逃げるか進むか
[第三者視点]
どうして、あんなことをしてしまったのだろう。
シノ・ジャスカイは、つい数刻前のことを思い出しては、抜け出せない欝に浸りきっていた。
尊敬する父の所属する騎士団を強引に抜けてまで入った西方鎮守聖士女騎士団で、しかもまだ一ヶ月もたっていないというのに、取り返しのつかない失点を重ねてしまった気がしてならないのだ。
もう、ここに居場所がなくなってしまったかもしれない……。
彼女はただ嘆いた。
ひと月前のボルスアでの〈雷霧〉との戦い。
あの時、彼女が抱いたものはまぎれもない憧憬だった。
恐ろしい魔物がひしめく魔界の入口に躊躇うことなく突撃していく、ユニコーンに乗った少女たちの姿は眩いばかりに輝いていた。
〈雷霧〉の中には彼女たちの味方はいない。
ユニコーンに乗ったものだけが、あの黒い霧の腹中で動けるのだから。
まさに孤立無援の状態。
その中にたった十数人で勇敢に突っ込んでいく命懸けの騎士の背中を、シノは涙をこぼしつつ見送った。
そして、その日の夕方、晴れつつある霧からこちらに帰還してくる凛々しい顔を見て、どれだけ嬉しかったことだろう。
自殺部隊と呼ばれるほど、損耗率の高いはずの特攻部隊が、ほとんど欠けることなく戻ってこられたのだ。
シノはまた泣いた。
彼女たちは、ボルスアを、ひいては彼女の国を命懸けで守ってくれたのだ。
王都に帰ってくると、すぐに西方鎮守聖士女騎士団への転属を願い出た。
騎士の礼儀に欠ける行動ではあったが、そんなことは一切構わなかった。
自分も、ああなりたい。敬愛するものたちを守りたい。
それだけが彼女の望みになった。
首尾よくユニコーンの騎士になれたというのに、それなのにあたしは一体なにをしているのか。
エンリに入団の経緯をなじられただけで、かっとなり腹を立て、決闘騒ぎを引き起こし、全体に迷惑をかけてしまった。
先程の教導騎士の、いや、〈ユニコーンの少年騎士〉さまの言葉が突き刺さる。
シノはもうどうしょうもなく落ち込んでいた。
「……騎士シノ。いい加減、落ち込むのはやめなさい」
隣に並んでいたエンリ―――エレンルが声をかけてきた。
元はといえば、この女が絡んできたのが原因だが、喧嘩を売ったのは彼女であり、一方的に責める理由はない。
むしろ、簡単に激発したシノが悪いのだ。
直情径行を父親キィランによく諭されていたというのに、この有様なのだから。
「そうは言っても……」
「失地回復のため、二人でこの演習を勝利することに決めたのでしょう。だから、いい加減にしなさいと言っているのです」
「……あんたはタフだね」
「違いますわ。考えを改めたのです。西方鎮守聖士女騎士団の一員であるためには、目的のために心を一つにして仲間を信じなければならないようです。ここは既存の騎士団とはかなり有り様が違うみたいですし。それならば、それに従うべきでしょう。……そのためにはまず、わたくしと貴方が信じあわなければなりません」
言っていることはもっともだ。正論だ。
だが、そんなことがすぐにできるものか。
シノはそう投げやりに考えた。
しかし、エレンルは言う。
「……わたくしの従姉妹は、ワプサン地方での〈雷霧〉消滅戦で戦死しました。遺体は見つかっていません。その彼女が最後にくれた手紙の一節をわたくしは忘れられません」
「……なんて、書いてあったんだ?」
エレンルは彼女の方を見なかった。
他人には見せられない顔というものがあるのだろう。
「……『騎士団でできた親友と戦ってきます』ですわ」
おそらく、エレンルの従姉妹はその親友と共に散ったのだろう。
西方鎮守聖士女騎士団は八期になるまで、ただの一人も〈雷霧〉から帰還していない。
そして、ワプサン地方の戦いは今から七年前。
だいたい五期か六期の先輩たちの代のことなのだから。
シノは、隣に佇む同期の肩を抱いた。
「あんたと親友になれるかはわからないけど、今はあんたを信じるようにするよ。いや、信じる。一緒に〈雷霧〉に突っ込む戦友を信じる。……それでいいかな?」
「上等ですわよ」
さっきまでずっしりと重かった模擬剣が、急に軽くなったように感じられた。
愛用の斬馬剣に比べたら、木の枝と変わらない程度の軽さでしかなさそうだった。
遅くなったが、そろそろ戦う準備をするとしよう。
相手はボルスア〈雷霧〉戦の英雄たちだ。
並大抵の敵ではない。
落ち込んだまま勝てる相手ではないのだから。
◇
セスシス・ハーレイシーの作戦は単純だった。
幼き日にやったかくれんぼの延長戦上でものを考えた結果、誰も近寄らないだろうという場所に身を潜めることに決めたのだ。
なんといっても、彼はこの演習においては最大級の戦術目標なのだ。
全員に得点源として狙われる以上、全員から身を隠さねばならない。
それに彼は戦技においては、少女たちに勝ち目はない。
ならば、誰か一人の得点となるよりは、最後まで逃げ切って全員に吠え面かかせてやったほうが、気分がいいというものだ。
そこで、彼が潜伏先として選んだのは、上司の執務室だった。
