不可思議なメイド
予想に反して、村長の屋敷は立派な内装をしていた。
外から見たときは、一瞬、廃屋かと思う程だったが、中身に関しては十分に手入れが行き届き、それだけでなくゆとりある広さを備えたまさにお屋敷だった。
しかも、俺たち七人が泊まることのできる個室もあるという。
ただし、警戒を怠るなというユニコーンたちからのアドバイスもあったことから、俺以外は二人部屋にしてもらった。
自分に充てがわれた部屋で、鎧を脱ぎ、用意しておいた服に軽く着替えると、ようやく一息つくことができた。
部屋には嵌め殺しの窓があり、そこからツェフンの村の中央通りを見下ろすことができる。
とは言っても、人っ子一人いないのは変わらず、寂れ切った風景がただ続くだけでしかない。
しかし、変だ。
誰かがいるのはわかるし、実際にカーテンの隙間からこちらを見る村人はいた。
それなのに、表にはまったくでてこない。
顔を出したのは、ルーユただ一人。
そして、俺たちを歓迎するために色々と用意して、部屋の案内をしてくれたメイドが一人。
実際に、この村で俺たちが見かけた人間はたった二人なのだ。
ルーユが言うには、この屋敷の主人である現村長は他の場所に出かけており、たった一人の使用人であるメイドと暮らしているという。
そう、メイドだ。
このメイドが実に怪しい。
ベスという名前の十代ぐらいの少女なのだが、両目を隠したおかっぱの髪型とうつむくような猫背の姿勢、ぼそぼそと聞き取り難い話し方をすることまでは、まだ普通だった。
問題は、その訛りだった。
もっとも、訛りというのは適切ではないかもしれない。
この大陸には東西に〈魔導大街道〉という交通の生命線があり、そのおかげでほとんどの国で共通の言語が行使されている。
もともとは、大陸に覇を唱えた〈青銀の第一王国〉ロイアンの公用語が、その共通言語であった。
だが、ロイアン語も地方によって多少の変化があって、東西ではかなりの違いが生じており、それが顕著な場合は訛りとして扱われている。
特に酷いのはロイアン古語が混じっているツエフの言葉だったが、ツエフ人はそれを「古い歴史がある言葉。ツエフ語こそ、正統なロイアン語」と認識しているせいで他国人からは嫌われていた。
ちなみにツエフ人によれば、魔導の発動のために必要なのはツエフ語のみであり、他の国民も魔導を使用するときは無意識のうちにツエフ語で思考している、というものらしい。
魔導のための専門の書物の多くが、ツエフ語で書かれているのはこういう背景に基づくのであるが、最近では共通ロイアン語での出版も多く、むしろツエフ語の文献は減少気味なのはいうまでもない。
さて、ベスの訛りのなにが問題かというと、それが前述のツエフ訛りだったからである。
ザイムに住んでいた俺だったからこそなんとか聞き取れたが、他の騎士団の連中にはさっぱりわからなかったはずだ。
初対面の時の二言、三言でそれに気づいたのか、そのうちにベスは共通語の方に話し方を切り替えたが、俺にとっては怪しさだけしか残らなかった。
なぜなら、ツエフの訛りを持つということは、十年前の〈妖帝国〉滅亡時の難民の可能性があるのだが、その難民自体がごくわずかな上、あそこの元国民がメイドなどという下働きをすることはあまり考えられないからである。
それは、シャッちんやヤンザルギを思い返せばわかるだろう。
あれは騎士と魔道士だったが、俺の記憶では国民自体もわりと似たような思想を共有していたはずだからだ。
だからこそ、ベスの存在に対して俺は怪しいとしか思えなかったのだ。
あと、ツェフンという名前もある。
なにかしら、〈妖帝国〉に関係した何かがあると警戒してもおかしくはない道具立てといえた。
「……騎士ハーレイシー、ノンナです。少しよろしいですか」
「おう、入れ」
「失礼します」
ノンナは、騎士のための平服であるスモックとズボン姿だった。
くつろいだ格好といえるが、懐のあたりがさりげなく盛り上がっているのは、そこにナイフを忍ばせているからだろう。
俺の指示を忘れていない証拠だ。
部屋に入ってきてすぐに〈気当て〉をしたのも、用心深くていい。
さすがはノンナ・アルバイ。
「どうした? 食事になったら、ベスが呼びに来てくれると言っていたろう。それまで休んでいればいいのに」
「騎士ハーレイシーは、さっきの村長の娘とメイドをどう思いますか?」
「……どうって?」
「……私には、その、あのですね……、なんというか……、ただの人ではないもののように感じ取れました」
ノンナにしては珍しく、はっきりしない喋り方だった。
「理由は? 〈気当て〉したら、妙な反応をしたとか、そういうことか?」
「いいえ、違います。理由はもっと別です。信じてもらえないかもしれませんが……」
「……俺がおまえを信じないなんてことがあると思うのか?」
「えっ」
「ユニコーンの王ロジャナオルトゥシレリアの名にかけて。俺はおまえを疑わない」
ぱあっと花が咲いたような満面の笑みをみせて、まるで祈るように両手をあわせるノンナ。
なんだか知らんが、耳まで赤くなっている。
ちょっと恥ずかしい台詞を言ってしまったかもしれん。
だったら、視線をそらしてくれればいいのに、どういうわけかノンナは目を輝かせて俺を見てくる。
この反応はなんなんだろう。
「……い、今の台詞をもう一回だけいただけますか!」
「ん?」
「もう一回だけ!」
「ユニコー……」
「違いますっ! 最後の方っ!」
「ああ、そっちね。……ちょっと待て、ゴホン。いいか」
「はい」
「俺はおまえを疑わない」
どさっと尻から崩れ落ちるノンナ。
いったいどうしたことか、鼻血でも吹き出しそうな様子で顔を押さえている。
まさか、病気か?
