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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第二部 第十話 王の都の教導騎士
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〈毒使い〉カライル

[第三者視点]


 カライルは、寝床でさっき届けてもらった新聞を読んでいた。

 バイロンは国民の識字率が高く、また、紙も多量に普及していることから、他の国よりも新聞の発行部数と発行回数が段違いなのである。

 彼自身、魔道士としての高等教育を受けていることもあり、このような活字媒体に慣れているので、ついつい情報収集のために読んでしまうのだ。

 依頼主に頼まれて匿ってもらっている娼館の女衒の一人に頼んで買ってきてもらうことは、他人との無闇な接触という意味で、お尋ね者でもある彼としては褒められた行動ではない。

 しかし、彼には少しだけ気になったことがあり、その答えを新聞の記事に求めたい衝動に駆られていたのだ。

 それは、一人の人物の死亡記事だった。

 直接のターゲットではないが、確実に毒入りの酒を飲ませた相手が、あのあと死んだかどうかを確認したかったのだ。

 彼が用意した三本の酒瓶の中には、コルクを貫く針を使って流し込んだ毒が混入されていた。

 一口飲めば致死量、しかも、無味無臭の猛毒だった。

 さすがに酒に混ぜると多少の化学反応を起こし、わずかだが酒の味を変えてしまうのだが、酔っ払いには通常は判別できない。

 問題は効き目が出るのに数分しかないということだ。

 目標が口を付けるまでに、連れの男女が死んでしまっては元も子もない。

 そこは一種の賭けだった。

 だが、カライルは職業凶手(しょくぎょうきょうしゅ)である。

 目標の囲むテーブルにおけるそれまでの注文傾向と飲み食いの流れの観察から、追加注文にかこつけて瓶を運べば、一人が飲みだした時には、暗殺対象の人物もすぐに続くだろうと確信していた。

 実際、そうなる寸前だった。

 毒入りの酒を一口飲んだ少年のような騎士が、目標ともう一人の護衛の女を止め、それから毒が効果を発揮した結果倒れるまでは。

 どうやって見破ったのかはわからないが、カライルの毒殺は完全にしくじったのである。

 目標が状況を飲み込み、酒場の出入口を封鎖しようとする前に、彼はその場から立ち去った。

 混乱に紛れて〈幻覚〉を解き、給仕姿からその辺の労働者の格好に戻ってしまえば、彼の逃走を見咎めるものはいない。

 だから、逃走自体は容易かった。

 しかし、一刻も早く現場から逃走したかったがために、そのあとでどうなったかの様子がまるでわからない。

 二度のしくじりが原因で、雇い主からはしばらく大人しくしているように命じられているので、直接足を運ぶわけにも行かない。

 毒などという陰湿な武器を用いるがゆえに、他の間者や暗殺者との繋がりも希薄なカライルには、確かめる方法がないのだ。


「始末されないだけでもマシか……」


 カライルは呟いた。

 下手をすれば証拠隠滅のために口を封じられるおそれもあるのが、今の彼の立場である。

 雇い主の息がかかった娼館に間借りしていることから、裏切られればすぐに寝首をかかれることは間違いない。

 そうなったときはそうなった時だが、そのための準備も怠ってはいないので、今のところその心配はないだろう。

 彼にはまだ利用価値があるはずだから。

 もう一度、新聞の隅々まで目を通す。

 誰かが毒殺されたなどという記事はやはりない。

 王都守護戦楯士騎士団の指揮官であるダンスロット・メルガンの護衛なのだから、そこそこ名前のある騎士だと思われたが、訃報の一つも載っていない。

 もしや、殺し損なったのか?

