始まりは魔物討伐
ひゅん
クゥの放った矢の鏃は、魔物の背中の硬い甲羅に弾き返され、そのまま勢いを失い荒野に落ちる。
さっきから何本も見事に命中させているというのに、まったくもってダメージを与えられていない。
だが、そのこと自体をクゥは気にしていないようだった。
なぜなら、彼女の仕事はユニコーンのエリとともに巧みなステップを踏んで、距離を詰めたり広げたりして魔物の注意を引き続けることにあるからだった。
魔物の複眼のような黄色い二つの目は、どうしても巧妙に距離をとりながら併走する人馬から目を離せないようだった。
たまにクゥたち以外の人馬が近寄ると、長い胴体を転回させて迎え撃とうとするが、その度に頭部に矢を当てられて尽く集中を阻害される。
例の対抗戦以降、クゥの馬術は神がかってきていた。
相方であるエリでさえ、ときおりクゥの動き出しに追従しきれずに足並みが乱れることもあるぐらいだ。
馬速の緩急も、左右ヘの重心移動も、舞の如きステップも、どれも一級品で、皆のいいお手本となっていてくれる。
しかも、今回のような魔物討伐においても、最も危険な囮役を志願してくれるほどに周囲に尽くそうとする意識が高い。
得難い人材と言えた。
「こっちだよ、怪物っ!」
魔物の長い伸縮する胴体を、まるで障害物のように飛び越え、馬上槍で背中を抉ったのはミィナだった。
縦に長い線のような胴体を横九十度から突っ込み、致死性の毒を持つ顎や尾の届かない速度でその上を飛び越し、ざっくりと背中を抉るのである。
さすがの硬い甲羅も、ユニコーンの最高速度を叩き出すミィナとその馬上槍の鋭い切っ先を防ぎきることはできない。
痛覚を有する肉まで刃が達すると、夥しいほどの緑色の体液が吹き出す。
少し離れていたところで長弓を構えていたナオミともう四人が開いた傷口めがけて、鋭い矢を雨のように降らせる。
そのうちの数本は完全に刺さった。
その魔物は、長い胴と多くの脚を持って移動するムカデに似た怪物で、その移動に巻き込まれれば太い鉄の爪のような足に引き割かれるだろう。
上下の顎は、獲物を引き千切り咀嚼するためにグロテスクなほど巨大で、しかも時折緑色の体液をまるで痰のように吐く。
最初のうちに、この魔物の口からの体液に毒物が含まれていることを報告されていた西方鎮守聖士女騎士団は、できる限り接近せずに遠巻きに攻撃をすることを続けていた。
基本的には、さっきまでの行動の単調な繰り返しだ。
クゥが囮になり、ミィナと数人が胴体を猛速度で通り過ぎつつ傷つけ、長弓で傷口を射るということの。
だが、その追跡劇もすでに半刻。
団員たちにもやや疲れの色が見えかけていた。
俺の隣にいた騎士エイミーが、遠眼鏡を片手に持って言う。
「どうやら、しびれを切らしたのがいるみたいですね。もう少し先に三騎のユニコーンが待機しています」
「おいおい、時間をかけてあの魔物の体力を削ぐというのが、今回の方針だろ。勝手に仕留めにかかっていいのか」
「……待ってください。ここからだとよくわかりませんが、どうやら小さな村が魔物の行き先にあるみたいです。訂正します。しびれを切らしたわけではなく、あの村を守るためにあえて危険を選んだということのようです」
俺も自分の遠眼鏡を使って、進行方向を見てみた。
確かに、あの魔物の速度ならあと半刻もすれば辿り着く場所に、なんらかの人の集落のようなものが見える。
あそこまで行かれると、罪もない民に無用の人死がでるかもしれない。
すでにあの魔物の蹂躙によって、一つの町が壊滅しかけている。
これ以上の被害は出したくないところだ。
「装備や相方の見た目からして、待機しているのは、タナとハーニェとアオのようですね」
「アオ? あいつは攻撃の方はまだまだだろ?」
「ええ、タナとハーニェに比べれば少し見劣りますが、胆力の強さは折り紙付きです」
