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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第九話 西方鎮守聖士女騎士団、出陣
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征くか、俺と?

 東の空が白くなりつつあった。

 もうすぐ太陽が出る。

 この異世界においても、太陽だけは変わらない。

 むしろ、太陽ぐらいは変わっていてくれた方が、俺としてはもっと気楽になれたような気がするほどだ。

 月も星座も、そして、土の臭いさえ、俺のいた世界とは違うのだから。

 アーの背中に乗って空を見ていると、イェルに騎乗したタナが近づいてきた。

 

「あれ、セシィ、緊張しているの?」

「あたりまえだ。俺だって怖いことはある。死ぬのは嫌だしな」

「うーん、私なんか死ぬよりももっと怖いことがあるからね。それに比べたら、〈雷霧〉に突っ込むなんて刀の錆にもならないよ」

「……おまえは明るくていいな。そういうところが好きだよ」

「ふぁっ! ひゃあ、はぁっ!」


 いきなりタナがおかしな声を立てた。

 風邪でもひいたのか、少し心配になる。


「おい、そろそろ時間だぞ。体調に不安があるなら、ノンナに言っておけよ」

「……セシィが悪いんじゃん。す、凄いことを口走るから」

「凄いことってなんだよ。ホントに身体には気をつけろよ。おまえはうちの二枚看板なんだからな、〈雷霧〉を切り裂くのがおまえの仕事なんだぜ」


 タナとマイアンは、〈雷霧〉突破陣形の一番前衛に配置されている。

 真っ先に接敵するのが、最前衛の役割だ。

 だからこそ、騎士団で最強の二人が回されているのである。


「……ふんだ。言われなくったってやるもんね。私は騎士団(うち)で最強になるんだから」


 そう言って、どういうわけか顔を真っ赤にしてタナは俺から離れていった。

 もうそろそろ進撃という時間だからか、よくわからない精神状態になったっぽいな。

 これがいくさというものか……。

 俺が色々と想いを巡らせていると、今度はナオミがやってきた。

 突撃陣形においては、俺の隣に位置する。

 要するに、騎士団最強の盾を置くことで、俺の防御力のなさをカバーするためのお守役も任されてしまっているのだ。

 すまないなあ、と俺は頭を下げた。


「もともとセスシスの位置には私が入っていましたからね。ちょっとずれただけです。気にしないでください」

「それにしたって、おまえを無駄遣いしている感じでさ。俺みたいな無茶をする奴のために回される駒役じゃないだろうに」

「貴方らしくないですね。無茶をする役割は貴方のものなのですから、私はそれの手助けをするだけですよ。それに、タナやマイには羨ましがれている役割なんですよ、貴方の介護役というものは。私も楽しみですしね」

「……介護されているの、俺?」

「ええ、まあ」


 うーん、実力不足をわかっていたとしても、こいつは俺には辛辣だなあ。

 要介護扱いか……。


「それに、貴方の背中にはキルコとモミさんが付きますからね。私は前を守るだけの簡単なお仕事ですし」

「ああ、そうだよな。そういえば、あの二人の役割って何だ?」

「第二遊撃ですよ。第一遊撃はクゥともう一人が担当していますが、キルコとモミさんは別の任務に従って動きます」

「好き勝手できるのか?」

「……多分、一番好き勝手にはできない役割でしょうね」

「大変だな」


 今回の陣形を構築したのは、このナオミである。

 十三期随一の優秀な頭脳を持った彼女が、今までの数ヶ月間の結果を踏まえて最適として考え出したのが今の陣形だ。

 出発前の、オオタネアとアンズからの鬼のような指導に対しても怯むことなく答え、多少の修正は受けたもののそのまま採用されたのである。

 たった十五人の突撃部隊を、最強の矛にするために編み出された陣形。

 俺たちはナオミの頭脳を信じるだけだった。


「私、王都に家族がいるんです。両親と下に弟と妹が一人。父が病気になってからは、家族全員でその日暮しでした。私も、時折近所の川の泥あさりをして金目のものを見つけたりして、なんとか食事にありつけるという毎日でした。騎士の養成所に入ったのは、平民でも才能さえあればなんとかなるからです。実際、よその国と違って、うちでは騎士にさえなれば四民も平等に扱ってもらえますし、貴族のタナとも親友になれました。私はこの国が好きです」

「そうか……」

「でも、私にはなによりも家族が大切です。もし、国と家族のどちらかを選べと言われたら、私は家族を取るでしょう。……でも、そんな質問は意味がありません。世界が、バイロンが滅びたら、そして私が死んだら、結局家族はなくなるのですから」


