補佐役とリーダー論
宿舎に用意された自分の部屋に戻ると、まず急遽用意されたっぽい雑な作りの個室の風呂場に入った。
これは将軍閣下が俺をここにぶちこむためにわざわざ設置してくれたものらしかった。
おそらくはここの施設の中でも、自分用の風呂を持っているのは俺だけだろう。
もっとも、それは騎士団内における俺の特殊な立場だけでなくて、特別な事情も加味してのことではあったが。
釜で風呂焚きをしなくてはならないことから、かなり面倒なはずであったが、聖獣の森に棲んでいた時から俺は日に一度は絶対に風呂に入らなければならなかったので、すでに日々の食事を作る並に慣れた作業となっている。
一時間もあれば焚き上がるので、それまでは飯の支度をしたり、他の片付けをして引越しの後始末を終える。
引越しの際の荷物そのものはほとんどなかったおかげもあって、新たな居所の整理はすぐについた。
仮にも騎士の宿舎であるので、必要な物品はすべて揃えられていたのも幸いだった。
まあ、それはすべてオオタネアの手配だったのだろうが。
それから、焚き上がった風呂に入り、街で大量に購入しておいた石鹸を目一杯使って、全身を清潔にするように心がけた。
ユニコーンは原則として男を嫌う聖獣である。
俺は、例外的にあいつらと対等に付き合うことができるが、ユニコーンという種族が聖獣としての性質上男を嫌っているために、できる限りの配慮が求められることになる。
一般の普通の市民たちは、ユニコーンは清らかな聖獣のため、その背中に乗せるのは穢れ無き処女だけだという知識を持っている。
確かにそれは間違いではないが、あいつらは背に乗せるどころか、処女以外は近くに寄ることすら拒む習性を有しているのだ。
それは男に限らず、女であっても非処女であれば同様である。
要するに、異性と性的接触を果たしたものを忌み嫌う傾向があるのである。
そのため、ユニコーンを騎馬として使用する西方鎮守聖士女騎士団の構成員は、将軍オオタネア・ザンをはじめとして全て処女であり、それ以外の人間たちは近寄ることも認められていない。
ただ、女性だけの騎士団ではこなせない雑務と警護をするために、限られた兵士が敷地の外に待機させられている。
さっきの三人組だけでなく、他に若干名の兵士が騎士団には所属しているが、ユニコーンの聖性のため、これらもまた異性との肉体的交渉のない童貞が選ばれているのであった。
童貞でありさえすれば、かなり至近距離までユニコーンとの邂逅が認められているため、それが騎士団配属の必須条件となっている。
ただ、軍という厄介で男臭い組織においては、童貞の兵士というものは存在が貴重であるため、将軍はその選抜にかなりの苦労を要したという話である。
……ちなみに俺も童貞である。
また、ユニコーンは童貞であっても男の体臭を嫌う傾向があるため、俺は頻繁に水浴びをして汗の臭い等を除去するように心掛けていた。
人の体臭は食べるものによっても変わってくるため、肉食も控え、匂いのきつい野菜を摂るのもできる限り避けるようにしている。
たとえ仲が良くても、友達づきあいに気遣いは必要なのだ。
石鹸で丁寧に身体を洗浄すると、タオルでしっかりと体についた水分を拭い、さっぱりする。
それから用意されていた専用の机に向かい、山積みになって何冊も用意されたファイルに向き合った。
表紙には、俺の教え子となるものたちの名が示されている。
さすがに十年近く勉強していたので、俺だって名前程度の文字ぐらいは簡単に読むことができる。
ファイルは一人につき一冊が用意されていたが、俺はあることを思い出して、ある一冊を抜き取った。
『タナ・ユーカー』と清書されたもので、他の教え子たちのものよりもわずかに厚く、彼女の資料が非常に豊富であることがうかがえる。
ざっと目を通してみると、王都にある騎士訓練所で騎士に任命されたものらしく、当時の評価表や彼女自身の手書きのレポートが挟まれていた。
苦心して読んでみると、中には直属の教官からの忌憚のない意見も含まれていて、それだけでタナという少女騎士の能力や性格はほとんど把握できるほどに詳細なものだった。
「あの子、乗馬経験がないのか……」
気になって、他の教え子の分も調べてみると、乗馬経験が皆無なのは、タナともう一人、同期のナオミ・シャイズアルだけだった。
他は多かれ少なかれ騎乗経験があるようだ。
今回、俺が教導することになったのは、十三人。
〈雷霧〉突入用の立錐陣が組める最低の人数であるが、そのうちの二人が騎乗経験なしというのはどう判断すればいいのだろう。
しかし、とにかくここで指導方針の一つを決定した。
「この二人の初心者を中心にして進めていこう。基準がはっきりしていれば、それぞれに応じて発展させればいいしな……」
正直なところ、俺は長いあいだの森暮らしのせいで、人とのコミュニケーションについては不安な部分が多すぎたうえ、人に指導した経験が皆無という有様なのである。
ユニコーン以外の乗馬についても、それなりの知識と経験があるが、自分でできるということと人に教えるということでは雲泥の差がある。
