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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第六話 〈妖帝国〉の魔道士
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摩耗した誇り

 俺はユギンとともに部屋を出た。

 シャッちんよりも早く、彼女とヤンザルギ一行の宿泊している宿に先回りするために、ユギンの〈軽気功〉と〈剛力〉の世話になる。

 俺を小脇に抱えらたまま、ユギンはビブロンの街の屋根の上をぽんぽんと飛び跳ねる。

 人生でここまで荷物気分になったことはない。

 手荒く扱われてはいないといっても、宅配便の荷物になったような、なんともいえない感じだった。

 異邦人であるシャッちんと違いここを防諜の主戦場として熟知しているユギンは、簡単に彼女の頭上を過ぎ去り、一軒の宿屋に窓から忍び込んだ。

 ベッドとテーブルと椅子があるだけの質素な部屋だった。

 人の気配はない。


「ここは私が見張りのために借り上げている部屋です」


 言われてみてよくよく観察してみると、誰かが使っている気配はない。

 寝床だけは敷き布が乱れていたが、おそらくは使ったように見せかけているにすぎないのだろう。

 完全に見張りのための一室だった。


「……下の階に、例の魔道士一行が泊まっています。付いてきてください」


 そう言うと、ユギンは床板を引っペがし、すぐに人が通れるぐらいのスペースを作り出した。

 そのまま、床の下に降りる。

 どうやら、上下の部屋と部屋の間には、ちょっとした空間があるらしい。


「ビブロンの周辺はたまに地震が起きますから、このような空間を意図的に作ることで、震動を逃がす工夫をしているのです。人が通れる幅や高さがありますから、間者には重宝する場所になっています」

「そうなのか? 俺たちの宿舎も?」

「ええ。ですが、あっちは閣下の指示で間者殺しの罠が多数張り巡らされていますから、ここほど容易には動けません」


 なるほど、以前の間者たちがなかなか宿舎内に潜入できなかったのは、そういう事情があったのか。

 音を立てないように梁に掴まって進んでいくと、宙に浮く水晶球が目に付いた。

 なんの支えもなく浮いているように見えたが、よくよく観察すると、一本の絹の糸が水晶球から垂れ下がって床(下の部屋からすれば天井板)に触れている。

〈幻視球〉という、糸の先にある景色を少し離れた場所にある水晶球で映し出す小道具だった。

 俺の元の世界の知識で言えば、ファイバースコープと受信・放映用のテレビカメラというところか。

 使用する魔導もごくわずかで、直接〈千里眼〉のような覗き魔導を使うよりも察知されにくいらしい。

〈幻視球〉が足元の部屋の様子を映し出す。

 わりと大部屋で、何人かの猿のように額が狭い男たちが酒を飲みつつ、奇声をあげていた。

 護衛というか取り巻きの男たちの部屋らしい。

 空の酒瓶が転がるだけならまだしも、床にはボロボロと肴の食い物をこぼし、敷き布やカーテンで汚れた手を拭き、あたりかまわず痰や唾を吐き散らすケダモノのような男どもだった。

 服もまともに着ているものはおらず、全員が全裸もしくは黄ばんだ下着をつけているだけ。

 中には性器を丸出しでボリボリと掻き、その手で食事を続ける奴もいる。

 酒に酔ってのご乱行というのはよく見かけるが、ここまで正視できない乱痴気騒ぎは珍しい。

 宿の主人も大変だな、と暢気に考えていた。

 その時、扉が開いて、シャッちんが入ってきた。

 挨拶もなにもなく、無言で部屋の隅に行く。

 ……待て。

 なぜ、彼女がこの大部屋に入ってくるんだ?

 シャッちんは女なんだぞ。

 もしかして彼女もこの部屋なのか。

 この猿どもと同じ部屋で寝泊まりさせられているのか。

 ベッドに腰掛けようとしたシャッちんがいきなり前に倒れこんだ。

 男たちの一人が彼女の腰を蹴飛ばしたのだ。

 警告もなにもなく、無造作に、しかも全力で。

 シャッちんは床に倒れこむが、腕でうまく受身をとっていたので怪我はなさそうだったが、実際はそんなものでは済まぬ蛮行だった。

 女を後ろから蹴るだと?