鳥の巣のようなぐちゃぐちゃの癖っ毛のアオ・グランズはミィナよりほんのわずかに生まれ月が早いだけで、十三期の中では年少の部類に入る。
戦技そのものはそれほどでもないが、何よりも『眼』がいい。
おそらくは動体視力というものが並外れているのだろうが、アオの凄まじいところは飛んでくる球の回転を簡単に見切れるところにある。
それだけではなく、レクリエーションの一環として俺が持ち込んだ異世界の遊びであるサッカーをやらせてみたところ、足元に転がってきた球の回転を見切って、ちょんと触れるだけで軌道を変え、ゴール前に決定的なパスを出すという真似をしてのけた。
とにかく尋常ではない眼の良さを誇るアオは、それ以外にも飛んでくる矢を払い落とすことができるという特技を持つ。
ただ、よく見えすぎる分、相手の意表をついたり、相手を惑わす見かけの動作を多用するタナやマイアンに対しては酷く相性が悪い。
そういった技術を使う相手に対しては、見えすぎるということは逆に危険なのだ。
強力な武器を持つため、どうしてもそれに頼りきってしまい、騎士の実力としての序列はいつまでたっても十三期の下位のままというのが、今のアオの評価だった。
「あの魔物の吐く体液を躱せるかどうかという人選でしょうね。タナよりはハーニェの考えだと思います」
「タナは時折突撃バカになるからな。いざという時の小狡さはオオタネア顔負けなんだが……」
「教導騎士は、だからこそ、あの二人を組ませたのでしょう」
「そうだけどな」
三騎の布陣は、先頭にアオ、その左翼にハーニェ、右翼にタナというものだった。
なるほど、魔物の体液についてはアオを信じて突っ込ませるのか。
だが、かなり危険な賭けのような気がする。
体液は文字通りに液体なのだ。
高速で飛んでくる液体を完全に交わしきることなど不可能のはずだ。
「ユニコーンの〈物理障壁〉は本当に一瞬しか張れませんからね。色々と見切れるアオが担当するのがいいという発想なのでしょうね」
「なるほどな」
ユニコーンは、二つの障壁を自分を中心に球形に張ることができる。
ひとつは、魔力を弾き返す〈魔導障壁〉。
これは〈雷霧〉の中に突入するためのユニコーンの最大の切り札であり、もともと聖獣であることから、比較的長時間張ることができる。
一方の〈物理障壁〉はユニコーンと乗り手をあらゆる危害から防ぐことができるが、ほんの一瞬しか張ることができない。
そのため、ユニコーンたちが自分自身の意思で張る場合以外では、まず使われる事がない。
もちろん、乗り手がタイミングを指示すればいいのだが、それもなかなか難しいことがある。
しかし、アオほどの眼を持つ乗り手ならば、張るためのタイミングをうまく相方と決めておけば〈魔導障壁〉を有効活用できることだろう。
「アオの相方は、ハーの奴か。ゼーの次に歳食っているし、そのあたりの戦闘における勘も鋭いはずだ。俺からすると危険な賭けだが、あいつら的には好手という所なのか?」
「ハーは騎士メグを〈雷霧〉から連れ帰ってきてくれたユニコーンです。一番最初に、あの汚らしい雲の中から先輩方を救い出してくれました。そして、戦場での細かい判断力には定評があります」
自身も〈雷霧〉から帰還した経験のあるエイミーにとって、西方鎮守聖士女騎士団の騎士が帰還することができるという事実を証明してくれた一角聖獣は自分の相方でなくても思い入れのある相手なのだろう。
「わかった。ハーと、そして騎士アオを信じよう」
「はい」
馬上槍と長弓で傷を負ったせいで、ややゆるくなったとはいえ、全長十六間(約29メートル)の化物は人の走る速度並みで進んでいる。
もう四半刻(十五分)もすれば町に突入される距離まで達した時、待機していた三騎がついに突貫を開始した。
さすが、オオタネアの可愛がっている騎士達。
