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難民窟

〈騎士の森〉を出発し、西に続く第十五街道を走り、そのまま二日進む。

 途中で北上するルートを選び、あまり手入れのされていない山道を抜けると、第三街道に出る。

 第三街道は、かつて〈紫水晶の公国〉へと続いていた街道だが、十一年前に公国が滅亡して以来、ほとんど使用されることなく放置されている。

 ちなみに、第十五街道は〈赤鐘の王国〉へと続いているが、こちらもあまり使われていない。

 その街道沿いには、タツガンやトゥトの出身であるカマンの街がある。

 カマンはバイロンの中で最も早く〈雷霧〉に呑み込まれてしまった土地であることから、西方鎮守聖士女騎士団にとっても苦い敗北の地だった。

 いつもはつまらない与太話ばかりのタツガンでさえ、街道を走っているときは黙りがちだったのが印象深い。

 北上するときになって、ようやくいつもの警護役連中に戻ってくれてほっと胸を撫で下ろしたぐらいだ。

〈紫水晶の公国〉はかなり初期に〈雷霧〉に呑まれた国の一つだが、俺はよく知らない。

 その名前からわかる通り、紫水晶の鉱山を持ち、それらを錬金加工する産業が発達していた文化的な国だったらしい。

 やや北の大山脈沿いにあるからか、北の蛮族たちからの襲撃もなく、西は付き合いづらく鎖国している〈白珠の帝国〉があるからか、比較的穏やかな小国だったという話だ。

 だからこそ、有事にあたる〈雷霧〉の発生に対処しきれなかった面もあるのだろうが。

 俺たちがわざわざ北から向かっているのは、〈呑竜嶽〉が〈赤鐘の王国〉との国境にあるといっても第十五街道が〈雷霧〉に塞がれているので、それを迂回しなければならないからである。

〈呑竜嶽〉そのものは〈雷霧〉には呑み込まれていないが、かなり近くまで侵食されているということもあり、用心のためにそのようなルートを選択せざるを得なかったという理由がある。

 それでも俺たちは、〈雷霧〉以来、魔物の発生しやすくなった街道を珍しく何事もなく過ぎ去り、予定していた五日後には〈呑竜嶽〉が視認できる地域にまで辿りついた。

 かなり順調な旅だったといえる。

 あと二日も馬に乗れば、確実に麓まで到着できるだろう。

 途中、わずかだがすれ違う人々に聞き込みをして、情報を集めた結果、最近の〈呑竜嶽〉について知識を得られたというのも幸運だった。

 そして、目的地である〈呑竜嶽〉に近いとある丘の頂上に立つと、彼方に望む〈呑竜嶽〉には雨が降っているのか、白一色に染まっているのが見えた。その影響があるのだろうか気温もやや肌寒い。

 用意しておいた防寒着だけでは足りないかと思ったとき、俺の目にある意味で懐かしい光景がとびこんできた。

 一言で言うと、せせこましい広場だった。

 いつでも移動できるように、しかし雨露はしのげる程度にはしっかりとした粗末で手軽な小屋が所狭しと並び、わずかに残った隙間にも分厚い布を丸太で固定したテントが張られている。

