〈墓の騎士〉
俺たちは、ルーユとベスを連れて、屋敷の廊下に戻った。
気がつくと、屋敷全体から何か固いものを殴りつけるような音が絶え間なく聞こえてくる。
一箇所ではなく、特定できないくらいに無数に、だ。
どうやら、外を徘徊していた〈墓の騎士〉どもが、この屋敷の中に入り込もうとしているようだ。
屋敷の裏手に行かせたノンナたちの様子が知りたかったが、俺たちも自分自身の安全を確保しなければならない。
「中に入ってこないようにすることはできないのか?」
「……無理です。あの者たちは、あなたがたを逃がすつもりはありません。この調子だと、もうすぐ屋敷中に大挙して雪崩込んでくることでしょう。もう私でも、どうにもなりません」
「ち……五百体にまとめて襲われたら、間違いなく終わるな。一角聖獣と合流できればなんとかなるんだが……」
玄関前の広間に戻ると、さすがに騎士たちの姿はない。
後を追うべきか。
だが、これから屋敷の奥へ向かうことは、自分から袋の鼠状態を作り出すことになりかねない。
それを考えると、二階に上がることだって、無理筋だ。
完全に八方塞がりか。
「……ムゴ」
猿轡を噛まされたベスが恨めしそうに俺を見る。
何かを言いたそうだったので、猿轡を外してやると、
「て、帝国の魔道士に対して、な、なんたる屈辱を!」
「うるさい、黙れ。ネタが割れた以上、そういうのはいらん」
「な、何をっ?」
「おまえ、本当のところ、〈妖帝国〉の魔道士とまともに接したこともないだろう。あいつらは、おまえみたいに例え演技でも使用人の真似ができるような、素直な精神構造はしていないんだよ」
「……他国のものが知った口を……」
「だって、俺、〈妖帝国〉の出身だからな」
嘘は言っていない。
「え……」
「帝都の東、国境に近いザイムという魔導研究のための街があってな。そこから来たんだよ、俺は。おまえは?」
「……ツェフンです」
「違うだろ。おまえを〈妖帝国〉から連れてきて、ここに住まわせた奴がいるだろ。そいつの出身はどこだと聞いているんだ」
「……お嬢さまにお聞きになれば……」
「無理だ」
俺は断言した。
もうこの村で起きた出来事の粗方は読めていた。
〈妖帝国〉の、しかもその中でも最悪に近い魔道士が仕出かしたであろう事態について。
そうすると、この娘も被害者ということになるのか。
「十年前に滅んだ村が、そのまま放置されて、この有様かよ。死んだ連中も浮かばれねえな。おい、ルーユ。一番裏の馬房に近い部屋はどこだ?」
「台所か、その隣のベスの私室です」
「よし、そこに行こう。キルコは二人を連れていけ、俺は殿を勤める」
ルーユの案内もあり、すぐにベスの部屋にたどり着いた。
玄関の大扉の外からは、耳を塞ぎたくなるような打音が届いてくる。
もうすぐ鍵か蝶番がいかれるだろう。
そうしたら、〈墓の騎士〉は俺たちの元へ殺到してくる。
「……何もない部屋」
キルコの感想はまさに的を射ていた。
ベスの私室には、生活に最低限必要な家具以外はなにもないのだ。
本部の寄宿舎にある騎士たちの部屋も、簡素ではあるがもう少しは華やかさのある様子だろう。
しかし、このメイドの部屋には、まともに色の付いたものさえほとんどないのだ。
あるのは、手垢のついた十冊ほどの本だけ。
おそらくは魔道書。
ベスが魔道士としてどれほどのものかはわからないが、これから学べることなどほとんどカスみたいなもののはずだ。
俺の知る〈妖帝国〉の魔道士どもとは比べるまでもない。
「……窓がある。これを破れば、馬房に出れる?」
「はい」
キルコの問いかけに、村長の娘が答えた。
目の前にあるのは、開けられたことなど一度もなかったのではないかというぐらいに、蝶番や取手が錆び付いた鎧戸付きの窓だった。
前蹴りの要領で思いっきり蹴っ飛ばすが、少し手応えがあるだけでビクともしない。
二度三度、蹴り飛ばしてみて無駄だとわかると、俺は〈阿修羅〉の十二枚の刃を引き出した。
そして、蝶番を切り裂く。
錬金加工された金属の牙はたやすく錆び付いた蝶番を無効化した。
もう一度力をこめて蹴りを入れると、今度こそ、鎧戸は外に吹っ飛んだ。
すぐ目の前に馬房があるという幸運こそ与えられなかったが、それでも〈墓の騎士〉がいないという恵まれた結果だった。
「よし」
と、窓枠を跨いで外に出る。
それでも俺たちのだした音に気がついたのか、わらわらと〈墓の騎士〉どもが遠くから寄ってくる。
真っ暗な中、記憶を頼りに馬房の方に向かうが、手入れをされていない茂みやら古井戸の跡やらに邪魔をされてなかなかたどり着けず、それどころか、フラフラ歩くだけの白い〈墓の騎士〉がすぐそばまで近づいてくる。
何匹かの〈墓の騎士〉を〈阿修羅〉の刃でかっ捌くが、さすがに多勢に無勢だ。
