一角聖獣の異変
ある日、オオタネア・ザン将軍が執務室でつぶやいた。
「かなり順調に仕上がっているな。もうそろそろ次の〈雷霧〉が発生する時期だ。おまえたちの一層の健闘を期待する」
俺とユギン、エイミー、そしてアラナは、深く頷いた。
アラナも〈手長〉にやられた傷が癒え、ついに現場復帰した。
おかげで今の騎士団の指導は、二人の先輩によってさらに厳しいものとなっていた。
それだけではなく、すでに西方鎮守聖士女騎士団の十三期の騎士達は、最後の調整段階にまで入っている。
あとは、いつ〈雷霧〉が発生しても対応できるようにするだけだ。
ただし、実戦部隊の騎士たちと違って、俺たちには別の準備を始めなければならない必要があった。
「十四期の騎士たちの選抜、そして招集が始まりました。二ヶ月後には、この森に全員が集まれるとの見込みです」
「アンズからの報告は読んだ。予備招集を含め、十七人。よく掻き集められたものだ」
「……アンズ先輩によれば、どうやら十三期の行動が王都でも話題になっているようです。あと、閣下とメルガン将軍の一騎打ちもです。今年の宣伝活動は成功みたいです」
「……意外と大変なんだな」
「ああ、プールのツテも使った。グッズの売上も好調だ」
「うん、それはどうでもいい」
もし、今期の騎士たちが全滅した場合、さらに次の〈雷霧〉に備えて騎士を養成しなければならない。
すべてを十三期に賭ける訳にはいかないからだ。
最悪を想定して、次の手を用意しなければならない。
ノンナたちの全滅を踏まえて行動するということに、罪悪感がないわけではないが、それが軍隊というものである。
そもそも、西方鎮守聖士女騎士団が自殺部隊とされているのは、突貫後の生存率が低く、期を重ねても編成できる騎士の数が増えなかったからである。
しかし、直近の二つの期のおかげで、今の騎士団には、七人の経験者と十三人の新米がいる。
二十人という数は実は設立以来、初めての数字なのであった。
今度こそ、多くの少女が生きて帰れるだろう。
俺たちはそうなるように万全を尽くさなければならない。
「アンズたちは、そろそろ戻ってくるのか?」
「はい、さ来週には数人の十四期を連れてくるそうです。……教導騎士にも会いたがっていましたよ」
「アンズって、あれか? 将軍と〈聖獣の森〉に来てた奴か? サーベルタイガーに組み付こうとして跳ね飛ばされていた?」
「……ええ、多分、そういうことをするのはアンズ隊長だけだと思いますから」
ああ、あのモフモフ大好き魔人、隊長格だったのか……。
温厚な性格で手を出さないとわかっていても、あんな危険な面構えの魔物に抱きつこうとするとは、真性のバカだと思っていたものだったが。
あれで三度の〈雷霧〉突入と生還を果たした猛者だとは。
奥が深いな十一期。
などとしみじみ思っていたら、
「セシィ、ちょっと!」
「教導騎士っ!」
と、ノックもしないで、タナとハーニェが執務室に入ってきた。
すぐさまアラナが怒鳴りつける。
礼儀不足に対しては口うるさく叱りつけるのは、厳格なアラナの仕事だった。
だが、それに怯みもせずに、タナは言う。
「ユニコーンの皆が変なのっ! いきなり嘶きだして、しかも全員がっ! 馬房が凄い騒ぎになっているのっ!」
基本的に、団員たちはユニコーンの馬房には立ち入り禁止ということになっている。
特別に危険があるというわけではない。
むしろ、ユニコーンたちは団員たちについて物凄く友好的だ。
だが、もし奴らの馬房に女の子がたった一人で入っていったら、洒落にならない勢いでガン見されるのである。
しかも、ほぼ全頭から。
例えば、何気ないふりをしながら、「あれ、誰か来たぞ……。お、可愛い女の子だ。マジ美形。ゲロマブじゃん!」とかいった感じではなく、全ての頭がグインと同時に動き、「女だ、女だ、スリーサイズを見破ってやるっ! 俺に用か、きっとそうだ、こっちへ来い、早く来いっ! なんで来ねえんだよぉ、泣くぞ喚くぞ叫ぶぞっ!」というレベルだ。
あまりにがっついてくるので、見られた側がトラウマになりかねないのである。
ちなみに俺が顔を出すと、「チーッス」か「ご苦労さーん」と言って目もくれない。
酷いのになると、「ふーっ」とため息を吐く真似を聞こえるようにするぐらいである。
だから、というわけではないが、俺は馬房を女人立ち入り禁止にして、風紀を守ることにしたのである。
「たままた馬房の近くを通りかかったら、なんか、皆が物凄い声を出して嘶いているんだよ。あんなに興奮した皆は初めてで、これはセシィに伝えないと、と思って」
「俺も同感です。あんなのは初めてです。早く来てください」
ユニコーンは西方鎮守聖士女騎士団にとっての最高戦力である。
