小さな道連れ
難民窟を出発して半日。
俺たちが順調に〈呑竜嶽〉に近づいていたとき、俺たちを先導していたセザーが手で制止の合図をかけた。
しかも、緊急を要するという意味のある形で。
それに従って、後方の五騎が停止する。
「どうした?」
タツガンが理由を訊くと、セザーは少し前方を指差した。
疎らな潅木があるだけで何もない平原だと思っていた場所に、黒く動くものが見えた。
俺たちとの相対距離を考えると、かなり小さい。
遠眼鏡でその物体を見ていたトゥトが呻いた。
「……ガキですぜ、ありゃあ」
「まさか。こんなところに子供が独りでいるはずがない」
「いや、確かにトゥト兄ぃの言うとおりでやんす。アレ、子供ですよ」
差し出された遠眼鏡をひったくり、自分の眼で覗き込んでみると確かに人間の子供だった。
黒く見えたのは、身体より大きな汚れた外套を纏っているからだ。
こちらに背を向けているので性別や年齢はわからないが、人間の子供だということはわかった。
「……なんでこんなところに?」
「このあたりの人の集落はさっきの難民窟だけでやすからね。あそこのガキじゃねえですかね」
「それにしたって、もう相当離れているぞ。子供が遊んでいる場所じゃない。もしかして、迷子か?」
「迷子にしては、一直線に進みすぎだ。あっしの眼には、アレは自分たちと同じ場所めがけて歩いているようにしか見えませんぜ」
「……〈呑竜嶽〉へか?」
「へい」
とりあえず、あの子供のところに向かおう。
どうせ進行方向は同じだ、手間はかからない。
ただ、俺たちはそれぞれの武器をすぐに使用できるように準備は整えていた。
あれが子供の姿を模した魔物の類でないとはいいきれないのだ。
北方の辺境には、自分が攫っていった子供の姿を奪って、その子供の生家に忍び込み、頃合をみて皆殺しにするという〈赤帽子〉という魔物がいるし、中原では子供とたいして変わらない大きさで猿のように宙を飛び回る〈蛾猿〉も有名だ。
小さいからといって決して油断してはいけないのが、魔物と遭遇しやすい辺境の掟であった。
近づくと、こちらの馬蹄の音を聞きつけたのか、子供と思しき影がふりむく。
汚れか日焼けか区別のつかない肌をした女の子だった。
年の頃は十歳前後ぐらい。
フードから溢れ出す豊かな髪の色は鮮やかな紫に近い赤色。
そういえばさっきの難民窟に似たような髪の色の持ち主が多かったということを思い出した。
この髪の色は〈紫水晶の公国〉の出身者に多いという話も。
どうやら、さっきの推測通りに難民窟の子供なのだろう。
迷子になったのかと思い、とりあえず俺が話しかけてみた。
タツガンやトゥトでは顔がゴロツキすぎて小さな女の子には刺激が強すぎる。
子供を攫いに来た野盗にしかみえない。
「おまえ、もしかして迷子か?」
できる限り優しく話しかけてみたつもりだったが、こちらの人数やら顔つきやらではっきりと警戒されてしまっている。
しかも、子供にして疲労の色が濃い。
この周辺は少し寒く、小さな子供には厳しい土地柄だろう。
俺にしたって、この旅でいくらか体重が落ちたこともあり、あまり元気な顔色とはいえないが、この子ほどではない。
警戒されているのはわかったので、俺はとにかく馬から降りて、他の連中もそれに倣った。
それから、彼女の目線まで腰を下ろし、
「……どうしてこんなところにいるんだ。危ないだろう」