ぶっちゃけた話、いきなり教導をしてくれと言われてもできるはずがないのが現状だった。
だが、自分の出来ることをしない限り、間違いなく次も騎士たちが死に、ひいては俺の一番の親友たちである種族も住処の森から追い出されてしまうだろう。
最悪の事態だけは避けたい。
俺は必死にならざるを得なかった。
最初は嫌だったが、西方鎮守聖士女騎士団への所属は結果として望むべきものであったかもしれないな。
それでも、それなりの家庭に育ち、十分な教育を受け、こちらで必要な知識を授けられ、必要な素養を叩き込まれてきた俺は、自分に厳しくなれるだけの冷静さがあった。
「俺を補助してくれて、助言もくれる、国で言う宰相役みたいな相手が欲しいな……。軍関係は閣下に誰か紹介してもらうとして、できたら騎士団の中のまとめ役になってくれるようなタイプがいいんだけど……」
それから幾度となくファイルをひっくり返してみても、俺の現在の能力では誰が適切なのかは判断できなかった。
しかし、時間は容赦なくすぎる。
これからの計画を立てるためにも必要な役柄だと思うからこそ、必死になってみたが、そもそも人事的な経験のない俺には誰が適切か見極める方法がないのだ。
その時、玄関がノックされ、一人の女性が入ってきた。
「失礼します。教導騎士ハーレイシー」
三十代半ばぐらいの途中で一まとめにした長髪の女性だった。着ている服からわかることは、文官騎士と呼ばれる、後方勤務が中心の事務方の騎士だということだ。
アラナやタナとは違い、前垂れのついたトーガを着ているからすぐにわかった。
もっとも、さっぱりとした物腰ときびきびした動きは、長いあいだ軍務に服しているだろうことは俺にも理解できる。
「あんた、誰だ?」
「はい、教導騎士ハーレイシー。私はユギン・エーハイナイ、本騎士団の騎士です。ザン将軍閣下より、騎士団における教導騎士の補佐を命じられました。これが辞令です」
手渡された辞令に目を通し、本物であることを確認すると、俺は将軍の優秀さに舌を巻いた。
こちらが要望を出す前に、必要な手を打ってくれるのか。
感謝の念を表そうと思ったが、よく考えれば俺が自分に足りない部分を補うためにスタッフを求めることは誰でも想定できる内容であったし、それを見越して手を打つのは上司としては当たり前の発想であるとすれば、わざわざ礼をいう気にもならない、と考え直した。
そもそも行き当たりばったりで面倒を押し付けたのは、彼女なのだ。
貸しはあっても借りはないな。
彼女がさっき騎士アラナの言っていたお付きということだろうし。
結論を出すと、ユギンに向き直る。
「ちょうど、よかった。騎士ユギン、あんたに聞きたいことができたところだったんだ。それから、俺のことはセスシスでもハーレイシーでも好きに呼んで構わない。口調もフランクにしてくれ。あんたの方が年上みたいだしな」
一瞬、戸惑った顔をしたが、俺の素性を思い出したのか、すぐに納得したようだった。
頭の回転も早いんだろうな。
「わかりました、騎士ハーレイシー。―――じゃあ、年上のおねえさんが童貞クンに接する感じで構わないのかしら?」
「よく言うぜ。ここに配属された以上、あんただって似たようなものだろ」
「まあ、そうなんだけど。なんか青臭い場所になりそうよね、ここ」
「生臭いよりはマシだと思うぜ。……で、あんたに聞きたいのは、騎士団内にまとめ役を作りたいんだが、誰がいいと思うか、ということだ。正直、俺は女の集団がどのようにまとまるのか想像もつかないので、経験豊富な女の意見を聞きたい」
「……要するに、リーダーを決めたいのね」
「そうだ」
「あなた、強い女の集団がどういうものかわかる」
「……目的に対して一致団結して進むために、高い目的を用意している集団ってことじゃないのか」
「それは、男の集団の話ね。あなた、相応の教養はあるみたいだから、そういう答えがでるんでしょうけど、女を相手にするには理解不足よ」
「どういうことだ?」
「強い女の集団は、指導者や仲間のために動くものよ。私がいうのもなんだけど、女は基本的に身勝手なもので、本当に女が動くのは『自分のため』よりも、子供や旦那や恋人や、友達のためなの。だから、そういう強い女の集団はたいていの場合、ものすごく仲が良いわ」
「……そういうものなの……か?」
「だから、私が貴方に助言するとしたら、騎士団を第一に考えて大切にする優しい子をリーダーにすべきね。そして、軍であるからには戦闘中も自由時間も、その子がいるだけで場の雰囲気をまとめられるタイプが最善だわ」
この女性論については、俺は何も言えなかった。
そもそも女性ばかりのグループに接したことなどないのだから、当然といえよう。
だが、目の前の、はっきりいえば年増の女性はこれまでに何度も経験してきたことを語っているに違いない。
ならば素直に言う事を聞くべきだと感じた。
「わかった。あんたの言うとおりにしよう。ただ、俺はこの中の誰が優しい子なのかさえわからない。誰か、心当たりはあるか?」
「私なら、この子を推すわね」
差し出されたファイルの表紙には、『ノンナ・アルバイ』と書かれていた。