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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
第六話 〈妖帝国〉の魔道士
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〈妖魔〉と騎士

 俺は過去の記憶を見ていた。

 十年も経つと、記憶も摩耗して欠損し、とりわけて印象深いものしか浮かんでこない。

 それなのにまず最初に浮かんできたのが、シャツォン・バーヲーと食事をしていたときのものだったというのは、結構意外だった。

 まだまだこの世界に召喚されたばかりで、右も左もわからず、しかも魔道士による〈去勢〉の魔導で恐怖心というものを剥奪されていたこの頃の俺は、見た目だけはのんびりとしていたように見えたはずだ。

 シャツォンがいつもイライラしていたのは、そういうお気楽な様子に腹を立てていたからだろう。

 ある日、食事中に、


「貴様を見ていると無性に腹が立つぞ、異世界の〈妖魔〉」


 腹立たしそうに、皿の上の肉をナイフで切り裂きながら呟くシャツォン。

 ふたりっきりで対面に座って食事をしているのだから、そういう態度で接せられるとメシがまずくなると思った記憶がある。

 ちなみに、俺は当時、異世界から召喚された〈妖魔〉扱いで、まともに名前すら呼んでもらえていなかった。

 最初から自分の世界にいた時の記憶があやふやで、自分に関しては名前とちょっとしたプロフィールぐらいしか覚えていなかったことから、基本的にはどうでもよかったが。


「……そうはいわれてもなぁ、僕にはシャッちんがどうしてイラついているのかさえわからないし。あ、もしかしたら、肉が嫌いなのか? だったら、僕が食べてあげるよ」

「違う。肉は大好きだ。そんなことではない」

「なるほどね。そうなると、つけ合わせの芋が気に入らないとか」

「もっと違うっ! 私が食い物にばかりこだわっていると決めつけるな。そういうところもイラつく理由なのだっ!」

「じゃあ、なんなのさ。僕はね、女の子には縁がなかったから、異性の微妙な機微を悟れといわれても無理なんだよ。口で言ってもらわないと。はい、口で説明して」

「くっ、〈妖魔〉のくせに……」


 ものすごく恨めしそうな眼で睨む、シャツォン。

 そういえばいつもこんな顔だったな。


「……まあ、いい。それよりも、貴様、私のことをシャッちんとか呼んだな。変な渾名をつけるな、迷惑だ」

「……迷惑も何も、シャツォンって発音しにくいんだよ。『社長』とか『シャットン』になっちゃうからさ。だったら、シャッちんの方がいいだろ」

「異世界の〈妖魔〉の声帯では私の名前は発音しにくいというわけか。仕方ない、特別に許可してやる。……だが、魔道士殿や他の騎士の前ではやめろよ。〈介添え人〉と呼べばいい」

「ああ、わかったよ、シャッちん」


 実のところ、俺がシャツォンをシャッちん呼ばわりしていたのは、単なる嫌がらせの一環にすぎなかったのだが。

 彼女はそれを真面目に受け取り、それ以来、俺はずっとシャッちんと呼んでいた。

 

       ◇


 俺が召喚されたのは、〈白珠の帝国〉ツエフの東に位置する魔導都市ザイム。

 人口二万人ほどの小さな街だったが、街を囲む城壁はなかなかに堅固で、東に急流の河川、北に切り立った崖を持ち、西にある唯一の出入り口である大門、そして城壁外部に建てられた城砦の二倍はあろうという巨大な物見の塔のおかげで盗賊や魔物といった外敵に対して即座に反応できるという、多少街道から離れて不便ではあったが、安全な場所ではあった。

 もともと、ツエフの魔道士たちが魔導の実験のために開拓した場所で、三千人の魔道士と千人の兵士が中心となり、多くの若い魔道士たちの指導にあたるなど、一種の大学のような目的の街であった。