それに万が一のことがあったりしたら、騎士団はおろかバイロンという国、ひいては大陸の存亡にかかわる。
俺はオオタネアたちも引き連れて、すぐに馬房に向かった。
彼女たちからしても看過できない騒ぎとみたのだ。
馬房に近づくにつれ、心配そうに遠巻きに見守る団員たちが増えてくる。
全員の顔に深刻な翳が落ちている。
かつてない異常事態だからだ。
「大丈夫でしょうか、セスシス殿?」
「セスシス卿、怖いです」
「心配すんな、ちょっと様子を見てくる。皆はここらで待っていてくれ。ただし、いざという時には逃げだせる準備はしておけよ」
そう言って、俺は馬房に入った。
普段は物静かな場所が、今日に限って恐ろしいほどの喧騒に満ちている。
殺気立ってさえいる。
ただ聞こえてくるのは、ユニコーンたちの嘶きだけで、力任せに暴れているような音はしない。
実力行使の喧嘩とかまでには至っていないようだ。
〈念話〉もかすかに聞こえてくるが、最初のうちは遠すぎて聞き取れなかった。
念の為に慎重に中に入ると、ユニコーンどもは互いに向きあって、なにやら嘶き合っていた。
喧嘩というよりも、議論に興奮して我を忘れているという感じだった。
予想していた最悪の光景ではない。
俺としてはなにやらおかしな魔導や呪いで、ユニコーンの正気が犯され、殺し合ったりするような場面もありうると思っていたからだ。
しかし、今まで見たことのないぐらいに興奮していることだけはわかった。
まだ乱闘騒ぎには至っていないとしても、できることならば早めに解決してしまったほうがいいだろう。
一番手前にいて、おろおろとしていた個体に声をかける。
クゥの相方のエリだった。
「おい、これはなんの騒ぎだ?」
《おお、人の仔殿。良いところに来てくれました。同胞たちを止めてください》
「それは任せろ。だが、何が原因なのかわからなければ、俺だってどうにもならない。何があったかを端的に説明しろ」
《ほんの半刻前に……あの……お……から……すべての同胞に直接の〈遠話〉が届きまして……》
「ん、何から?」
《王、からです》
「―――王?」
《はい、そうです》
「ロジャナオルトゥシレリアからかっ!」
なんだと?
〈聖獣の森〉を支配するユニコーンの大王が、いったいどういう理由で一族のものたちに連絡をとってきたのだ。
そんなことは前代未聞だぞ。
〈遠話〉どころか、隣に立っている一族の連中に話しかけることすら億劫がることがある奴なのに。
たまに深奥まで遊びに行って、だらだらと俺のいた世界の話とかしてやった時も、《うーむ》とか《おーう》とかしか言わない面倒な王様だった。
そのくせ、頻繁に俺を呼びつけて《よその世界のことを勉強したいのだ》というのである。
息子のアーに聞くと、《あれでも喋っているほうだよ》と慰められる始末だったが。
それが、またどうして。
「え、こいつらもしかしてロジャナオルトゥシレリアから話しかけられたから興奮しているの?」
《違います。確かに王が御自ら我らに御声をかけてくださることは稀ですが、それぐらいでここまでにはなりません》
「じゃあ、どうした?」
《……あの、王が仰られるには、我らの乗り手の中で最も美しい処女を三人、お共にして、人の仔殿を連れ戻せと》
「なんで、俺が?」
《わかりません。ただ、皆は人の仔殿よりも、その……お連れの処女について……ですね……あの……》
そこで大体、この騒ぎの内容について見当がついた。
というか呆れ返った。
緊張しきっていた肩の力さえ抜けたわ。
「誰の乗り手が一番なのか議論しているわけね。おまえらの種族はバカばかりなのか?」
《……面目次第もないです》
それを承知の上で、ユニコーン間の少し早口な〈念話〉に耳を傾けると、
《最も見目麗しいのは、我が処女タナである。あの太腿こそ、至高の品。全多元世界における宝である》
これはイェルか。
真面目な奴がはっちゃけるとああなるんだな。
《我が乗り手こそ、燦然と輝く宝石。あの胸のたわわな膨らみは全てに勝る。あ、あの、巨乳こそがっすべてっ!》
オーはかなりの変態だよな。
まあ、いつものことなんだが。
こいつらなんぞに騎乗していて大丈夫なのかね。騎士達は。
《愛と速さだけが我らと乗り手を輝かせるっ! 我がミィナの細い柳腰が理解出来んとは、同胞たちの不見識には恐れ入るぞ》
《ミィナ嬢など、ただの子供ではないか。いいか、我がエイミーの柔らかい内ももの感触を知ってからほざく事だな!》
ロリコンと熟女派が争っているみたいだな。
ちなみにベーと罵り合っているのは、エイミーの相方であるテーだ。
微妙にエイミーに距離を置かれている理由、わかるだろう?
