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騎士キルコの憂鬱

[第三者視点]


 ランプの淡い灯りに頼って、落書き帳に友の寝顔を描いていたキルコ・プールは、奇妙な胸騒ぎを覚えた。

 何か嫌な予感がしたのだ。

 根拠は全くない。ただの予感だ。

 通常人ならばここは気のせいと断じて、忘れようとしてしまうところだったが、オオタネア・ザン将軍のもとで教育された騎士である彼女は違った。

 自らの予感を信じたのだ。

 武人は戦場において、このような第六感の働きが生死を分ける鍵になることを知っている。

 気のせいで物事を片付けることは、危険から目を閉ざすことになりうるという事実をよく理解しているのだ。

 そして、オオタネアは「自分の勘を信じて疑わないこと」を彼女たちに教え続けていた。

 騎士団のグッズ関連でオオタネアと直に接触することの多いキルコは、彼女のことを十三期の中で最も信奉する騎士でもあった。


「アオ、起きる」

「……んー、何ッス? キルコ、もう朝ッスか」

「敵襲」

「……ん……て、敵襲っ!」


 ガバッと毛布ごと跳ね上がるアオ。

 敵襲と聞いてはさすがののんびり屋もいつまでも寝てはいられない。

 しかも、すかさず枕元の護身ナイフを手にとったのはさすがと言えた。


「何が襲ってきたッスか!」

「しー、黙って。まだ、来ていない」

「―――何スか? もしかして、キルコのいつものお寝ぼけッスか。いいかげんにして欲しいッス」

「寝ぼけていない。胸騒ぎがする。これから、なにか起きる」

「……キルコが言うなら、そうなんスかね。迎撃準備をしておくッスか」


 アオは、まだしょぼくれた眠い目をごしごし擦りながら、ベッド脇に整理しておいた武具のうち、左腕の篭手と右足用の脚鎧だけをつける。

 ユニコーンに乗った戦場でのように全身を覆う必要はない。

 この屋敷または村の中で戦うことがあるというのなら、最低限の防護があればよいからだ。

 馬上槍は随伴していた従兵たちが持って帰ってしまったので、手元にあるのは長剣だけだが、彼女は剣の方が得意なので気にならない。

 やや幅広の剣は、彼女の得意なある技のために購入したものである。

 自分のある意味では無理な訴えを信じて、黙々と戦闘準備に入る親友にキルコは感動を覚えていた。

 キルコが自分の予感に従うのはいい。

 だが、彼女の予感を信じて、そのために寝ぼけ眼を擦りながら面倒な準備を整えることは、深い信頼関係がなければできない。

 ただのわがままや疳の虫と取られかねない行動を、文句も言わずに受け止めてくれる。

 そんなやり取りができるのは、まさに親友しかいない。

 家族でさえ、そこまではしてくれないだろう。

 だからこその感動だった。

 資産家(いいところ)の出身で、わがまま放題に育ってきた彼女だからこそ、アオが寄せてくれる本当の信頼が身に染みるのである。


「……ありがとう、アオ」

「んー、勘を信じろというのはオオタネア様のお言葉ですし、ノンナ隊長もセスシスくんも警戒は怠るなって言ってたッスから、別にキルコだけを信じたわけではないッスよ。気にしないでくださいッス」


 キルコも自分の準備を同時に進めていた。

 彼女の場合は、やや細身のペティナイフを幾つも服に仕込むことである。

 投げナイフが彼女の切り札だった。

三本のナイフを掌中に忍ばせ、同時に打つことができる。

 しかも、右のみならず左手でも可能だった。

 魔物相手には打撃力不足なのは否めないが、それでも対人においては十分に実戦で行使できる腕を持っている。

 あのタナでさえ、「キルコとはやりにくい」というほどに距離を取られると厄介な使い手だった。

 

