第一話 少女との邂逅
彼が気付いたときには既に周囲は暗闇ではなく、草木が生い茂り木漏れ日が降り注ぐ森の中だった。
「ふむ、転移は無事成功したか」
少しの間目を瞑り風を感じながら、彼はこれからどうしていこうか考える。特に目的といったものはないが、あの空虚な日々を送ることだけはゴメンだった。そう考えると、まずは人に会うことが先決だと判断した彼は、ローブの懐から一枚の札を取り出し、魔力をこめて放り投げる。魔力を籠められて青白い光を放ち出した札は回転しながら落ちていき、地面に付くと同時にはじけて跡形もなく消え去った。
「さて、聞こえるかナビ」
『マスター認証音声認識完了。魔術体名称【ナビ】にて登録完了。アカシックレコードへ接続開始――失敗。現時刻より時間軸に沿い情報収集を開始致します』
無機質な機械音めいた女声が彼の頭の中に響く。ナビゲーションシステムの頭文字をとってのナビという名前ではあるが、この魔術が案内するのは道や建物ではなく、世界に存在する全ての事柄だ。本来はアカシックレコードに接続し術者の知りたいこと全てに答えるのだが、どうやらこの世界のアカシックレコードにはうまく繋がらなかったようだ。
「アカシックレコードに再接続しろ。接続できない詳細を解析し報告しろ」
『アカシックレコードへ再接続開始――失敗。第三者による妨害を確認。障害の排除を開始――成功。第二障害確認により接続不可状態の継続、排除開始――失敗。第三者からの接続の強制切断を確認』
「わかった。アカシックレコードへの接続は中断しろ。それと、ここら周辺の情報を教えてくれ」
『探索開始――完了。周囲十キロ圏内を探索しました。常時探索に切り替えます』
彼の視界の端に、まるでゲームのマップのような半透明の画面が表示された。そこには中心のカーソルがあり、その周囲と後方にかけて緑で塗り潰されている。
「とりあえず森から抜けることが先決か。幸いここからまっすぐ行けば出られるみたいだしな」
彼がしばらく歩いていると、なにやら嗅ぎ慣れた臭いが漂ってくることに気付いた。それは生臭い血の臭い。かつての世界では彼が何かをするたびに辺りを埋め尽くしていた血潮の臭いだ。そしてそれは、彼が森の最端に近づけば近づくほどより強烈になっていく。
「ああ、なるほど。どうやら私はこの世界でも平穏に暮らすなんてことは出来ないらしいな」
呟く独り言の内容に反して、彼はとても楽しそうに口端を吊り上げていた。かつての世界でのことを考えれば、森特有の独特な臭いをかいでいるより、落ち着くのかもしれない。
森の最端までたどり着き視界が開けると、そこにあった光景を見て彼は高笑いを上げ出した。
「アハハハハハハハハハッ! なんだこれは。小規模とは言えまるで前の世界の再現じゃあないかッ!」
どこを見渡しても死体しかなく、かつて草原であったであろう大地は焼かれ、血の海に沈んでいる。五百以上の死体の状態は様々で、四肢が欠損してるもの、首がないもの、潰れているもの。その姿は様々だが、その殆どは同じ鎧を着込んでおり、元々剣や盾を装備していたようで、辺りにそれらが散らばっている。鎧を着こんだ人数に比べれば少数ではあるが、ローブを着こんだものおり、そのローブには同じ模様が描かれていた。
「剣や鎧が統一されている。それにすべてに同じ模様が入っている……となるとこれは軍隊か?」
そこで彼は視界端のマップに、一つだけ黄色のマーカーが映っていることに気がつく。ナビの地図に表示される生体反応は、敵性が赤、中立が黄色、非敵性なら青だ。その方向を見てみると、そこには不自然な馬車が一台止まっているのが目に入った。その馬車は血や土をかぶって入るが、特に目立った損傷は見受けられず、馬さえいれば直ぐにでも走り出せそうな状態である。そしてその中から生体反応。どう考えても厄介ごとにしかならないと彼は思った。
「だが、久しぶりの人だ。面倒ごとのほうが総じて面白いものでもある」
しばらくは退屈しなくても済みそうだ。そう考えながら彼はあえて面倒ごとに首を突っ込むことにする。近づいていくと、汚れて見え辛いが馬車の側面には、先ほど見た鎧に刻まれた模様と似ても似つかない模様が装飾されていることに気がつく。さらに近づいたことによって、その馬車には魔術的な一種の結界が施されていることにも気がついた。数多の魔術を見てきた彼は、その魔術がこの馬車の認識そのものを阻害する効果と、外部からの進入を阻害する効果を持っていることが分かった。
「なるほど、なかなかいい術式だ」
