今回だけは死んでもいいぜ
「私は、おまえが〈呑竜嶽〉に行くのを許した覚えはないのだが」
と、俺の小屋で唯一の客用の椅子にふんぞり返ったオオタネアが言った。
双眸には不満の色が露わである。
俺が勝手に〈呑竜嶽〉行きを決めたことへ、隠しきれない不快感を表明しているのだ。
だからと言って、俺を力尽くで止める気はないようだった。
なぜなら、クゥデリア・サーマウという騎士の復帰は、西方鎮守聖士女騎士団にとっても不可欠だったからである。
以前、替えのきかない戦力と評されたのは伊達ではない。
それだけではなく、俺の教導騎士の仕事においても、ユニコーンの力を十分に引き出す見本を体現してくれるクゥの存在は有難いものだった。
十三期のヒヨっ子以下である十四期、そして来るかどうかもわからない十五期を迎え入れて訓練するためにも、こちらではクゥの復帰を出来る限り早めなければならない。
そのために、単独で動くのが可能な俺が進んで危険な場所に赴くというのは仕方のないことなのだ。
〈呑竜嶽〉は普通の人間が行ける場所ではないのだから。
そのことをオオタネア・ザンはよく理解していた。
していたからといって、不快感を抑えられるものではないらしいが。
「二十日ぐらいで戻ってくるよ。最悪、どんなに遅くなっても、一ヶ月後だ」
「……最悪というのは、もう帰ってこない場合を言うと思うのだがな」
「不吉なことを言うなって」
「おまえがいなくなったら、私はどうすればいい?」
「……ネア」
「はっきり言うが、ビブロンまでの私的なお菓子の買い出しを他のものに任せるのは気が引けるのだ」
「俺をパシリ扱いするな!」
冗談で誤魔化してはいるが、オオタネアはオオタネアなりに真剣に心配してくれているのだろう。
なにしろ、俺の目的地は王国内で最大規模の魔境の一つだ。
いかに不死身の〈妖魔〉である俺だとしても、五体満足で帰って来られる保証はない。
だが、行かなければならないのだ。
片隅に用意しておいた黒い櫃を持ち上げた。
ツエフにいた頃からの相棒でもある魔導鎧〈阿修羅〉の入った櫃だった。
さすがに魔物で溢れた山を征服するのだから、こいつでなければ先行きがあまりにも暗すぎる。
魔導が込められているとはいえ、仕様でいえば全身鎧であることから、八貫(約三十キロ)ほどの重さがあるのが厄介なのだが。
それから、机上の〈瑪瑙砕き〉を腰に佩く。
こちらにも魔導が込められているので、やはり今回の旅の必須品だ。
ただ問題なのは、〈瑪瑙砕き〉は国内でもかなり知られた名剣であるため、俺の身分が看破されやすいという点だ。
だから、普段は出来る限り、鞘の中にしまっておかなければならない。
ちらりと窓の外を見た。
まだ暗い。
ほとんどの団員たちが眠っている時刻に、俺は旅姿に身を固め、出掛けることにしていた。
誰にも見咎められたくなかったのだが、どういう訳かオオタネアだけはこんな朝早くに俺のところに来てしまっていたのだ。
「よし、準備万端。さて、そろそろ行くか」
「ああ、行ってこい。森を出たところで、一歩立ち止まるのを忘れずにな。あと、私の栃栗毛に乗っていっていいぞ。外に繋いである」
「……ありがたい」
オオタネアの最後の挨拶の意味はよくわからなかったが、俺はそのまま櫃を背負って外に出た。
入口に一頭の栃栗毛の馬が繋がれていた。
オオタネアの愛馬だった。
西方鎮守聖士女騎士団の只馬の中では、最も優れた牝馬だ。
今回の〈呑竜嶽〉への旅においては、ユニコーンは目立ちすぎて移動に使えないことから、普通の馬を使用しなければならないのだが、この栃栗毛を借りられたということはとてつもなく助かる話だった。
なにしろ、只の馬でありながら、ユニコーンに近い能力を備えた名馬であったからだ。
鞍に櫃と〈瑪瑙砕き〉をくくりつけ、俺はさっと馬を走らせた。
ユニコーンとは勝手が違う面もあり、操縦には苦労があるのだが、並程度には操れるようにはなっていた。
それに最近気がついたのだが、馬たちは俺に染み付いたユニコーンたちの臭いに過敏になっているところがあるようだ。
だから、そのあたりを考慮してやれば普通に云うことを聞いてくれるようになる。
森を出たところに、数人の影が立っていた。
まだ、陽が差していないので一瞬誰だかわからなかったが、タツガンたち警護役の面々だった。
見送りに来てくれたのかと思ったが、すぐにおかしな点に気づいた。
そこには警護役達が五人いたのだが、全員が俺同様に旅姿をしていたのだ。
軽めの革鎧と擦り切れない具足をつけ、防寒用のフードのついたマントを羽織り、肩に大きな革袋を背負っている。すぐ脇には、五頭の馬が柵にくくりつけられていた。
タツガンとセザー、トゥト、そしてあと二人は皆兵士らしく同じ格好をしている。
五人は俺を待ちかねていたように、軽く一礼して、言った。
「お待ちしていましたぜ、坊ちゃん」
「俺らが地獄の底までお供しますぜ、ハーさん」
「さあ、行きやしょう。〈呑竜嶽〉まで」
俺は度肝を抜かれた。
なぜ、警護役のこいつらが俺のこんな早朝の出立を知っていて、しかもついてくる準備まで整えているのだ?
