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酒の記憶

〈聖獣の森〉は、〈青銀の第二王国〉バイロンの王都バウマン(別名バウミディアム)の北東に広がる森林地帯のことを言う。

 狭義では、その西の端にある隔離された地域のことを指し、国民の大部分もそのことはよく承知していた。

 そこには、通常の動物よりも、幻獣もしくは魔獣と呼ばれる見た目からして異質極まる生物ばかりが多く住み、とてもまともな生態系に支配されているとは思えない場所である。

 いたるところで魔物による甚大な被害を受ける大陸において、このような魔境があるということは危険なことなのではないか、と誰しもが思うだろう。

 同じような魔境として有名な〈魔神の荒原〉や〈餓狼の山脈〉がある諸国は、常に一定数の騎士団を貼り付け、監視役として魔境伯なる軍制を取るのが基本である。

 それほど、魔物による被害というのは諸国にとって深刻な問題なのであった。

 だが、バイロンにおいてはやや状況が異なる。

 バイロンには魔境伯はおらず、常駐の騎士団も置かれていない。

 なぜなら、〈聖獣の森〉から魔物が出てきて暴れるという事件は、十年に一度あるかないか程度の稀なことでしかないからだ。

 それは何故か?

 理由は簡単で、〈聖獣の森〉には王がいるからだった。

 魔獣、幻獣、自然ならざる脅威を治める王が。

その名は、〈幻獣王〉ロジャナオルトゥシレリア。

 一角聖獣(ユニコーン)(おさ)にして、多元世界を渡る白馬の王。聖なる軍神の仔、魔獣を踏みつけるもの。

 様々な二つ名を持つその王が支配することから、人は〈聖獣の森〉を恐ろしい脅威の発生源とはみなさなかった。

 バイロンも、中興の祖ヴィスクローデ王の時代より、〈聖獣の森〉に干渉しないことを決めて許可のない立ち入りを禁止していたことから、人間との無用な接触もなく、数百年が過ぎ去っていた。

 しかし、〈雷霧〉の発生により時代は変わった。

 人は自らの種を守るため、また、大陸に生きるすべての生き物を守るため、〈聖獣の森〉に、〈幻獣王〉ロジャナオルトゥシレリアに助力を求めた。

 そして、今。

〈聖獣の森〉は大陸中からかつてないほどの注目を浴びていた……


         ◇


 古来より、聖なるものには三体のお供がつくものと相場が決まっているが、それはイヌ・サル・キジであったり、猿・豚・河童であったりと幅広い。

 この世界にそのような民俗学的なルールめいたものがあるのかはわからないが、「3」というのは何かしらの深い意味のある数字なのだろう。

 それはともかくとして、ロジャナオルトゥシレリアが三人連れてこいといった本当の理由は不明だが、とにかく言われた通りにするべきなので、俺はオオタネアに相談の上で人選を行った。

 もちろん、誰が美人かどうかを決めた訳ではない。

 この時期に、一週間ほど訓練から抜けさせるのであるから、すでに技術がある程度の域に達しており、かつ、再合流後にすぐに連繋を取れるレベルであるということが条件となる。

 そうなると、ほぼ四、五人に候補は絞られ、隊長であるノンナと騎馬陣形の中心であるクゥを除くと、すでに選択は終わってしまう。

 結局、俺が選んだのは、タナ、ナオミ、マイアンの三人となった。

 もともと乗馬経験のない二人が、他の面子を差し置いてユニコーンたちの扱いに習熟してしまったのは皮肉というほかはない。

 むしろ、先入観がない分、中途半端に経験があるよりも有利に働いたのだろうか。

 俺を招聘したときのオオタネアの見識はまことに正しかったという話である。

 留守の間の打ち合わせを終え、俺たちが〈聖獣の森〉に旅立ったのは、あれから二日後のことであった。


 この世界の馬は、騎手が耐え切れれば、一日二十五里(約百キロ)ほどを走ることができる。

 だがそれでも、ビブロンから街道を伝わっていっても、〈聖獣の森〉までは十日ほどはかかる計算だ。

 だが、ユニコーンは違う。

 三国志の赤兎馬という馬の話を俺は覚えていた。

 その赤兎馬は、有名な関羽という武将を乗せた馬なのだが、確か一日千里(約五百キロ)を走るという話であった。

 ユニコーンたちは実にそれに匹敵するスタミナと速度を持つのである。

 奴らが本気で走れば、ただの馬など比べ物にならない能力を持つというのは、このことからもわかる。

 そして、何よりも、走行中に結界を張ることで乗り手の疲労を回復させるということも可能であり、細々とした小休止が不要というとんでもない能力まで備えているのだ。

 したがって、たった三日の旅で俺たちは王都を抜け、そして〈聖獣の森〉までたどり着くことが可能となる。

 さすがに夜通し走り続けるということはできないので、日が暮れれば休息を取るために街道沿いの宿屋に泊まることになるが、それでも出発して三日目の昼にはたどり着くことができた。