「……何があるんスかね?」

「わからない。さっきメイドが言っていた〈墓の騎士〉とかいうのが、なんとなく怪しい」

「おどろおどろしい名前ッス。お化けの類だと、剣が効かないッスからね~」


 二人が準備を終えたとき、やはりというか、予想通りというか、事件が起こった。

 嵌め殺しの窓の鎧戸を突き破り、なにか大きな黒いものが侵入してきたのだった。

 窓と戸を警戒していた二人にとって、それは想定内の攻撃であり、奇襲とは言えなかった。

 まず、目にも止まらぬ早さでキルコが一本のナイフを放つ。

 黒いものには命中するが、刺さりはせずに床に落ちる。

 ただし、金属音はせず、ドォっという肉を抉る音はしたので、鎧を着込んでいるわけではなさそうだ。

 一方で、アオが抜剣してそのまま抜き打つ。

 手応えはあった。

 ギィエエエエ

 と、人とは思えない叫びを上げて、誰もいないキルコのベッドの上に飛び上がる。

 この時になって初めて、二人はこの黒いものが人に似たバランスの四肢をもっているということを知った。

 しかし、胴体に比べて手足の長さが歪だ。

 とても人とは思えない。

 そしてなにより、ランプの灯りがあるというのに、なにやら靄がかかって頭部の詳細がまったくわからないのだ。

 ただ黄色い丸い双眸だけがギラギラと目立っている。

 無言のまま、アオは追撃した。

 奇襲してきた敵に誰何するなど、西方鎮守聖士女騎士団のやりかたではない。

 まずは息の根を止めてから、敵の正体を探ればいい。

 問うて答える二流など、どうせ嘘をつくに決まっている。

 アオは猛然と黒いものめがけて突っ込む。

 意気込みが凄まじい。

 その剣尖(けんせん)が黒いものの胸をかすめた。

 躱されたと知るや、アオはカウンター気味に送られてきた黒いものの攻撃をすんでのところで受ける。

 それは手だった。

 薄汚れた手の平と異常に長い指を持った手。

 手の甲にはボサボサの剛毛が生えている。

 猿の手。

 そんなことをアオは思った。

 剣の刃筋をたて、もう一度切りかかろうとした時、横合いからキルコのナイフが黒いものを襲う。

 グサッと今度は完全に命中した音がした。

 おそらくは痛みに怯んだ敵の胴体を、アオは薙いだ。

 我ながら渾身の一刀だと思える斬撃だった。

 だが、おかしなことが起こった。

 黒いものの身体の密度が急激に失われていくのだ。

 まるで、小さな羽虫でできていた柱から、羽虫がどんどんいなくなっていくように。

 さっきの手応えでさえ、本当にあった出来事なのか疑われるような、そんなありえない驚きを残して、黒いものはアオの眼前から消失した。

 狐につままれたような気分だった。

 何かに化かされたのかとでも言いたい気持ちで、二人は顔を見合わせる。

 ベッドの上には、何事もなかったかのようにキルコのペティナイフが落ちていた。

 愛剣の刃を見ても、血も何もついていない。

 今の戦いは現実なのか、それとも夢なのか。

 壊された窓だけが、戦いの痕跡として残るのみだ。


「誰も来ないッスね」

「窓が壊れた音は皆の部屋に聞こえているはず。来ないはずがない」

「て、ことは、皆も襲われているのかも」

「その可能性が高い。助けに行かないと」

「ッスね」


 キルコたちが部屋から外にでようとしたとき、戸が外側から開き、見知った顔というか仮面が顔を出した。


