騎士タナ・ユーカーの場合
タナ・ユーカーは、なんでもできる少女だった。
さほど高位ではないが貴族の四女として産まれ、他の兄姉とは違って家名を継ぐ責任がないことから、小さな頃から憧れていた騎士としての道を選んだ。
そして、騎士訓練所で騎士としての鍛錬を受け、その結果として、彼女は非凡な成績を残した。
まず、剣の扱いが抜群にうまく、しかもそれは左右どちらの手を使っても正確無比で、小柄な体に似つかわしくない強烈な斬撃を放つことができる。
また、一対一で敵と対峙している時に、突然、剣を持つ手を替えて相手を惑わして仕留めるということも平然とこなせる器用さを併せ持っていた。
次に、前線における指揮能力、槍の技倆、弓の精度、訓練を最後までのりきる豊富な体力などなど、騎士として受けたカリキュラムの全てにおいて優れており、稀に見る万能性を有していた。
そして、何よりも、常に上を向き、自らの力不足を謙虚に受け止める高い向上心を秘めた、騎士訓練所における最高傑作とも呼べる優秀な人材だった。
だから、タナは「なんでもできる娘」と周囲には言われていた。
「……でも、そんなことはないんだけどなあ」
新しく配属された部隊の宿舎の庭を歩きながら、タナはかつて自分に向けられていた評価について思い返していた。
そのどれもが彼女を賞賛し、将来を期待するものばかりだった。
だが、彼女自身はその評価が決して正当だとは思えなかった。
確かに、彼女は訓練所において、ほぼ全てのカリキュラムでトップに近い成績をたたき出していた。
タナの成績に匹敵するものは、同じ騎士団に配属されているルームメイトだけだった。
自分の持つそのような疑問を相談できるような相手は、今のところ、そのルームメイトしかいない。
もっとも、その彼女の場合は騎士としてのセンス云々ではなく、元々の明晰な頭脳と冷静沈着な性格、そして、男子顔負けの度胸の良さからくる個人としての精神面での強さが主であり、徹頭徹尾感覚でこなしているタナとはあまりにも似ていなかった。
だから、タナが抱えているような悩みを相談するには、少し不向きな相手だった。
「それに、私は馬に乗ったことがないんだよね。これもどうしようかな……」
新しく配属された騎士団は、大まかに言えば騎馬部隊だ。
すべての騎士が騎乗できることを要求されている。
だから、馬に乗れなければ話にならない。
それなのに、訓練所時代には騎士の代名詞であるところの乗馬のカリキュラムが存在しなかったのだ。
なぜかというと、乗馬のための専門の講師がすべて戦地に出向してしまっていたため、十分なカリキュラムが組めなかったという事情があるからだ。
そのため、「なんでもできる」はずの少女は、今までやったことのない乗馬というものに、仕事として挑戦せざるを得なくなった。
初めて自分にとってできないものがあるかもしれない、という漠然とした不安が脳裏をよぎった。
そして、その不安は考え込むうちにどんどん大きくなっていき、あろうことか彼女を追い詰めた。
ここしばらくは、一対一の勝負なら誰にも負けないとまで自負していた剣術についても、自信がなくなりかけている。
感覚ですべてをこなしてきた少女が、余計なことを頭で考え始めて、どんどんと要らぬ墓穴を掘っていってしまったのだ。
他人から見れば、ただのスランプなのかもしれない。
しかし、タナという少女にとっては深刻な悩みだった。
ただ何もしないで部屋にいるのがいたたまれなくなり、外に逃げ出したくなるほどに。
「……ホント、大丈夫かなあ」
本来、彼女が心配すべき悩みの種は、乗馬ができるかどうかではなかった。
彼女の配属された騎士団の異名について、もっと深く考え、自分の置かれた逆境を苦悩するべきなのだった。