普段なら、絶対に一人では入らない場所だが、この際贅沢は言っていられない。
「……失礼しまーす」
堂々とノックして入ったが、おかしなことに誰もいなかった。
普段のオオタネアならばこの時間は書類整理をしているはずだが……。
セスシスは怖い上司がいないのを完全に確認してから、来客用の椅子に腰掛けた。
わりと必死で逃げまくっていたので、かなり疲れていて、息が上がっている。
休む時間が必要だった。
窓に近寄り、身を隠しながら外の様子を手鏡で確認する。
トボトボと十四期の騎士が一人、少し遅れてミィナが泥まみれの姿で同じように歩いている。
セスシスは頭の中で状況を整理した。
開始して半刻も経てば、脱落者も出てくる。
あの二人もそうだろう。
ほとんどの騎士たちは森で乱戦をしているはずだが、彼が覚えている限り、宿舎方面に向かったものも何人かいた。
しかし、オオタネアの執務室まで追いかけてくるような度胸のあるものはほとんどいないはずだ。
先程のオオタネアの参加はないと聞いた時の、十三期の反応を見れば、いかに彼女たちが彼の上司を畏怖しているかがわかる。
つまり、結論としてセスシスは夜までここに居座り続けていれば、誰にも襲われることはないということだ。
虎の威をかるというか、考え方がせこいというか、とにかく尊敬されるべき教導騎士様はにやりと笑った。
自分の立てた謀がほとんどうまくいった試しがないという、今までの経験則を彼が思い出すまであと少しだけ時間がある……。
◇
同期の誇る最高の盾との戦いがどれほど面倒くさいか、ということをノンナはしみじみと実感していた。
〈雷霧〉戦まではそれほどではなかった。
防御に特化しているといっても、隙がまったくなかったという訳ではないし、共に訓練した仲間ならば知り尽くしている癖というものもある。
しかし、あの死闘以降のナオミはまさに鉄壁の盾と化していた。
得意とする短槍ではない模擬剣を使用しているというのに、そんなハンデを感じさせない的確な武器さばきと攻撃を受けつつもジリジリと前進してくる圧迫力。
攻め続けているはずのノンナが焦りを覚えていた。
(……本当に硬いわね)
ノンナは斬撃の精確さについては自信がある。
狙った箇所を精確に薙ぐことと、それを一定のリズムに乗せることにかけて、彼女に勝るものはあまりいない。
戦いをリズムの奪い合いだと考えるのである。
自分の流れを意識できないものには、相手の流れを乱すことができない。
普段の彼女はそれを意識して戦っている。
だが、今回のナオミとの戦いではまったく主導権を握ることができない。
(ナオミ、私のペースを壊しにきている……?)
彼女の剣を防ぐ瞬間、わずかに押し当てることで腕を引くタイミングを乱し、正確なリズムがとれないようにしているのだ。
他にも、ほんのわずかな前進で呼吸するのを妨害したり、視線をわざと外してフェイントをかけたり、防御に集中しながら剣で攻撃する以外のあらゆる邪魔を仕掛けてくる。
まさか、このような戦法があるとは……。
武器や盾を使った実際の戦技以外に、ありとあらゆる場外の策略を巡らしてくるナオミに、ノンナは舌を巻いた。
これは完全にノンナを意識した対策だった。
そして、これを完全に極めさえすれば、タナやマイアンといった同期のライバルだけでなく、騎士団最強のあの女性にも通用するかもしれない。
自分のリズムを破壊され、新しく練り直すために距離をとったとき、今まで攻撃を凌ぐ一方だったナオミがすかさず前に出た。
「くっ!」
迎えうった剣を躱され、懐に潜入される。
そして、横薙ぎに胴を切られた。
ボバンと爆発音が轟く。
自分が敗北したことをノンナは知った。
ぐったりと崩れ落ちる彼女を、ナオミが受け止める。
「ほら、しっかりしなさい。別に死んだわけじゃないんだし」
「貴女、強いわあ。完敗よ」
「……そうでもないわ。防御を超える力で削られたらまだまだだもの」
力で削る。
要するに、それはやはりオオタネア・ザンとの戦いを視野に入れているということか。
素直に凄いと思う。
あの国内で最強の女将軍を陥とすことを考えるのを、大それたことなのだと思ってしまう彼女には到底及ばない領域だ。
「……将軍閣下に勝つつもりなの?」
「いいえ、違うわ」
「じゃあ、誰に?」
「誰にも勝つつもりはないわよ」
「え、どう言う意味? 勝つために覚悟を決めて鍛錬しているんじゃないの?」
ノンナにはナオミの考えがわからなかった。
これほどの戦法、誰かに勝つというなんらかの目標がなければ鍛錬することも厳しいはずなのだ。
「……私は守りきりたいのよ。背中に庇った誰かを」
さっきの戦いを思い返し、ノンナは気づいた。
そういえば、ナオミは一度も後退しなかった。
どれほどの攻撃に晒されても。
あれは後ろに守る誰かを想定した戦いなのだろう。
「ああ、そういうこと。……ちぇ、勝てないわけね」
見事に負けたというのに、なんとなく清々しいということがちょっとだけ悔しかった……。