いつもの下品な掛け声とともに、一気に魔物めがけて突っ走る。
併走しつつ、魔物の動きを封じ、かつ、傷をつけていた残りの十騎の乗り手たちは、正面の三人から注意を引き付けるため、さらに弓矢でちょっかいを掛ける回数を増やした。
特に危険な頭部の届く範囲には、騎士団の乗り手の双璧であるミィナとクゥが緩急を自在につけて囮の動きを繰り返す。
前方から三騎が異常ともいえる速度で視界に入ってきた時、ようやく魔物はその蟲のごとき頭に中にある脳幹で敵の襲来を悟った。
くあっと顎が上がる。
毒の体液を吐くための予備動作。
クゥがその口中に矢を射ったが、それでは魔物の攻撃の準備はやまない。
緑色の体液が俺たちの場所からは扇状になって噴出されるのが見えた。
噴出範囲はかなり狭い。
一騎が狙われる程度だった。
当然、わずかに先行していたアオたちがその標的になる。
緑の地獄の沼から湧き出されるような毒液を浴びる寸前、白色の球体がアオたちを包み込む。
ユニコーンの〈物理障壁〉だ。
刹那の防御であるが、その一瞬をついてアオたちは毒を無効化し、魔物の眼前に迫る。
アオの持った馬上槍が、体液を吐くために鎌首をあげた魔物のむき出しの腹を貫く。
同じような緑色の体液が吹き出るが、口からのものとは違い、胴体からの体液には気持ち悪い以外の害はない。
根元近くまで刺さったままの槍をそのまま捨て去り、アオは魔物の脇をすり抜け後方へと離脱する。
次に魔物に馬上槍を食らわしたのは、タナだった。
真正面からのアオと違い、わずかに外回りをしてから、中央に入り込み、斜めに一撃を食らわせると、ムカデに似た魔物の腹を、横合いから串を刺すように容易く貫通する。
タナの場合、それだけでなく、去り際にも左手の〈陽火〉でもってさらに追撃を加える。
〈陽火〉には微量ながら魔力がこもっているので、魔物の甲羅ですら積もったばかりの雪のようにさっくりと切り裂ける。
そして、最後にお馴染みとなった野生の雄叫びとともに、ハーニェとゲーが飛びかかる。
ゲーは一瞬の速度こそないが、目方についてはすべてのユニコーンの中でもっとも重い。
その体重込みの渾身の一撃が、タナの刺突と斬撃でフラフラになり下がった頭部にある顎の中心に叩き込まれる。
上下の顎が完全に閉じる前に突き込まれた一撃は、根元どころかハーニェの腕の先まで飲み込まれ、蟲のごとき頭にでかすぎる風穴を開けた。
魔物の動きがただの断末魔の痙攣になることが予想された途端、併走していた残りの十騎が次々と自分の馬上槍で串刺しにしていく。
とどめを刺す時は確実に、迅速に。
将軍閣下自らの教えに従って、一片の容赦もない見事な仕留め方だった。
そして、それからわずかな時間だけ痛みに悶えたあと、とある町を襲ったムカデに似た魔物は絶命した。
◇
「全騎士、よくぞやり遂げたな。私も先輩として鼻が高いよ」
討伐後、後始末を終えて戻ってきた後輩たちに、エイミーが賞賛の言葉をかける。
これで全員での魔物討伐は二度目、最初期の〈手長〉戦をいれれば、三回目の実戦経験だった。
俺が就任し、十三期が揃ってから約半年という期間にしては、順調な成長ぶりといえた。
約一年から半年周期で発生する〈雷霧〉のことを考えると、そろそろ新しいものの発生も考えられる以上、計算できる戦力の確立というのは喜ぶべき知らせといえた。
約十二年前の発生当初の〈雷霧〉は、周期などというものは関係なく、次々と西方を飲み込んでいったが、〈赤鐘の王国〉を飲み込み、バイロンの隣に存在した〈瑪瑙の公国〉を滅ぼした時には、その発生速度もやや鈍くなっていた。
そして、西方鎮守聖士女騎士団の第一期が、全滅と引換に〈核〉を破壊してからは、完全に一年から半年周期に固定されたものと考えられている。