 ナオミの自分語りは非常に珍しい。

 俺はほとんど聞いたことがなかった。

 

「ボルスアが〈雷霧〉に呑まれれば、穀物の安定した供給がなくなって、王都どころか全国で深刻な食糧不足が始まるでしょう。いまでさえ、食料品は値が高騰しているのに、そうなったらおそらく貧乏人は生きていけません。ワナンが無くなれば、銀が錬成できなくなります。そうなれば、財政の裏付けがなくなり、バイロンの経済は急速に冷え込むでしょう。そうなっても貧民層は終わりです」


 俺の顔を見ずに、ナオミの話は続く。


「だから、私たちがあの目の前の〈雷霧〉を潰し、しかも死なずに戻って、閣下の戦略を遂行できなければ、結局のところすべてが終わるんです。失敗すれば、ただ延命期間が与えられるだけ。多分、十年せずに人類の住む大陸はなくなります」


 十年。

 幻獣王の見解とも一致する。

 それだけ具体的な数字なのだろう。

 

「……みんな結構気楽になっていますけど、〈雷霧〉の中には、魔物の集団が待ち構えているんですよね。〈手長〉〈脚長〉が、小さな〈雷霧〉でも千匹以上。大きいものなら、万単位だと聞いています。騎士アラナが言うには、〈核〉にたどり着く前に、百匹以上の化物と遭遇して、その壁を抜いて行かなければならないと。知っていますか、最前衛で戦う騎士エイミーの討伐数。七十五匹ですよ。それに匹敵する戦いをしなくてはならない。難しいなんてものではありません」


〈手長〉ではないが、魔物の強さを直に知っているものの感想だ。

 

「でも、戦いますよ、私は。ちょっと前までの私なら、生きて帰ることだけがのぞみでしたが、今は違います。家族を救わないとならないんです。それができるのは、私たちだけなんです」


 そこまで言うと、さっきのタナとは違う、だが似たように赤くなって、顔を伏せる。

 いつもの生真面目さは残したまま、いつもとは違う、ナオミ・シャイズアルがここにいた。


「す、すいません。生意気に恥ずかしいことを語ってしまいました……。わ、忘れてください」


 どもりようがまるでクゥみたいだった。

 沈着冷静なナオミらしくなく、なんとなく微笑ましかった。


「なぜ、笑っているのです?」

「気のせいだろ」

「いいえ、笑っています。そのにやけ面が笑っていないなんてはずがありません」

「にやけ面はひどいな。そもそも、おまえがそんなに可愛らしく慌てふためくからだろうに。可愛くて仕方がないぐらいだぞ。自覚を持て」

「うひゃあ、じはらぃて……」


 今度はこいつまでおかしくなった。

 なんだ、昨夜の最後の晩餐になにか悪いものでも含まれていたのか?

 俺がそれを尋ねようとすると、それを遮り、脱兎のごとくナオミは俺の前から逃げ出していった。

 あまりの速さにびっくりしたほどだ。

 予備動作なしで最高速度が出せるのか、あいつは?

