闇の中の灯火と
結局のところ、〈毒使い〉はメルガン家というか、王都守護戦楯士騎士団に引き渡されることになっていた。
そもそも、西方鎮守聖士女騎士団は王都で軍の宿舎に間借りしているだけであり、常駐している他の騎士団のように専用の施設がない。
したがって、〈毒使い〉を拘留しておく場所もないのだから、仕方のない話だ。
それに、この暗殺者のそもそもの対象はダンスロットであり、俺は巻き添えを食っただけで、優先権は王都守護戦楯士騎士団にあるとも考えられる。
オオタネアとしても、ダンに貸しを作れるうえ、結んだ協定に忠実に応えるという姿勢を見せることができるのだから、悪くない取引材料なのだろう。
俺たちが引渡し場所に行くと、見覚えのある騎士が部下を連れて待っていた。
キィラン・ジャスカイ。
何ヶ月か前の対抗戦でタナと決闘した、王都でも指折りの怪力騎士であった。
「……凶々しい格好をなされていますな、〈少年騎士〉様」
「しー」
俺は口の前で人差し指を立てた。
内緒にしてくれという合図だ。
王都では意外と有名人な俺なので、誰が聞きつけてくるかわからないからだ。
年の功でそれを察したのか、キィランは笑って言った。
「ほほお、変装のおつもりですか。セスシス殿。確かに、そのようなモノを纏っておられれば、誰も貴方とは気づきますまい。このキィラン・ジャスカイ、まことに感服いたしました」
「ついでだから、その堅苦しい喋り方もやめてくれ」
「そうは言われても。ほかならぬダンスロット様までが、貴方に最大限の敬意を払っておられるのに、臣下である我々が対等に口を利くというのはやや抵抗がありますな」
「……うちの連中は、普通に俺に対して舐めた口を利くぞ」
「はっはっは、若い娘とはそういうものですよ」
キィランは齢五十五という話で、この世界の基準で言えばかなりの高齢だ。
それが現役で騎士をしているということがまず凄いが、会話のペースを掴ませてくれないということも地味におそろしい。
特に意識しているワケではないのだろうが、間の取り方が絶妙にうまく、加えて深い人生経験からくる真綿のようなおおらかに遮られてしまうからだ。
騎士団という脳みそ筋肉の中に長年居たことで、ちょっとやそっとの生意気盛り程度では簡単にあしらえてしまうになったのだろうが。
逆に、こういうタイプを相手にするときは、うちの連中のような空気を無視する小娘どもの方が適任なのだろう。
「まあ、いいや。白忍者、渡してやってくれ」
正体を掴まれないために無言のまま、ユギンが〈毒使い〉を引き渡す。
王都守護戦楯士騎士団の専属魔道士が魔導を用いて身体検査をする。
間者式の身体検査は、ユギンがさっき念入りに行っていたので、これで二重の検査が終わったことになる。
しかし、腐っても〈毒使い〉と呼ばれた男だ。
何をするかわからないので、手首と足首は完全に錠で縛り、猿轡と目隠しを施してある。
タコ殴りにして一昨日の恨みを晴らそうかとも考えたが、さすがにみっともないので自重した。
そして、そのまま〈毒使い〉カライルはこれまた厳重に武装した騎士に守られた護送馬車の中へと連行されていった
「しかし、昨日の今日で下手人を捕らえるとは、仕事が早いですな、セスシス殿は」
「あと数日で本部に帰るから、ダンのために少しは役に立ってやろうかと思ってしただけだよ」
「ほっほっほ、謙遜なさるな」
「違うって」
本当に、この爺さんは苦手だ。
「ところで、セスシス殿。実はワシには六人の娘と、三人の孫がおりましてな」
「……それがどうかしたのか?」
「そのうちの一人、五女がですな、実は西方鎮守聖士女の十四期の騎士となりもうした」
「なに?」
キィランの娘がうちの騎士になっただと?
初耳だぞ。
「もう、先々週からそちらの本部の方に厄介になっておりましてな。無事息災に戻られたら、ワシの娘にも騎士の心得を教導してやってくだされ」
「ちょっと待てよ、あのさあ」
「ワシの娘というよりは、妻の娘と言ったほうがいいぐらいの器量よしな上、膂力は小娘とは思えぬものを持っておりますぞ。きっと、ザン将軍閣下のお役に立つことでしょう。ワシはもう楽しみで仕方ありません」
さっきから俺の話を聞きゃしないな、この爺さんは。
そんなに呑気に語る内容か。
西方鎮守聖士女騎士団に入るということは、どういうことか、理解していないのか?