「お供なんていらないぞ。そもそも、なんで俺が出る時間を知っているんだよ?」
「将軍閣下の下知ですよ。閣下はいつまでもハーさんには自分が必要なんだと思っているみたいですぜ」
「……まったく、ガキの頃の力関係というのはいつまでたっても抜けきらないものだな。いつまで姉御気取りなんだよ」
「ハーさんが心配なんでさあ」
少しだけ腹が立った。
俺の旅立ちの時間を読んで会いに来ただけではなく、俺のためにお供まで用意して手配しておいたオオタネアのやり口に、だ。
あれだけ人間離れしているくせに、こういうところはまさに女だ。
男を手玉にとるのが本当に上手すぎる。
「あんたらだって、嫌なことは嫌と言えよ。俺がこれから向かうのは、魔物の巣だぞ。普通に踏み込めば命がいくつあったって足りないところなんだから」
「「はっはっは」」
俺の言葉に、全員がさもおかしそうに笑った。
その理由が手に取るようにわかるものだから、俺はさらにむかっ腹が立った。
「忘れたんですかい? 西方鎮守聖士女騎士団の騎士様方のために死ぬのが、俺たちの本職なんですぜ。そして、この任務は騎士クゥデリア・サーマウ様を助けるためのものらしいじゃないですか。つまり、俺たちにとっちゃ天職ということだ。なあ、てめえら」
「んだんだ」
「そうっすよ、ハーさん」
「いやあ、血がたぎるねぇ」
で、こいつらもそうだ。
当然のことのように、俺の旅についてくるつもりなのだ。
しかも、どいつもこいつも楽しそうなのがいらいらする。
「勝手にしろ。あんたらが死んだって、俺は知らんぞ」
「まーたまた、嬉しいくせに。俺たちがついていくとわかったら、いきなり仏頂面になって表情を隠そうとするところがいかにもハーさんですねぇ」
「そう言ってやるな、セザー。坊ちゃんは胸の中ではな、喚いているんだよ。『有り難ぇ、有り難ぇ』ってな。だが、男だからちょっとだけ素直にはなれねぇんだ」
「なっ!」
俺はトゥトを睨みつけた。
勝手に人の心を読むな。
人がせっかく堪えているというのに。
なんて忌々しい奴らなんだろう。
俺は、感動のあまりにおいおい泣き出したくなる自分を我慢して、そして出来る限り平坦な口調で言った。
本心を悟られたりしたら恥ずかしくてやっていられない。
「……好きにするがいいさ。俺の知ったことじゃないしな。〈呑竜嶽〉がどんな場所かも知らないで、物見遊山気分の連中がどんな目にあったって、俺は責任をとらないからな」
「よっしゃあ! おい、おめぇら、ハーさんからお墨付きが出たぞ!」
「お、想定通りだな。チョロいなあ、ハーさんはよ」
「んだんだ」
「……お、おい。俺は責任をとらないって言ってんだぞ。どうして、そんなに前向きで楽しそうなんだよっ!?」
突き放した俺の台詞に対して、警護役達の反応はまったく予期していないものだった。
どういう訳か楽しそうで、しかも、ほっとしている感じさえある。
なんだってんだよ、あんたらさぁ!
「これでハーさんと騎士クゥデリアのためにおっ死んでも文句は言われないぜっ! 皆、腹を決めろよ。此度の探索行は、俺ら全員の生命をドブに捨ててでも成し遂げなければならねぇもんだ。……いいか、今回だけは死んでもいい。絶対にクゥデリア様をお助けするぞっ!」
「「「おおおおおおおおお!!」」」
警護役五名は魔獣もかくやという雄叫びをあげた。
それだけではない。
その後ろ、警護役の詰所の陰、森の出口、樹の上、あらゆるところから同様の叫びが響いてきた。
どうやら、今までの会話を盗み聞きして、すかさず便乗してきたらしかった。
いたるところに〈騎士の森〉を守る総勢二十名の男たちが揃っていたのだ。
死ぬかもしれない危険に満ちた探索行に赴く仲間と俺を見送るために。
沸き起こる悲鳴のような、歓声のような掛け声はなかなか止むことがなかった。
「……し、仕事をしろよ、あんたらさぁ」
眼からどっと涙が溢れ出した。
不意に色々なものが胸の芯から突き上げて来たのだ。
部位でいうと、目の奥あたりに。
だから、仕方のないことなのだ。
「ま、まったく仕方のない奴らだな。しゅ、出発が大分遅れちまったじゃねえかよ……」
俺はまるでクゥみたいに吃りながら、栃栗毛の馬を西に向けた。
目的地が東でなくてよかった。
もし、太陽の出る方向に向いていたら、涙でくしゃくしゃになったみっともない顔を晒してしまうところだったのだから……。