 俺の血が頭に昇りかけたが、部屋の中ではそんなことでは済まない光景が始まっていた。


「てめえ、どこに行ってやがった! ヤンザルギ様の護衛を放ったらかして遊び回るとは結構な身分だな」


 床に伏して立ち上がろうとも、目を合わせようともせず顔を背けるシャッちんを男が罵る。

 手にしたグラスの中身がシャッちん目掛けてぶちまけられた。

 シャッちんの上半身が酒で濡れる。


「……すまない」

「なんだ、その口の利き方はよっ!」


 男が一歩近寄り、シャッちんの肩を踵で小突く。

 顔のしかめ方をみると、かなり痛いようだ。


「護衛のくせに、ふらふらと持ち場を離れて、遊び回るとは何様だ、おい」

「以後、気をつける」

「……いご、きをつける。ふっざけんなっ!」


 オウム返しというよりも、下手で不快なモノマネをして嘲笑い、そして次の瞬間にはキレる。

 酒に酔っているとはいえ、異常なほどの喜怒哀楽の激しさだ。

 普段なら、まともに相手をしてはいけない連中だろう。

 しかし、シャッちんの場合はそうはいかない。

 少なくとも、寝泊りを共にし、同じ魔道士を護衛する同志の関係なのだ。

 無視するのは得策ではない。


「……本当にすまなかった」


 床にうずくまりながら、それでもシャッちんは礼を逸しないように頭を下げる。

 万国共通の騎士の礼だった。

 潔い光景だった。

 だが、潔いからこそ、それを認めないものがいる。嘲笑い、地に這わせようとするものがいる。

 突然、別の男がシャッちんの脇腹を蹴りつけた。

 その目には、愉快な遊びでもしているような嫌な色が浮かんでいた。


「……おいおい、いつまで騎士気取りでいるんだよ。〈妖帝国〉の騎士さんよ」

「てめえはヤンザルギ様の奴隷なんだぜ。一端の口をきいていい立場じゃねえんだよ」

「おらっ!」


 また、別の男が寄ってきて、彼女の顔を殴りつける。

 容赦も呵責もない打撃。

 しかも、奴らは慣れている。

 日常的に似たようなことをしているのだ。

 つまり、それは、シャッちんを、いつも……

 私刑が始まった。

 殴る蹴るの暴行、という。

 だが、立ち上がろうともせず、床に座ったままの相手に向けられるのは、執拗な踏みつけと足の爪先による小突き回しだ。

 小柄ではないが、男たちのようにゴツイ体格ではない彼女を囲むようにして、男たちの罵倒混じりの暴行が続く。

 少し前、酒場でセザーがされたものよりもはるかに無惨な光景が、女のシャッちんに向けられていた。

 なぜ、彼女がこんな目に合わされるのか。

 俺にはよくわからない。

 こいつらが束になっても、魔導騎士である彼女に傷ひとつ付けることは叶わないはずだ。

 なぜ、耐えているんだ、シャッちん。

 君なら戦えるよね。


 ―――僕は君が強いことを知っているのに。


 さらに私刑がヒートアップしそうになった時、隣室から、例の魔道士が顔を出した。

 室内の様子を見ても眉一筋動かさない。


「おまえら、あまりやりすぎるなよ」

「しかし、ヤンザルギ様……」

「……僕はやりすぎるな、と言った」

「は、はい!」


 魔道士は、私刑の輪に近づいてきて、息も絶え絶えのシャッちんを見下ろした。

 蔑むような、馬鹿にするような眼で。

 いや、違う。

 こいつはシャッちんをいたぶり苦しめることを楽しんでいる。

 口元の三日月のような亀裂がその証拠だ。

 虫唾が走る笑みだった。


「さすがだよ、バーヲー。一年もの間、〈支配〉に抗い続けるなど、魔導騎士の鑑だ。……しかし、そろそろ屈服してもいいんじゃないのか?」

「……屈服?」

「ああ。僕はおまえが完全に下僕(しもべ)になり、僕に尽くしてくれるようになればそれで満足なんだよ。それなのに、おまえは逆らい続ける。だから、こいつらにおまえを可愛がるように言わなくちゃならない」