 いや、あの若い騎士は確かに致死量を飲んだ反応は示していた。

 また、カライルが仕込んだのは、すぐに専用の解毒剤を飲まなければ、致死量に達しなくても人の臓物を激しく灼く類の猛毒だ。

 十中八九、あの騎士は死んでいるはず。

 それなのに、なぜ、記事になっていないのか。


「情報封鎖……。メルガン家ならばできるかもしれないな」


 だが、そんなことをする理由はあるのか。

 騎士が毒殺されるということは衝撃的な事件だが、わざわざ隠すほどのものではない。

 彼は頭をかいた。

 暗殺者として培ってきた勘が怪しいと告げていた。

 何が怪しいとまではわからなかったが……。

 コンコンと扉がノックされた。

 もうそろそろ陽が完全に暮れる。

 女衒が食事を運んできてくれたのだろう。

 カライルは立ち上がり、扉に近づいた。


「ああ、今出るよ」


 ノブに手をかけた瞬間、彼をはじき飛ばすような勢いで扉が内向きに開き、室内に黒いものが躍り込んできた。

 間一髪で後方に飛び退ったカライルに、黒いものは襲いかかった。

 黒い鎧をまとった人間であるととっさに判断した彼は、右手を横に振った。

 空振りだった。

 手は黒い鎧の侵入者にはあたらない。

 だが、それでかまわなかった。

 彼の狙いは直接の打撃ではなかったのだから。

 長衣の袖の部分に仕込んであった、粉末の毒が砂をかけるように広がった。

 運良く目にでも当たれば失明、口内に吸い込めば火傷のように爛れること間違いなしの必殺の毒の噴出だった。

 

(やった)


 と、カライルが思った時には、下方から擦り上げるような侵入者のボディブローが容赦なく鳩尾を襲う。

 わずかに顔の皮膚一枚を切られただけでなんとか躱す。

 顔面から血が吹き出したが、そんなことに構ってはいられない。

 相手は金属の鎧を身にまとっているのだ。

 そして、その鎧がある以上、彼の毒刃は肌に届かないかもしれない。

 服一枚のカライルにとっては接近されての格闘に持ち込まれたら、なすすべなく押し切られること間違いなし。

 どうやら侵入者はカライルの手口をよく分析しているようだ。

 そのための黒い装甲なのだろう。

 仕方ない、と諦めた。

 ここは逃走のための切り札を使う場面だ、と。

 さらに追撃をしてこようとする相手を無視して、カライルは目と鼻と口を押さえた。

 自分の罠で巻き添えを喰らわないための防御だった。

 そして、小さく〈火炎〉の魔導を唱えた。

 狙いは侵入者の足元。

 いや、正確にはその床の内部に仕掛けておいた小麦用の俵に偽装した粉塵毒の塊。

 爆発を引き起こす〈火炎〉を浴びて、毒の塊は一気に膨れ上がり、そして室内すべてに飛び散った。

 足元で急に発生した爆発を受けて、鎧の侵入者が止まるかと思いきや、わずかにたじろいだだけでそのまま向かってくる。

 もっとも、その一瞬だけでカライルには十分だった。

 なぜなら、室内には毒だけでなく、黒々とした煙までが充満していったからだった。

 そして、この煙もまた毒で出来ている。

 雇い主に裏切られ、刺客の更に刺客に部屋の中に踏み込まれたときのために用意しておいた必殺の罠だった。

 室内を毒煙で充満させるという自爆に近い罠だったが、〈毒使い〉を自負するだけあって、カライル自身は自分の使う毒のほとんどに免疫があり、直接粘膜に触れない限り効果が無効化される。

