メルガン家の狙い
さて、一番の問題は「毒で俺を殺すことができるか」というものなのだが、答えとしては「できなかった」ということになる。
最近、頻繁にあることなのだが、自分の部屋でも、借りている宿舎の一室でもないところで、火照った肉体にうんざりしながら俺は目を覚ますことになった。
相変わらずの知らない天井である。
深呼吸をすると喉がカラカラになっていて、出てくる呼気もわずかだった。
不死身に近い体質といっても水分補給をしなければ、まともに唾もでてこないことに変わりはない。
枕元を見渡してみると、ガラス製の水差しがあったが、生憎誰もいなかった。
ただ、水差しから水を飲む気はしなかった。
それはそうだろう。
ついさっき俺は、液体の中に混入された毒物のせいで死にかけていたのだ。
俺が寝ている間に放置されていたものの中に溜められた水など飲めるはずがない。
無理をして身体を起こし、上半身をヘッドボードに寄りかからせる。
これでなんとか姿勢は確保できた。
各部を軽く動かしてみようと意識すると、なんとか自在に操ることができる。
このあたりは、普通に重傷を負ったときと変わらないようだ。
深刻なのは咽喉の渇きだけか。
冷たいエール酒が飲みたいところだが、さすがに今の俺には用意してくれないだろう。
ちなみにこの世界では、エール酒もワインも常温のまま飲むのが普通で、俺のように冷やして飲みたい派は少数なのだ。
ただし、俺はこの習慣を警護役達やハカリあたりに教え込み、騎士団内では最近勢力を拡大しつつある。
できることなら、バイロン国内においても最大与党を目指したいものだ。
酒を冷やす手立てとしては、実は魔導を使用するのが最も有効的であり、ハカリに頼んで凍らせた氷を用意させて、いきつけの酒場に届けさせて準備をしてもらうことにしている。
最近では、酒場の主人も俺たちのわがままを喜んできいてくれるので、たまの休みの日が、もう楽しみで楽しみで…………等と考え事をしていたら、
「あれ、セスシス卿。もう目が覚めたんですか?」
入ってきたのは、西方鎮守聖士女騎士団の医療魔道官であるハカリ・スペーンだった。
王都での凱旋式のために、わざわざオオタネアが本部から連れてきたのである。
元々は何かの用事のためであったはずだが、どうやら俺の看病に回されてきたらしい。
実家に顔を出すと言っていたのに、悪いことをしたかな。
「悪いな、手間をかけさせて」
「ええ、そうですね。卿は普通に放置しておけばギュオンギュオンと回復するのに、まったくお偉いさんたちは過保護ですから」
「……礼を言って損した」
「人としてお礼を言うのは当たり前だというのに、なにを礼儀知らずなことを。これだから、セスシス卿は今ひとつ威厳がないのですよ」
と、まことに腹の立つことをいう、見た目十二、三歳の魔道士。
このちんちくりんなおかっぱメガネについては、矯正の余地がないほどに生意気が基本なのだ。
根は小心なくせに、いつも余計なことを言って俺をうんざりさせてくれる。
「で、どれくらいの時間、寝ていた?」
「卿が毒を飲まされたのは、昨日のことですよ。今は昼前ですから、半日しか経っていません。ちなみに、昨晩からあたしとマイアンちゃん、あとキルコちゃんが護衛として隣の部屋についていました」
「おまえは護衛の役にたたんだろ?」
「失敬な。魔道士相手かもしれないということで、徹夜で〈結界〉を張っておいて上げたあたしの苦労も知らないで」
「ああ、そうか。魔道士の仕業かもしれないよな。だったら、悪かった。おまえでも十分に役に立っていてくれたみたいだ」
「そうでしょう、そうでしょう。ん?」
多少引っかかったらしいが、根本的なところでハカリは抜けているので、ちょっとした皮肉には気づかなかったようだ。
「あのあと、どうなった?」
「まず、マイアンちゃんが辻馬車を使って、セスシス卿を宿舎まで運び込みました。メルガン将軍閣下は酒場で下手人の探索に努めましたが、惜しいところで逃げられたそうです。まったく無能です。そのあと、こちらにやってきてオオタネア様と会談し、明け方からついさっきまで何やら話し合っていました。細かい話はユギンさんか、アンズちゃんに聞いてください。あたしらは、まず卿の胃の中に漏斗で水をぶちこんで洗浄して、〈解毒〉の魔導を掛けましたが、いつもの通り弾かれてしまったので、仕方なくそのまま濡れ布巾で身体を冷やしつつ、回復を待つことにしました。ちなみに、服毒後、だいたい一刻ぐらいで例の〈復元〉が始まったので、朝までなにやら音がしていましたね。マイアンちゃんたちは初見でしたから、けっこうびっくりしていたなぁ」