誰かを呼ぶべきかとオロオロしていた俺の手が、下からノンナに掴まれた。
痛いぐらいの力で握られている。
「……騎士ハーレイシー。私はもう死んでもいいかもしれません」
「何を言っているんだ、もしかして、突発性の病気か、なにかか? 医者を呼ぶか? それとも魔道士か? どっちがいい?」
「……病気ではありませんので、気にしないでください」
「そうなのか」
「はい。……今度は『おまえは俺のものだ』とかが聞きたいんですけど……」
「何か、言ったか?」
「いいえ、何も」
床にへたりこんだまま、ぐふふっとおかしげな笑い声をあげるノンナが落ち着くのを待つ。
こいつ、たまーにおかしな風になるんだよな。
隊長としては信頼できるんだけど、若い女の子としてはちょっと問題があるような気がしてならないわ。
「で、さっきの話の根拠は?」
「あの二人の声です」
「声だと」
「はい。あの声は、人の耳にとても心地よく響きます。例えば、小川のせせらぎみたいに。不規則さと規則正しさが混在し、私たち、気功術を使うものが発する生命力の波動を音にするとこうなる……そういう声です」
「単に声がいいだけじゃないのか」
「違います。ああいうゆらいだ声の持ち主というのは、そう多くいるものじゃありません。私が知っているのは、あなただけです。騎士ハーレイシー」
「俺?」
ノンナは真剣に頷く。
「間違いなく、あなたとあの二人は、ゆらいだ声の持ち主なのですが、質がまったく違います。あなたの場合は喉から自然に発声されていますが、あの二人の声は聴いたものの耳から頭で認識される過程でゆらぐのです」
「……どう違うんだか、俺にはさっぱりなんだが」
「要するに、私たちが〈気当て〉をして生物に波動をぶつけますが、彼女たちはぶつけた波動をさらに変換させる技術を使っているのです」
気功術の仕組みというものを今ひとつ俺は理解していないが、気功術は〈気〉を体内において循環させて完結するもののはずだ。
身体の外部で変換させるなんて真似が可能なのか?
「それは多分、〈魔気〉の応用なのではないでしょうか。体内の魔導を放出して物理的な攻撃力と変える〈魔気〉。概念でしか聞いたことがありませんが、気功術と魔導はともに生命力の根源たる波動を用いますから、必ずしも別物というわけではないはずです」
そこまで聞くと、俺にもなんとなくわかってくる。
中原や東方では〈妖帝国〉の魔導騎士しか使わないと思われている〈魔気〉だが、あの〈白珠の帝国〉では非常に一般的な技術でしかなかった。
しかも、あの二人について、俺は〈妖帝国〉との関係を疑っている。
それらが結びつくということはとても簡単だ。
「……なるほどな、〈妖帝国〉関係者なら、納得できるというわけか」
「はい。ただ、だからといって、あの二人が別に私たちに危害を与えない以上、放置しておくことはやぶさかでないのですが」
「それはそうだ。わざわざ敵を作る必要はない。しかし、警戒を怠らなければならない理由はできたということだ」
「はい」
このノンナによる意見具申があったからこそ、俺はこの夜の危難を避けることができたのである。
◇
「……セスシス卿は、食事時でもその仮面を外されないのですか?」
ルーユが心底不思議そうに、俺の顔を見た。
「ええ、一般の方にはお見せできない傷がありまして。無作法とは思いますが、勘弁してください」
「……そんなこととは露知らず、こちらこそ失礼なことを聞いてしまって、すみません」
話をすれば、わりと人当たりのいい女性のようだった。
確かに、気分が落ち着く感じもする。
ただ、それがノンナの言う通りならば、わざと緊張をほぐすための術をかけているということになるから、油断していい相手ではない。
「パンのおかわりをお持ちしました」
うまく聞き取れない小声で、ベスが俺の前のカゴにパンを入れる。
焼きたてでかなり美味だった。
溶かしバターの浮いたベーコンのスープと、揚げた芋のつけあわせ、そして攪拌して焼いた卵料理という質素ではあったが、味は悪くない献立だった。
育ち盛りの上、昼の戦闘で動き回った騎士たちは、ばくばくと遠慮なく腹に詰める。
キルコだけは小食なのでやや抑え気味だが、他はもうちょっと慎みを教えたほうがいいかなと後悔したぐらいに健啖だった。
「ベスちん、このスープ美味しいね」
