幻獣王ロジャナオルトゥシレリア
ユニコーンの宮殿。
そうは言っても、人のそれのように巨大な建築物が存在するわけではない。
宮殿というのは、ただの異名であり、比喩にすぎない。
ただ単に、〈幻獣王〉ロジャナオルトゥシレリアが棲家にしている巨大な樹木の虚のことがそう呼ばれているという話なのだ。
だが、樹木といってもそのサイズは並大抵のものではない。
幹周だけで一町(約百九メートル)を超え、幹高は三町(約三百三十メートル)以上はあるそうで、その中央にぽっかりと空いた洞にはユニコーンが数十頭は入ることができる。
下から見上げてみると、真っ直ぐな幹がはるか天空にどこまでも伸びているように感じられる。
幹を包む樹皮は鬱蒼と苔に覆われているが、まだ木としては若いらしいことがその様子から伺える。
頭上に生い茂る数えきれない枚数の葉が、太陽の光を遮るためか、この巨木以外の植物はあまり育ってはおらず、むしろ歩きやすい広場と化していた。
俺たちはその広場を抜けて、洞へと向かう。
あの中が、〈幻獣王〉ロジャナオルトゥシレリアの玉座なのだ。
初めて訪れた十年前からほとんど変わらない場所を行くと、ここで過ごした時期のことが思い起こされる。
退屈ではあったが、心休まる生活であった。
数頭のユニコーンたちとのんべんだらりと日々を過ごし、外界からの情報を遮断しつつ、ただ時の移ろいを感じるだけの暮らし。
今、考えるとかなりひきこもりっぽいが、それでも穏やかで楽しい時間を送れていたのだ。
一頭のユニコーンが、右から近づいてくる。
正面からではわかりづらいが、左の眼を喪っている古い個体だった。馬体にもユニコーンのものとは思えないほどの傷跡が無数についている。
名前は〈独眼風〉。
とある理由があって、ユニコーンとしての正式な名を捨てた王の側近だった。
俺にとっても、仲のいい個体である。
《おかえり、人の仔》
「よお、〈独眼風〉。元気だったか?」
《あたりまえだよ。ここは戦いにも病気にもほとんど縁がないからね。……王子も少しは人の仔の役に立ったんでしょうね?》
《当然だ。我は、王の子である。常に同胞らの高名を辱めぬように努めている》
《どうでしょうか。王子のことですから、また、調子に乗って人の処女にふらふらと浮ついていたりしたのではありませんか。ねえ、人の仔よ》
「……よそ様の教育に口を挟む気はないな」
《ほら、やはりそういうことではないですか。王子は同胞の中でも特に尻が軽いですからね》
《……そういうことを、王の前で言うなよ》
踵を返して、〈独眼風〉が宮殿のある虚へと歩き出す。
着いてこいという意味だ。
どうやら、あいつがエスコート役ということらしい。
五頭ほどが横並びで楽に通れる入口を、〈独眼風〉の先導で入ると、真っ暗な洞内に淡い光が発生する。
足元と壁そして天井が、魔導を感知すると輝き出すヒカリゴケの一種によってびっしりと覆われて、何も見えない暗闇を照らし出す。
すると、一番奥に、五頭ほどのユニコーンが待ち構え、こちらを出迎えてくれた。
皆、俺にとってはよく見知った連中だった。
そして、ヒカリゴケを光らすための魔導を発したのは、俺たちの目の前でこちらを見詰めている強大な一角聖獣だった。
「おっきい……」
タナが呆然とつぶやく。
その気持ちはよくわかる。
なぜなら、〈幻獣王〉ロジャナオルトゥシレリアは、通常のユニコーンよりもふた回りは大きい、俺の世界のアフリカ象に相当するサイズを有しているのだ。
本来ならば、並の馬を凌駕するユニコーンたちが、産まれたての仔馬のように見える上、ヒカリゴケの仄かな光によって、まるで夢幻の渦中に巻き込まれたように思える。
それなのに、馬体のバランスと毛並み、一角が発する名剣のごとき輝き、すべてが絵画にすることもできないぐらいに美しい。
人々の夢想する聖獣とは、かくあるべき。
まさに、幻獣の王、魔獣の統率者に相応しい美を誇っている。
《余をいつまで待たせる気だ、汝、人の仔》
久しぶりに聞く王の〈念話〉は、脳神経を焼ききられるのではないかと心配してしまうぐらい強烈にきた。