うちは特攻・突撃部隊だぞ。
戦死者だって尋常な数ではない。
可愛い娘を笑いながら送っていい場所とはいえないんだ。
「……そんな顔をされては困りますぞ、セスシス殿」
「だから、それはこっちの台詞だ」
「わかっております。西方鎮守の役目を負った少女たちの事情は」
「だったら、なおのこと、自分の娘をそんな場所に笑って送り出すなよ」
「そうではありません。すべてはアレの意志なのです。ワシはなにも言ってはいません」
「……どういうことだ?」
キィランの五女は父親に言われたからではなく、自分の意志で西方鎮守聖士女騎士団に来るというのか。
「ワシはボルスアの出身なのです」
キィランは西の空を見た。
すでに陽は落ち、美しい星空が瞬いていた。
彼の故郷はあちらにあるのだ。
「二十歳になる前に騎士として王都に来ましたが、生まれも育ちもボルスアの産で、あそこの空気を吸い、水を飲んでここまででかくなりました……。一ヶ月前の戦いの時に、ボルスアには十年ぶりに戻ったのですが、愕然としましたな。自分の故郷が、地元が、思い出の地が、すべて〈雷霧〉に飲み込まれようとする光景を見て。〈雷霧〉との戦いは初めてではありませんでしたが、それはすべて余所の土地でのこと。同じバイロンであっても、どうしてもその気持ちが拭えませんでした。ですが、実際に自分の故郷が〈雷霧〉に汚されそうになったとき、ワシは初めて自分のなすべきことを知ったのです。何よりも守るべきものがあるということを……」
後に『ボルスア・ワナン同時発生〈雷霧〉消滅戦』と呼ばれた戦いにおいて、キィラン・ジャスカイの勇猛果敢ないくさぶりは際立ったものとして喧伝されている。
王都守護戦楯士騎士団において、指揮を執るために最後まで前線に出られなかったダンスロットに代わって戦功第一と言われたほどである。
俺たちの突入口を切り開いてくれたのも、帰ってきた時に真っ先に出迎えてくれたのも、この老人だった。
タナを肩に担ぎ上げて、無事帰還の喜びの唄を歌ってくれたのも、この老いた騎士だった。
「あんたは十分に戦ったじゃないか。俺たちは守ってもらったよ」
「いいえ、あの程度では足りません。ワシらはユニコーンの乗り手たちにおんぶにだっこで、この十年を生きてきました。決して支払えない負債を貯めてきました。おわかりですか、貴方やタナが無事に晴れつつある〈雷霧〉から戻ってきた時の、ワシらの高揚感と同じぐらいの罪悪感を。……これからのワシは、一人でも多くのユニコーンの騎士を守る為に戦いましょう。貴方がたを守り続けましょう。そして、娘も同じ気持ちなのです」
「……もしかして、あそこにいたのか? 娘さんも?」
「おりました。あの時はまだただの騎士見習いでしたが、王都に戻ってすぐにダンスロット様に直談判し、ザン将軍に直訴し、そしてビブロンへと旅立ちました。ワシに一言残しただけで」
「……なんて言っていたんだ?」
キィランははにかむように笑った。
「……あたしが父上を守る、のだそうです」
俺は絶句した。
よく似た父娘のようだ。
このキィランそっくりの娘なんか来た日には、また本部は騒がしくなるのだろうな。
既に本部で共同生活を始めているであろう十四期のことに思いを馳せた。
まだ、顔合わせもされていないが、アラナの話では厄介な連中も少なくないと聞いている。
少女愚連隊と呼ばれた十三期に勝るとも劣らない問題児揃いとなると、やや先行きが暗くなるが、それもなんとかなるだろう。
「わかったよ。娘の面倒は見てやる。……主にタナが」
「嫁入り前の娘なので、よろしくお願いします、セスシス殿」
「……変な心配はすんなよ」
俺は王都の夜景に目をやった。
暗い。
けれども、所々に光がある。
家庭の光だろう。
その近くには多くの人がいて、その家族が生きて、きっと笑っている。
あの灯火があれば、人は生きていける。
これから先にどんな夜が待っていても。
完全な暗闇なんて、どこにもないのだから。