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第十八話 開かずの扉(下)

 ゆっくりと鉄の扉が軋みを上げながら開いていく。

 シラノはディートとソレを引き合わせることで一体どのようなことが起こるのか、内心は心躍っていた。しかし、起こった事実は彼の期待とは正反対のものだった。

 玉虫色のソレをはっきり視認したディートは、なんの反応も示さなかった。


「シラノ様、あれは?」


 まるで道ばたに生えている花の名を聞くかのように普段通りの様子で、彼女はシラノに尋ねた。

 シラノは彼女の余りに普通の反応に驚きで言葉がでなかった。それは今も宙に浮きながら蠢いており、結界に抑えられているとはいえ常人ならば直視に絶えるはずもないその形容を、ディートは普段通りの微笑んだ表情で見届けていた。


「……どうも思わないのかね?」

「どう……とは?」


 ディートは本当に何とも思っていないようで、不思議そうな表情をしている。

 発狂どころか吐き気を催した様子もない彼女に、シラノは若干戸惑いながらも、何か起こるのではという期待を裏切られたような気がして残念だった。


「……まぁいいか。これは案内人であり、窮極の門の守護者であり、最古なるものだ。そういうものだと思っておけば問題ない」


 シラノは少々白けてしまっていた。なにか起こると思って連れてきてみれば、何も起こらなかったのだからそれも仕方ないのかもしれない。しかし、それ故に彼は見逃していた。何も起こらない、それがすでに何かが起こっている証拠なのだということを。常人がソレを目撃して平然としているのが既に異常なのだということを。


「さあ、もうそろそろ戻ろうか。あまり遅くなっては、あなたの騎士やメイドが心配するだろう」


 シラノの彼女への興味はこの時点で完全に失せていた。彼はディートを連れて部屋を出た。たわいもないディートの話にシラノは適当に相槌を打ちながら彼女を部屋まで送る。


「ではディート、おやすみ」

「はい、お休みなさい。シラノ様」


 ディートを客室にいた彼女付きのメイドへと引き渡し、シラノは自室へと向かった。




 そのころ、アーデルハイト王国王城のユリアの自室には、一人の男が呼ばれていた。

 その男は漆黒のカソックと手袋を身につけており、カソックと同化して見えてしまうほど肌が黒い。長い前髪で目元が隠れているが、口元はいやらしくにやけており、おおよそ聖職者とは思えない人物だった。


「さて、シラノ様に関する情報を頂けるという話だったけれど……」

「ええ、ユリア姫が知りたがっているであろうアードラース辺境伯の情報をお持ちしました。きっとお気に召して頂けるかと」

「変な気は起こさないでね。この部屋が血で汚れるのは見たくはありませんので」

「勿論ですとも」


 そう返すと、黒い神父は机の上に一枚の手紙を置いた。神父が机のそばから離れたのを確認すると、ユリアは机の上に置かれた手紙を手に取り、そこに書かれている内容に隅から隅まで目を通した。

 その内容を読んでいる彼女は怒りに眉間をひくつかせ、すべて読み終えると即座にその手紙を握りつぶした。怒りに鋭くなるその瞳は、普段の黄金色ではなく真っ赤に染まっている。


「この手紙は一体何なのですか? 事と次第によってはあなたを不敬罪で処罰します」

「それは怖いですねぇ。見て分かる通り、その手紙は辺境伯様がディートリンデ・エラ・アーベライン様に向けて出された手紙の写しです。現在あの方はアードラース城にお泊まりだとか」


 神父がそこまでいうと、ユリアは手紙を握りつぶしたままの拳で机を思い切り殴りつける。すると、四隅の足で支えられていたその机はいとも簡単に真っ二つに折れてしまった。


「……あの小娘ッ! 私のシラノ様に卑しくも近寄ろうだなんて!」


 叩き折れた机の音とユリアの怒鳴り声に、何事かと近衛兵達が駆けつけた。


「如何なされましたかッ!?」


 近衛兵達はノックをせずにユリアの部屋に突入する。しかし、そこには何事もないユリアの姿と、何故か真っ二つになった机があるだけだった。


「何でもありません。事情は後日説明しますから、今日は下がりなさい」

「しかしッ!」

「下がりなさい」


 今までに聞いたこともないようなユリアの冷たい声音に、近衛兵達は背筋を伸ばし一礼して部屋を後にした。


「姫様ともあろう方が、こんな遅くに大声を上げてはいけませんよ」


 近衛兵達が入室したときにはいなくなっていた黒い神父がいつの間にかそこにいた。


「誰の所為だと思っているのですか」

「シラノ様の所為でしょう?」

「あなたの所為です」

「これは手厳しい」


 おどけた様子の神父に対し、ユリアもいくらか冷静さを取り戻した様子で壊れた机のそばにあるイスを引き腰掛ける。


「この手紙をどうやって入手したのかの方法は問いません。しかし、私はあの女がシラノ様に近づくのが許せない」

「勿論分かっていますとも」


 神父はそう言うと、懐から黄色い装丁の本を一冊取りだした。


「これは?」

「それは黄衣の王という一種の神と契約する魔術書です。常人が読めば発狂してもおかしくはないが、異形と人間のハーフである貴女ならば平気だと思いまして」

「はぁ、なぜ貴方が私の出自を知っているのか問いただしたいところではありますが、この際目を瞑りましょう。それで、その神との契約があの女をどうにかするのと一体どんな関係が?」