 井戸らしいものはないので、少し離れた河から水を組んでくるのであろう、桶を持った人影が行き来している。

 人々は路上で火を炊き、飯らしいものを作っている煙が立ち込めていた。

 かなり多くの人々がその広場には溢れていた。

 全員が俺の感覚ではみすぼらしい格好をして、所在なげにうろうろしたり、会話をしているようだった。

 まさに最低の生活であり、誰の顔にも生気らしいものが感じ取れない。遠目からでも焦燥と披露の色が濃い。

 子供達でさえ、無表情で座り込んでいる。

 あそこは行き場のないものたちがふきだまった土地だった。

 俺の世界で言うところの難民キャンプ、ここではいわゆる難民窟である。

 一目見れば、眉をひそめたくなるような暗澹とした生活空間であった。


「〈紫水晶の公国〉の連中でさ」


 俺の隣にいたタツガンが言った。

 難民の子供達同様に無表情のままで。


「……ひいふうみいよお、だいたい五千人弱といったところですかな。この手の難民窟としては少ない方でさ」

「どうして、もっと東に行かないんだ? ここだと次の〈雷霧〉が発生するおそれがあるだろうに」

「自分たちの故郷の傍から離れられないんでしょうね。……もうないとわかっていても。あと、バイロンの役人たちも、あいつらを率先して避難させようとはしないんでさ」

「どうして?」

「これ以上、バイロンの中央に難民が流入するのを嫌がっているんスよ。ただでさえ、西から逃げてきた奴らが増えすぎたせいで、うちの国は混乱してますからね。正直、難民なんていない方がいいですよ。ビブロンあたりではあまり見かけませんが、王都の東側にいくと、難民窟が山のようにありますぜ。うちの国民だけでも、ワプサンあたりからの離脱民が増えている状況じゃ、他国の連中の面倒なんて見切れないんでさ」

「だから、避難させずにほうっておくわけか」

「〈雷霧〉に呑まれて死ねとまでは思っていないでしょうが、厄介者は減って欲しいとぐらいは腹の底では思っているでしょうや」


 確かに、そうだ。

 ここ数年だけでも食物や必需品の値段の高騰はなかなか酷いものがある。

 ビブロンがあまり影響を受けていないのは、海に近いということもあるのだろう。

 他国からの輸入品も多いしな。

 逆に、内陸にある王都周辺はかなり切羽詰っているはずだ。

 この間の凱旋式のときに、少しだけ理解できた。

 王都がそれなりに豊かに栄えているのは、難民の流入を抑え、場合によっては東側の地域に送り込んでいるからだろう。

 難民たちは〈雷霧〉によって国を亡くしたものばかりということもあり、〈雷霧〉との最前線であるバイロンに長く留まりたくないという理由もあって、バイロンを素通りしていくものも数多い。

 しかし、今回、俺たちがボルスア・ワナンで勝利したことから、一旦東に逃れた難民たちが戻ってくる可能性もでてきたということか。

 それも来たる「戦後」の面倒事のひとつだろう。


「……あんたも、難民だよな」

「そうでさ。カマンはうちで真っ先に〈雷霧〉に呑まれやした。天装士騎士団の連中の手柄欲しさのくだらないしくじりのせいで」


 カマンが滅びたのは、〈雷霧〉発生の直後、この間の戦楯士騎士団のように現地に急行した当時の天装士騎士団の司令官が、功名を焦り、ユニコーンの到着を待たずに戦端をきったからである。

 時間通りに到着したはずの西方鎮守聖士女騎士団は、すでに始まってしまったいくさに無理やりに参加せざるを得ず、その結果として、突撃してすぐに全滅することになる。

 この時の騎士たちは、第三期。

 なぜ、全滅が確認されたかというと、突撃するほんの手前で半分以上の騎士が〈脚長〉によって射殺され、運良く生き残った数騎による突撃直後に、人数分のユニコーンだけが哀しく帰還してきたからである。

 この結果、カマンを含むカマナ地方は〈雷霧〉に呑まれ、多くの人たちが家と家族を失った。

 無残な敗北という意味では、西方鎮守聖士女騎士団の設立後最悪の戦いでもあった。


「じゃあ、あいつらの気持ち……わかるか?」


 タツガンは何も答えない。

 答えられないのだろう。

 つまらないことを訊いてしまったと後悔した。

 記憶が薄れている俺だって、もう失われた故郷のことを思い出すことがたまにはあるのだ。

 泣く泣く故郷を逃れ、いつか帰る日を夢見て、故郷の近くで待つ人々の気持ちは痛いほど理解できた。


「……この光景のことは、騎士様方には伝えない方がいいですな」

「ああ、そうだな。ただでさえ、あいつらには生命掛けという重圧がかかっている。他人の悲願まで背負わせる必要はない」


 十三期のシャーレのようにもともと難民出身の騎士もいるが、できることならば荷物は軽くしてやりたい。

 いつか、こういう側面もあったのだと解る時があったとしても、その時に〈雷霧〉との戦いが終わっていればいいと思う。

 丘の上から、そんな取り越し苦労を考えていると、なにやら難民窟の様子がおかしいことに気がついた。

 わーわーと騒いでいる。

 遊んでいるわけではなく、どうやら慌てて何かから逃げ出すように、こちらに向けて走りだしているようだ。


「セザー、遠眼鏡」

「はいさ」


 俺が遠眼鏡を受け取り、人々が逃げてくる逆側を見ると、なにやら土煙があがっている。

 最初は火事かなにかかと思ったが、黒煙のようなものは立っていない。

 それに、火事では土煙などはあがらない。

 では、何か? 