もっとも、この天才肌の少女にとってはむしろそっちのほうがどうでもいいことなのかもしれなかったのだが。
黙々と目的もなく歩いていると、木の柵にぶつかり、前進を遮られた。
どうやらこの先は騎馬訓練のための馬場らしい。
くんくんと鼻を鳴らすと、今までも漂っていた獣の臭いがさらに濃くなっているようだった。
どうやらここが、彼女たちの「愛馬」の暮らす領域なのだろう。
悪戯心がむくりと顔をもたげた。
「ついでだから、少しぐらいは拝んでいこうかな。運が良かったら挨拶をしてみようっと」
がっちりと組まれた木の柵のてっぺんに両手をかけ、ジャンプで一飛びしようとした時、前から声をかけられた。
「おい、立ち入り禁止だぞ」
驚いて顔を上げると、タナより少し年上ぐらいの青年が立っていた。
見目麗しいとは言えないが、野性的で精悍な顔つきをして、適度に日焼けした肌が屋外で仕事する人間らしい。
そのくせ、黒い優しそうな目をしていて、人の悪そうな印象は受けなかった。
背はそれほど高くないが、小柄なタナよりは頭一つほど大きい。
しかし、なによりもここに男性がいるという事実の方に彼女は驚いた。
「え、ちょっと待ってください。ここは男子禁制ですよ。……なんで男の人が。……もしかして、あなた、変質者ですか!」
タナの驚きや疑問ももっともだったが、青年は特に慌てもせずに、首を横に振った。
「俺はここの教導騎士だよ」
教導騎士というのは、訓練所の教官たちとほぼ同じ意味だ。違うのは、実戦部隊における立場か、その配属される前の訓練所か、という点でしかない。
はっきり言えば、教導騎士ということは未だ若輩者である彼女たちの指導にあたる上官であるということだ。
「え、で、でも、ここは……」
「確かに、ここは西方鎮守聖馬部隊の駐屯地だ。つまりはユニコーンの乗り手の基地だ。そして、ユニコーンが男と大人の女を嫌うことは俺もよく知っている」
「だったら……」
「……悪いが、俺は例外なのさ。聞いたことがないか、バウマンでただひとりだけユニコーンと会話ができると言われている子供がいるって」
言われてみて思い出した。
十年ぐらい前に、そういう噂が広まっていたことを。
つい先日もここに配属になる前に、それにまつわる新しい噂話をルームメイトがしていたことも。
怪我をしたユニコーンの次期王を命懸けで助け出して、聖獣王自身に盟友として認められた少年騎士がいたという話を。
あれはもしかして事実だったのか!
「明日ぐらいに紹介されると思うが、俺は、セスシス・ハーレイシー。一角聖獣を乗りこなさせるために、王都の奥にある聖獣の森から招聘されてきた。よろしくな」
「わ、私は、タナ・ユーカーです。西方鎮守聖士女騎士団に配属された騎士であります。教導騎士殿」
「堅苦しくしなくていいぜ。はっきり言えば、俺は森育ちでな。あまりこっちの礼儀とかは気にしない質なんだ」
「そうもいきません!」
「じゃあ、そのうちに慣れてくれ。このことは他の仲間達にも伝えておいてくれると助かる」
「は、はい、わかりました」
「……じゃあな、騎士タナ。俺はユニコーンたちの世話に戻らなくちゃならんから、そろそろ行くぞ。あと、今日いっぱい、おまえらはこの中には立ち入り禁止だから入るんじゃないぞ」
「す、すみませんでした」
青年―――騎士セスシスは、片目を瞑ってウインクをすると、振り返ることもなく馬場の奥の方へ柵沿いに歩いていく。
派手に鳴り響く心臓を抑えられず、タナはその場に立ち尽くした。
同年代の男子や年配の教官以外の男性と喋るのは久しぶりだったこともあるが、教導騎士の青年の持つ余裕やあたりの柔らかさにドキドキしてしまったのだ。
「あの人が、私たちの乗馬の指導してくれるのか……」