「ディートリンデ・エラ・アーベラインという女性は人間ですが普通ではありません。そして、辺境伯を筆頭にあの方の周りも普通ではない。もしそんな人物を始末したいと言うのならこれくらいしなくては」

「なるほど、一理あるわね。でも、私は貴方の言うことをはいそうですかと鵜呑みにするほど信用してはいません。確かにそこそこ長い付き合いではありますが、そもそも貴方の正体が今だに分からない。私の魔眼を通しても、貴方の正体は見破れない」


 ユリアは神父を冷たく見据えた。その瞳を平然と見返し、神父は彼女の質問に答える。


「私の正体と言われましても、私は唯のしがない神父ですよ。気軽にナイ神父とお呼びください」

「しがない神父は私の魔眼に見られたら震えて腰を抜かすものよ」

「まあいいではありませんか。それよりも、アーベラインの令嬢のことでしょう?」

「そうだったわね」


 ユリアはもう一度机に置かれた黄色い本に目を移す。


「これを使えば、あの女を始末出来るのかしら」

「たとえアーベラインの軍隊に妨害されようとも、実行するだけの力は手に入ります。それをどうするかは貴方次第です」

「……わかりました。これはありがたく使わせてもらうことにします」


 黄色い本を受け取った事を確認すると、神父はよりいっそう笑みを深めると、ユリアに向かって深く礼をする。


「では、貴女に神のご加護があらんことを……」


 頭を下げながらそんな言葉を嘯く神父は、ユリアを小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。




 ディートがアードラース城を立ってから一週間後、彼女はアーベライン城へと帰って来ていた。使用人一同に出迎えられた彼女は城へ入るなり、真っ先に父であるアヒム・アーレ・ド・アーベラインの元へ向かった。


「お父様!」


 執務室に入ると彼女は父の元に駆け寄った。


「おお、ディートよ。アードラースはどうであった?」

「とても良い場所でした。シラノ様にも良くして頂きました」

「それは良かった」


 頬を赤らめる娘を見て、アヒムはこれならば結婚の話もスムーズにいくと確信した。


(後は、あのアードラース卿の政治手腕がどの程度かだな)


 アヒムは部下の報告を通じて、シラノが各村々を見て回ったことは知っていた。ここで町では無く村を回ったことを、アヒムはとても高く評価していた。

 町は商業の中心ではあるが、商業の盛んな町で農業は出来ない。領内各地の有権者の顔を立てるのならまずは町を回ることが先決なはずだが、シラノはそうせず村を回った。それはそれだけ食糧問題を重く見ているということの表れだと、アヒムは考えた。


「それで、お父様にお聞きしたい事がございまして」

「なんだね?」

「お父様は確か門をお探しになっていると漏らしていた事がありましたが、それはもしかして窮極の門の事でしょうか?」

「ッ!?」


 娘の口から出てくるはずのない言葉に、アヒムは思わず立ち上がった。


「その名前をどこで……?」

「シラノ様の城の地下にありましたが……」


 アヒムは愕然とした。歴代のアーベライン領主が探し続けてきたものが、こうもあっさりと見つかるとは彼も思っていなかったのだ。むしろ、もう自分の代では見つからないと諦めていたものでもある。

 アーベラインは代々続く由緒正しき家系である。そして、この家には古くからある言い伝えと鍵が受け継がれていた。

 窮極の門に銀の鍵を示せ。深き薔薇の海の先にあるは石の門。儀式によって銀の鍵を動かし呪文を唱えよ。さすればその先にはこの世のすべてがあるだろう。

 娘を退室させたアヒムは、胸元につる下げた鍵を使い、机の引き出しを開ける。

 その引き出しには五センチほどの大きな銀色の鍵と、深い緑に染めた動物の皮で装丁されている一冊の本が入っていた。

 アヒムはその本を手に取り、慣れた動作であるページを開き、そこに書かれている文字を読み上げ始めた。


「いあ いあ んぐああ んんがい・がい! いあ いあ んがい ん・やあ ん・やあ しょごぐ ふたぐん いあ いあ い・はあ い・にやあい・にやあ んがあ んがい わふる ふたぐん よぐ・そとおす よぐ・そとおす いあ いあ よぐ・そとおす おさだごわあ」


 極めて平坦な口調で読み上げられた余りに奇怪で宗教めいたその言葉は、この地上のどの言語の言葉でもなく、聞いている者がいれば悲鳴を上げてもおかしくないほどおぞましかった。


「父上、我ら一族の悲願、叶うやもしれませんぞ」


 そう呟くアヒム。それら一連の出来事を、窓の外からじっと見つめている赤い瞳の鳥がいた。

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