莞爾として笑うとき
[第三者視点 ―――王都守護戦楯士騎士団より]
王都守護戦楯士騎士団の陣地に、ユニコーンに乗った少女たちが訪れたのは、急ごしらえの設営後、わずか一刻の後であった。
その報告を受け、司令官であるダンスロット・メルガン将軍は耳を疑った。
なぜなら、単純な時間と距離の問題として、西方鎮守聖士女騎士団の果敢な進軍の速度を信じられなかったからだ。
王都に〈雷霧〉発生の〈遠話〉が送られてから、戦楯士騎士団はすぐさま出発した。
本来、彼らの目的はその名の通り王都守護にあるのだが、軍の取り決めで、特定の地方に関する場合については一定の騎士団が〈雷霧〉に対処する優先権が与えられることになっている。
ボルスア地方は、その名のままボルスア伯爵家の領地であるが、その現伯爵夫人はメルガン家の出身であり、ダンスロットの叔母にあたる人物である。
そのつながりから、戦楯士騎士団には、ボルスアの出身者が多い。
もともとバイロン人は故郷を大切にする気風がある。
そのため、国土を魔導によって根こそぎ破壊される〈雷霧〉との戦いにおいては、その地方の出身者が多い騎士団を優先させるということであることになっていた。
ダンスロット自身、母や家族とも仲の良い叔母のためにも、〈雷霧〉と戦うことについての異論はなかった。
とは言っても、彼らの仕事は〈雷霧〉突撃ではない。
突撃そのものは、ユニコーンを駆る西方鎮守聖士女騎士団の任務である。
通常の騎士団の任務は、大まかに分類すると二つに分けられる。
一つは、〈聖獣の乗り手〉が突撃しやすいように、まず、〈雷霧〉の大外に回り込み、中から外に飛び出してくる〈手長〉等の魔物を撃退しひきつける、いわば囮役である。
この時に、上手に魔物を吊り出せないと、突撃の初手で西方鎮守聖士女騎士団に大きな被害がでることになるため、重要な役割とされている。
この役割を様々な事情からこなせず、西方鎮守聖士女騎士団の三期を突入早々全滅させる一端を担ったとある騎士団と司令官は、ストゥーム王家の勅令によって解散と解任をさせられていた。
その時に、奪われた多くの地域の中にカマンという街があり、実質上、初めてバイロンが〈雷霧〉によって領土を奪われるという結果を招いたのであるから、ある意味では仕方のない厳しい処分であったといえる。
以後、この大外からの囮の役割を的確にこなせなければ、騎士団としては二流ということになってしまう。
そして、もう一つの任務は、〈核〉消滅後の消えゆく〈雷霧〉の中に取り残された魔物たちの掃討である。
これまでの経験則上、〈核〉の消滅によって〈雷霧〉は晴れていくのだが、その時間はほぼ半日以内である。
それが早いのか、遅いのかは議論の余地があるが、それによって〈雷霧〉に巣食っていた魔物たちが自らを隠す衣を失い、悪鬼の姿を曝け出すことになる。
放っておけば既存の〈雷霧〉に引き返して戻っていくとはいえ、その途中ではぐれ魔物となるおそれもあり、そして、なによりも〈核〉破壊に成功した少女たちを救うためにも残存の魔物掃討が不可欠となるのである。
この二つが、〈雷霧〉間近に陣を張った騎士団の任務とされていた。
今回、ダンスロットの事前の巧妙な準備もあり、彼らは〈雷霧〉発生の一報を聞くとほぼ同時に王都を出発し、五日後には〈雷霧〉まで一日という地点に定石通りに陣を張った。
半日だと膨張する〈雷霧〉に追いつかれるおそれがあるからだ。
そして、翌日以降に到着するはずの聖士女騎士団を受け入れ、さらに次の日の早朝に〈雷霧〉突貫を援護するのが本来の予定していた流れであった。
ダンスロットとその側近たちも、そのスケジュールで作戦概要を建てていた。
それなのに、彼らの予想をはるかに上回る速度で、西方鎮守聖士女騎士団が到着したというのだ。
「どういうことだ? なぜ、それほどまでに早く到着したんだ?」
「それはわかりません。我々の事前の予想ではどれほど早くとも明日の夕方頃になるはずだったのですが……」
「まあ、早く着く分にはかまわんか……。とりあえず、オオタネアをここに通せ。作戦の打ち合わせがあると。あとの面子は、陣に作った天幕に案内しろ。絶対に無様なところを見せるなよ。相手は明日には死ぬかもしれないということを忘れるな」
「は、わかりました。……ただ、将軍閣下、騎士たちへの待遇はともかく、ザン将軍についてはここにお通しできません」
「は? どういうことだ? あいつに何かあったのか?」
「……ザン将軍はこちらに見られていません」
「な、ん、だと……」
副将軍の言葉に、ダンスロットは絶句した。
指揮官がいないとはどういうことなのだ?