両目の奥が慣れない酒を飲んだ翌日のように痛くなる。
俺以外の三人娘もこめかみのあたりを両手で押さえていた。
あいつらにも届いたのだろう。
だが、痛みよりも初体験の〈念話〉に驚いているように見えた。
呆然とした顔をしている。
そういえば伝えていなかったか。
幻獣王の〈念話〉は、魔導の素地のないものや俺のようにユニコーンに認められたものでなくても聞き取ることができるのだ。
他とは比較にならない莫大な魔導力を持つ、ロジャナオルトゥシレリアだからこそできる芸当だった。
「〈念話〉が大きい。少し、大きさを絞ってくれ」
《挨拶はどうした?》
〈念話〉のボリュームは問題なくなる程度まで下がったのだが、その大きさで迷惑をかけたことについて謝罪することはしない。
奴は王なのだ。
下々に頭を下げることはできない。
「ただいま、王様」
《よくぞ、帰ってきた、余の友たる人の仔よ。人の世にあって、我らのために身を粉にした働き、まことに大儀であったぞ》
「あんたも健勝そうでなによりだよ」
息子のアーよりも、格段に偉そうなのはさすがに王様だからだろう。
同輩中の首席ではなく、すべてを従える君主であることの証明でもある。
ロジャナオルトゥシレリアは、俺の後ろにいる三人に視線を向けた。
その視線に生物を石化させる能力でもありそうなぐらいに、タナたちはがちがちに緊張している。
伝説の幻獣王を眼前に迎えているのだ。
しかも、全身から発せられる風格というか、威圧感は並大抵のものではない。
ただの魔物など、裸足で逃げ出す圧迫感の持ち主なのである。
もちろん秘めた能力も恐ろしく強大で、おそらくは百体単位の〈手長〉〈脚長〉を一頭で蹂躙し尽くせるだろう。
そうでなければ、魔境の王など張れないが。
《汝らが、この仔の連れか》
「「は、はい、そうですっ!」」
タナとナオミが揃って返事をし、マイアンは口をパクパクさせた。
完膚無きまでにその存在感によって威圧されてしまったようだった。
《ようこそ、余の森へ。余は汝らを歓迎し、しばらくの逗留を許そう。イェル、エフ、シチャー、処女らに対して歓待を尽くせ》
王の言葉に従い、三人娘の相方たちが同時に嘶く。
その嘶きは非常に珍しい統率のとれたものだった。
久しぶりに拝謁した王の姿と言葉に、普段はだらしない連中も恐悦しているのだろう。
《まずは、客人たる処女たちを泉に案内し、旅の疲れを癒させろ。それから、暇そうな人馬に食事の準備をさせろ。……人の仔は、余のもとに残れ。少々、話がある》
王の命令に従い、粛々と動き出すユニコーンたち。
「……おまえらは、こいつらの動きに沿って行動してくれ。だいたい、普通の歓迎になるんで、変なことはされないから、心配するな。あと、そのうちに人の言葉を喋れるケンタウロスが顔を出してくれるから、もし何かあったら、そいつにら聞けばいい」
「ケンタウロスって、あの御伽噺の?」
「ああ、馬の下半身に人の上半身がついた魔獣だ。ここには、つがいが何組かいるだけなんだけど、食事の支度とかはそいつらがやってくれる。とは言っても、別にユニコーンの使用人という訳ではないから、横柄に接したりはするなよ」
「しないよ、そんなこと」
「バカにしないでください」
「ま、おまえらなら、そんなことは当然か。余計なことを言ってしまったな。謝る。……俺はあとで合流するから、それまでこの森を目一杯楽しんでこいよ。アー、おまえに主人役を頼むぞ」
《うむ、承知した》
「じゃあ、また後でな」
そう言って、俺はアーから飛び降りると、ロジャナオルトゥシレリアの足元に歩み寄った。
半年ぶりぐらいだが、いつ見てもでかい。
「さて、俺を〈遠話〉まで使って呼び出した理由を聞こうか」
《本題に入るのが、早いな。余としては、久闊を叙したうえ、もう少し積もる話をしたいのだが》
「あんた、よく《幻視》でこっちを見ているよな。状況はだいたいわかっているんだろ?」
《ああ、暇だからな。人の仔のすることを見物するのは、余にとって数少ない娯楽なのだから仕方あるまい。しかし、よくわかったな》
「……たまにユニコーンから別の誰かの視線を感じることがある」