裏庭の端に追い詰められた時、
「教導騎士、大丈夫ですか!」
と、待ちに待った助けがやってきた。
脇からゲーごと俺たちと〈墓の騎士〉との間に割り込んできたハーニェが、戦闘斧を振るうと、たちまち三体の敵が霧散する。
「ゲー、〈魔導障壁〉!」
「待った、それは張るな!」
ハーニェがユニコーンの最大の特徴でもある絶対魔導遮断能力、〈魔導障壁〉を張ろうとした時に、俺はそれを止めた。
〈雷霧〉で猛り狂う雷すら無効化させてしまうユニコーンの〈魔導障壁〉。
あらゆる魔導力を使用するユニコーンを中心に完全遮断し、襲い来る危険を除去する白い光球。
一回でも、それが張られれば、〈墓の騎士〉は、俺たちにもう手出しできなくなるだろう。
しかし、それによって消滅してしまうおそれのあるものがある。
俺はそいつに振り返った。
「……どうする、ルーユ。ここで消えるか? それとも、まだこの茶番を続けるか?」
村長の娘は、すべてを諦め切った表情で俺たちを見つめていた。
◇
[ルーユの告白]
もう名前を思い出せない私たちの村へ、その男が来たのはおよそ十年以上前のことだったそうです。
私は、結局のところ、その男がここに来た時に村に居なかったので伝聞でしか知らないのですが。
当時の私は、バイロンの王都に留学していたので、すべてを知ったのは、すべてが終わってしまった後のことでした。
……その男は、この辺りでは見たこともない派手な装飾を施したローブを、裾を引きずるようにして歩きながら村に入ってきたそうです。
頭には深々とフードを被り、鼻と顎しか見えなかったらしいと聞きました。
正直なところ、本当に男であったかどうかも疑わしいのですけど。
ただ、男を目撃した村人は「魔道士みたいな胡散臭い男だった」としか言わなかったことから、多分、そうなんだろうと曖昧に思うだけでした。
男は言いました。
「……この世界はいずれ滅びる。おまえたちも、すべて死ぬ。地獄の雷に打たれてな。その前になすべきことがある」
不吉な予言に対して、村長であった私の父は男に詰め寄りました。
そのような世迷い言を語って、人々を惑わすのはやめろ、と。
父はこんな田舎の住人にしては珍しい、よく書物を読み、旅人から情報を仕入れる、いわゆる知識層だったことから、迷信深い村人が騙されやすいことを知った上での抗議だったみたいです。
ですが、男は父の抗議を鼻で笑い、
「ならば、言う事を聞くように躾てやる。このようにな」
と、言うと父は男の振るった杖の一撃で昏倒し、次に起き上がった時には完全に男のいいなりになってしまっていました。
猛抗議をしていた父が簡単に操られてしまったのを見て、他の村人たちは恐怖に慄きます。
男がその身なりにふさわしい魔道士であることを実感したのです。
男はそのまま父を連れて、私の実家に入りました。
次に、男が出てきたのは、三日後のことでした。
その間、父も母も住み込みの馴染みの女中も一切外に出てくることなく、何が起こっているのかわからず、遠巻きにして見ていただけの村人たちに、再び男は言いました。
「村の外に墓場を作れ、村の者共よ。この村の全員分のだ。急げ、我の指示に従え」
村人たちはなぜかその言葉に逆らえず、村の外に誰の遺体もない、形だけの村人全員の墓を三日かけて作り上げます。
自分たちの仕事をしないで、寝食を忘れて、村人総出で。
その間に、村には数人の新しい住人が増えていました。
男がどこからか連れてきた十人ほどの若い男女だったそうです。
おそらく、その十人も同様の魔道士だったのでしょうね。
「こやつらが、おまえたちを監督する。おまえたちはこれより、我の家畜となり、日々を送るのだ」
魔導を使う恐ろしい連中による村人の統治が始まりました。
ただし、普通に村人が暮らす分には連中は何もしなかったみたいです。
いつも村長宅か、人の借りるあてのない空家にこもっていたから。
外に出てくるときは決まって、村人の誰かの死んだ時でした。
何らかの事故や病気で村人が死んだ時、突然、馬車に乗って玄関に現れ、その遺体を葬儀も終わらぬうちに運び出していったそうです。
だが、親族の遺体を持って行かれても村人は何も言えませんでした。
男たちが恐ろしかったから。
問題は、誰かが死ぬ間隔が、ありえないほどに頻繁になっていったことでした。
辺鄙な村とは言っても、人が死ぬのはよほどのことがない限り、年に二人から三人であったのに、それが、一月に一人、次の月で二人と、加速度的に増えていき、村の人口は確実に減っていきました。
そうなっても村人は何も言えません。
この段階で、おそらく、村人はあの男たちの何かの魔導を受けて判断能力を奪われていたのでしょう。
私がたまたま帰省するまで、一年ほどの期間、この村は魔道士たちに支配されていました。