「おかわりいただけますか?」
「そ、そのお芋、食べないのでしたら、わ、私にいただけませんか?」
「拒否」
「オイチー、オイチー」
「俺のパンに手を出すな、アオ」
「おまえら、騎士としての自覚を持てよ」
「「「はい、もちろんですっ!」」」
「……口だけは一人前だよな」
というふうに食事が進み、それなりに和やかな雰囲気で進んでいた時、ルーユが俺に聞いてきた。
「さっきのお話なのですが、このツェフンに迫っていたという魔物は、皆様がお倒しになられたのですか」
「そうですね。まあ、とどめを刺したのは、そこにいるハーニェ・グウェルトンですが」
「まあ、勇敢でいらっしゃるのね」
「タナちゃん……いえ、信頼できる騎士タナ・ユーカーのおかげです。俺なんて、順番的に最後に馬上槍を突き立てただけです。あと、皆の補助も的確でしたから」
「あれがなければ、このツェフンの村はあの魔物に蹂躙されていたかもしれません。なんとか間に合って良かったと思っています」
「あら、そんなことはありませんよ。この村に、そんな魔物が入れるはずがありません」
後ろに控えて、給仕をしていたベスが口を挟んできた。
普通、こういう時に使用人は余計な差出口をきかない。
それが使用人と主人、客の違いだからだ。
だが、そんなことよりも、その発言内容が俺には気になった。
「……どういうことだ」
「はい、この村は〈墓の騎士〉様によって守られておりますから。皆様が例え魔物退治をおしくじりなされたところで、この村は安泰でございました」
「おー、言ってくれるねー。ベスちん」
冗談交じりにミィナが言う。
多少、イラっとした様子なのは、さすがにその言い草にかちんときたのだろう。
おまえたちのしたことは意味がないよと言われたようなものだからだ。
少なくとも生命をかけて戦った連中が反発することは当然だ。
だが、ベスは自分の意見を撤回する気はないようだった。
それどころか、さらに煽るように言い放つ。
「正直なところ、私はお嬢様が旦那様のお留守のときに、お客様がたをご招待したことについて不満があるのです。お嬢様は、バイロンの王都で勉学に励まれたお若い頃を懐かしく思われて、ついご招待なされたようですが、私どもツェフンの者はあのような田舎王国の騎士に親近感を感じないのです」
「ちょっと待ってください。このツェフンだって、うちの主権地域の範囲ですよね。田舎王国呼ばわりはどういうことですかっ!」
「私、その田舎の王都出身なんだけどっ!」
「喧嘩、売ってる?」
騎士の全員の反発を受けても、ベスは怯みもしない。
ある意味で強気というか、いい度胸といえた。
ルーユだけが、一人オタオタしている。
「このような辺境の村の無教養なメイドの意見に腹を立てないでくださいますか、騎士様がた」
「でも、少なくとも、あんたは喧嘩を売っているよね」
「そ、そのとおりですよ」
「ですから、無教養なメイドの戯言を間にうけないで欲しいのです」
「……俺は仲間を侮辱するものは許せない」
「ベスちん、酷いことを言うんだね……」
食堂が完全に険悪な雰囲気になったとき、
「ベスっ! もう給仕はいりません。下がりなさいっ!」
ルーユが言い放った。
少なくない怒気がこめられていた。
使用人の言動に相当腹を立てているのだろう。
よく考えれば、ベスの発言には主人を揶揄したものもあった。
「……わかりました、お嬢さま」
ベスは一礼して、食堂から出ていく。
俺たちの方には一瞥も送らない。
まるで空気のような態度だ。
「申し訳ありません、皆様。あの娘は、この小さな村で育ったもので、やや世間知らずなところがありまして」
「いや、頭を上げてください、ルーユさん。私たちも少し神経質になりすぎました。もう少し、騎士らしく振舞うべきところなのに、未熟にも興奮してしまってまことに申し訳ないです」
「こちらこそ、騎士様になんて無礼を……」
「いえいえ、こちらこそ……」
ノンナとルーユが謝罪合戦を始めてしまったので、他の面子もさすがにバツが悪くなったのか、それ以上は何も言わなかった。
ただ、ベスが口走った〈墓の騎士〉というものがいったいなんなのか、それだけが俺の頭に深く印象づけられた。
字面だけを捉えると、かなり不吉なもののような気がする。
……そして、その夜。
俺たちは、正体不明の敵に襲われた……。