と、さっき以上に柔らかさを心がけて問うた。
どうやら理不尽な暴力を振るわれないと悟ったのか、女の子はこちらを見て口を開く。
「迷子じゃないわ」
「そうか。じゃあ、どこに行くんだ?」
迷子じゃないというのならば、どこか目的地があるのだろう。
しかし、こましゃっくれた女の子だな。生意気という言葉がピタリと似合う。
「……御山に。お兄ちゃんを迎えに行くんだから」
「御山って?」
「あそこよ」
少女が指差したのは、その背中の彼方に横たわる巨大な山。
天に向けて尖った峻険な岳。
〈呑竜嶽〉だった。
とてもこんな小さな子が登ろうとして向かう場所ではない。
「なんのために行くんだ?」
「お兄ちゃんを迎えに行くって言ったでしょ」
「その、おまえの兄貴はどうしてあの山に行ったんだよ」
「昨日、あたしのお兄ちゃんを変な奴らが連れて行ったの。だから、迎えに行くの。なんか文句あるの?」
正直な話、少女の言いたいところはわかったが、彼女が兄を迎えに行くための必要性というのは理解できない。
ただ、必死さはわかった。
彼女には彼女なりの、深い行動原理があるのだろう。
「坊ちゃん、その嬢ちゃんの兄貴ってのは、例の連中が案内役に雇った杣人じゃないですかね?」
「あ、そうか。……なあ、おまえの兄貴は杣人か?」
「そまびとって?」
「……木こりさんのことだ」
「うん、そうね。お兄ちゃんは山に登って薪をとってきては皆に売ってお金を稼ぐお仕事をしているわ。それで?」
「……おまえの言う通りらしいぜ、トゥト」
俺はトゥトと頷きあった。
なるほど、昨日の朝にいなくなった兄を追って出発したのなら、子供の足ではこのあたりが限度だろう。
それにしても長老はこの子がいなくなったという話をしていなかったな。
もしかして知らなかったのか。
「多分、この子は兄貴と二人で暮らしているんでしょうや。だから、長老たちも取引の金額についてはよくわかっていなかったんですよ。あのとき、すこぉしばかり説明が足りないと思いやしたからね」
なるほど。
あんな難民窟で、その日暮しの子供二人についでまで正確に把握されているわけがない。
それに杣人といっても薪を拾いに行っている程度では、小さな妹一人を抱えて生活も楽ではなかっただろう。
おそらくは嘘をついてこいつの兄は〈呑竜嶽〉案内役に雇われた可能性もある。
多額の報酬に目当てに詐欺を働いたとしても責められないか。
「……わかった。ちょうど、俺たちもあの御山に行く予定だったんだ。途中で、おまえの兄貴を見かけたら帰るように言っておくから、おまえはここから広場に引き返せ。小さな子供がこんなところに一人でいては危ない。辺境には魔物だってうろうろしているんだろ?」
「おじさんたちの言うことなんか聞けないわ。お兄ちゃんは、あたしが迎えに行くんだからね」
「子供一人では危ないと言っているだろう」
「子供扱いしないで」
「……そういう言葉を使う時点で子供なんだが」
俺は溜息をついた。
こういう意固地になった子供の面倒がどれほど大変なのかは、なんとなく覚えている。
おそらくはもう記憶にない俺の妹もこんな感じの強情な幼児だったのだろう。
俺は言葉を尽くして説得を開始してみたが、徹底抗戦モードに入った幼女にはなんの効果もない。
タツガンたちも口添えするが、どいつもこいつも口下手で、気が強い幼女に言い負かされるほどだった。
小さくても女は女だ。
