、カノンはそれを一般人であるエレナに語って良いものなのか考えていた。

 語り聞かせるだけなら、その恐怖や狂気は伝わるかもしれないが、発狂するようなことはないだろう。そう考え、カノン少しの間をおいてから語り始めた。


「大いなるクトゥルフ……かつて海底に沈んだ都ルルイエに眠っている、かつて大陸を支配した旧支配者達の一人。大抵は水生の生物に信仰されている存在です」

「えっと……その話を聞く限り悪魔なんかよりもよっぽどとんでも無い存在みたいに聞こえるんですが」

「そこらの悪魔では傷一つ付けられないでしょうね。最上級の悪魔ですら傷付けられるかどうかは微妙なところでしょうね」


 それを聞いたエレナは、愕然としていた。彼女はカノンが普通の少女ではないことは百も承知だったが、それでもいささか冗談が過ぎていると感じていた。カノンが戦闘の際に右肩から生やす四本の触腕は、そんな大いなる存在の一部だというのだ。


「ちょうどいい機会です。食後の運動がてらに、その力の一端をお見せしましょう。森を傷つけられないのが面倒ですが、野蛮な下等生物も近づいて来ているようですし」


 カノンは立ち上がりながら右腕を四本の触腕へと変化させると、森の一方をじっと眺めている。その目には何の感情も浮かんでおらず、それ故にエレナはカノンが何を言っているのか理解できなかった。

 だがしばらくすると、その言葉の意味を理解する。カノンが眺める方向からぞろぞろと汚らしい格好をし無精ひげを生やした男集団がやってきたのだ。その全員の腰には剣を吊り下げており、エレナも初見で盗賊の一味だと理解した。

 彼女がとっさに腰に差した剣を抜こうとすると、カノンから制止が掛かった。


「貴方達はそこで見ていてください。心配しなくとも、殺し損ねることはありません」


 そう発言するカノンに、騒がしく下品に話しながらやってきた集団も彼女達に気が付いたようだった。


「おっ、女がいるぞ!」

「しかも上玉だなぁ」

「男がいるが、まぁ殺しとけばいいだろう」

「あ? おい!」


 剣を抜きながら近寄ってくるその盗賊達の一人が、カノンの右腕から生える触腕に気が付いたようで仲間に呼びかける。困惑する盗賊一味だが、カノンはそんなことは歯牙にもかけず呟き始める。


「いあ いあ くとぅるふ ふたぐん」


 そう呟きを繰り返しながら盗賊達に近づくカノンの様子に、エレナは言いようのない不快感が胸に渦巻いた。だが、彼女が最も強く抱いた感情が恐怖だったのは言うまでもない。


「異形か?」

「ハーフかもしれねぇぞ」

「ハーフはアソコの具合がいいって話だぜ」


 未だに自分たちがこの場の強者だと勘違いをしている盗賊達に、カノンは哀れみすら浮かんできた。彼女の正直な気持ちとしては、盗賊達などどうでも良いのだが、シラノから命令されている時点で彼女に見逃すという選択肢は存在しなかった。

 カノンはエレナに力を見せると約束した手前、一撃で盗賊すべて屠る訳にもいかず、彼女は触腕の一本を軽くなぎ払った。たったそれだけの動作で、盗賊の半分は上半身が吹き飛び、辺りに肉塊をまき散らした。


「……え?」


 余りに現実味のない光景に、盗賊達は思考を停止させ固まった。だが、彼らも伊達に場数を踏んできた訳ではない。カノンが面倒そうについたため息に反応し、彼らは正気を取り戻す。


「殺せッ!」


 一斉に襲いかかる盗賊達に対して何かするという訳でもなく、その剣をすべて受け入れる。しかし矢が刺さらぬ体に剣が通じる道理もなく、そのすべては金属音のようなものを立ててはじかれる。

 カノンは驚愕する盗賊達をよそに、小さくつぶやいた。


「私を犯す? 下等生物が図に乗るな」


 カノンは四本の触腕を振るい、一人を残して盗賊全員を叩き潰した。彼女は残った一人を触腕で締め上げながらゆっくりと持ち上げる。


「そうですね。貴方にはチャンスを差し上げましょう。我らが偉大なるクトゥルフの元に案内しましょう。契約では有りませんが、あの場にいて正気を保てるのならそのまま見逃して差し上げましょう」


 薄ら笑いを浮かべながらそう言うと、一つの魔術を発動する。本来魔術など使えない彼女であるが、契約を交わした彼女はクトゥルフの持つ力の一部を行使する権限を持っている。それは魔術も例外ではない。

 その魔術の発動が完了すると、盗賊は意識を失いぐったりとした。カノンはそれを地面へと降ろすと、エレナ達の元へと戻っていった。


「何度見ても凄まじいですね、貴方の力は」

「これだけではありません。あの盗賊には、私が契約の際に向かった場所と同じ場所に行ってもらいました」

「ええっ!? それ大変な事じゃないですか。もしかして盗賊がそのクトゥルフと契約して戻ってきたら……」

「その心配は殆どありません。この魔術は契約のものではなく、ただルルイエに精神のみを招待する魔術ですので。それに、シラノ様の話では私は常人よりもかなり強力な精神を持っているからルルイエに向かっても無事だったそうです。そんな私もあの場ではいつ精神が崩壊しても可笑しくはない状態でした。それが野卑な盗賊風情ともなれば……」


 カノンがそこまで話したところで、放置していた盗賊から悲鳴があがった。エレナがとっさにそちらの方向を見ると、その盗賊は狂ったよう泣きわめきながら自分の髪の毛を一心不乱にむしっていた。そして近くにある剣を手に取ると、それを自分の喉に躊躇なく突き立てた。

 その表情には恐怖や焦燥、苦痛など様々な負の感情が入り交じり、数回の痙攣の後完全に動かなくなる盗賊をみて、エレナはようやくカノンの力がどういった類のものであるかを何となく察した。それは決して人々が憧れるような類のものではなく、恐怖と狂気の果てに手に入れられる力なのだと。そして彼女はもう一つ察してしまった。普段は少し冷たいが、普通にメイドをやっているように見えるカノンも、実は既に狂っているのではないかと。

 エレナがカノンに視線を移すと、彼女は発狂した盗賊の死体を何の感情も籠もっていない赤い瞳で見つめていた。


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