一筋の光を求めて
[第三者視点]
山頂にある〈核〉を目指してまっしぐらに突き進む怒涛の攻撃は、ついに、魔物側からすればようやく、十町(約千百メートル)ほど手前付近で押し止められた。
数匹の頑丈な〈手長〉が、胸にぐさりと刺さったのにもかかわらず踏みとどまり、馬上槍をミィナたちの手からもぎとったことで左右両翼の進撃が終わったからだ。
先頭を走るタナも、そうなると分厚い中央を突破できなくなる。
ここにきて、後ろから矢を放ち、魔物どもに細かい隙を作っていてくれたクゥの離脱が響いてきた。
だが、そんなことを嘆いている余裕はない。
騎士たちはそれぞれの剣を翻して、立ち塞がる魔物の腕を落とし、頸を跳ねた。
ユニコーンたちもその強力な前肢、後肢の蹄を使って強引に押し通ろうとするが、次々に群がってくる魔物たちに自在に動くこともままならなくなってくる。
このあたりから、〈手長〉どもは大剣を手放し、徒手空拳のまま、騎士たちを押しこめるために四肢を伸ばしてくるようになった。
同士討ちを避けるためでもあるだろうが、魔物間の距離が近くなってきているのだ。
騎馬が先に進めないのは、その増した密度のせいでもある。
もう何度も使っている〈物理障壁〉による強行突破はできなくなっていた。
ユニコーンたちも疲弊して〈魔導障壁〉ですら満足に張れなくなってきていたのだ。
こうなると、あとは体力の続く限り、能力ではなく技術を行使するしかない。
「僕だって騎士なんだぁっ!」
ミィナ・ユーカーは剣が下手である。
おそらくは騎士団最低レベルのキルコよりも。
だが、これだけの乱戦の中ではそんなことは言っていられない。
滅多矢鱈に振り回すという真似こそしないが、的確に敵を攻撃するほどの正確性はなく、魔物を仕留めることまでには至らない。
(馬上槍以外も練習しておけばよかった)
戦いながら、どうしても悔やみきれない反省の念が湧く。
速さ一番などと自惚れていないで、もっと真剣に他の戦技にも打ち込んでおけばよかった。
今更しょうがないことだが、剣が〈手長〉の顔面に直撃しても怯ませるだけで殺すことができない自分の腕前に腹が立つばかりだ。
走れなければ相方のベーの本当の力も発揮できない。
セスシスの言うことによれば、ベーはあまりにも速く走ることができすぎて、今までどの騎士も乗り手になれなかったということだった。
そのベーを乗りこなし、騎士団最速の称号を得たことがミィナは嬉しかった。
すべてに秀でた従姉に勝つことができるというだけで、今までのコンプレックスが嘘にようになくなり、距離を置きかけていた仲も修復できた。
それもこれもベーのおかげだ。
しかし、今の彼女はその恩あるユニコーンの肢を止めさせ、満足に走らせてあげることさえもできなくなっていた。
普段なら〈物理障壁〉を使う場面だが、ベーにはすでにそれだけの力が残っていない。
走るだけで精一杯のはずだ。
自分にこの囲みを破る素の実力さえあれば。
彼女たちの劣勢は明らかだった。
もうそろそろ誰かが死んで、なし崩しに僕たちは敗北する。
最後にもう一度だけベーと誰もたどり着けない最速の領域を目指したかった。
勢いよく振り下ろした剣が空振った。
魔物はさすがにその隙を見逃さない。
鋭く尖った爪が彼女を襲った。
死んだ。
と、思って目をつむるが、痛みは何も感じなかった。
慌てて目を開けると、ノンナが敵の腕を根元近くから切断していた。
気功術〈握〉を極めたおかげで丸太すらも斬撃で断てるほどに成長した隊長が、長に相応しい獅子奮迅の活躍をもって、ミィナを危機から救出したのだ。
ノンナはミィナを見もせずに叫んだ。
「諦めないことっ! 死ぬのなら、ベーに頼んで〈核〉まで行って、そのまま自刃しなさい」
残酷な鬼の叱咤に、ミィナは奮い立った。
確かにそうだ。
死ぬのならベーとともに走りながらがいい。
自分はユニコーンの騎士だ。栄光ある〈聖獣の乗り手〉なのだ。
幼き日に王都で焼き付けた、麗しい西方鎮守聖士女騎士団の先輩たちの勇姿が脳裏に浮かぶ。
せっかく叶えた夢と未来だ。
最後まで貫こうではないか。
「ベー、一瞬でも囲みが開いたら最大加速するよ。僕たちが一番槍になって〈核〉に抜け駆けするぞ」
ベーはその指示を聞いて嘶いた。
当然、否という意味ではなく、応、であったろう。
「本気で走る僕たちを討ちとれるものなら討ちとってみろってんだっ!」
この時のミィナは自棄になっていたわけではない。
やるべきことを思い出しただけだ。
剣で敵を倒すのが下手なら、相手を寄せ付けないように時間を稼いで、得意の形に持っていくだけだ。