《マイアンの褐色の胸っ!》
《キルコ殿の芳しき匂いもよし!》
《年増だが、我の乗り手こそが一番なのは確定でよいな》
《アオにも再評価の機会をじゃな……》
《我らはユニコーンぞ。乗り手の良さはその鬣さばきにあると断ずる。よって、処女アラナが一番である》
どれがどいつの台詞かはなんとかわかるな。
乗り手のいないアブレた連中まで加わっているから、どうにも面倒なことになっているんだけど。
熱くなりすぎだ。
アイドルの品評会か、これは。
「おまえは、クゥを応援しないのか」
《……我が乗り手は美少女ですが、このような場に引き出されて喜ぶものではありません》
「うん、いい意見だ」
《処女クゥの良さは我だけが愛でられればよいのです。我だけが》
「ストーカーになるぞ、おまえは」
最初の頃は、全頭が参加している様子だったが、やはりこの喧騒を離れてみているものもいて、その中にはハーニェの相方ゲーなんかがいる。
ハーニェだって、標準以上の可愛らしさはあるんだが……。
ちなみに、俺の相方でもあるアーなんぞはころころと主張を変えて、イェルについたりシチャーについたりして忙しい。
あれで王の息子なんだぜ。
ダメな種族だよな、一角聖獣。
《……そう言ってくれるな、人の仔よ》
「ウーか。おまえはモミが一番と主張しないのか」
《我が乗り手は、その心根が美しいのだ。容姿のみで選んだ訳ではないよ》
「おまえはそうだろうな」
ウーにとっては、今までの亡くした乗り手に対する想いもあるのだろう。
このバカ騒ぎに付き合う気はないようだ。
《それよりも、人の仔には面倒をかけるな》
「なんのことだ」
《今回のこと、王のわがままだからな。王としてもの薄汚い霧が満ちる前に、君に会いたいのだろうよ》
「……意味がわからないぞ」
《誤魔化さなくてもいいよ。君も、次の〈雷霧〉に向かう気なのだろ? 今度こそ、人任せにせず。だからこそ、万が一を考えて王はもう一度君に会いたがっているのだよ》
「ふん」
考えすぎだ。
俺はそんなに自己犠牲に溢れた男ではない。
持ち上げられても困るぞ。
《王が我らの処女を見たいというのも本音だろうが、実際は君に会いたいんだよ。友達にね。そういうユニコーンなんだ》
「他人に心情を解説してもらうことほど恥ずかしいことはないな」
《ふふふ……》
何か言いたげなウーを尻目に、俺は不毛な議論を続ける駄馬どもを見据えた。
こいつら、いつまでやるつもりだろうか。
ただ、一度ぐらいは〈聖獣の森〉に戻らなくてはならないということはわかった。
ユニコーンの肢ならば往復で一週間はかからないし、少し聞きたいこともあったからな。
とりあえず、遠目に様子を窺っている団員たちを安心させるために、俺は馬房からでた。
その時、後ろから、《やらいでかぁ~》とか《一回は一回だからな》みたいな啖呵をきるバカがいたような気がしたが、もうどうでもいいや。
簡単に怪我するほどヤワな生物でもないし。
俺の背後で間違いなく始まった乱闘を一瞥もせず、誰を連れて行くべきかを思案するのだった……。