 しかし、いきなり俺との会話後に二人も逃げ出されては、さすがの俺も少しへこむ。


「……話術、考え直したほうがいいのかな」

《たぶん、人の仔が考えを改めたほうがいいのは、もっと別のことだろうがな》


 さっきまで沈黙を貫いていた相方(アー)がいきなり口をはさんできた。


「どう言う意味だ」

《人の仔のそういうところは、ある種の人間には好ましいだろうが、度がすぎれば欠点になるぞ》

「えらそうに。スケベ馬の分際で」

《スケベで処女(おとめ)を怒らすことと、不躾な気遣いのなさで怒らすのではどちらがマシだと思うね?》

「好色なヒヒ爺いみたいなことを言うな」

《多少、砕けていたほうが楽しく生きられるというのが、我らの同胞の考えだよ》

「何をいってやがる。人間サマにはわりきれないこともあるんだよ」

《人の仔は十年前から変わらないなぁ》

「ほっとけ」


 俺は、両手の手首にはめた〈猛蛇鉄(もうじゃてつ)〉をチェックし直した。

 これをつけるのは、久しぶりだ。

〈阿修羅〉よりは身体に馴染まないのは、最初から俺に合わせて錬金加工されていないからだ。

 手の甲が牙を生やした蛇の上あごに造形され、脈の部分に下顎がある、パッと見は不気味な意匠の篭手である。

 しかし、実のところ、体内の魔導をその口を模した部分から噴出することができ、二尺ほど離れたものに衝撃を与えることができる、飛び道具的な使い方のできる魔道具なのだ。

 もっとも制作に金が掛かりすぎるため、ほとんど作られていないのだが、その数少ないものを俺が現国王陛下から拝領したのだ。

 他に拝領したものといえば、兜や鎧もそうなのだが、一番高価なのはたぶん、〈瑪瑙砕き〉という剣である。

 柄も鞘も名前に比べればシンプルなものであるが、その名前の由来は、かつての所有者であった戦士が瑪瑙の第三の眼を持った巨人を倒した時に使用したものということだ。

 何百年も前の代物のくせに、未だに刃の輝きが衰えないという魔剣であり、こんなものをもらってもな、というのが当時の俺の心境だった。

 ただ、現国王陛下はかなり俺のことを気に入ってくれたらしく、たまに使者を〈聖獣の森〉に遣わしてくれたりして、いまでも気にかけてくれてもいる。

 なんとも見事な王様なのだ。

 俺がバイロンを離れられない理由のひとつである。


「準備万端といったところか」

《そんな風に挑めるいくさはない。きっとやり残しがあるはずだ》

「思い当たらんぞ」

《……周囲の処女(おとめ)たちを見渡してみるといい。皆、陽気に振舞っていてもいくさに挑む緊張感に怯えているはずだから》


 確かに、俺の隣のナオミも背中しか見えないノンナも、まるでいつもとは違うように堅い顔をしていた。

 ついさっきまでと比べても別人のようだ。

 自分たちで決めたとはいえ、これから先に待つのは死ぬかもしれない大舞台だ。

 平然としてはいられないのだろう。

 逃げてもいい時ではないのだ。

 突き進むしか道はない。

 彼女たちはもうただの騎士ではない。

〈雷霧〉への切り札たる〈聖獣の乗り手〉なのだから。


「……よくわかったよ」

《ほう、そうかね》

「俺はなんでこんなに緊張していないんだ。おまえ、わかるか?」

《たぶん、〈妖帝国〉で掛けられたという〈去勢〉の魔導がいまだに尾を引いているんだろう。一度、無理やりに恐怖心を破壊されたことによって、なんらかの精神的疾患を抱え込んでしまったのではないかね》

「的確に分析するな」

《まあ、これは(ちち)の受け売りなのだがな》

「……あいつの言い分ならまず間違っていないか……」


 俺はついに顔を覗かしそうな太陽の様子を見た。

 あの光の筋が地平に広がったとき、西方鎮守聖士女騎士団(おれたち)は眼前に見える黒い霧に向けて走り出す。

 ここからでも、あのドーム状の霧の頂点部分が、発する稲光で白くなるのがわかった。

 巨大だ。

 昨日、ここに到着してからもさらに拡大を続け、あの調子では、夕方近くになればこの戦陣を飲み込むことになるだろう。

 本日の夜までに〈核〉を破壊することが最低限度の勝利条件だ。

〈雷霧〉がこれだけ近くに見えても、俺はまったく恐怖を感じなかった。

 ザイムでのあの時もそうだった。

〈手長〉と退治した時もそうだった。

 もう少し、恐怖を意識しないと俺以外のものを巻き込んでしまうかもしれない。

 少し離れたところに建てられた櫓に、ダンスロットが姿を見せた。

 手には大将軍から預かった、全軍指揮杖を携えている。

 時間が来ようとしていた。


《……人の仔は気がついていないかもしれないが、後ろの処女(おとめ)もと隣の処女も君のために死ぬ覚悟だよ。なぜだかはわかるかね?》

「ああ、わかる」

《君が好き勝手やって死んだら我らも悲しいが、それ以前にこの処女(おとめ)たちも死ぬのを努努(ゆめゆめ)忘れぬことだ。 なあ、セスシス・ハーレイシー》

「人間の名前もたまには覚えるんだな」

《友達と乗り手のものだけはね》


 俺は背筋をしゃんとした。

 今更、言葉は不要だ。

 俺の態度のみが、こいつらの強い緊張を解くことができる。

 

 俺は、一歩だけアーを前に進めた

 さりげなく、だが、はっきりと全員の目に触れるように。

 眉一筋動かすことなく、すぐ前にいるノンナに言った。


「そろそろ時間だ」

「……はい」


 俺はノンナにではなく、周囲にいる全員に聞こえるように言った。


「征くか、俺と?」

「「「「はいっ!」」」」


 同時に、全軍の進撃を告げるダンスロットの胴間声が轟き渡る。

 俺はアーと一緒に、いや、十三期の騎士たち全てと一緒に、〈雷霧〉目掛けて突撃を開始した……。

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