乗り手の目覚めを受けて、ベーもいきり立った。
その時、一瞬だけ、囲みが破れた。
タナが二匹の〈手長〉をいっぺんに斬り殺したからだった。
好機到来とみて、ミィナはベーとともにたったの数歩で最大加速に移った。
わずかだけ背後に重心を移し、歩幅を極端に短くして、助走なしで。
培ってきた馬術を駆使して、ミィナ・ユーカーは疾風となった。
囲みの輪から抜け出してきた一頭のユニコーンに触れられる魔物はいなかった。
獣ですら反応できない神速に、脳がおいつかなかったのだろう。
ミィナとベーの一組の騎馬は、初速も末脚も、他の追随を決して許さない。
白い流れ星のように、黒く光る魔球に向かう。
〈核〉は巨大で、二丈(約六メートル)の直径をどういう仕組みかわからないが、宙に浮かせて維持していた。
近づくにつれて、黒い霧の正体がわかる。
それは吐息だった。
〈核〉の中腹には無数の唇がついていて、それが欠伸をするようにがばりと開き、寒い日の白い息のように霧を吹き出すのだ。
エイミーたちが〈核〉を忌み嫌っている理由の一つは、〈雷霧〉全体がこんな気味の悪いものの息でできているという認識をもっているからだった
誰も、気に入らない他人が吐きすてた空気の中にいたいとは思わないだろう。
例えようのない気持ち悪さに吐き気を催しながら、ミィナは剣の柄を両手で握り締め、ベーが〈核〉の脇をすり抜けると同時に力任せに切りつけた。
先輩たちの証言によれば、〈核〉の表面は柔らかい。
まるで赤子の肌のごとし。
刃が完全に立っていないミィナの斬撃でも、思いっきり三尺近くまで切り裂けた。
「グォォォォォォォォ!」
〈核〉に無数についている唇が一斉に悲鳴を放った。
効いている。
もう一度、切りつける。
またも不気味な叫びが響き渡る。
だが、〈核〉全体を落とすまでにはいたらない。
大きすぎるのだ。
一人では足りないとタナたちに援護をあおごうとした時、残してきた仲間たちを魔物が蹂躙するために囲もうとのしかかる惨劇一歩手前の光景が見えた。
ミィナの突出が微妙に成り立っていた均衡を崩してしまった結果だった。
彼女の空けた部分に魔物たちが割り込む。
「みんなっ!」
タナが、隊長が、仲間がついに力尽きて黒い群れに飲み込まれようとした時、白い円が邪悪な魔物を弾き飛ばした。
ミィナにはそれが〈物理障壁〉だとわかった。
もうイェルたちにはそんな体力は残っていないはずなのに。
どうやって?
温存しておいたのか?
しかし、すぐに答えはわかった。
彼女とは違い、隙間ではなく堂々と囲みを切り裂き、こちらに向かって駆けつけてくる青銀の鎧と輝く魔剣〈瑪瑙砕き〉。
「セスシス殿っ!」
併走する疲れきったタナを庇うように、こちらに向かって突っ込んでくる彼女たちの教導騎士の勇姿。
〈ユニコーンの少年騎士〉はまたもタナの盾になって、魔物に挑んでくるのだ。
その斜め後ろにいた、ノンナが最後の気力を振り絞って叫んだ。
「西方鎮守聖士女騎士団、斬りこめぇぇぇ!」
ナオミが喚く。
「潰せぇぇぇぇ!」
タナが吠えた。
「死ねえや、コラァァァァァ!」
この場にいるすべての団員が決死の特攻をかけた。
交錯する十二の斬線。
夥しい叫びとともに、バイロン王国ボルスア地方を蝕もうとした〈雷霧〉の〈核〉は地に落ちていった。
無数の唇から洩れる黒い吐息はもう事切れていた。
山の頂上には、十二の騎馬が揃っている。
ムーラ以外、誰ひとりとして欠けていない。
魔物たちは、〈核〉が消滅したという事態を受け入れられずに、まだ少女たちに襲いかかろうと牙を剥いている。
だが、勝負はついた。
何匹いようと、敵はただの敗残勢力なのだ。
あとは掃討するだけだ。
作戦目標は完全に沈黙させたのだ。
我らの勝利だ。
「俺たちの勝ちだ」
〈ユニコーンの少年騎士〉の宣言がすべてを物語っていた。
この戦いは西方鎮守聖士女騎士団の勝利で終わった。
もうボルスアは人間の手に戻ったのだ。
あとは、騎士たちがこの場を切り抜け、〈雷霧〉が完全に晴れるのを待つだけだ。
しかし、山の麓にはまだ多くの魔物どもが蠢いていた。
彼女たちを無事で帰すつもりがないのはみればわかる。
―――だからどうした?
どんなに敵がいたとしても、片っ端から斬り殺すだけだ。
……彼女たちは西方鎮守聖士女騎士団。
人類の版図を蝕む〈雷霧〉を消滅させるための精鋭部隊だ。
その邪魔をするというのなら、必殺の刃を振るうのみ。
……そして、十人の少女騎士と一人の女間者は、とある山を囲む魔物の群れを無傷で切り抜け、後方で彼女たちの帰還を待ち望んでいた戦楯士騎士団との合流に成功する。
ただ一人の教導騎士を除いて……。