「無事だったか、おまえら」

「セスシス先生。無事?」

「ああ、大丈夫だ。いきなりでかい音がしたからびびったぞ」

「うん、奇襲された。撃退済み」

「そうか。さすがだな。他の連中も襲われているかもしれん。手分けして他の部屋の様子を見よう」

「はいッス」


 キルコとアオは隣のハーニェとクゥたちの部屋へ、セスシスは前のノンナとミィナたちの部屋へそれぞれノックなしに入った。

 緊急事態だ、多少の礼儀不足には目を瞑ろう。


「大丈夫ッスか! おっと!」


 アオが戸を開けると同時に、しゅっと聞きなれた音が聞こえた。

 そして、何かが彼女めがけて飛来してくる。

 だが、二人にとって運がいいことに、先頭にいたのは眼の良さについては他の追随を許さないアオであった。

 その音は弓から矢が放たれた音だった。

 咄嗟に、アオはその矢を剣で叩き落とす。

 一瞬の間の奇跡的な業だった。

 飛んできた方向を見ると、ベッドの上にさっきのものと同じ黒いものが、手に弓矢をもってこちらに狙いを定めていた。

 室内ということで、十分に弦を引ききれなかったからか、矢にしては威力が足りなかったことがアオを助けたとも言える。

 反対側のベッドの上にももう一体の黒いものがいる。

 こちらは弓を持っていない。

 弓を持つ方の危険性が高いと判断して、アオが飛び込もうとしたとき、キルコが叫んだ。


「待って、アオ。あの弓、クゥのもの」


 愕然として、アオが自分を狙った弓を見ると確かにクゥのものだ。

 もしや、すでにあのどもり気味の天才騎手はこいつらにやられてしまったのか。

 怒りが全身に燃え広がろうとした時、キルコが彼女の前に割り込む。


「何をするッス」

「だから、待って。あの二体、もしかしたら違う」

「……どういう」


 キルコは疑問に答えようとせず、矢をつがえる黒いものの足元に自分の落書き帳を投げた。

 落ちた衝撃でページがめくれ上がり、彼女の今までの力作が見えた。


「……わかる。私、キルコよ、騎士クゥデリア。その弓をしまって」

「えっ、何、それ」

「あの黒いもの、もしかしたら、幻覚魔導かも」


 足元の帳面に視線を落とした黒いものは、一瞬ためらったあと、弓を下に下げて、弦から手を離した。

 そして、矢を足元に揃える。

 もう戦わないという意思表示だ。

 反対側の黒いものも、それに倣う。

 その姿をじっと凝視していると、そのうちに身体を覆う黒い靄が晴れていき、その中から見慣れた年上の騎士の顔が現れた。

 クゥデリア・サーマウだった。

 反対側の黒いものは、そのうちにハーニェ・グウェルトンになる。


「……お、驚きました。い、いきなり黒い敵が現れたかと思ったら、キルコの落書き帳を投げてきて、それがキルコになったのですから」

「アオまで、さっきのは一体なんだ?」

「騎士ハーニェ、どう見えてたの?」

「俺には黒い靄のような人型が戸を開けて押し入ってきたように見えた。クゥも同じなのか?」

「そ、そうです。咄嗟に弓を射ってしまいました。〈矢払い〉のできる、ア、アオで助かりました。な、仲間を傷つ、けるところでした……」

「なるほど、幻覚魔導だ。じっと時間をかけて凝視できればなんとか見破れるが、こんな狭い場所ではそれは期待できない。ただの同士討ちが始まってしまう。敵の目論見はそれだ」