「……〈復元〉しているところを騎士達に見せんなよ」
「それはダメですね。卿が無事に回復するといっても信じてくれないので、仕方なく見せたんですから。なんですか? 文句があるんなら、軽々しく毒なんか飲まされないでくださいよぉ」
とにかく、あのあとの流れというものはざっと理解できた。
マイアンとダンが無事というのも朗報だ。
あの時の俺のメッセージを正確に受け取ってもらえたみたいだな。
「じゃあ、水をくれないか。そこの水差しのものはちょっと怖い」
「仕方ありませんねぇ。ちょっと待っていてください。あと、皆さんにセスシス卿が目覚めたことを報告してきます」
「頼む」
ハカリが部屋から出て行くと、俺はベッドから立ち上がった。
なんだかんだ言って、もう身体は回復仕掛けていた。
この間の骨折がすぐに治らなかったのは、もしかしたら致命的な怪我ではなかったからかもしれないな。
声がややかすれている程度だが、これなら午後からはまともに活動できるだろう。
体操をしてみても、特にこれといった異常はない。
すると、ドアが開いて、オオタネアとダン、そして西方鎮守聖士女騎士団の主幹連中がぞろぞろと入ってきた。
ハカリに頼んだ水はユギンが持ってきてくれたようだ。
これからどうやら主幹級の会議が始まるので、下っ端のハカリは追い出されることになったのだろう。
「……もう、動いていいのか?」
「大丈夫ですか、セスシスくんっ!」
対照的な将軍二人の呼びかけに、俺は曖昧に答えた。
なんとなく居心地が悪かったからだ。
この元許嫁二人が同席しているといつもこんな感じで肩身の狭い思いをする羽目になる。
というよりも、ギスギスしていて雰囲気が悪くて嫌なのだ。
十年前からいつもこんな感じだから、正直な話、もう少し仲良くしてもらいたいところだ。
こいつらが今では不倶戴天の政敵なのは理解しているとしても。
「まったく、勝手にセシィを連れ出して殺す寸前に陥らせるバカのせいで困ったことになった」
「すいません、セスシスくん。飢えた虎狼のような年増のもとから息抜きをしてもらおうと思っていただけなのに、こんな目に合わせてしまって……」
「誰が年増だ、この筋肉塗り壁が」
「年増でないと誰が保証してくれるというのだ、ああん」
「ほほお、私に脳天ブチ抜かれて無様に負けた半年前の醜態をまた繰り返したいらしいな、メルガン将軍閣下」
「ふん、苦し紛れの奇襲で勝ったことをいつまでも誇るとは、器の小さな女よ、貴様は」
「ほほお、死にたいのか?」
「返り討ちにしてやるぞ」
子供みたいな罵り合いを始めた将軍二人を無視して、俺はユギンが差し出したグラスを受け取り、一気に飲み干した。
ああ、うまい。
五臓六腑に染み渡るとはこのことだ。
「……ああ、水が美味い。すまないな、ユギン」
「いえいえ。ところで、教導騎士。寝巻きのままだと、胸元が見えすぎて扇情的なので私が少し整えていいですか」
「あ、ああ、別に構わないが」
「では、失礼します」
「あれぇ、ユギンさん、何か教導騎士の奥さんみたいですねぇ。妬けちゃいます。ひゅーひゅー。ああ、自分も早く寿退職したいなぁ」
「……騎士アンズ、冗談は止めてください。こんなオバちゃんを捕まえて」
「はーいはい」
と、こんな会話を交わしていると、どういうわけかいつの間にか、二人の将軍が静かになっていた。
なんだか知らないが、俺というよりもユギンを見る目にちょっと変な色が浮かんでいた。
あえて例えるなら、店頭に並んだ楽器が欲しい少年みたいな……。垂涎の的というか……。
俺としてはつまらない張り合いが終わってくれてラッキーではあったのだが。
「ところで、ここにダンがいるということは、何らかのすり合わせができたのか?」
「まあな。おまえが寝ている間に、色々と決まったよ。……ある意味で、セシィが毒を飲んでくれたおかげで話が進めやすくなったといえる」
「ん、どういうこと?」
「西方鎮守聖士女騎士団と王都守護戦楯士騎士団、そしてザン家とメルガン家で協定が結ばれることになった。内容は多岐にわたるが、主な点は〈妖帝国〉の魔道士対策といったところか」
「……俺の仇討ちをしてくれるというわけか」
「バカなことを言うな。そんなつまらないことはどうでもいい。我々は、メルガン家の〈魔導免状〉制の導入を後押しし、それから王都に潜む害悪どもを虱潰しに叩き潰す手助けをすることになる。まあ、一週間後には我々は〈騎士の森〉に帰るから、直接的な手助けはあまりできんがな。手を結んだという事実が大切なのだよ」
なるほど。
メルガン家だけのゴリ推し的な政策だと反発を喰らうから、今回の戦功で一躍時の人になったオオタネアが支持を表明することで緩和しようということか。