それなら未経験でもなんとかなるかもしれないな、とさっきまでの悩みが氷解するような気分になった。
うきうきした気分のまま、柵沿いに青年のあとを追って歩き出す。
中に入るなという指示は破ってはいない。
要は彼が柵沿いに歩く限り、どこまでだってついて行ってもいいということだ。
とんちの利いた屁理屈を免罪符にして、タナは青年のあとを追跡した。
すると、途中で馬場と宿舎側へのT字路が現れる。
そこで柵は途切れてしまった。
「あーあ、もうだめかあ」
青年を見失ってしまい、仕方なく宿舎側に行こうとすると、さっきの教導騎士が柵の傍でなにやら作業をしているのが見えた。その脇には簡易に拵えられた動物用の水飲み場があり、見たこともないぐらい大きな白馬が水を飲んでいた。
一角聖獣だった。
でかい。
それが乙女らしからぬ少女の感想だった。
初めて目撃するユニコーンは、かつて見てきた普通の馬という生き物よりも一回りは大きかった。
そして、特徴的なのは額に輝く抜きみの刃のような一角。まるで、きらめく魔法のかかった槍の穂先だった。
あんなに美しい部位をもつ生物を、彼女はお目にかかったことがなかった。
さっきまで乗馬、乗馬といっていたが、それは極めて的外れな表現だと理解した。
ユニコーンは馬などというものでは括れない生物だ。
あの生物に乗るということは、おそらくは既存の乗馬とは比べものにならない快感を与えてくれるだろう。
あれに乗れるかもしれない、というだけでタナの胸に宿ったワクワク感は止まらなくなった。
「……で、どんな様子なんだ、ここの住み心地は……」
青年が何か独り言を言っている。
もしかして危ない人なのかも、とタナは感じたが、彼の目の前にいるユニコーンが一度だけいななくと、
「なら、いいよ。おまえらが気分良くいられるんなら、ここに俺がきた意味もあるしな」
すると、また、ユニコーンのいななき。
どうも、交互に一人と一匹が喋って、いなないて、喋ってを繰り返しているようだった。
その様子はまるで……
(もしかして、あのユニコーンと会話をしているの……?)
タナにはそういう風にしか見えなかった。
どう見ても青年とユニコーンは長年友誼を重ね続けた親友のように、そしてまるで人間同士のように話をしていたのだ。
「さっき、新米騎士の子にあったよ。可愛い子だったよ。多分、デーあたりとは相性がいいんじゃないかな」
「(いななき)」
「俺もああいう子は好きだよ。でも、苦手なんだ。十年ぐらい、おまえらとばかりつるんできたから、女の子の相手なんて足がブルっちゃうぐらいに大変なんだよ」
「(いななき)」
「……珍しい。人間の男なんて気持ちわりいとか普段は不平たれているくせに。なんだ、たまに味方になって好感度を稼ぐ気か? やめとけやめとけ、この駄馬め」
「(派手ないななき)」
「うるせえよ、作業ができないだろうが。手元が狂う」
「(小さないいなき)」
「そこで黙るぐらいなら最初から抗議するんじゃねえよ」
不思議な光景だった。
どう見ても、一人と一匹は気の置けない会話をしているようにしか見えない。
しかも、自然な感じで。
青年だけがわかったふうなふりをして、馬と会話している気になっているとは到底思えない。
彼は間違いなくユニコーンと会話しているのだ。
(ユニコーンと会話できる少年……)
かつて聞き、さっき思い出したあの噂は事実だったのか。
青年のおしゃべりはさっきまで彼女と交わしていたものとは比べ物にならないぐらい自然で楽しそうだった。
彼の笑顔に、自然とタナは見蕩れた
そして、胸が熱くなった。
この瞬間、タナ・ユーカーはセスシス・ハーレイシーに恋をした。
ほんのちょっとだけ遅れた、ただ一度きりの、一目惚れだった。