中途半端な対応ではうまくいきっこない。
かといって、ここで見捨てて行くわけにもいかないし、誰かに難民窟まで送らせて戦力を減らす訳にもいかない。
〈遠話〉が使えない一行では、はぐれたり別れたりしたら合流が極端に難しくなるからだ。
仕方ない。
俺は決心した。
この子を連れて、〈呑竜嶽〉まで行こう。
それが極めて困難でリスクの高い選択だとわかっていたとしても、こんなところで手をこまねいて時間を潰すわけにはいかない。
「なあ、おまえ、名前はなんていうんだ?」
「レレよ。そういう、あんたは?」
「俺はセスシス。セシィでいい。……なあ、レレ。おまえ、俺たちがどんなに言っても兄貴を連れ戻しに行くのか?」
「ええ、そうよ。兄妹のことは兄妹でっていうのがお兄ちゃんの言いつけだもの」
「よし、レレ。だったら、俺たちとともに行くか? ちょうど、俺たちもあそこに行くってことは言っただろ。兄貴に会えるまで送ってやる。途中で魔物が出たりしても、俺たちが守ってやるから」
「いやよ」
「どうして」
悪くない提案のはずだが、即断即決で拒否られてしまった。
「……見ず知らずの殿方。しかも、悪いお顔の人たちの誘いにほいほい乗ったりはしないわ。あたしは淑女ですからね」
「あー、そうですか」
用心深くて慎重なのはいいが、どうも色々と大人の神経を逆なでするガキだな、こいつ。
同じような年下にカテゴリーされるとしても、まだ、西方鎮守聖士女騎士団の小娘たちのほうが我慢できるわ。
まあ、あいつらも時折絞め殺したくなるほど生意気さを発揮することもあるが。
誰とは言わんが、キルコとかキルコとかキルコ、あとハカリ。
「ハーさん、アレ、見せたらどうです?」
「アレって?」
「胸の、アレですよ。証、騎士団の」
「……それ、効くのか?」
「元〈公国〉の国民相手でも、それなりに効果はあると思いますぜ。この間、王家が大々的に宣伝をしてくれましたからね」
「ものは試しか……」
俺は外套を脱いで、革鎧の中に収めて隠しておいた徽章を取り出して、レレに差し出した。
青と赤の盾に交叉する剣と槍、そしてユニコーンの横顔がモチーフとなった紋章。
〈青銀の第二王国〉バイロンを護るユニコーンの騎士擁する西方鎮守聖士女騎士団を表わす紋章だった。
そして、その紋章をつけた徽章を持つものは、ユニコーンの騎士しかいないのだ。
それを見たレレの目の色が変わった。
間違いなくこの紋章を知っている色だ。
俺と徽章の間を視線が何度も往復する。
「……え、これって」
「なんだと思う」
「ユニコーンの騎士様の紋章……じゃないの?」
「そのとおりさ、お嬢ちゃん。それは西方鎮守聖士女騎士団の騎士だけがもつ、由緒正しい持ち物。世界の守護者にのみ与えられる徽章さ」
首をひねったレレにタツガンが答える。
そんなに大仰なものではない。
ただの騎士の身分証明にすぎないというのに、こういうところでハッタリを効かせすぎなんだよ。
「……世界の守護者……」
「おお、そうっす。あの薄汚い霧に立ち向かえる唯一の剣。我らの美しき希望、〈聖獣の乗り手〉でやすよ」
「でも、この人、男の人……」
「お嬢ちゃんだって聞いたことあるだろ。清く正しい乙女のための一角聖獣に、ただ一人だけ例外的に乗れる騎士のことをさ」
ここでレレが凄く驚愕してこちらを見ると格好良いのだが、かなり疑い深い幼女が俺に向けたのは間違いなく疑惑の眼差しだった。
何故だろう?