 ただ、本来の目的は、なにか巨大な儀式魔導のためだという話だったのだが、結局、俺はその目的というものを知ることはなかった。

 前述したように、外敵に対しては千人の兵士とそれを率いる数人の騎士が対処することになっているのだが、シャッちんはその騎士の一人だった。

〈妖帝国〉の騎士は、中央や東方の騎士と違い、体内で発生させた魔導を思念の形に昇華することができ、外部に放つことができる。

 東方の騎士たちの気功術が〈気〉を体内に巡らすだけなのに対して、身体の外に放出することで触れずに打撃を与えたりすることが可能なのだ。

 その分、〈気〉と異なり、拳から相手の身体に通すことなどはできないのだが。

〈妖帝国〉ではその技術のことを普通に〈気〉と呼称していたが、東方では区別のために〈魔気〉と呼んでいる。

 シャッちんは〈魔気〉の若いながらも達人でもあり、背負った細身の長剣を媒介にして、触れずに三間(約5メートル半)離れた岩を切り裂くことができた。

 優れた指揮能力も有するため、百人の兵士の長でもある彼女が、なぜ俺に介添え人としてついていたかというと、複雑な事情がある。

 まず、ザイムという街の城壁の外が、二種類の魔物の群れによって埋め尽くされていたということである。

 それだけならば、時間さえかければなんとかなっただろう。

 問題は、二つあった。

 まず、いつまでたっても救援がこないということだった。

 ザイムの魔道士たちは、帝都のみならず、近隣の都市全てに向けて〈遠話〉を使って救援の申し出をしていたのだが、返事どころかまったく受信されている気配もなかったのだ。

 普通なら、他の都市も何らかの危機的事態に遭遇しているのではと考えるところである。

 だが、〈妖帝国〉は、大陸すべての国家を敵に回したとしても十分に勝ち目があるほどの強大な武力と魔導を備えた国であり、それが〈遠話〉に返答もできないなどということはありえないと、その可能性は魔道士たち自らが否定してしまった。

 魔道士たちの楽観というよりも、〈妖帝国〉の本来の強大さを考えた結果であることから、特別無理な結論ではない。

 当時の〈妖帝国〉はそれほどの大国だったのである。

 ただし、そのことといつまでたっても救援がこないことは別問題である。

 研究者ばかりで戦闘ができる魔道士のいないザイムにおいては、千人の兵士のみで城壁の外の魔物の群れを全滅させることは不可能であるのだから、なんとしても追加の戦力が必要であった。

 次の問題は、大門の外の物見の塔を魔物に占拠されたことによる弊害である。

 それはなにかというと、魔物の中に異常なまでの弓の使い手が存在し、物見の塔の頂上に巣食ってしまったのだ。

 その魔物は半里(約二キロメートル)の距離から、道を歩くザイムの住民を無差別に射殺し始めた。

 ザイムの城壁の内部全体の幅が半里よりやや大きい程度であったことから、街中すべてがその狙撃の有効範囲になった。

 的にされたら必ず殺されるという訳ではなかったが、昼間のうちに不用意に出歩くと、ほぼ確実に狙われた。

 魔道士も、兵士も、一般人も問わない。

 無造作に、無慈悲に、そして無作意に。

 ザイムの人々は昼間に移動するときは物陰にかくれ、もしくは鉄の盾を背負って、のろのろと動くしかなくなった。

 建物の中にいても、不用意に姿を見せれば射殺される。

 しかも、魔物は城壁の外の塔の中だ。

 魔物の群れの中を突破し、塔を制圧しなければ、このままジリ貧になる。

 同じ真似はできないので、そう簡単に排除することもできない。

 この二つの問題が、ザイムの人々が直面した難事だった。

 対処の方法がひねり出せず、どうしようもなくなったある日、ギルドの魔道士が街のトップの命令で禁忌の魔導を用い、異世界から〈妖魔〉を召喚した。

 戦力の一環として、そして、弓の魔物の注意を引くための生きる的として。

 それが俺だった。


「……貴様の召喚のためには、男を知らぬ処女の肉体が必要だった」


 しばらくして事情を理解し始めた俺に対して、介添え人として立候補してきたシャッちんが言った。


「妖魔召喚の魔導は、生贄となった処女の胎内に〈妖魔〉の魂を宿らせ、三日の時間をかけて内側から〈妖魔〉のもともとの肉体に変貌させていき、最後には髪の毛、爪の先にいたるまですべてを異世界にいた〈妖魔〉の姿に変化させる。次元の壁というものは、そのような方法でなければ越えられないのだ。魔導によって喚び出せるのは魂のみだからしかたがない」

「なぜ、処女なの?」

「まだ男を知らない身体には、男の精液による固有情報というものが刻み込まれないんだ。その固有情報は本来なら問題にならないが、他者の魂と接触することで変質させてしまうおそれがある。そうなると、〈妖魔〉に異常が生じてしまうため、最低限の条件として処女である必要性が生じるわけだ。……さらに貴様の身体に、私の姉が使われたもう一つの理由は、優れた兵士でもあったからだ」

「……」

「生贄の処女の肉体が書き換えられる以上、もとの肉体のことは何も残らないのが当たり前なのだが、身につけた技術や記憶が希に滓のように残るようなことがある。魔道士たちはそれを期待したんだ。召喚した〈妖魔〉が無能では話にならないからな」

「……ごめん」

「貴様に謝られてもな。……決断したのは、街の長だし、姉さまは魔物の最初の進行のときに脊髄をやられて〈気〉が使えなくなっていたから、騎士としてはもう廃業という状態だった。志願という形だが、テイのいい自殺だったのだろう。姉さまは騎士としての誇りに殉じたがったのだろうけど、もう捨て鉢になっていたから」