 問題は、その宿屋でのことであった。

 宿屋は町の中に一軒しかなく、何人かの旅人が他にも宿泊していた。

 ユニコーンを馬房に置いて、受付で記帳していた俺たちの姿は異常なほどの注目を浴びていた。

 それはそうだろう。

 ユニコーンに乗った騎士装束の者たちといえば、その素性は明らかすぎるほどに明らかだ。

 気づかれない方がおかしい。

 西方鎮守聖士女騎士団の騎士以外の何者でもないからだ。

 

「……やはり見られています」

「仕方ない。諦めろ」

「セシィは女装しておいてよかったね。ユニコーンに乗った男の子なんて、すぐに誰だかバレちゃうから」

「それを言うな」


 女装というと聞こえが悪いが、単に身体つきのわかりにくいダブついた上着と外套を羽織って、鼻と口元を布で覆っているだけだ。

 隣に背の高いマイアンが素顔でいてくれると、多少ごつくても女性だと認識してくれるのでありがたい。


「食事は、私とタナがもらっていきますので、騎士セスシスとマイアンは先に部屋に行っていてください」

「頼む。これ以上、人に注目されるのは勘弁だ」

「女装しているんだもんねー」


 楽しそうに俺をからかい続けるタナを振り切って、俺たちは二階の端にある部屋に向かった。

 二部屋借りてあるが、実際には三人と俺一人に分かれる。

 性的に清らかであり続けることは、〈聖獣の乗り手〉の義務だ。

 ただ、飯の時ぐらいは一緒でもいいだろう。

 いい加減、馬の上で無言のまま旅行し続けるのにも飽きていたことだし。

 ……喋り相手はいたよ。

 内容がクソみたいにつまらないので、相槌うつのも面倒だっただけなんだが。


「おまえが考える乗り手ランキングなんかに興味はねえんだよ……」


 四六時中、そんな話を繰り返す相方(ユニコーン)に俺は疲れきっていた。

 帰りはイェルとでも交換してもらうか……

 他の相方になれるのも訓練だとか言って。

 でもなあ、そうしたら今度はイェルのタナ自慢が始まりそうだしな……。

 やっぱり、あいつらの里帰りになんか乗らなきゃよかった。


「何か言われましたか、セスシスさん」

「いーや、別に。ここの名物って何だったっけ?」

「この町は食べ物よりも、ワインの方が有名です。わりと広大な蒲萄農場がそばにあるのです」

「……へえ、懐かしい。一杯、飲みたいなぁ」


 あのちょっと酸っぱい口あたりとか、喉を潤す滑らかとかを思い出す。

 わりと頻繁に警護役達と宴会をしているが、ビブロンではエール酒が中心で、ワイン系はあまり手に入らなかった。

 覚えている限り、ワインを飲んでいたのは、〈聖獣の森〉にいたときぐらいだった。

〈聖獣の森〉で、たまに近隣の農民が貢物として贈ってきたものを、月を肴にして飲んでいたのだ。

 隣には、よくロジャナオルトゥシレリアがいて、グダグダつまらないことをほざいていたな。

 あれはそういえば、あいつへの献上物だったっけ。

 しかしさ、馬にワインなんか贈ってどうするのだろうと不思議だったな。

 そんな話を、マイアンにする。


「伝説の幻獣王との思い出話ですか。あなたと話していると、自分が神話の登場人物になった気がしますよ」

「……俺からすれば、幼なじみとのバカ話みたいなものなんだけど」

「規模が大きすぎます。〈妖帝国〉でのお話も、凡人からすればかなりの大冒険だと思いますが」

「あれも実際にあったことだしな。……ワインを飲んでいるとな、たまに匂いに釣られて川から半魚人が現れてくるから、そいつと相撲をとったりしりとりをしたりしたこともあるぞ。あれなら、別に規模は大きくないだろう?」

