うまい料理と酒と……
ダンの行きつけの酒場は、騎士団の将軍が通うには相応しからぬ庶民の店だった。
なんというか、ビブロンでいつも俺たちが贔屓にしている酒場と似たりよったりな感じではあった。
わずかな違いは、やや店が狭いくせにテーブルとテーブルの距離が広く、全体の喧騒もあって、隣の酔客の会話があまり聞こえてこないという点ぐらいだ。
要するに、ちょっとした商談や密談には向いている場所ということだ。
もちろん、寛いで一杯飲むにも適している。
ダンにここを紹介したという部下も、なるほどよくものをわかっているタイプなのだろう。
俺たちが案内されたのはわりと隅の方のテーブルで、他の客があまり近寄ってはこなさそうな位置にあった。
出された料理は、舌の肥えた貴族のダンが絶賛するに相応しいもので、しばらく口いっぱいに頬張りながらむしゃむしゃと食べ続けた。
隣のマイアンも、美少女らしからぬ健啖ぶりを発揮し、がつがつとかっこんでいる。
一方、いつも意外と育ちのよさを感じさせるのがダンで、焼きたてのおろしにんにくが塗られたパンを細かく手でちぎって口に運んでいたりしている。
スープの飲み方も静かで上品だった。
なんとなく負けた感じがして面白くないほどである。
満腹になり、そこから酒を飲み始めると、すでに入店してから半刻ほどの時間が経っていた。
テーブルの上は、食い散らかされた(大部分、俺とマイアンの仕業だが)皿やお椀で埋め尽くされている。
将軍閣下のおごりだというので、意地汚く食べ過ぎてしまったかもしれない。
少しだけ反省した。
もっとも、マイアンの方は他人からの奢りは僧への寄進だと割り切っているらしく、淡々としており、さすがは僧兵あがりだとちょっとだけ羨ましい。
まあ、ぐびぐびと酒の入った杯を空ける姿は、ナマグサそのものなのだがな。
酒そのものは芳醇な味わいでこれまたうまいものだった。
「……さて、そろそろ本題に入るとするか。ダン、さっきの刺客の送り主に心当たりはあるのか?」
「ある……というか、ほぼ確信していますね」
「そこまではっきりしているのか。じゃあ、一体、誰の差金なんだ」
「個人までは特定できませんが、多分、王都内の魔導結社。しかも、ここ十年内に結成された結社の連中でしょうね」
魔導結社。
ようするに魔道士の互助団体である。
そう言ってしまうと身も蓋もないが、魔導の系統や歴史というものにまったく詳しくない俺としてはサークル活動の一環的な捉え方しかできないのだ。
あとでハカリに聞いたところによると、魔道士にはおおまかに二種類が存在し、魔導を仕事に活用するものと研究をするものに分けられる。
前者は、宮廷魔道士から場末の占い師まで、習い覚えた魔導を活用することで給金を稼ぐ、要するに技術職としての魔道士である。
後者は、魔導を学問として捉え、研究したうえで、その深奥な知識をさらに追求しようという研究者としての魔道士である。
どちらの境界線も曖昧ではあるが、魔道士はなんらかの結社に入ることで自分の立ち位置というものを確保するのが通常らしい。
魔道士は強力な力を持つがゆえに、市民にとっては危険な存在として考えられることもあることから、団結することで身を守っているのだろう。
ただし、魔導結社というのは、魔導がここまで周知された社会においては、特段異常なものではなく、街中を歩いていると普通の建物に看板が立っていることがあるぐらいに普遍的なものであり、いかがわしい類のものではない。
もっとも、中には「秘密」の二文字がつくものもあり、それらは非合法な活動をすることがあることから、普通の善良な市民には恐れられてもいる。
そういった結社もある以上、市民の魔道士たちに対する偏見も必ずしも間違っているとはいえないのだが。
だが、そんな連中がなぜ騎士団の将軍であるダンを狙うのか。
確かに、先程の間者たちは〈幻覚〉という魔導を使ってきたが、だからといって魔道士がその黒幕であるとまでは言えないはずだ。
つまり、ダンにはもっとはっきりとした思い当たる節があるということなのだろう。
「十年という期間に限定するのは、どういうことなんだ」