「……」

「はっきり言って、辛いネ」


 言葉とは裏腹に、ヤンザルギはまったく辛そうではない。

 それどころか、隠そうともしない満面の笑みを浮かべて、心底おかしそうに声を立てやがる。

 耐え難い嫌悪感。


「数少ない同郷の人間ではないか。もっと心を許しあってもいいと思うが……」

「……すみませんが、魔道士ヤンザルギ。私は貴方に抱かれる気も、貴方を情夫(おっと)と呼ぶ気もない。それは一年前から変わらない」


 それを聞くなり、ヤンザルギは不快そうに目尻を吊りあげ、そして憎々しげに言い放った。

 さっきまでの余裕をかなぐり捨てるような変貌だった。

 この男の本質がこれなんだろう。


「ちっ、いつまで貴族の姫様ぶって高飛車な女だよ、おまえは。おい、死なない程度にもう少しいたぶっておけ。だが、忘れるな。こいつは僕の護衛なんだ。死なせることも、傷つけることも、犯すことも許さない。このお澄ましヅラが完全に剥がれ落ちるまでな。わかったな」

「わかりやした、魔道士ヤンザルギっ!」

「僕はもう寝る。買ってきた娼婦たちを待たしているのでね。終わったら、おまえたちにもわけてやるから、それまで待っていろ」


 下品な追従と歓声が沸き起こった。

 品性が著しく欠ける連中らしい下劣さだった。


「……魔道士ヤンザルギ。この街の代官が、貴方のことを調べている。そろそろ、ここから去った方がいい」


 息も絶え絶えだというのに、シャッちんがヤンザルギに忠告をする。

 どんな形であれ、今の彼女の護衛対象のために尽くそうとするのは、彼女の度し難いほどに生真面目な性格の顕れだった。

 だが、そんな彼女の忠告を魔道士は鼻で嘲笑った。


「ふん、代官がなにをできるというのかね。僕はこの国では何もしていないよ。だから、僕を罰するどんな法律だってありはしないさ。それとも、あれか。〈青銀の第二王国〉は罪もないものを罰することができるというのか。バーヲー、人の心配をするよりも自分のことを心配するんだね」


 そう言い放つと、魔道士は自室に戻っていった。

 そして、再び、バカ笑いとともに私刑が始まる。

 ……俺は目を背け、そして、ユギンを促して、彼女の借りている部屋に帰った。

 間者は何も言わない。

 俺のことを気遣っているのだろう。

 シャッちんと俺の関係については、さっきの会話でだいたい推し量れるだろうから、余計なことを言わないようにしているのか。

 俺は足元を見つめた。

 この下ではまだあの私刑が続いている。

 だが、俺はそれを止めない。

 止める権利はない。

 なぜなら、シャッちんが誰にも助けを求めないでいるのは、無抵抗をもって理不尽と戦っているのではないから。

 彼女は諦めているのだ。

 十年の彷徨は彼女の誇りを限界まで摩耗させたのか。

 もうどんな理不尽と戦う力もないぐらいに。

 今の彼女はただ流されるままに、あの男たちに従っているだけだ。

 あの環境から逃げ出すことも考えられなくなっているんだ……。

 だから、俺は彼女を助けない。

 助けてはいけない。


「……教導騎士」

「なんだ」

「一つだけ、質問させていただいてよろしいですか?」

「……一つだけならいいぞ」


 ユギンは微妙に視線を外しながら、小さな声で問うた。


「―――なぜ、笑っているのですか?」


 いくつもの修羅場をくぐり抜けて来た間者が不安そうに顔を歪めていた。

 笑っている?

 俺が、あの光景を見て?

 そんな馬鹿な。


「いつものあなたなら、怒り狂って、あの中に突撃したでしょう。あなたは、友人を侮辱されて黙って引き下がれる人間ではないはずです。それなのに、拍子抜けするほどあっさりとあの場を離れて、しかもここでにこにこと笑っている。正直言って、怖いです」

「にこにこ……?」

「はい、陽気に楽しそうですよ」

「そうか……」


 俺は笑っているのか。

 そこまで、怒りの感情を深く隠さなければならないほどに狂っているのか。

 奴らを皆殺しにしてやりたいほどに。


「ユギン、奴らが〈赤鐘の王国〉でやったという役人殺しを調べろ。他に悪事を重ねているなら、それもだ」

「はい。でも、それでどうするのですか」

「教えてやろうと思ってな」

「……代官にあの魔道士が手配されているということをですか?」

「いいや」

「では、何を?」


 俺はもう一度だけ足元に視線を落とし、おそらくは凄絶な笑顔を浮かべて言った。


「不死身の〈妖魔〉の本気の戦いというものを、だ……」

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