 じっと凝視してみると、その土煙の向こう側に巨大な影のようなものが蠢いているのがみえる。

 立ち並ぶ小屋よりも一回りは大きい黒いもの。

 それが左右に小刻みに動き、その度に小屋やテントが倒れていく。

 何だ、あれは。

 俺が舌を鳴らした時、ついにその影が土煙の中から姿を現した。


「〈牙顎獣(ががんじゅう)〉!」


 俺と一緒に遠眼鏡を使っていたトゥトが叫んだ。

 その名前には聞き覚えがある。

 確か、牙が極大に発達し、下顎の部分がまるで鋭い刃のシャベルのように形成された巨大な猪に似た魔物のことだ。

 巨大というのは、少なくとも牙を除いた体長が三間(約七メートル三十センチ)以上あり、俺の友であるユニコーン王より少し大きいサイズである。

 しかし、丸々と筋肉がついた躰つきとささくれだった毛皮は触れたものの肌を切り裂く危険な凶器であり、発達した牙にかかれば人間の上半身を吹き飛ばすほどの破壊力を備えている。

 爛々と赤く光る眼をした魔物は、逃げ惑う難民窟の人々を竜巻のように襲い続けて、次々と死者を量産していく。

 ただの一匹の魔物のために、どれだけの死傷者がでるかわからない状況だった。


「護衛の戦士はいないのか!」

「……坊ちゃん、腕の立つ奴らは、難民窟にいるよりも傭兵として働いたほうが金になりますからね。おそらくは一人もいないんでしょうぜ。もしいたとしても、そいつはたぶん傷病兵でさ」

