第十三話 人外
カノンは唖然と見上げる者達を見下しながら、不思議な気分に浸っていた。それはとても心地良く、まるで何かに解放されたかのように体が軽やかに感じる。今までは全身に重い鉄球をぶら下げ、手枷足枷をはめていたのではないかと錯覚するほど、彼女は現在全身が火照るような高揚感を得ていた。
(ああ、たぶんこれがシラノ様の見ていた世界の一部……)
ああ、自分はなんと愚かだったのか。カノンはそう思わずにはいられなかった。
(なんて恥ずかしい事を言ってしまったのだろう。偉そうにエレナに説教をしてしまった。この感覚を常人が理解することなど不可能だと言うのに)
周りのすべてが有象無象。下手をすれば触れただけで壊れてしまいそうな程脆弱な存在。彼女は今まさに、シラノがいる深淵に一歩足を踏み入れていた。
「あれを殺せッ!」
カノン達を襲ってきた集団の一人が怒声を上げると、彼等はエレナとカインを無視して、カノンに向けて一斉に弓を構えて矢を放った。
それに対し、彼女は余裕の笑みを浮かべそれを受け入れた。その目は自信に満ちており、恐怖の色は帯びていない。
「カノンッ!」
エレナは悲鳴じみた声を上げる。カノンと話すようになって余り経っていなくとも、彼女にとっては共に旅した仲間なのだ。苦手意識こそあれ、嫌いでは無かった。そんなカノンが死ぬ光景が、彼女の脳裏を掠めていた。
放たれた矢はすべて、確かにカノンに命中していた。しかし、それらは金属音をたて跳ね返った。中には当たった事でへし折れたものまである。
カノンは自身の目や心臓があるだろう位置に当たっては跳ね返っていく矢を受け入れながら感心していた。
(すべての矢が寸分違わず急所を狙っている……ただ者じゃないですね)
「まあ、今の私には関係ないですけど」
カノンはそう呟くと、触腕の一本を瞬時に延ばし、一人の男に向けてなぎはらった。常人には見ることすら叶わない速度で振るわれたそれに、その男の上半身だけが噴水のように血を吹き上げながら宙を舞う。
その光景を目撃した二人の男達の動きが一瞬停止した。今のカノンの前では、その一瞬は致命的なまでの隙だった。
彼女は二本の触腕を延ばし、二人の男を地面に押さえつける。彼女はそのままゆっくりと垂直に降下していき、地面に足を着けた。
「ふう……大丈夫ですかエレナさん」
「え、ええ……」
呆然としながら生返事を変える彼女にカノンはため息をつくと、二本の触腕それぞれで押さえつけている男達に近づく。
「さて、あなた達は誰の命令で我々を襲ったのですか?」
カノンはそう質問するが、男達は沈黙を貫いている。彼女はこれほどの手練れがただの賊ではないと確信していた。これほどの腕があるものが五人も集まれば、どこにも就職できずに冒険者になったとしても、中堅の中では上位に入れるはずだ。そこまでになってしまえば、その日暮らしの冒険者でも一回で相当稼げるので、生活もかなり安定してくる。そんな者達が、明らかに貴族の馬車を狙うなど正気の沙汰ではない。
「黙りですか」
「それを吐かせるのは私がやろう。あの契約では、そこまでの魔術を扱う権限は君にはないからな」
そこに村長を連れ立ったシラノが登場する。シラノの横にいる村長は今までの成り行きをシラノの隣で見届けていたため、気の毒なほど顔を真っ青にして震えていた。
しかし、その村長の比ではないほど顔を青白くし、腰を抜かして地面にへたり込み震えている者がこの場にはいた。
その人物の右肩から生えている四本の触腕はまるでシラノから逃げるように各々が暴れており、歯が連続してぶつかる音がなる。その人物――カノンは後ずさりながら首を左右に降った。
「……ぃ……ぁ」
「やっと人の呪縛から解き放たれたのだな。人の範疇の戦いをすれば、人と同じ目線でしか戦えない。君はすでに人外なのだから、それ相応の戦い方をしなければ」
そんなカノンの様子は関係なく、シラノは諭すように言葉を並べる。
彼女は今回の件で完全に人の理から過ずれてしまった。それ故に、今の彼女にはシラノという人物が一体どういうものなのかが理解出来た。
カノンには眼前で微笑むシラノの魂の内側に、億では利かぬ数多の魂が蠢いているのが見えていた。その圧倒的な魂は、彼女が契約したクトゥルフとは比べることすらおこがましい。
なまじ人外の体と精神を獲得してしまったが故に、今の彼女には気絶することすら許されない。
「そういえば、どうしてそんなに震えているのだ?」
とぼけた様子で訪ねたシラノの問いなど聞こえていないかのように、カノンはうわごとめいた言葉を漏らす。
「あなたは……あなたは一体何なのですか?」
その言葉に、シラノはますます笑みを深める。彼女のその問いが、何者なのかではなく、何なのかというのがとても的を射ていたからだ。
「そうか、君はもうそこまで理解出来ているのか」
シラノかカノンに必要以上の恐怖を与えまいと、ゆっくりと歩いて近づく。それでも、彼の魂が見えてしまっている彼女からすれば恐怖でしかなく、その紅い瞳から涙がこぼれる。
そんな彼女の頭にシラノはそっと手を乗せて、ゆっくりとなで始めた。
「そう怯えることはない。所詮この世は夢物語だ。好きなように生きればいい。この調子なら、君も夢から覚める時がじきに来るだろう」
シラノは彼女の頭から手を引く。すると不思議なことに、彼女の震えはいつの間にか収まっていた。
彼はそんな彼女の姿を、まるで懐かしいものを見る目で自然に微笑んでいた。
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