「そんなに楽しく魔物と遊べるあなたに驚きです」


 マイアンはいつものようにお堅い女なので、どうにも取っつき難い。

 もう少し砕けてくれるといいのだが……。


「遅くなりました」

「セシィ、ただいまっ」


 二人が四人分の食事を持って戻ってきた。

 それだけでなく、手には数本のワイン瓶を抱えている。

 おお、なんて気の利く奴らだろう。

 食後の一杯なんて最高じゃないか。


「さあ、明日には〈聖獣の森〉につくし、前祝いに乾杯しよう、乾杯」

「いいねぇ、タナ、おまえいい奥さんになるぞ」

「酒を用意しただけで、いい奥さんになれたら、誰だって良妻賢母ですよ……」


 文句を言いつつ、満更でもなさそうにグラスに注ぎ出すマイアン。

 いつもの堅物真面目さはどこに行ってしまったのだろう。

 もしかして、実は酒が好きなのか。


「父が僧兵のくせに呑兵衛でしてね。よく、そのお付き合いをしたものです」

「僧兵って飲んでいいの?」

「宗派によるらしいよ。王都の僧は戒律に厳しいけど、シヴルの僧兵は結構適当だったっていうし。あそこは北に近いから、普段から寒いし、例外的に許されているんじゃないかな」


 さすがは博識のナオミだった。

 そんな会話を聞き流し、マイアンは俺のグラスにも注いでくる。

 カンパーイ、と二人でグラスの口をつけて、それから一気に飲み干す。

 うまい。

 酸味も利いていて、かなりのうまさだ。

 見た感じは安物っぽいので、これがこのあたりでは平凡な味なのかと思うと、それだけで羨ましくなってくる。

 帰りに何本か買って、部屋に貯めておくか……。

 図面引いて、ワインセラー作ろうかな。


「美味しいの? それ?」

「あなた、実家で飲んだことないの?」

「うーん、お酒が飲める頃にはもう養成所に入っちゃっていたからねぇ。実は初めてなんだよ」

「じゃあ、飲むにしても少しだけな」


 俺はタナの使っていないグラスにワインを注いだ。

 たくさん注いで俺の分が減るのは嫌だったから、ほんのわずかにした。

 それを飲むタナ。

 ん、その顔だと美味いと感じたようだな。

 だが、これ以上はやらんと瓶を抱え込もうとしたら、


「もっと飲みなよ、タナ。それじゃあ、アルコールの味がわからない。一番最初のときはもっとがっつり行くべきだ」


 と、マイアンが余計なことを言い出して、今度はグラスの縁まで注ぎ出す。

 待て、俺の飲み分が減るっ!

 しかし、その暴挙はとどまることを知らず、タナはいっぱいになったワインを再び飲み干す。

 一気に眼がトロンとなる。

 どうみても一瞬で酔いが回った状態だ。

 セザーあたりだとここから泣き笑いがはいるところだが、こいつの場合はどうなるか。

 泣き上戸、笑い上戸、説教臭くなる、うんちく語り始める、寝始める、口説き始める、まあ色々な種類の飲兵衛がいるものだが、ちょっとだけ展開が楽しくなってきた。

 調子に乗って二杯目をマイアンが飲ませる。

 しばらくすると、トロンからいきなり目が据わる。

 なにやら変化が著しいぞ。

 さて、これからどうする、タナ・ユーカー!

 だが、予想はすべて外れた。

 なぜかというと、こいつは……


 ……抜剣した。


 宿泊施設に輝く〈月水〉〈陽火〉のふた振りの魔剣。

 そして、少し広い場所に移動すると、ぶつぶつ言いながら型を繰り返し始めた。

 いつも練習場でやっていること、そのままに。

 

「……酔っ払って剣の修行をはじめる奴は初めて見たぞ」

「危なくないんですか、あれ?」

「足元と手元がしっかりしていればいいんじゃないの」

「そういう問題では……」

「でも、止めると刺されそうだよ」

「セスシスさん、止めてきてよ」

「やだ。いくら俺でもあいつ相手だとマジで殺されるおそれがある」


 それから、実は少しいけるというナオミにも強引に飲ませて、俺たちはタナがばたりと倒れ込むまでのんびりと酒盛りをしてすごした。

 時折、隣にいるのがロジャナオルトゥシレリアだったかのような錯覚を起こしたのは、ワインの酸味が原因だろうか。


 ふと、窓の外を見ると、綺麗な下弦の月がこちらを眺めていた……。

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