「そもそも、こちらに到着した西方鎮守聖士女騎士団は総勢十六騎。当初窺っていた人数よりも少なく、そのうちの一騎に至っては文官騎士であって、突撃に参加しないということです」
「意味がわからないぞ。この間の会見のとき、オオタネアの奴は次の〈雷霧〉発生時には総勢二十騎を用いて確実に潰すと息巻いていた。それなのにこの期に及んで戦力を削るなどということをする意味が不明だ」
「……それだけではありません。騎士団の代表者として、閣下に謁見を求めておられるのは、〈ユニコーンの少年騎士〉様です。以前、お会いした時と異なり、陛下より賜われた青銀の騎行鎧を纏い、身分を明らかにされています」
「セスシスくんがっ!」
その報告を受け、ダンスロットは指揮官用の天幕から飛び出した。
目的地はすぐに判明する。
南側の入口から少し離れたところに、どうやら人だかりができていることから、ダンスロットはそちらに向かった。
人だかりをつくる部下たちをなぎ倒し、騎士団で最高の巨漢が突き進む。
吹き飛ばされたり、なぎ倒されたりした部下たちも、文句の一つも言わない。
ダンスロットはこの騎士団における最強の男でもあるからだ。
このとき、最前列にたどり着いてみた光景をダンスロットは生涯忘れることがなかった。
その時の様子を、後に多くの戦楯士騎士団の団員たちが語っている。
「……一角聖獣に男の騎士が乗っているということで、彼が〈少年騎士〉だとすぐにわかりました。十年前に陛下を説得なされてただ一人で〈聖獣の森〉に行き、人には友好的ではないと言われていた荒ぶる幻獣王を説得し、ユニコーンの騎士団を創り上げたという伝説の方ですから。あの〈雷霧〉を止めることができるかもしれないという希望を、全国民に与えてくれた自分たちの恩人です。あの方のおかげで、我が国は十年経っても、西方諸国のように滅亡せずに踏みとどまれています。うちの団長がいつも尊敬の念を語っているのも当然でしょう。できることなら、自分もあの方とともに戦いに参加したいと思っていたぐらいです」
教導騎士セスシス・ハーレイシーの出で立ちは、他の騎士とは違って完全突撃騎行鎧ではなく、ストゥーム王より下賜された青銀の軽い騎行鎧を纏い、左右の両手首に固定された中興の祖ヴィスクローデ・ダ・ヨアイム・ストゥームに由来する手甲〈猛蛇鉄〉をはめ、一角聖獣を模した角付きの兜を被るといったものだった。
左腰に佩くのは、これも特別にストゥーム王から下賜された宝石剣〈瑪瑙砕き〉。
見た目は少年なれど、それは幻獣王と友になったものゆえの誓約であり、人とは違う青き血の持ち主の証といえた。
そして、頬を染める騎士の死化粧。赤き紅。
鮮やかなる騎士の姿に、同じ身分に立つものとして、戦楯士騎士団員たちは嫉妬を覚え、そして憧れた。
戦場を何十年以上も駆け巡ってきた熟練の兵士ですら、胸にたぎる熱い炎の灯火を意識せずにはいられなかった。
物語の登場人物のような伝説の超人が、ついに自分たちの前に姿を現したのだから。
十年の間に、〈ユニコーンの少年騎士〉の偉業は知らぬものがないほどになっていのだ。
「……その後に続いた聖士女騎士団の連中にも驚いたよ。だってよ、何ヶ月か前に会った連中だけなんだぜ。ザン将軍がいないだけで。俺らはあいつらが新米の騎士だってことは腐る程よく知っていたからさ。あいつらだけで、陣地に来たってだけでみんなが驚いていた。事情を理解している奴らは、みんな、最初は痛ましそうな目で見てたぜ。なんといっても自殺部隊だからな。『ああ、こいつら、死んじまうのか』って感じさ。……だけどな、違うんだ。違ったんだ」
