表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/250

狼の群れ

[第三者視点]


 鬼芥子の群生地は、予想よりは閑散とした場所だった。

 岩肌がむき出しで、ところどころに染み出した地下水が湿らせているという他の草花も少ない猫の額ほどの場所だった。

〈呑竜嶽〉に広がる緑陽樹の山林を抜けた反対側は切り立った崖になっていて、時折、強い風が吹き付ける。

 もしバランスを崩して落下しようものなら、普通なら死んでしまう高さだ。

 あえてこの場所のことをいうのならば、断崖絶壁の途中にある踊り場的な空間というべきか。

 オーヌが、なるほどここならば余人には窺い知れぬ密所であるなと感嘆の声をあげたほどであった。

 風に気をつけなければならないとしても、〈白珠の帝国〉の拷問吏にして訊問士であるオーヌにとっては宝の山といえた。

 花が咲いていないと、枯れたあとに発生する芥子坊主と呼ばれる果実ができないことから、浅く傷つけることで滲み出す乳液を採取できず、ここまで来たのが徒労に終わるところだったが、運良く開花してひと月といった時期であった。

 オーヌは無事な芥子坊主を探し出して、採取すると用意しておいた櫃に詰め込む。

 魔導による保管が可能な〈帝国〉独自の魔道具なので、採取直後の鮮度を維持できるというものだ。

 最終的に掻き集めた芥子坊主は三十七。

 乳液を集めるだけなら充分な数であったし、熟しきった果実の中にある微細な種子も確保できた。

 人工栽培に挑戦することも考えていたので、これも運がいいといえた。

 オーヌが意気揚々と浮かれながら自分の仕事をこなしているとき、彼の配下である傭兵たちは抜け目なく周囲の様子を探っていた。

 鬼芥子の群生地は完全な行き止まりとなっており、もしも、この場所に魔物が襲来してとしたら背水の陣ではすまないほどに追い詰められる。

 そんなことはまっぴらごめんである。

 であるのなら、警戒は普段よりも一層厳重になるというものだ。

 彼ら十人は傭兵だった。

 ただ、オーヌ個人に雇われたものではなく、オーヌの個人的なパトロンが集めたそれなりの腕利き揃いである。

 傭兵たちが昨日からまったく気を抜かないのは、彼ら以外にこの魔境に侵入してきた人間たちがいるからであった。

 しかも、オーヌの持つ〈魔獣騙しの香〉を使わず、力尽くで無理矢理に登ってくるという乱暴さだ。

〈魔獣騙しの香〉も、〈妖帝国〉の産物で、これを焚きながら進めば力の弱い魔物は嫌がって寄ってこない。

 大型の魔物は別だが、オーヌの説明では現在の〈呑竜嶽〉では大型自体が少なくなっているらしい。

 したがって、その二つの要因のおかげで彼らが実際に魔物と戦ったのは三日間で二度ほどだった。

 それでもかなり苦労を強いられたというのに、もう一組の人間たちはゴリゴリと魔物たちを削りながら進んでくるのである。

 相手方は気づかなかったが、傭兵たちはその姿を遠眼鏡で確認していた。

 五六人の集団だったが、とにかく異常なほどに移動が早い。

 立ち塞がる魔物をものともせずに一心不乱に登ってくる。

 どういう目的かはわからないが、少なくとも敵とすると至極厄介な相手となるだろう。

 できたら戦いたくない相手だった。

 それだけでなく、傭兵たちが気に病んでいることがもう一つある。

 それは昨日の昼にオーヌが、案内役に雇った難民窟の少年にかけた忌まわしい術についてである。

 彼らは、術をかけられた少年が、前傾姿勢を保つ犬のような怪物めいた姿に変貌する様子をまざまざと見ていた。

 魔導、というものがどういうものか多少の知識があっても、オーヌが実際に行った術のいまわしさは想像を絶するものだった。

 あんなおぞましい真似をするものと一緒にいるなんて、普通の神経では耐えられないだろう。

〈妖帝国〉という言葉の真の意味を悟ったような気がしていた。

 その変貌した少年を、オーヌは後方の人間たちに刺客として送り込んだ。

 人を人とも思わぬ残忍さだった。

 だから、傭兵たちは外敵に備えることと、後ろにいる魔道士(オーヌは本当の意味での魔道士ではなかったが)に対しての警戒も怠れない。