 普段はイライラしてばかりのシャッちんが、珍しくそんな話をしてくれたのは、俺が物見の塔に侵入するための作戦の決行前日であったからだろう。

 正直、作戦としては杜撰なもので、俺が塔にたどり着いたからといって、どうやって頂上の弓の魔物を倒せばいいのかだって最初はまともに決まっていなかった。

 直前になって用意されたのは、莫大な魔力の篭った水晶球。

 これで自爆してこいという話だった。

 いかに不死身に近いとは言っても間近で爆発すれば、いくら俺でも死んだであろう危険な兵器だった。

 もっとも、俺を奴隷にしようとした〈支配〉の魔導の効果は既に切れていたが、〈去勢〉と〈狂奔〉だけは毎日のようにかけ直されていたので、俺の精神はかなりやけっぱちになっていて、いっちょやってやろうかという気にさえなっていたので、特に逆らう気もなかった。

 今ならば別かもしれないが、自分の世界に戻れないということを無理に理解させられていたせいでもあろうか。

 自殺する気満々だったのだ。

 あとは、ザイム特製の拷問器具のような鎧一式。

 魔導によって、色々と防御される上、よくわからない機能がつけられた実用性皆無の品だった。

 武器は特になし。

 あっても使いこなせないだろうから、俺の方から断った。

 ついでに言うと、戦い方はなにもレクチャーされず、俺も騎士であるシャッちんに聞こうとも思っていなかった。

 つまり、なんの計画性もないただの特攻だったのだ。

 俺が今に至るまで、〈妖帝国〉の魔道士たちに好意を抱いていないのは、まさに頭でっかちで使い物にならないその融通の利かなさを体で理解しているからでもある。


「……貴様には悪い、と思っている」

「なんだよ、急に。シャッちんって理不尽に怒りっぽい性格なんだから、もう少しプリプリしていたほうが楽なんだけど」

「わ、私は、怒りっぽくなどないぞっ!」

「そんなことはないよね」


 なんというか、シャッちんのいつも睨みつけるような目つきやきつい物言いにいい加減に慣れてきていた俺は、すでに彼女をおちょくるだけの余裕を見せていた。

 というか、あの街で一番楽しかったのは、彼女をからかっている時だけだった。

 それ以外は、陰気で滅滅としてつまらない場所だった。

 魔道士たちも自分勝手で狷介で、人好きのしない粘着質な性格のものばかりで、当然取り巻きたちも同じ、住人たちも似たような連中揃い、唯一生真面目だが陽性の性格をしていたのがシャッちんだけという状況であったこともあるのだろう。

 

「おのれ、私が姉さまの身体を奪った〈妖魔〉の貴様のことを恨んでいないとでもおもっているのか? 私はずっと貴様の首を狙っていたのだぞっ!」

「別にどうでもいいけど」

「なんだとっ!」

「シャッちんに殺されるんなら別に構わない。むしろ、殺されれば魂が解放されて自分の世界に戻れるかもしれないしね」

「……おい」

「うーん、僕が自爆を引き受けたのだって、本当のところ、死ねば帰れるかもって考えただけだからね。……この肉体をくれたお姉さんには悪いけど、僕は一刻も早く死にたいんだ」

「……バカ、おいバカ、貴様やめろバカ」

「でも、僕の元の身体ってまだ残っているのかなぁ。火葬とかされていたら終わりだよね。それだけが心配だよ」

「……もういい、それ以上言うな。このバカ」

「バカバカ言わないでよ、悲しくなるじゃないか」

「本当のことだろ、貴様がバカなのは。バカの国から、バカを広めに来たのか、このバカ」

「喚びだしたのはそっちじゃないか」

「……だから悪いと言っている。貴様のような奴に死ねといえるほどの権利は私たちにはないのだから」


 シャッちんとは短い付き合いだったが、召喚されてからいつも一緒にいて、彼女の優しいところや気高いところはよくわかっていた。

 この世界でただ一人の友達であったのかもしれない。

 ただ、彼女は自分の職責を果たすことだけに懸命で、そこまで俺に肩入れできなかっただけなのだ。


「僕が成功したら、なんとかして街を立て直してよね。ここの連中のこと、全然好きになれないけど、だからといって死なれるのは嫌だからさ」

「ああ、任せろ」

「頼んだよ、シャッちん」

「ああ、―――」


 その時のことはよく覚えている。

 別れ際の彼女の顔とともに。

 シャッちんは言ったのだ。

 この世界に来てから、もう誰もよんでくれる事のない俺の本名を。


「このザイムを救ってくれ。 晴石聖一郎(はれいしせいいちろう)


 と。

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