「それは簡単です。説明すると長くなるのですが、まず、ここ十年の間に、この王都の魔導結社、特に秘密結社と呼ばれる集団が軒並み壊滅するという事件が起きているということを覚えておいて欲しいのです」
「魔道士の秘密結社といえば、非合法な真似もする危険な連中だよな。戦いもできる。そんな奴らが壊滅させられるって……」
「確かに、ほんの短期間にというわけではなく、それなりの時間はかかっていますが、全盛期には十七あった元々の秘密結社は今では二つまでに減っています。その二つも、実は王家に仕える宮廷魔道士の数人が関わっていたり、パトロンであったということから壊滅をまぬがれただけで、なんの後ろ盾もない結社は完全に滅びたといってもいいでしょうね」
「時折、魔導を使った悪事を働くことがあるといっても、それはやりすぎだな。誰がやったかは知らないが」
「壊滅させた相手は判明しています」
「誰なんだ?」
「〈妖帝国〉の魔道士たちです」
聞き捨てならない単語が出てきた。
〈妖帝国〉の魔道士というのは、今現在の俺にとっては看過できない相手である。
シャッちんの件は置いておいたとしても、幻獣王ロジャナオルトゥシレリアにも奴らが〈雷霧〉に関わっている可能性があるとして、「〈妖帝国〉の魔道士を捕えろ」とアドバイスを受けているのだ。
そして、ルーユの村でのおかしな魔導実験。
奴らがなんらかの目的をもって、おかしなことを企んでいるのは明白なのだ。
それが今度は王都でも暗躍しており、しかも十年に渡ってとなると、これは見過ごすことはできそうにない。
オオタネアだって、間違いなく警戒をする話だろう。
「十二年前の〈雷霧〉発生以来、数多くの〈妖帝国〉の魔道士が周辺諸国に入り込んできているのは知っていますね?」
「ああ、それはな」
「奴らはたいてい何処の国の住民とも諍いを起こして、その土地から追い出されるという真似をしていますが、ここバウマンにおいてだけはちょっとだけ勝手が違ったのです。……奴らは王都の広大さを利用して、地下に潜ったのですよ。しかも、珍しく目立つ悪さをすることもなく」
「あいつらの尊大さは行き過ぎているからな」
ザイムの魔道士たちやヤンザルギ・イム・ドヰオンのことを思い出す。
あれほど傲慢で驕り高ぶった相手というのは、そうはいない。しかも、〈妖帝国〉の魔道士の場合、あれが標準に近いのだ。
〈白珠の帝国〉の中で暮らしている分には、あの歪んだ特権階級ぶりは気にはならないかもしれないが、一度外の世界に出てしまうと鼻について仕方なくなる。
帝国生まれのシャッちんがああなったのも当然だ。
奴らはまともな精神の持ち主ではないのだ。
「しかし、それは妙だよな。追い出されたくないから、地下に潜んでじっとしている……。そんな殊勝な連中じゃないだろ」
「だから、地下に潜っている間に、自分たち同様の非合法な秘密結社を潰して回って、地均しをしたんですよ。おかげで既存の秘密結社の縄張りはほとんど奴らに握られました。こちらが気がついたときには手遅れなほどに」
「ああ、なるほど。確かに、あいつらならやりかねん。だが、そうなると裏の世界が相当ヤバイことになるんじゃないか」
「ところが、それほど変化はなかったんです。最初は、バイロンの闇社会も激震しましたが、〈妖帝国〉の魔道士たちは自分たちの居場所を確保するとほとんど引きこもって、裏の世界の表面の部分にほとんど顔を出さず、予想されていた大きな混乱はまったく起きませんでした。むしろ、気持ち悪いぐらいに」
「……マジか?」
俺は少し信じられなかった。
魔道士の生態にそれなりに詳しいこともあったからだが。
話の内容に喉がひりひりと乾きつつあるのを感じたので、俺は追加の酒を注文した。
どのぐらい続くかわからないので、酒瓶を三本ほど頼む。
さっき食事を運んできたのとは違う給仕が注文を聞いて、奥に向かう。
あっちは厨房ではないが、ワインセラーみたいなものでもあるのだろうか。
「……それが、ここ数年のことの経過ですね」
「だが、そうなるとおまえは〈妖帝国〉の魔道士に狙われたということになるな。それはかなり深刻な問題だぞ。あいつらが直接手を出してこなかったということだけで、実際には相当の危険があるはずだ」