彼が何時ものように独り言を呟くと、馬車の中から物音が聞こえてきた。いくら術式が良質だとしても、彼は世界そのものをその身に取り込んだ魔術師であり、その程度の結界では障害にすらならない。馬車についてる小さな小窓から覗き込むと、中では一人の少女が膝を抱えながら小刻みに震えていた。輝くような金髪をしているが掻き毟ったのかボサボサになっており、まるで西洋人形のように整った顔を蒼白にしている。
覗きこむことで小窓がふさがり馬車内が若干暗くなる。それに気がついたのか、少女はゆっくりと顔を上げた。結果、彼は彼女の黄金色の瞳と目を合わせることになる。
「ヒッ!」
彼の姿を認識した少女の体はより一層震えだす。そんな憐れな少女の姿を見た彼は少し傷ついた様子で馬車の扉を開けた。
「いやぁ……来ないで……」
「何もしていないのにそこまで怖がられてしまうと、さすがの私も傷つくのだが……」
そういいながら彼は少し考える。身につけている装飾品の数々や、金の装飾がなされた仕立ての良さそうな純白のドレス。そして倒れている死体の鎧に描かれている模様とこの馬車に描かれている模様を見れば、この少女が特権階級に類する身分だとは想像に難くない。だとすれば、この少女に親切にしておいたほうが今後自分の役に立つだろうと彼は考えた。
「お助けに上がりました。お姫様」
彼は少女に微笑みながらそう言った。それを聞いた少女は思わず顔を上げる。震えは治まらないが、その表情に恐怖の色はなくどちらかといえば驚愕といった様子だ。
彼はお姫様を助けに来た騎士のように演じてみることにした。漆黒のローブを着込んだ魔術師然とした服装では些か格好がつかないが、彼は俗に言う美形である。そして彼は自身の顔がかなり整っているほうだというのを自覚しており、女性相手に何かをする際にそれを利用することを厭わない。
「貴方は……貴方は悪い人ではないのですか?」
「私は悪い人ですよ。こんな大事に貴方の心の隙間に入り込もうとしている」
彼は頬を赤らめる少女に手を差し伸べる。
「さあ、行きましょうか」
少女の体はもう震えはない。おずおずと差し伸べられた手をとった少女は遠慮がちに尋ねた。
「えっと……どちらにでしょうか?」
「貴方の家にですよ」
彼は少女の手を引き馬車の外に連れ出す。少女は手を握ることで多少安堵感を得ていた。しかし馬車の外は地獄絵図を体現したような風景をしており、それを目撃した彼女は収まっていた震えが再び大きくなり、その場で嘔吐してしまった。
他人の内臓をぶちまけたこともある彼にとっては吐瀉物など珍しいものでもないため、心配そうな表情を顔に張りつけ少女の背をさする。しばらくして落ち着きを取り戻した少女だが、今度は急に泣き出してしまった。
(女というのはどうしてこう面倒なのか……)
彼はそんなことを思うが、当然おくびにも出さない。
「お姫様、少々失礼を」
顔には一切ださないが、いい加減面倒に思った彼は背と膝裏に手を回し強引に抱きかかえる。いわゆるお姫様抱っこだ。
(ナビ、この少女の詳細情報を音声で頼む。それと住まいの位置情報をマップに表示してくれ。必要ならこの少女の脳内から情報を引き出しても構わない)
『検索開始――完了。名称、ユリア・テレーザ・ド・ヘルタ・アーデルハイト。十五歳。アーデルハイト王家三女であり、王位継承権第七位を持っています。今年からド・ヘルタ地方の領主にもなった。しかし実質的な管理をしているわけではなく名目上の領主とのこと。自身の領地を初めて見に行く道中で、ドラゴンに襲われたようです』
いきなり抱きかかえられ羞恥と恐怖が入り混じり混乱している少女に笑顔を向けながら、彼はナビの説明を聞いていた。彼は周囲の死体が身につけていた鎧や剣の様子から、技術レベルは大体元の世界の中世程度だと予想していたため、彼女をどこかの貴族の令嬢かと予測していた。それが王族だと知らされて心底驚く。
ふと視界端のマップに視線を移動する。マップは自動的に表示範囲が広がり、現在地と王都の位置を確認できるようになっていた。
「あの……」
少女が遠慮がちに彼に尋ねた。
「どうしましたか?」
「私の名前は、ユリア・テレーザ・ド・ヘルタ・アーデルハイトと申します。貴方のお名前を教えては頂けませんか?」
「ふむ……そうしたいのは山々なのですが、生憎私には名前というものがないのですよ」
彼の言っていることに嘘偽りはない。彼は魔術師になったと同時に自身の名前を捨てている。魔術師にとって、名を知られれば名で縛られるというのは常識だ。
「そうですね。では私の尊敬する偉人の名を借りて――シラノ、とお呼び下さい」
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