だが、オオタネアはメルガン家の本当の狙いというものを、きちんと聞き出した上でその思惑に乗ったのか。
乗ったはいいが、そのあとで梯子を外されでもしたら目も当てられないぞ。
俺の疑問を読み取ったのか、オオタネアはダンスロットに向けて話を振った。
「セシィがおまえの裏切りを心配しているぞ、メルガン将軍」
「な、人聞きの悪いことを言わないでくれ。俺が心配しているのは、おまえたちがきちんと腹を割って話し合いを出来たかどうかということで……」
「舐めるなよ、セスシス・ハーレイシー」
「……っ!」
「私たちはおまえと違って、常に陰謀・謀略の類いにさらされて生きてきた生粋の貴族だぞ。腹を割って話すなどということはしない。ただし、必要な情報交換もカードの切り方もわかりきっている。そのうえで、結んだ協定だ。お互い納得済のものに、おまえが余計な心配をする必要はない」
「……ああ、わかった。すまなかった」
確かにそうだ。
騎士たちのユニコーンたちとの橋渡し等を教導するのは俺の役目だが、騎士団の政治的な役割や細かい方針について口出しをする権利は当然のことながら持っていない。
ただの一騎士でしかないのだ。
お偉いさんである二人と昔から多少交流がある程度で、なにをふざけた口を叩いているのだ。
越権行為どころか、ただのでしゃばりでしかない。
相手との友誼に胡座をかいて増長するにも程があるぞ、セスシス・ハーレイシー。
叱責されても当たり前だ。
俺は自分の馬鹿さ加減を恥じた。
「……まあ、セシィの心配も最もだがな。なあ、ダン、おまえたちの本当の目的ぐらいは話してやれ。それで、セシィが安心するならおまえだって望むところだろう」
「貴様、普段から、セスシスくんにそんな態度なのか? 陛下がお聞きになられたら、きっと気を悪くなされるぞ」
「陛下は気になさらないよ。むしろ、セシィともっと仲良くなりたいと思っておられるようだしな。セシィと話をしていると、自分がヴィスクローデ大公になられたように錯覚できて楽しいとおっしゃられていたぐらいだ」
「……陛下にも困ったものだな。セスシスくんを歴史上の英雄と同視されるとは」
「それだけ、衝撃が強かったのだろう。なにしろ、魔物を退治するために王宮を爆破するなんて無茶をやらかしたのだから」
「……二人共、そういう昔話は止めてくれないか。背筋がむず痒くなるから」
俺は色々と洒落にならないことを繰り返して生きてきたが、この二人の話している事件はそのうちの五指に入るぐらいの酷さなので、一刻も早く忘れたい話なのだ。
国王陛下に会うたびに思い出話として繰り返されるし、侍従長には目の敵にされるし、宰相はかかった費用をいまだに根に持っているし、大変な記憶しかないのだから。
そうは言っても大理石の塊が雨のように落ちてくるあの光景の恐ろしさだけは、なかなかに忘れられるものではないのだが。
「……それで、目的ってなんだよ。聞いて欲しいのなら、聞いてやるぞ」
「教導騎士、そんなにやさぐれなくても……」
「どうして普段のこの人はこんなに小物なんだろうね」
「おまえらな」
コホンと咳をしてから、ダンは俺だけに視線を向け、おもむろに口を開いた。
「西方鎮守聖士女には話を通しましたが、とりあえず他言無用ということでお願いしますね。セスシスくんが安易に機密を口外したりはしないということは知っていますが、一応、機密事項なので」
「わかった」
「……〈魔導免状〉制を導入する真の目的は、戦後における〈魔導大街道〉の権益をバイロンが握ることにあります」
「なん……だと?」
「ひと月前、私たちと西方鎮守聖士女騎士団が〈雷霧〉に対してほぼ完全な勝利を収めたことによって、対〈雷霧〉の政治指針が劇的に変化したのです。つまり、今まではなんとかして〈雷霧〉を制止させることとそれによる混乱を防止することが二大指針でしたが、それに加えて〈雷霧〉消滅後の西方の統治をどうするか、また、それに対して東方諸国がどのように動いてくるかの問題が具体化し始めたのです……」
―――戦後。
ここ十年、〈雷霧〉を止めることだけに費やされてきたすべてのものたちが、明日のことを考え始めたということは喜ぶべきことかもしれない。
しかし、それが最大多数の幸福に繋がるとは限らない……。
皮肉にも、西方鎮守聖士女騎士団が人類を守るための剣であり盾になりえることを証明したときから、動乱と陰謀の季節が大陸に巡ってきたのである。
それはもしかしたら、人と人との残酷な戦争の始まる予兆になるかもしれない。
新たな心配事の発生に、俺は湿らせたはずの喉がまた渇いていくのを感じていた……。