「私としても、まさかここまではっきりと闇討ちを仕掛けてくるとは思っていなかったのです。しかも、セスシスくんまで巻き込んで」
「俺のことはどうでもいいとして、おまえ、何をしたんだ? 反応が普通ではないぞ。仮にも王都の騎士団の団長を狙うとは……」
「……ここから先は、多少、遠まわしな話になります。いいですか?」
「ああ」
「まず、私というか、メルガン家は騎士警察に縁が深い家系です。その繋がりによって、近いうちに王家に、〈魔導免状〉の制度の導入を働きかける予定があります」
「〈魔導免状〉?」
「はい。王都内で魔導を使うものに対しては、その危険性から、お上に登録しておかなければならないというものです。まあ、特に違反したからといって罰則を設ける予定はないのですが……。登録しておかないと、やや色々な公職に就く際の審査等に厳しい扱いを受ける程度です」
「自由をある程度必要とする魔道士には困った内容かもしれないぞ。それは反発を受けるな」
「……わかっています。だから、表向きの裏の目的としては、魔道士の人数の把握を掲げることにしています。裏があるとわかっていた方が、反発の大きさも操れるという理屈ですね」
「また、迂遠な言い回しを……。じゃあ、本当の裏の目的もあるわけだ」
「ええ、まあ」
「それが〈妖帝国〉の魔道士どもの気に障った……と」
「その通りでしょうね。そのために、セスシスくんにまで迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」
「いいよ。おまえだって、さすがに暗殺者がすぐにやってくるとは思っていなかったのだろ? あいつらの短絡的なところを見誤っていたのは失態だけどさ」
「すいません」
頭を下げるダンを制して、俺は新しく用意された酒瓶の一本を手にした。
栓を切り、手酌で自分の杯に注ぐ。
そして、一口だけ含んで呑みほした時、なにやら妙な胸騒ぎがした。
俺は同じように酒瓶を手にしたマイアンの手を押さえた。
「なに、セスシスさん?」
「マイ……それを置け。飲むな」
「ど、どうしたの?」
「いいから、言うとおりにしろ」
「は、はい」
「ダン……おまえももう運ばれてきたものに口を付けるな。いいな」
ダンは訳もわかっていないだろうが、俺の言いつけを破るやつではない。
自分としては恥ずかしい限りなのだが、それだけ俺に心酔してくれているのだ。
「少し待て」
俺は天井を見上げた。
油と松明の灯りが微妙にブレはじめる。
やはり、眼にきたか。
すると、次にくるのは……
胸の奥が不快なぐらいに熱くなり、チリチリとした乾きが喉元を通り抜ける。
肺が空気を欲しがるが、火で焼けたような痛みが口の周りの筋肉を麻痺させ、まともに息をすることもできない。
水の入ったお椀を差し出されたが、身体が痺れていたので受け取ることも叶わなかった。
俺は喉を両手で押さえたまま、椅子をずり落ち、床に昏倒した。
痛みはない。
いや、あったはずだが、気にしている余裕がなかったのだろう。
それほど体内を焼き続ける痛みが激しかったのだ。
声にならない悲鳴を発しつつ、俺は床で悶えた。
地獄の苦しみだった。
即効性がなく、飲み干して数分後に効力を発揮するおかげか、完全に胃の中に達して焼け爛らしているのだろう。
俺を苦しめているものの正体。それは、
―――毒だった。
さっきの酒瓶の中に仕込まれていたのだろう。
酒のわずかな異味に気づかなければ、俺だけでなくそのままダンたちも呑んでしまっていたかもしれない。
それは慰めになったが、俺の痛みそのものが消え去るものではない。
視界が赤くなっていく。
血液が眼球内の血管に集中していくからだろうか。
まったく酷いものだ。
肺を焼くだけでなく、血管まで異常を起こさせるということは心臓も破壊するのか。
赤い世界が今度は白く変わり、そのことを理解する前に俺の意識は完全に飛んだ。
しまった。
俺の生命もここまでか。
脳裏に浮かんだのは、果たしてなんだったのか。
それさえも記憶に残せず、俺は死んだ。