 いかに全身を鋼で覆ったとしても、気体が侵入できないはずがない。

 鎧の隙間から入り込んだ毒の煙が今度こそ、侵入者を屠るはずであった。

 黒い煙で視界が遮られた室内を、窓まで逃げ延びたカライルが、そこから逃亡しようとした時、左手首を何か硬いものに掴まれた。


「なっ!」


 ボキンと鈍い音がしたことで、カライルは自分の左手首の骨が粉砕されたことを知った。

 目を凝らすと、煙の中から目と鼻の先にぬっと鎧が顔を出す。


「まさか、毒が効いていないのかっ?」


 その言葉を発するまもなく、顔面に鋼で覆われた平手が力任せに叩き込まれる。

 確実に前歯を数本叩き折られたに違いない打撃だった。

 カライルは受けた衝撃を逃すことができず、そのまま後頭部から窓の鎧戸を突き破り、身体ごと外に投げ出される。

 掴まれた左手首は解放されていたので、暗殺者は宙を舞い、僅かな間だけ空を飛んだ。

 カライルの部屋は三階にあったため、実際にはほんの数秒だったとしても、姿勢を立て直して着地するという真似はできなかった。

 石畳の上に無様に左肩から落下し、またも激痛が背中まで響き渡る。

 肩が脱臼か骨折したに違いない。

 鎧に折られた左手で思わず受身を取ろうとしてしまったことによる、二次被害といえた。

 落ちてきた窓を見上げると、黒い鎧とたちのぼる煙が目に入った。

 一体、なぜ、あの鎧の刺客は毒煙の中で平然としていられるのだ。

 理解できなかった。

 鎧はこちらを凝視している。

 カライルが激痛の走る肉体に鞭を打って立ち上がりかけた時、その首筋にひやりとする冷たいものが押し付けられた。

 間違いなくわかる、鋭い刃物の冷たさ。

 完全に後ろを取られたのだ。


「動くと、まず延髄を刺します」


 斬るのではなく、刺す。

 相手を間違いなく仕留めるための攻撃だ。

 しかも刺突の場合は直線で行われるため、余計な手間がかからない。

 一動作で可能なのだ。

 そして、彼の背後を容易く回り込むほどの手利きに対して、これ以上、逆らうことはできそうになかった。

 黒い鎧の仲間だろうか。

 連携が取れている以上、そう思うのが妥当である。

 仕方ない、もう詰んだ。

 そう、〈毒使い〉は諦めた。


「……わかった。何もしない」

「物分りがよくて助かります。では、こちらにゆっくりと振り向いてください」


 首改めか。

 完全に抵抗の意思をなくしたカライルが振り向こうとすると、相手の顔が分かった。

 白い装束を着た、いかにも間者という格好の小柄な相手だった。

 

「女か……」


 と問おうとした瞬間、顎を拳で撃ち貫かれた。

 顎を支点に、梃子の原理で脳を揺さぶられたカライルはそのまま気絶した。

 何かを意識する間もない素早い拳の一撃だった。

 地面に倒れたカライルを支えようともせず、白い間者は窓に向けて声をかけた。


「黒騎士、こちらは片付けました」

「グッジョブ、白忍者。飛び降りるからちょっと待て」

「そこ、三階ですよ」

「〈阿修羅〉をつけている時の俺は、当社比で三倍の身軽さになるんだ。平気平気」

「カナブンにあたって落馬した貴方にそんなことを言われても……」

「やかましい」


 自信満々に宣言した通りに、黒い鎧は軽々と窓から地面に着地した。

 多少の音がしただけで、優雅な動きをしていた。


「呆れたものですね。あれだけ毒を撒かれて平気なままとは」

「〈妖帝国〉の逸品だからな。装着者を守るのはお手の物なんだろ。なんといっても、もともとこの〈阿修羅〉は巨大な竜のような魔獣とも戦えるように鋳造されたものらしいから、竜の吐炎もなんのそのって話だ」

「……相手が悪かったみたいですね、この〈毒使い〉も」

「ところで、生かして捕まえてもよかったのか? うちの姐さんの話だと、殺してしまえって感じだったが」

「殺すのはいつでもできますよ。でも、それはできる限りの情報を引き出してからでも構いませんからね。さて、帰りますよ、黒騎士さま」

「ひぃ、おっかねえな」


 そう言って、黒騎士と呼ばれた鎧はカライルを担ぎ上げて、娼館の裏通りを歩き出した。

 幾人かが彼らを見ていたが、あまりの異様な風体と行動に誰も近づいてこない。

 事態に気づいた娼館の者たちが現れた時には、すでに二人とカライルの姿はどこにもなくなっていた……。


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