ルーユの村
「先生、屋敷が消える」
キルコが指差すと、ついさっきまで泊まっていたはずの村長の屋敷が東からの陽の光に曝されて、朝靄のように消えていくところだった。
いや、村長の屋敷ではなく、あれこそがルーユの縛り付けられた魂そのものだったのかもしれない。
ユニコーンの〈魔導障壁〉を受けて、魔導による思念体としての役割を解除された彼女はもう自由なのだ。
この世界の死生観はよく知らないが、俺の世界で言うところの天国に相当する場所に彼女の魂がたどりつくことを俺は願った。
十年もの間、望まないことを強制された彼女が、安らかにならんことを。
「〈墓の騎士〉……ですか。彼らもほとんど消えていきましたね」
「管理人がいなくなったからな。それとも、単に昼間は出てこれないだけなのかも知れないが……。とにかく、あとで外にあるという墓に行って様子を見てみよう。このまま放置して、面倒事が起きるのは避けたい」
「はい」
ノンナは屋敷跡から、自分たちの荷物を発見して、それぞれが失くしもののないように指示を出していた。
鎧はともかく、私物は置きっぱなしだったからだ。
屋敷跡はほとんど何もない、ただの空き地となっていた。
ここにあれほど巨大な屋敷があったとは今でも信じられない。
いったい、どういう力が働いていたのだろうか。
〈妖帝国〉の魔道士の儀式魔導はとにかく理解しがたい。
「……教導騎士、これを」
ハーニェが俺に一葉の写真を差し出した。
例のルーユと家族を写したものだった。
もう彼女の痕跡を残すものは何もない。
すでに彼女がここで生きていた当時の村長宅の場所すらわからないのだから。
「他には?」
「俺たちの荷物も酷く散らばってしまっていましたが、ノンちゃんの楽譜とミィナの詩集以外は回収できました」
「……そうか。二人とも残念だった。て、ミィナって詩集なんか読むのか?」
「いいえ、自作の詩を綴ったものだそうです。発見しても誰も見るな、と叫んでいました。アオが喜び勇んで探しまくっています」
「……ああ、イタいよな、それは」
「ええ、『お太陽さまが僕をみてゆうの あなたはまるで宝石の女神のようね いいえ、僕は春の女神』とかいう内容では他人には見せられないでしょうね」
「……おまえ、拾ったのかよ」
「あとで、タナちゃんたちと回し読みしようかと」
「意外と鬼だな、おまえ」
俺は手元に残った写真を見る。
ルーユの面影はすでにここにしかない。
不幸な奴だったんだな、と俺は割り切ることにした。
すべてを背負いまくっては生きていけない。
俺は彼女の最後の願いまで聞き遂げてやることはできないのだ。
「……お嬢さま」
さっきから地に伏せて泣き続けていたベスが、俺の方を見ていた。
写真を見たいのか。
俺はそっと手渡してやった。
ベスはそれを見てまた泣いた。
こいつにとっては、彼女は本当の家族同然だったのかもしれない。
ただ、他人に利用され訳がわからなくなっていただけなのだ。
哀れだなという感想しか浮かばなかった。
それから、しばらくして俺たちは、この村から撤収した。
最後まで、この村の本当の名前はわからなかった。
ベスも知らないのだから。
そのあと、何度かノンナたちと話題になったとき、この村のことは自然と「ルーユの村」と呼ぶようになった。
その名しか俺たちには思い入れがないのだ。
―――ベスは、それから騎士団の食堂で働いている。
メイドのくせに料理以外はまったくできないので、一度、ハカリあたりについて本格的に魔道士になるように勧めたが、「私はメイドしか知らないので」と言われて断られた。
まあ、キルコやアオと楽しそうに(ベスはかなり嫌がっているが)戯れている姿は微笑ましいのでそれでいいのかもしれない。
ちなみに、例の仮面についてだが、キルコが冗談でグッズ化したら飛ぶように売れて、今は増産中だ。
「ユニコーンの赤い騎士」
と、名付けられて。