「あんたが〈ユニコーンの少年騎士〉……なの? 嘘でしょ?」
「……どうして疑うんだ」
「だって、あんた、神々しさがないんだもん。ユニコーンの騎士様って言ったら、神様の御使いなんだよ。もっと、光がガバァと輝いているような、そんな感じじゃないと……」
「まて、小娘。それはおまえが夢を見過ぎなだけで、現実というのはもう少し辛辣なんだ。俺のように迫力も威厳もなくても、実際には偉い人だということも往々にしてあるものなんだ。人を見た目だけで判断してはいかん。……言ってて辛くなったよ、セザー」
「……ある意味で説得力はありやしたぜ」
俺に対する疑惑はそのままでも、とりあえずレレはこちらの言い分を聞いてくれたらしく、やや警戒心が緩んだ様子だった。
「あんたたち、本当にユニコーンの騎士団なの?」
「ああ、あっしらはただの兵隊だがな。普段は騎士様方の警護をしているぜ」
「どうして、御山に行こうとしているの。ここのあたりには〈雷霧〉なんてないわよ」
「……〈雷霧〉退治だけが俺らの仕事じゃないんだ。騎士様のお使いで、ちょっとだけあの山に用事があってな。その途中であんたを見つけたんだよ」
「そう……なんだ」
レレは目を閉じた。
どうやら考えをまとめだしたらしい。
十歳前後とは思えぬ落ち着きだ。
そういえば十歳ということは、こいつの産まれた頃には〈紫水晶の公国〉は滅んでいたんだよな。
ほとんど、バイロンで産まれて育ったみたいなものだろう。
教育水準からしても教養がかなり高そうだし、ずっとあの難民窟で育ったわけではなさそうだ。
そのことを尋ねようかと思ったが、直前で止めた。
他人のことを根掘り葉掘り詮索するのは野暮というものだから。
「……本当に連れて行ってくれるの?」
「ん、俺が嘘をつくとで思ったのか」
「あんたがって訳じゃないわ。大人はすぐに子供を騙そうとするものだからよ。あの臭い場所の連中みたいに」
レレは俺たちのきた方向を睨む。
そちらには難民窟がある。
たぶん、そこで嫌な目にあったりしたのだろう。
貧すれば鈍すという。ああいうスラムが子供にとって住みやすい場所のはずがない。
こいつと兄貴の生活がどれほどのものであったかさえ、今の俺には想像もできない。
ただ、俺にも一時期、ああいうスラムで生活した記憶があるので、見当はつくというものだ。
確か、あれは〈妖帝国〉から逃げ出して西方をぶらぶらしていた頃のことだったな……。
「……じゃあ、おまえがどう思うかはしらないが、騎士の誇りとこの紋章にかけて誓おう。俺こと、騎士セスシス・ハーレイシーは幼女レレには生涯嘘をつかないことを誓う。……これでいいか?」
「いいの、そんなことを誓っちゃって」
「ああ」
「色々と困ることにならない?」
「嘘をつかなきゃならなくなったときは、黙ることにするから別に構わない」
レレはそれで納得したようだった。
俺の発言の裏にあるセコイ計算に気づかないところは、いかに小生意気といえども年相応の子供よな、フフフフ。
「じゃあ、連れて行ってもらえる、セ、セスシス……さん」
「セシィでいいぞ」
「……うん。じゃ、セシィ」
意外と長引いたが、これで交渉は成立だ。
しかし、魔物の巣があるという魔境に行くというのに、小さな子供連れになってしまうとは本当に運がついていない。
この子を守りながらで使命を達成できるのか。
それはもう神のみぞ知るといったところか。
「……お荷物を抱えたという顔をしていやすね」
そっと耳打ちをしてきたのはタツガンだった。
俺は無言で頷く。
はっきり言って、レレはお荷物以外の何者でもないだろう。
だが、タツガンはにやりと笑う。
「俺はあのレレってガキを連れて行くのは大正解ですぜ。あんたはあの娘っ子をここで見捨てていったら、きっと後悔して、しばらくは使い物にならなくなりやすからね。それぐらいだったら、大荷物を抱え込んだほうがずっといい」
「……危険が増すだけだぞ」
「あんたは義によって生きている人だ。守るものがあったほうが強い。だから、あのガキがいたほうがいつもよりも強くなるでしょうよ。むしろ、俺たちみたいなのと一緒にいるようにも遥かに強くなるはずでさ」
「……買いかぶりすぎだよ」
そうこうしているうちに、俺の鞍の前に子供が乗るための準備が終えられ、俺はレレと二人乗りをすることになった。
馬に乗るのは初めてなのか、妙に緊張しているレレの頭を一回だけ撫でてり、俺は馬を走り出させた。
かなりの時間を食ったので、もっと急がなければならない。
そちらの方に気が急いていた俺は、レレが俺を下から見つめていたことに気がつかなかった。
そのつぶらな瞳にちょっとした信頼の色が浮かんでいたことにも。