 ほとんど戦闘をしていないのに、彼らの精神は尋常でないぐらいに疲労していたのだった。


「……(かしら)ぁ、オーヌ殿の採取もそろそろ終わりそうですし、撤収の準備をしましょうや」

「そうだな。斥候に出している二人もそろそろ戻るだろう。全員に伝えろ」

「やれやれ、ようやくこのおっかねえ山から逃げ出せるぜ」

「まったく二度と来たくねえな」

「そういうな、仕事だ。前金も充分もらっているし、割のいい内容だと思え」

「割がいいねぇ。……ロランだってそうだと思っていただろうさ」


 ロランという案内役の少年が辿った末路を知っている傭兵たちは、自嘲気味に呟く。

 あの少年はそれなりに闊達で、わずかな時間ながら傭兵たちにもよく馴染んでいたから、その思いは傭兵の頭にもわかる。

 あまり役に立ったとは言えないが、あれほど無残な目に合わせられるほどのものではない。

 むしろ、雇い主であるオーヌの方が不快さの対象だった。


「……頭ぁ、ちょっと妙だ」

「なんだ」

「斥候連中が戻ってこねぇ」

「……魔物にやられたのかもしれんな?」

「いや、奴らにも〈魔獣騙しの香〉は持たせてある。大型にやられでもしない限り、そっちの心配はねぇ」

「ということは……」

「おそらくな。例の連中だろうぜ」


 傭兵の頭は、手短な場所で撤収の準備をしていた部下に命じた。


「オーヌ殿に伝えろ。敵襲のおそれありだと」

「へい」


 そして、他の部下たちに向き直り、


「例の連中の狙いはやはり俺らだったのかもしれん。まあ、オーヌ殿の小細工が怒らせてしまった可能性もあるがな」

「それもそうだ」

「ギャハハハ」

「……迎撃の準備をしろ。数ではこちらが上だが、あいつらは並大抵の腕前ではない。油断すんな」

「おうさ」

「まかせろ」

「……ちょっとまて、貴様ら」


 指示を受けて、戦闘準備に移行していく傭兵たちの傍に、いつのまにかオーヌがやってきていた。

 鬼芥子の採取は終わったらしい。手に櫃を抱えている。

 オーヌは四十絡みの三白眼をした、カマキリを思わせる男だった。

 背が高いというのに猫背気味で、不気味な上目遣いをすることから、傭兵たちの印象はよくない。

 そのくせ目立ちたがりで、交渉役などは買って出る。

 ただし、その交渉も自分たちを有利に進めるためではなく、相手方をやりこめるために行うようないやらしさがあり、到底成功しているとは思えない。

 それだけではない。

 旅の途中で、何度も、道端で警戒心もなく遊んでいた小動物や虫をつかまえては手足をもぐなどという行為をして笑っている嗜好も、傭兵たちの嫌忌の対象となっていた。

 要するに、嫌われているのだ。


「敵襲だと?」

「はあ、そうです」

「……例の連中なのか?」

「おそらく。斥候がやられたか、捕まったおそれがあります。距離的にも追いつかれていていい頃合ですし。もう少し、オーヌ殿が早めに採取を終えていてくれたら、逃げ出せたのですが」

「僕が悪いっていいたいの?」

「そんなことは……」

「ふん、雇われの分際で偉そうな口を叩かないことだね。それで、当然、勝てるんだろうね」


 露骨な見下され方に反発を覚えても、かなりの前金をもらっている以上、傭兵に文句はいえない。

 怒りに任せてオーヌを叩き切れば、後金はもらえないし、今後の傭兵業にも影響する。

 腹が立つのを我慢して、傭兵の頭は答えた。


「……料金相応の戦いはするつもりですよ」

「あたりまえだよ。ただね、やってくる敵はたぶん只者じゃないね」

「……ご存知なんですか?」

「バイロンの正規兵であそこまでの連中はそうはいない。それに、先陣を切っていた黒い鎧には見覚えがある。〈白珠の帝国〉の魔導鎧だよ。……この田舎国であの魔導鎧を所有している人間なんて一人しかいないからな」

「誰ですか?」

「〈ユニコーンの少年騎士〉だよ。元々、我らの国で召喚された〈妖魔〉の出来損ないさ。それが犬の証の首輪を外されて、この国では英雄扱いだ。ふざけた話だよ。……ふざけついでに、僕はあいつに恨みが一つある。それをはらさせてもらうとしよう」