私は村の入口で様子のおかしい友人に、この話を聞き、驚いて実家に戻りました。
父母、そして馴染みの女中はどこにもおらず、一番最初に現れたのとは違う、別の魔道士たちがふんぞり返って何かの研究をしている家に。
魔道士は、無警戒に家に帰ってきた私を捕まえ、そして、恐ろしいことを言いました。
「ちょうど、よかった。そろそろ、この村の連中をすべて墓に埋めて、魔物にしようと考えていたところだったのだ。貴様にはその見届け役をやってもらおう」
この魔道士たちは、村の人々を使って忌まわしい実験をしていたのです。
この旅人もあまり訪れない辺鄙な村という立地を利用して、誰にも気づかれずに。
それから、村人はすべて十人の男女によって順々に殺されていき、そして、残った村人の手で例の墓に埋められて、また残った人々が男女に殺される、という地獄の繰り返しが始まり、私が最後の一人になったとき、
「では、貴様をこの村のこの状態に留め続けるための〈核〉とさせてもらおう。なに、心配はいらんよ。貴様の面倒を見るようにメイドの一人くらいはつけてやるし、住みやすい住居も確保してやる。貴様はただこの村に入ってくる侵入者を排除し、〈墓の騎士〉どもの飼育管理につとめればいい。簡単だろ?」
魔道士たちは不気味に笑いました。
「たった今、この場所で、貴様は村を覆う思念体となる。なーに、期限付きだ。貴様の魂が倦んで、擦り切れて、そして消滅するまでのな。ざっと二十年もあれば解放されるだろう。それまでに何かが起こらんとも限らんしな」
そう言うと、私の意識は飛び、かつて村に存在したことのない屋敷の主としての生活が始まったのです。
まだ、幼い十歳ぐらいの何も知らないメイドの女の子と一緒の。
……魔道士たちはすでに何処へともなく去っていて、私は村の中でならほとんど自由に振舞うことができました。
しかし、魔道士たちの命令に抗うことはできません。
私はその命令に従い、〈墓の騎士〉たちの管理を続けました。
もっとも、彼らについては別に世話をする必要もなく放っておけばよいだけなので、まったく苦労はありませんでしたが。
時折、訪れる旅人についても、私が村の中でなら使える幻覚で脅かせばすぐにいなくなりますし、村に漂う空気を介して人の脳に直接働きかけることもできたおかげで、村の体制を維持することはそう難しい仕事ではありませんでした。
〈墓の騎士〉たちは、生きているものを嫌うので、旅人たちを彼らの活動する夜までに追い出すのだけは一苦労でしたが。
ただ、セスシス卿。
あなただけには色々と魔導の効果がなかったので、とても困りましたよ。
好きだった村の本当の名前も忘れ、愛していた人々を魔物として扱い、人とはいえないモノに成り果てた私にとって、あなたがたの訪れは渡りに船でした。
ユニコーンの力については、王都にいたときに聞いていました。
〈雷霧〉の中の稲妻でさえも打ち消せるという、絶対魔導防御のことを。
私は、その力を利用させてもらうことにしました。
もちろん、自殺のためです。
これ以上はもう耐えられません。
魔導によって、不気味な存在に成り果てた私でも、ユニコーンの力を使えば消滅させてもらえることでしょう。
あなたがたを泊めたのも、そうすれば〈墓の騎士〉たちが動き出し、貴女方が本気になってくれるものと考えたからです。
そして、その考えは正しかったようです。
ユニコーンの力ならば、私を消滅させてくれる。
ようやく、この苦行から開放してもらえる。
こんなに嬉しいことはないです。
お願いします、セスシス卿。
私を消滅させてください。
お頼みします。
そして、厚かましいお願いですが、ベスのことをよろしくお願いいたします。
私が愚かでまともに教育してやれなかったばっかりに、おかしなものになってしまいましたが、もともとは素直ないい子だったのです。
できたら、普通の道を送ることができるように手配してもらえないでしょうか。
……すみません。
では、そろそろお願いします。
もう一瞬たりとも、私は存在していることに我慢できないのです。
あと、最後にひとつだけ。
王都にいたとき、〈ユニコーンの少年騎士〉の噂を聞いたことがあります。
〈聖獣の森〉の奥地に単身踏み込んで、ユニコーンの王から人のためにユニコーンを遣わしてもらう許可を得たというあの伝説を。
あれは貴方なのでしょう?
バイロンの新聞で見た似顔絵とよく似ていましたもの。
十年前、王都の友達と〈雷霧〉に対する初めての希望ができたことを泣いて喜びあったことを覚えています。
最後に〈ユニコーンの少年騎士〉に会えたことに感謝します。
貴女方を信じ、すべてを託します。
まだ生きている多くの人々を見捨てないであげてください。
それでは、失礼します。
ありがとうございました。