《幻視》とは、他者の視覚を乗っ取る魔導のことをいう。
乗っ取るとはいっても、それは他人の見るものを途中から盗み見るようなものであり、完全に奪うということではない。
普通は、自分の眼の届く範囲にいるものに限られるのだが、この幻獣王の場合は、自分の臣下であるユニコーンのものであれば、どこにいても容易く奪取することができるらしい。
《ふむ、鋭敏な感覚だ。だいぶ、こちらに慣れてきたようだな》
「もう十年もここにいるし」
《十年といえば、汝、〈妖魔〉の頃に戻ったらしいな。せっかく、ここで学んだことを忘れたのか》
「……いや、忘れていない。あれについては反省している」
《汝が十年かけてようやっと学んだことを、底なし沼に捨てるような真似は二度とするな》
「すまない」
シャッちんが絡んだあの事件については、間違いなく俺の軽率さが招いたことだ。
素直に謝るしかない。
こいつだって、俺がああなることを望んではおらず、そうなるかもしれないと心配してくれたのだろう。
《もう、あのような真似はできる限り避けよ。……それと、人の仔に伝えねばならぬことがあってな。それで呼んだ》
「ああ、もうしない。それで、伝えなければならないって、なにさ?」
《例の水晶球、完全に固着したそうだ》
「……ああ、意外と早かったな。そんなこと、〈遠話〉で十分だろうに。あんたにしては迂遠な真似をしたもんだ」
《なに、それを口実に汝と話がしたかっただけだ。もうすぐ、次の〈雷霧〉がくる。それが消滅した時、汝がこの世にはいないおそれもあるからな》
「幻獣王様でも、未来のことはわからないのか」
《ふん、いくら余でも〈未来視〉など持ち合わせてはおらんよ。予感はできても、予言はできぬ。阿迦奢に干渉できるのは、唯一〈剣の王〉のみ。戦士バドオがいない今生では誰にも未来は読めぬ》
「……まあ、近いうちに〈雷霧〉が来るのはもう既定路線だ。俺でもわかる。それまでにできるだけのことはやるさ」
《……ところで、人の仔よ》
ロジャナオルトゥシレリアの雰囲気が変わった。
さっきまでとは別の深刻な案件についての話をしたがっている風だった。
まだ、面倒な話があるのか。
たった半年離れただけで、色々と厄介事は増えるものだ。
「なんだ、改まって。まだ、面倒な問題があるのか?」
《さっきの三人の処女のうち、汝の妻となるのはどれだ? あの闊達そうな娘か、真面目そうな娘か、褐色の娘か? それとも全員なのか? 気になって夜になっても悶々としそうだ》
俺はガクッとこけた。
何を言い出すかと思えば……。
まあ、こいつもなんだかんだ言って、一角聖獣の大将なんだよな。
こういう話になっても何の不思議もないか。
「どいつも妻にはしねえよっ! ……って、結婚なんぞしたら、おまえらと縁が切れるじゃねえか。あんたの数少ない友達が、いなくなるんだぞ、コラ」
《そうなった時はそうなった時であろう。……ちなみに、汝の嫁に相応しい処女の条件として、余の意見を言わせてもらえば―――》
「いい加減にしろ、駄馬の王様っ!」
俺は、丸太のように太い幻獣王の肢を思いっきり蹴っ飛ばした。
びくともしないのが、ナチュラルにムカつく。
それどころか、まだ話を引っぱるつもりだ
「余の好みなら―――」
周囲にいる側近の四頭も、話を聞いて爆笑するだけで自分たちの王様を諌めようともしない。
ニヤニヤ笑う馬なんて、気色悪いだけだというのに。
「えーい、帰ってこなければよかったよ、いや、ホント、マジでっ!」
「そういうな、人の仔よ。余は嬉しいぞ、いや、ホント、マジだ」
昔、俺が教えた言い回しを今でもロジャナオルトゥシレリアは使う。
気に入ったのだろう。
懐かしい。
微笑みそうになった。
ただし、ここでにやけると抗議にならないので、なんとかこらえる。
だが、会話を続けていくと不思議な穏やかさが心中を満たしていく。
……なんだかんだ言って、やっぱり、〈聖獣の森〉は落ち着くんだよな。
ここは俺の第二の故郷だし。
俺は、ちょっとだけ楽しくなって、やっぱりこらえきれずに笑ってしまった……。