〈ユニコーンの少年騎士〉のあとに続く少女たちは、全員同じ青銀の完全突撃騎行鎧をまとい、手には思い思いの得物を握っていた。
一番後方のいかにも文官騎士ですという女性を除き、全員が軽い緊張を面に表していたが、彼女たちの誰にもこれから地獄に行くという悲壮感はなかった。
いかにも戦いに挑む戦士らしい、眩しいほどに晴れ晴れしい顔つきをしていた。
花も恥じらうような十五歳から十七歳の女の子達が、ユニコーンに乗れるというただそれだけで戦場に向かうというのに、なんという見事な顔をしているのか。
直接、〈雷霧〉に特攻するわけでもない自分たちの方が極度の緊張でまいりそうになっているのに、この少女たちのなんたる覚悟、そして決意。
団員たちは、言葉も忘れて少女たちに見とれた。
恋に落ちたといってもいい。
戦楯士騎士団の戦陣は声も出なくなっていた。
「……まるで、御伽噺じゃった。いや、王都で上演される歌舞台のようじゃった。次々と登場する美麗な人物たちと、三十頭以上の一角獣たち。それが西の方に立ち込める巨大な〈雷霧〉を背景にして儂たちのまえを通り過ぎていくんじゃ。儂は、何度も騎士様方に仕えて従軍し、何度も従士として危険ないくさに参加したが、そんなものは些細なもののように思えてならなかった。まるで見たことのない、そう、新しい歌舞台の上演に立ち会ったような、そんな刺激的な光景じゃったな」
ダンスロットは、騎士団の先頭をユニコーンで歩む、〈少年騎士〉に近寄っていった。
その巨躯は近づく動作をするだけで存在感を異様に発揮したが、ユニコーンに乗った少年の発する存在感もまったくひけをとらない。
いや、むしろ、聖獣のそれと合わさり、ダンスロットの威圧感をかき消すかのようでもあった。
「セスシスくんっ!」
「よお、ダン。今夜一晩だけやっかいになるから」
「なぜ、貴方がここにいるんですかっ! まさか、〈雷霧〉に行くなんて言いませんよねっ!」
「ああ、行くぞ。行ってあれの〈核〉って奴をぶっ壊してくるわ」
「……なぜ、貴方が行かなければならないのですか? オオタネアは一体どこにいるんです? この後から来るんですか? まったく、あの猪突猛進バカは……何を考えているんだっ!」
全陣地に轟き渡るような大音声で、少年騎士に抗議しまくるダンスロット将軍を、その場にいるもの皆が固唾を飲んで見守っていた。
なぜか、その抗議に対して少年騎士がなんと答えるかにすべての注目が集まっていた。
だが、当のセスシス・ハーレイシーは特に何の感慨もなさそうに、
「俺は〈ユニコーンの少年騎士〉だからな」
とだけ答えた。
それだけで意味が通じるはずがない。
だが、ダンスロットは口を閉じて、一度だけ大きく息を吐いた。
「オオタネアは、もう一つの方に行ったのですね」
「ああ」
「貴方たちはいつもそうだ。無茶なことばかりする」
「悪いな、ダン」
「……明日の準備はできています。ぎりぎりまで、貴方たちが安全に〈雷霧〉に突撃できるようにします。……任せてもらえますか?」
「すまない」
ダンスロットは、男らしく莞爾として笑った。
例の対抗戦以来、彼に対してよい感情を抱いていない十三期の騎士たちでさえ、思わず見直してしまうくらいに見事な笑みだった。
「なあに、この借りは私の母国を護ってもらうことで返してもらいますよ。貴方なら特段難しい話ではないでしょうしね」
それを聞いて、セスシスも弾かれるように笑った……。