「オーヌ殿、いったい、なにを……?」


 オーヌは右手の人差し指と中指を立てて、指剣を作り出し、高らかに掲げた。

 傭兵全員の視線がつられて、天を向く。

 同時に、裂帛の気合が轟き渡った。

 それはオーヌの発したものであったが、そのことを傭兵たちは理解できなかった。

 なぜなら、彼らの脳にただ一言の命令が呪詛のように浮かび上がり、従属を強いたからであった。

 その命令は、「殺しつくせ」である。

 傭兵たちはいつのまにかオーヌによってかけられていた〈催眠〉によって、ロランやクゥ同様の、いや、それよりも恐ろしい獣となって野に放たれた。

 この時点で、彼らは死を呼ぶ猟犬と化し、殺戮の牙を剥き出しにして、迫り来る敵めがけて手まで使って獣のように走り出した。

 ククク、とオーヌは蔑んだ笑みを浮かべた。

 傭兵たちにかけたものは、ロランあたりに適当にかけたものとは訳が違う。

 人のあらゆる神経を破壊し、作り替え、まさに狼に変える高位の〈催眠〉技術なのだ。

 被験者たちはそのことに気づきもせずにいたが、オーヌがひと月もの時間をかけて、ゆっくり丁寧にかけたものだった。

 ただの人犬レベルではなく、もう一段階上の人格操作。

 人心に潜む獣の心を無理矢理に引き上げた、まさに外道の技術だった。


「〈ユニコーンの騎士〉……。我が子の復讐もするべきところだが、今回は見逃してやるよ」


 オーヌは、王都で捕まった自分の情婦が拷問を受けて、孕んでいた赤子が流れたことを知っていた。

 だが、そのことはどうでもいい。

〈妖帝国〉の高位者の常として、自分の子供相手であってもそれほどの情らしい情はもっていなかったが、してやられたという屈辱感だけは人一倍に強かった。

 おかげでバウマンから惨めに逃げ出さなくてはならないことも恥辱だった。

 しかも、それをやったのが西方鎮守聖士女騎士団とそこに所属する〈ユニコーンの少年騎士〉と報告を受けたとき、彼は今までにないほど怒り狂った。

 オーヌは〈妖魔〉あがりの〈ユニコーンの少年騎士〉のことを心底見下していたこともある。

 所詮は使い捨ての道具。駒。魔道士(ラ・マギ)の奴隷ではないか。


(覚えておけよ、きっと八つ裂きにしてやるから……)


 つまらない野良犬に噛み付かれたということが、オーヌの誇りを傷つけて、正当な報復をしてやろうという気持ちにさせていた。

 だが、今は、何よりも鬼芥子をもってここから無傷で立ち去ることが大切だ。

 そのために、八体もの人犬を超えた人狼を投入したのだ。

 人狼の実力は把握している。

 そう簡単に倒せるものではない。

 人造にして最強の魔物の一種なのだから。

 

「では、さらばだ」


〈妖帝国〉の拷問吏にして魔道士であるオーヌは、侮蔑しきった笑みを浮かべた。


         ◇


 斥候に出ていたと思われる二人の傭兵を、カボの投網と俺の〈猛蛇鉄〉で不意打ちして捕まえ、縛り上げて放置する。

 聞くべき情報はすべてレレの兄貴であるロランから聞いているので、ここで傭兵たちを訊問する必要はない。

 元々、諸国を旅して魔物退治や国の小競り合いに参加して金を稼ぐ傭兵だということはわかっているので、無理をして口を割らせてもたいしたことは喋らないだろう。

 傭兵なので雇われた額よりも多くの金を提示すれば寝返るだろうが、そんな金はない。

 金で殺すというのは、財力の裏打ちがあってこその裏技だ。

 とりあえず、運良く二人分の戦力を削れたし、相手方の様子を遠眼鏡で見ると、鬼芥子の群生地は切り立った断崖の途中の割れ目のような場所にあるらしかった。

 逃げ場はなく、追い詰めた格好だ。

 いきなり強襲をしかけると、窮鼠猫を噛む形で必死の反撃を受けるおそれがあるので、慎重に動かなければならない。

 ジリジリと木の陰に隠れながら、俺たちは近づいていく。

 魔物を恐れてレレたちを後ろに庇いながらだ。

 しばらく進むと、傭兵たちが群生地からいきなり山林に飛び込みだした。しかも、八人の傭兵たちが一人残らず。

 その勢いはまともな人間のものではない。

 嫌な予感がした。

 

