第十七話 開かずの扉(中)
シラノとディートはそれからしばらく、中庭で紅茶を楽しんでいた。彼等がしていた話は大抵がたわいもない話であったが、彼女は常に楽しそうにしていた。
空が赤く染まってきた頃、シラノはディートに泊まっていくように提案する。一般家庭であれば深い意味をもつその言葉は、彼等貴族の間では特に意味を持たない。居住しているのは城であり、しっかりと客間が用意されている上、ディートにはお供に騎士とメイドが付いている。別室での宿泊程度、特に問題はなかった。
シラノは仕事が残っているからと執務室へ向かった。その為、ディートは夕食までのあいだ客間で寛いでいるように言われていた。
彼女は客間に着くとすぐさま用意されているベッドへ飛び込んだ。
「ディート様、はしたないですよ」
お付きのメイドの注意などまるで聞いていないようで、彼女はベッドで転がりながら悶えていた。
「はぁ、シラノ様。やはり格好良いです」
そんなディートの様子に、メイドは思わずため息を付く。ディートは大貴族の令嬢ではあるが、社交界にはほとんど出席せず、貴族社会の荒波に全くもまれずに育ったことから、齢十四でも未だに恋に恋する乙女であった。
通常この年齢の貴族令嬢はより上流の貴族へ嫁ぐため、社交界に積極的に参加して人の悪意に晒されながら育つ。そのせいで、恋に恋するようなことはなく、かなり擦れてしまっている。
だが、彼女は公爵令嬢。殆ど最下位ではあるが王位継承権すら持っている彼女の上の地位といえばもう王族しかいない。それなら男受けが良い純情なままの性格の方が都合がいいと、アーベライン公爵は彼女を人の悪意に晒さずに育ててきた。
人を疑うことを知らず、大抵の男の支配欲を満たすであろう純粋無垢な彼女は、政略結婚の道具としては最適だった。しかし、純粋故に平気で貴族の暗部に足を踏み入れるようなことを平気でしでかすディートのフォローをしている従者達の気苦労は絶えなかった。
「ディート様! そんなはしたないとシラノ様に嫌われてしまいますよ」
メイドがシラノの名前を出して少し強めに叱ると、ディートはその名に反応して起き上がり姿勢を正した。
「それはイヤですッ!」
「でしょう? ディート様はお綺麗なのですから、しっかりなさればきっと辺境伯様に気に入って頂けると思いますよ」
その言葉にディートは手を頬に当てながら顔を真っ赤にした。
「本当にそうでしょうか……?」
彼女は赤くなりながらも、不安げな様子でメイドに訪ねた。
「ええ、勿論です」
(たとえ辺境伯様にその気がなくとも、必ず結婚して頂きます。私の特別報酬も掛かっていることですし)
メイドの目が鋭くなったのに、夢心地のディートが気づくはずもなかった。
シラノが唯一ディートに案内しなかった扉の向こうには、石の螺旋階段が地下深くまで続いている。その階段を降りきると、監獄にでも備え付けられていそうな無骨な鉄の扉があり、その扉の向こうの部屋にシラノはいた。その部屋は石室のように石で囲まれており、壁に備え付けられた数本の蝋燭のみが唯一の明かりで、薄暗くなんとも名状しがたい不気味さがある。
その部屋の中心には、おおよそ生物とは言えない玉虫色をした不定形の肉塊が宙に浮き蠢いていた。球状を基準として常に形を変えながら蠢くそれは、この地上のものは思えぬほどおぞましい。その動きは暴れているようにも見えるが、シラノが施した結界により、それはその場から移動することは出来なかった。
「一部とはいえ凄まじいな。並大抵の神格なら身動き一つ出来なくするほどの術式の中でこれだけ動けるとは、さすが窮極の門の守護者と言われるだけのことはある。しかし夢の外に位置する私でも、概念としてこの場に縛るのはこの程度が限界か。まあこの程度でも妖虫相手に利用するなら十分すぎる訳だが……」
そこでシラノは、何者かがここへ繋がる地上の扉を開け階段を降りて来るのを感じた。シラノは屋敷の者達にここへ来てはいけないことを強く言い含めている。それでも火急の用事がある時は、カノンを通じて彼に伝えるようになっていた。
「たとえカノンであったとしても、これを見せるにはまだ早いか」
シラノは魔術を用いて侵入者の位置を特定すると、その背後へと転移した。
「どこへ行くのかね?」
「うひゃッ!?」
声をかけられた少女は突然のことに驚き階段を踏み外した。階段を転がり落ちる前に、シラノは彼女の手を引き立ち直らせる。
「こんなところでなにをしているのかね、ディート」
「えっと、あの……ごめんなさいッ!」
ディートは泣きべそをかきながら経緯を説明する。彼女は花を摘みに行った帰りにここの扉の前を通りかかり、出来心で入ってしまったらしい。
しかし、シラノはその言葉に疑問を持っていた。
(確かにディートは出会った当初から幼い印象だったが、他人の城の部屋に無断で進入するほど常識が無いような様子でもなかったと思うが……)
そう思い、シラノはディートを抱きしめながら優しく問うた。すると、ディートは涙を流しながらこのように語った。
彼女は最初、全くそんな気持ちはなかったのだという。普通に花を摘みに向かい、部屋へ戻ろうと思っていたそうだ。しかし、この扉をふと視界に収めると、何故か扉の向こうに行かなければならないという気持ちにさせられたのだという。
シラノはその話を聞きながら、一つの可能性を考えていた。玉虫色のおぞましい肉塊は、地下深くに封印している。そして、それはこの世界の技術では実現出来ないほど地下深くである。そんな場所に封印しているものが、無意識に地上に影響を与えるとは考えにくい。そして、無論シラノ自身も扉にその様な細工を施してはいなかった。つまり、シラノが考えたのは、玉虫色のあれが自らディートを呼び寄せたのではないかという可能性である。
彼は一つ試してみることにした。
「そんなに見てみたいのなら、見てみるか?」
「……ふえ?」
「別に見られても私は困らんからな。構わんよ」
(困るどころか、常人ならば見ただけで狂いかねないが、別段視界に収めただけで害をなす類のものでもないしな)
当然彼はそんな言葉は口に出さず、ディートを連れて地下へと歩いていった。
それからシラノ達が無言で階段を下りていたのだが、その様子にディートが不安げに尋ねた。彼女はシラノが無言になったのが、扉を開けたことに対して怒っているからだと思ったのだ。
「あの……本当に宜しかったのでしょうか?」
「構わんよ。ディートは確かに勝手に扉を開けはしたが、私はそれで怒るほど狭量ではない」
(もし本当にアレに呼ばれたのだとしたら、それはそれで興味深い。まぁ、どちらにしろ退屈しのぎにはなるだろう)
シラノのそんな思惑など知らずに、ディートはご機嫌な表情を浮かべステップを踏むように階段を下りていく。
しばらく階段を降り続けるシラノ達だが、いくら降りても一向に到着しないことを不信に思ったディートがシラノに尋ねた。
「えっと、もう大分歩いたと思うのですが、まだ着かないのですか?」
「ああ、もうすぐだよ」
そんなやりとりの数分後、彼等はようやく扉の前にたどり着いた。無骨な鉄の扉には、元の世界でラテン語である言葉が書かれていた。
「シラノ様、これは見たこと無い文字ですが、なんと書いてあるのですか?」
「汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ」
「え?」
ディートの反応にシラノは普段の薄ら笑いを浮かべながら、その扉をゆっくりと開いた。
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