それはなぜかという学術的な答えは見つかっていないが、最も有力な説は、〈核〉の錬成には常に新しい土地のエネルギーが必要で、十年前の騎士たちに最新の〈核〉を破壊されたことから錬成時間が伸びるようになってしまったのだろうというものだ。
その説は、西方鎮守聖士女騎士団が二度ほど〈核〉を破壊し損ねた時に、次の〈雷霧〉の発生が四ヶ月から五ヶ月後に短縮されたことを理由としている。
なるほどと納得できる仮説ではある。
ただ、前回の十二期による〈核〉破壊は成功しており、おそらくは次の発生は一年後だろうと推測されている。
まあ、あのオオタネアがそんな見込みで戦略を立てるわけもなく、そろそろ半年が過ぎようとする今の時期、騎士たちは明日にでも〈雷霧〉が来るものとして日々の訓練を重ねているのだ。
「魔物の遺骸の始末は、近くの街の兵士が行うことになっているから、私たちはここで任務終了だ」
「はーい、エイミー先輩」
「なんだ、ミィナ」
「出陣は終わりとして、もう森に帰るんですか? さっきノンナちゃんが隊を二つに分けるみたいなことを言ってたんですがァ」
「ああ、半数はこのまま私とともに森に戻る。あとはあそこに見える村に寄ってから、この魔物討伐の報告をして、危険は過ぎ去ったことを説明してから戻って来い。もう、夕方になるから、その半数は宿があるようだったら村に泊まってから、明朝、帰還しろ」
騎士たちがざわついた。
今まで、出陣はあっても、野営はほとんどなかったからだ。
楽しい息抜きになる可能性が高い。
これは好機とばかりに、幾人かの眼が光る。
遊びたい盛りの年頃ということもあるが、やはり退屈な日常の中に何かイベントが起こると一丁のりたくなるのだろう。
「では、志願を募るが、行きたいものは?」
「「「はい」」」
と、マイアンともう一人以外、全員が挙手した。
全員、こちらがヒクほど楽しそうだ。
隊長のノンナまで同じ調子だというのは、さすがにどうかと思うが。
若い娘っこどもの扱いはまことに面倒だ、とオオタネアがたまに愚痴っているのもわからんでもないな。
「……ノンナ、くじを作って六人を選べ。お前が入っても構わない。あと、教導騎士、引率をお願いできますか?」
「俺がァ?」
「はい、こういう田舎の辺鄙な町村だと、女ばかりだと軽く見られることがありますので」
「俺だって見た目はどうして餓鬼だぞ。押し出しはまずきかない」
「それは大丈夫です。これをどうぞ」
エイミーがでかい革袋をごそごそと漁り引っ張り出したものを、はいっと手渡された。
それは口だけが出るような顔と頭をすっぽりと覆う仮面だった。
なんかで見たな、こんなの。
元の世界にいた時に……。
「傷痍騎士だということにすれば、十分に通用すると思いますよ。教導騎士は言動が小物臭いですが、立ち居振る舞いは尊大ですから」
「……おい」
俺が文句を言おうとしたとき、
「決まりましたー!」
と、何人かが手に矢を持って近寄ってきた。
どうやら鏃をくじの代わりにしたらしい。
おまえら、騎士の武器をそんなものに使うなよ。
後ろにはくじ運のなさを嘆いている連中が、膝をついて凹んでいた。
ものすごい絶望と辛酸を味わいまくったような様子でかなり哀れになる。
そこまで落ち込まんでもと思ったが、俺の好感度が落ちるので止めた。
ちなみにノンナは村に行く班に決まったようで、エイミーとしては彼女中心の編成にするらしい。
俺は、オマケな。
「では、ノンナ班は準備でき次第出発すること。残りは私とともに帰宅だ。では、動け!」
「「「おおっ!」」」
「「へ~い……」」
と、あまりにも気合の違う二種類の返事があったあと、俺はノンナたちの後について、後方にある村へと向かった。
だが、あのくじは実際のところ、貧乏くじ以外のなにものでもなかったなと後で思い返すことになる。
なぜなら、あの村で俺たちが遭遇したのは、阿鼻叫喚の幽霊騒ぎだったのであるから……。