「―――タツガン!」

「了解でさ」


 今まで散開して群生地に近づいていた俺たちは、合図とともに集合した。

 中央にレレたちを置き、その周囲を円で囲む形で。


「ロラン、傭兵どももおまえみたいに術をかけられていたのか!」

「……それはないと思う。ぼくに術をかけていたとき、物凄く戸惑っていたから。何をしているんだって感じで」

「てことは、たった今〈催眠〉をかけたか、大分前から仕込んでおいたか……。とにかく、八人分の人犬は厄介だ。みんな、そのまま円陣を崩さないようにしろ。……今回は仕留めていい。相手だって、戦いにおける死は覚悟している傭兵だ。容赦するな」

「おお」


 傭兵といえど、あんな状態のまま死ぬのは嫌だろうが、仕方ない。

 こっちにも死ねない理由はあるし、鍛え抜かれた傭兵があの状態になったときに手加減できる余裕は微塵もないのだ。

〈瑪瑙砕き〉を抜き、昨日とは違い今回は左手も〈阿修羅〉のままだ。

 いつでもこい。

 ……すると、すぐに人犬状態に陥った傭兵たちが現れた。茂みや木の根っこを巨体に似合わぬ身軽さでひょいひょいと飛び越えてくる。

 敵の数は正確に八匹。

 術師を守る傭兵全てが勢ぞろいしていることになる。

 つり上がった赤い双眸と歯を剥きだしにした顎は変わらないが、やや前屈姿勢がロランたちのものよりも低い。

 しかも、ぶらんとだらしなく下げた手は剣を握り締めたままだ。

 何かが違う。

 すると、トゥトが呟いた。


「〈気〉の流れがやや変わっていますね。おそらく、強化されてますぜ」

「ですな」


 タツガンも同意したことで、気功術を齧ったことのある二人がそういう以上、数だけでなく質も前よりも危険になったものだと腹を決める。


「しばらくは防御に専念しやしょう。で、何匹か仕留めて囲みをといたら、ハーさんとカボの二人だけは前に行って、このくそったれな術を使った奴を確保してくださいな。ここまでやられて逃がすのは業腹だ」

「んだんだ」

「じゃあ、そういうことで」


 俺の返事も聞かずに、警護役達は各々の役割を果たそうと動き出す。

 仕方なく、カボの横に並び、


「頼むぜ、相棒」

「へい」


 と、剣と剣を打ち鳴らす。

 それを合図にしたのか、人犬―――いや、人狼と呼ぶべきか―――が、次々と俺たちめがけて襲いかかってきた。

 確かに、トゥトたちの予想通りに傭兵たちが変貌した人狼たちの跳躍力や速度は上がっていた。

 しかも、武器を持ち、人と同様の戦法まで行使してくるので、まるで気が狂った相手と戦うかのようなやるせない思いにさせられる。

(かなりヤバイな。消耗戦に持ち込まれたら、端から削られていくだけか)

 前の二例はなんとか凌いだが、実際にはこの〈催眠〉術というのは、ここまで人の理性をなくさせ、タチの悪い暗殺兵器にしたてあげることができるものなのか。

 俺は戦慄した。

 クゥたちがかけられたものが、もしもこのレベルであったなら、制圧することもできなかっただろう。

 そう思うとどす黒い怒りが沸き起こる。

 あの吃り気味だが、一生懸命で、馬術にだけは自信満々だけど他は最年少にすら気合で負ける可愛い少女が、仲間たちの手で殺されてしまうところだったのか。

 レレからたった一人の肉親が奪われるところだったのか。

 この戦いが自分の意思によるものならば、まだいい。

 だが、この術は人の心を操り、捻じ曲げ、そして踏みにじるものだ。

 決して許してはならないものだ。

 人間の尊厳を奪う、悪鬼の所業だろう。

 さすがに、背中に動けない二人を抱えたままでは思うどおりに戦えない警護役達だったが、わずかな隙をついて、セザーが放った投槍が人狼の眉間に突き刺さり、一匹が完全に沈黙した。