 ハーニェの洞察力はさすがだった。

 キルコよりもことの詳細を素早く読み取ったらしい。


「それだけじゃない。実際に、黒いものが窓を破って襲ってきた。(うつ)()の敵がいる。実体のある危険な敵」

「……わかった。敵は俺たちを混乱させ、同士討ちを狙ってもいるようだ。ならば、俺たちだけでも合流できてよかった。他の仲間は?」

「先生が隊長の部屋」

「では、合流しよう。バラバラになるとかなり危険だ」


 部屋の外に出ると、ノンナたちとセスシスの部屋の戸は完全に開け放たれていて、中には誰もいない。

 ちらりと様子を見る限り、それぞれの愛剣を携えてどこかに行ったらしい。

 ただし、ところどころで椅子が倒れ、敷き布が乱れており、なにか乱闘のような形跡が残っている。

 ノンナたちも、あの黒いものに襲われたのだろうかと、キルコは焦った。

 自分たちのように、教導騎士と隊長たちが騎士団員同士で骨肉の争いをしたなどとは想像もしたくなかった。

 キルコは騎士団の面々のことが大好きだった。

 彼女が西方鎮守聖士女騎士団に入団することが決まった時、家族、親戚、すべての知り合いが反対した。

 自殺部隊になど大切な娘を入団させられないと、父親は大将軍のところまで直談判にいったほどだ。

 それでも無理とわかった時、最終手段にでようとした。

 要するに、誰かに頼んで娘をてごめにし処女でなくせば、西方鎮守聖士女騎士団への入団資格がなくなると考え、許嫁であったものに強引に襲わせようとしたのである。

 バイロンの法では、西方鎮守聖士女騎士団に入団が決まった娘がその資格を喪った時は、故意であれ過失であれ、国家に対する大罪として処罰される。

 なぜなら、〈雷霧〉によって国土が喪われるという国家的危機を前にして、国民の自由など制限されてしかるべきだからである。

 逆に、ユニコーンの騎士となったものには、国家が存続する限り、篤い保護が約束され、本人にも遺族にも高額の年金が用意される。

 だが、キルコの父親は、それを承知で愛娘の資格を喪失させようとしたのである。

 それは親としての愛情ではあったが、そもそもキルコが入団を志したのは、その干渉や束縛を嫌ったからなのであって逆効果であった。

 親の動向を知った彼女は、着の身着のまま西方鎮守聖士女騎士団の森へと逃走した。

 十三期の中で、一人だけ二ヶ月も早く赴任したのである。

 そして、オオタネアと対面し、少しずつ友もでき、いつも笑わせてくれるお兄さんのような教導騎士と出会った。

 正直な話、彼女は楽しく死にたかった。

 資産家の令嬢として産まれ、何不自由のない生活からどうしても逃れたくて、騎士養成所に入り、そしてさらに自由を求めてユニコーンの騎士となったのは、ただ楽しく生きて荒野で死にたかったからだった。

 自殺願望、それがキルコのもつ宿痾だった。

 親の目の届くところで生きている限り、彼女は楽しくは死ねない。

 どうせ死ぬのなら、戦場や荒野で死にたい。

 そのための自殺部隊への志願だったはずなのに、あるとき、変わってしまった。

 彼女よりも自殺まがいの真似を繰り返す変な男に出会ってしまったからだ。

 不死身に近い肉体をもつからといって、すぐに率先して死にかける男というのは、はたしてどう解釈すればいいのだろう。

 死にたがりという訳ではないのに、単に理由があるから、死んでも構わない。

 意味がわからなかった。

 だからといって、自分よりも遥かに上の自殺願望があるわけではない。

 キルコは混乱した。

 そして、結論を出した。

 あの死にたがりの結末がどういう風になるのか、それを確認してから自分の分を実行しようと。

 つまりは自殺を保留したのだ。

 そうでもしないと、最後まで楽しく死ねそうにないからだ。

 気になって永遠に眠れない。

 だから、それ以来、キルコ・プールは生存を優先するように生き方をシフトした。


「セスシスくんはともかく、隊長が心配ッス」

「先生はいいの……?」

「あの人は間違いなく無事ッス」


 信用されているのか、軽く見られているのか、どうにも立ち位置が不明なのが、セスシス・ハーレイシーという男だった。


「お、おまえら」


 廊下の奥から、教導騎士が姿を表した。

 例の仮面はそのままで、手には剣を携えている。


「……先生、いつまでそんなキモイ仮面かぶっているの?」

「緊急事態だ」

「……? 隊長は?」

「さっき調査のために下の階に降りていった。俺は二階でおまえたちを探すことにしたんだ」

「隊長たちだけで下に?」

「ああ、信用しているからな」

「……そう」

「よし、四人揃っているなら、下に向かおう。隊長たちと合流だ」

「はいッス」


 下への階段に向けて、セスシスが後ろを向いた途端、キルコは手に持ったペティナイフでぐさりとその背中を刺した。

 アオ以下、他の三人の顔が強ばる。

 いきなり暴挙に皆が仰天したのだ。


「な、なにをする……?」

「先生に化けるな。虫唾が走る」

「……な、何故?」

「この混乱した状況で、隊長達だけを下に行かせるなんて、先生はしない。自分だけで仲間と合流するよりも、一人で下に行くのを選ぶのが先生。あんたは、化けるなら隊長かミィナにするべきだった」

「……く、くそ」


 教導騎士の姿は、どこからともなく現れた黒い靄に包まれ、そして拡散して消滅した。

 キルコのペティナイフには血のあともついてなかった。


「……よくわかったッスね。あれが怪物の化けた姿だって。私にはさっぱり」

「凄いな、キルコ」

「び、びっくりしましたぁ」


 キルコはペティナイフをしまいこみ、それから無表情でつぶやいた。


「あれ、嘘。本当はわかっていなかった」

「じゃあ、どうして!」

「……先生は刺したぐらいじゃ死なないから、ただのはったり」


 他の三人はドン引きした。

 いくら教導騎士が不死身でも、そりゃないんじゃないか、とさすがに可哀想に思ったらしい。

 あと、同期のあまりの所業に戦慄したというのもある。

 ただ、キルコからすれば、もう一つの確固とした大きな理由があったのだが、それは恥ずかしくて口に出せなかったのである。


「……私が毒づいたのに無反応な先生なんて、先生じゃない」


 そう、元死にたがりの令嬢は嘯くのだった……。

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