「すると、どうすればいい」

「また、つまらんことをお聞きになる。あんたのこったから、どうせ、走り出すんでしょう? あの魔物と貧乏人どもの間に」

「さてさて、使命の旅の途中だというのに厄介なことだ」

「んだんだ」

「でもよぉ、ハーさんがいて、今まで何もなかったってのがもうおかしな話なんだよ。ここにきてようやく普段のままの面倒事がきたってだけだ。諦めろ、諦めろ」


 警護役たちは、口々に勝手なことをほざく。

 俺が何をしようとしているのか、こいつらにはお見通しなんだろう。


「じゃあ、さっそく行きやすか?」

「ああ、あたりまえだ。目の前で起きている出来事を見過ごすわけにはいかない」

「……ほんと、ハーさんは騎士らしくないやね。タナ様たちが妙な影響を受けるのもわかるってもんや」

「んだんだ」

「やかましい! とやかく言うな! 難民たちをあの魔物から守るぞ!」


 俺は栃栗毛の牝馬で一気に丘から駆け下りていく。

 魔物までの距離は、だいたい十町(約一キロ)ほど。

 あっという間に接敵できるはずだ。

 逃げ惑う難民たちは、いきなり現れた俺たちと六頭の馬の突撃からさっと身をかわしてくれるので馬蹄にかける心配はなかった。

〈牙顎獣〉とは反対方向から降りてきたこともあり、目視しやすかったのだろうが。

 俺たちは、ぼろ小屋をさらにボロにするために暴れ続ける魔物めがけて、力の限り馬を走らせた。

 まともな騎士ではないから馬上槍を持ってはいないので突撃はできないが、勢いに乗った馬速と力任せの一撃でもって魔物の分厚い皮を叩き切ることはできるはずだ。

 そのため、全員が途中で盾を捨てて、剣や戦闘斧を肩に担いでおそれもなくひたすら突き進んでいく。


牙顎獣(ががんじゅう)〉が俺たちに気づいたのは、ほとんど目の前に到達してからだった。

 そのことについて、魔物にしては本能的に抜けているとバカにできるものではない。

 俺たちの決死の突進がそれほどまでに速かったということであったし、人間の作り上げた場所を蹂躙する快感に酔いすぎていたということもあろう。

 鋭いシャベルのような牙をこちらを剥いたとき、すでに俺たちは一答足の間合いに飛び込んでいた。


「うりゃああぁぁ!」


 まず一撃をぶち当てたのトゥトだった。

 しかも魔物の眉間にである。

 巨大な牙をものともしない勇敢な攻撃だった。

 しかし、牙を躱すという余計な動作が入ったため、トゥトの反り返った刀は若干の剛毛を切り裂くだけで終わり、魔物からは血も吹き出なかった。

 それによって目がくらんだのか、痛みに耐え兼ねたのか、激しく上下に跳ね回り始めて、接近が困難になる。

 だが、それ以前に接近していた二人の警護役の連撃が共に側面―――横っ腹の部位を切り裂く。

 今度は深く斬撃が通ったのか、夥しい血飛沫が飛び散った。

〈牙顎獣〉の首筋に手槍が突き刺さる。

 遠目からすれ違いざまにセザーが投げつけたのだ。

 あの顔が長い男は、ああ見えて投槍の達人なのである。

 馬上からでも正確に槍を放り、そして目標に突き立てることを得意としている。

 穂先まで完全に刺さったというのに、怯みもせずに魔物は暴れまわりだした。

 ようやく俺たちという敵を認識できたのだろうが、とことん鈍い魔物である。

 敵の存在に警戒できない程度の野生では、どのみち長生きはできなかったはずだ。

 奴がある意味で経験のない魔物だということは、すでに悟っていた。

 そもそも人という厄介な敵の群れの中に飛び込んでくるという時点で、魔物としてはずる賢さが足りない。

 魔物が人を食べるように、人は魔物を狩り立てる。

 どちらも、相手を恐れていてしかるべきなのだから。

 難民たちを蹂躙して愉悦に浸っているだけで、人の反撃を予期していないということがこの〈牙顎獣〉の命取りとなるだろう。

 俺は振りかぶった〈瑪瑙砕き〉を渾身の力をこめて叩きつけた。

 この魔導のこもった魔剣は、俺程度の実力の主が振るっても、バターをナイフで切るように魔物の表皮を裂く。

 奥にこもった肉とともに。

 黒い表皮の裏から血にまみれた赤い肉が顔を出す。

 一撃で三尺近い大傷を与えることができた。

 そこにつけ行ったのは、タツガンである。


「そこだぁ!」


 と、三股の矛の尖りきった穂先を抉り込む。

 騎士ほどではないが、気功術を使えるタツガンの転がる石のような一撃は、〈牙顎獣〉の脇腹をそのまま―――おそらくは肋骨三本下を刺し貫いた。

 肋骨の三本下にある臓器。

 それは心臓だ。

 いかに魔物といえども、全身の最大の急所である心臓を破壊されればそのまま死なざるを得ない。

 最後の断末魔ともいえる暴れっぷりを示したとしても、すでに勝負は決していた。

 旋風のように降りてきて、それぞれが一撃を加えるだけで巨大な魔物を仕留めた戦士たちは、死に至る痙攣を起こして倒れ伏せた〈牙顎獣〉が完全に死ぬのを待った。

 むやみに近づくことはしない。

 最後っ屁のような力を振り絞った反撃を受けることを考えているからだ。

 そして、地面に倒れた魔物が、まさに微動だにしなくなるまで待ってから、俺たちは遠巻きに見守る難民たちにもう大丈夫だと伝える。

 歓声が沸き起こった。

 あそこまで暗く沈んでいた人々とは思えないぐらいに嬉しげな叫びに、俺たちはつい手を挙げて応えてしまう。

 さっき丘の上から見ていた時は昏い顔をしていた子供達が、俺たちに必死に手を振っていた。

 満面の笑みを浮かべて。


「……ハーさん」

「なんだ」

「俺たちゃ、故郷のことを忘れたことはありやせんが、その他にも絶対に忘れないこともあるんですぜ」

「何をだ」

「どん底に落ちていたときに、黙って手を差し伸べてくれた恩人のことでさ」

「……そうだな。それだけは何があっても忘れられないよな」


 俺は子供たちを見やりながら、ふと昔のことを思い出した。

 まだ、少女といってもいい年齢だった頃の、オオタネアと出会った時のことを。

 そういえば、警護役達だってオオタネアに拾われた連中ばかりだ。

 ……結局、俺たちは同類だというわけだな。

 道理で気が合うはずだ。

 しばらくたっても、子供たちはずっと必死になってしつこいぐらいにこっちに手を振っていた。

 無事でよかったな。

 ちょっとだけ生命を賭けた甲斐があるというものだった。

 タツガンもトゥトもセザーも、みんな苦笑気味でそれに応えてるのであった。

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