 防御に徹すれば、こうやって最後には全匹仕留めることができるだろう。

 だが、その間に目標の術者に逃げられでもしたら、終わりだ。

 なにより、自分の盾となりうる傭兵をすべて送り出したということは、おそらく時間稼ぎをさせて逃げ出す算段なのだろう。

 俺たちが近づくあいだに、必要なだけの鬼芥子は採取したのであれば、それも当然だ。

 だとしたら、急いで囲みを抜けて、後を追わなければ。

 逃がすものかよ。


「カボ!」

「あいさー!」


 俺たちは示し合わせて、一気に倒した人狼のいた場所を抜けた。

 途中、一匹の人狼がこちらに迫ってきたが、〈猛蛇鉄〉の発する気弾をまともに受けて吹き飛ぶ。


「あとは頼むぞ!」


 一声だけ掛けると、限界に近い速度で一気に山林を突き進む。

 群生地に入ったが、やはり術師らしきものはいない。

 逃げられたかと周囲を視認すると、カボが断崖の隅の方を指差した。

 反対側に抜ける切り立った崖の岩にロープをかけて登ろうとしている男の姿があった。

 山登りには慣れていないのか動きはたどたどしいが、確実に少しずつ上に上がっている。

 まずい、あれで反対側まで行かれたら、同じような手段で追うしかない。しかし、その際に待ち伏せでもされたら一巻の終わりだ。

 相手は一人だが、ロランの話では〈魔獣騙しの香〉とかいう魔道具のおかげで危険はほとんど避けられるらしい。

 

「旦那、どうする?」

「……危険だが後を追うしかない。これを頼む」


 俺は〈瑪瑙砕き〉を放り捨てると、相手の術師のロープをそのまま使って同じように登りだした。

 ロープの感触で気づいたのか、術師は振り返って俺を見た。

 仰天してやがる。

 まさか、という顔だ。

 俺は〈阿修羅〉の魔導の力もあり、するするとロープを辿り、そしてついに術師のすぐ後ろについた。

 こちらを向いて何やら叫んでいるが、どうでもいい。

 この距離ならば魔道士お得意の〈火炎〉だって唱えられないはずだ。

 と、タカをくくっていたら、俺の上半身が赤く染め上げられる。

 何度も体験したことのある魔導の炎だった。

 ほとんど密着しそうな二人の男、しかもロープ一本で支えられているまさに綱渡り状態でなんという無茶な真似をするのか。

 だが、俺には〈火炎〉は効かない。むしろ、その跳ね返りが危険なはずだ。

 魔導鎧で守られている俺よりも、その反射によって自分に炎熱がかかるという事実に気がつかなかったのか、術者にまとっている服に火の粉がつき、すぐに燃え上がる。


「ぎゃあああ!」


 という叫びを上げて、術者は片手を離して火を消そうとした。

 しかし、こんな不安定な場所で態勢を維持できるはずもなく、ざっと足を踏み外す音がして、断崖から落下しそうになった。

 目も眩むほどに高い山の断崖だ。

 追い詰められたとはいえ、広域破壊魔導の〈火炎〉をぶっぱなすなんて最悪の手段を選んだ自業自得ではある。

 余裕がなくなったのか、術者はロープに片手でぶら下がったまま叫びだした。

 怖くなったのだろう。


「しょうがねえな」


 俺は殺すわけにはいかないので、術師の手首を握りしめ、〈阿修羅〉の馬鹿力で骨を折った。ロープから手を離させるためには他に方法がなかったからだ。

 それから反動をつけて外に投げ捨てた。

 腕の痛みと宙を舞う浮遊感から、きょとんとした顔がとてもおかしかった。

 自分が断崖絶壁から落下しかけているという事実に気づいた術師が、絶望の悲鳴をあげようとしたとき。

 横合いから黒い網が広がって、術師を包み込み、そのまま崖の上に引き戻されて、さっきまでいた群生地に放り捨てられる。

 カボの正体不明の投網術の面目躍如だった。

 空中に投げ出された男を一人、ナイスキャッチして一本釣りするなんてどれだけの技量の持ち主だよ。

 俺が親指を立てて褒めると、カボは黒い顔を照れで赤くしながら、同じように返してきた。

 グッジョブだ、カボ!


 ……そうして、時間こそかかったが、すべての人狼を倒してやってきたタツガンたちと合流した。

 術師の魔道具らしい櫃の中には鬼芥子が詰まっていたし、すべての元凶である術師も捕らえることができたし、今回の使命はこれで完了ということになるだろう。

 さて、待っていろよ、クゥ。

 来週には馬に乗れるようになるからな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