大将たちの決戦
王都守護戦楯士騎士団側の空気は、とんでもないものになっていた。
まだ3戦目ではあるというものの、ナオミの意図的な引き分けを考慮すると、すでに三タテで追い込まれた状況になってしまったからである。
しかも、あと一敗したら、大将戦を待つことなく終了、敗北が確定する。
さらに言うと、ユニコーンとただの馬種の明らかな能力差というものを、先程のクゥとエリ組の実践により見せつけられている形となっているため、大将戦に予定されている馬上槍試合に持ち込まれた場合、勝ち目というものが薄すぎることが認識され、完全に詰みかけた段階なのである。
正直、敗北ムード満点な王都守護戦楯士騎士団側だったが、ただ一つ、いやただ一人、まだ諦めていない者が必死に声を上げて周囲を鼓舞し続けていた。
「まだ、勝てる状況ではないかっ! 意気消沈するのは早すぎるぞっ! 立て、貴様らっ! そして、戦って勝利するのだっ!」
ダンスロットの胴間声がさすがというか、広場全体に轟き渡る。
試合中は黙っていたようだが、ついに我慢できなくなったらしい。
自ら率先して声を上げ始めたのだ。
千人以上の観客の声を突き抜けて、はっきりと個人の声が聞こえてくるというだけで、やつの声量が窺い知れるというものである。
ただ、それがうまくいっているとは思えない。
ごく少数の騎士だけがその檄に反応するのだが、どうもうまくいっていないのは仕方がない。
そもそもが、この試合はダンスロットのオオタネアへの対抗意識が引き起こしたものであり、大義や必然性があるものではない。
しかも、熟練の男性騎士達からすれば、小娘ぞろいの西方鎮守聖士女騎士団に勝てて当然の、負けたら恥ずかしい勝負でしかないはずなのに、すでに二敗一引き分け、下手をしたらもう負けが決まってしまっていたかもしれない。
そんな状況で、「戦え」と言われても「あんたがどうぞ」になってしまうのは仕方のないところだろう。
特に彼らは王都の防衛を基本任務として、〈雷霧〉との戦いには参加していないし、大掛かりな人間との戦争も五年前の北の蛮族との競り合いぐらいなものだろう。
士気が高いとは必ずしも言えない。
いくらダンスロットが鼓舞しても、盛り上がる気配がないのも道理だ。
さらに言えば、俺の出自について代官所で聞いていた連中は、こっちの事情をある程度察しているだろうことから、今ひとつ乗り切れない面もあるのだろうか。
何人か、あの時の面子がいるが、非常に居心地が悪そうだった。
つまり、ダンスロットは完全にヘタをうったということになる。
「貴様らァ、それでも誇りある王都守護戦楯士騎士団の騎士かァァァァァァっ!」
そう言って、ダンスロットは拳を突き上げるが、追随してくれたのは数人だけ。
なんともやる気がなくなりかけている。
第四戦目を戦う前に勝負が決まるかと思われた矢先、今までこちらに背を向けていた将軍がばっと外套を翻して振り返った。
体格がいいだけあって、とても絵になる動きだった。
そして奥に向かって何かを言うと、王都守護戦楯士騎士団の従者が何やら巨大な黒いものを二人がかりで運んできた。
大人の男が二人ということは相当に重いものだ。
次の試合に出るために、俺の隣で屈伸運動をしていたマイアンが目を見張った。
なんと、それは全長が六尺半(約ニメートル)はある大雑把な造りの大剣だった。
少女騎士たち全員が一斉に立ち上がる。
全員がそれに近いものに見覚えがあったからだ。
幅広く長いうえに分厚い剣身を持ち、切っ先は尖っておらずに丸いが、鎌のように出っ張った第二の刃がついている。
また、柄から鍔、そして剣身の根元におどろおどろしい炎を象った意匠が施され、見るからに禍々しい。
人の手によるものではあるが、あれは間違いなく〈手長〉の振るう大剣だった。
ダンスロットはそれを受け取り、なんと軽々と振り回し始める。
十年前もなかなかの武者ぶりだったが、まさかあの魔物と同等の人間離れした強力の持ち主に成長しているとは思わなかった。
元々の凄まじい膂力に加え、気功種〈剛力〉が合わさって、とんでもない化物ぶりを発揮している。
広場の騒々しい観客まで、ダンスロットの行うデモンストレーションに静まりかえっていた。
ちらりとマイアンを見ると、さすがに顔色が青い。
察してしまったのだ。
次に出てくるのは、あいつだと。
一応、代表戦士の申し合わせはできているが、途中で交代することも認められないわけではない。
ただ、変更するためには相手側の承諾が必要なはずだが、マイアンは……
「……拙僧、さすがにアレには勝てる気がしません。セスシスさん……」
本当に珍しいことに、戦う前から心が折れかけている。
「戦士交代したとしても、対戦内容までは変えられないはずだ。無手での戦いなら、お前の方が有利に立てるんじゃないのか」
「……例え無手でやりあっても、拙僧の〈貫〉では、あの筋肉の鎧を抜け切れません。それに閣下と、ダンスロット将軍の代官所でのやりとりを思い出しますと、もしも抜けたとしても、あの頑丈さだと倒すことができるかどうか……」
そういえば、オオタネアのガチの拳を受けても踏ん張っていたよな、あいつ。
さすがのマイアンでも、あれを受けても倒れないタフネスぶりを発揮する相手を仕留め切れる自信はないようだった。
まあ、仕方ないか。
あの様子だと、〈手長〉とだって素手で格闘できそうだし。
ここは戦士交代を拒否するべきだろう。
アレを避ける方向で。
「よし、戦るか」
ところが、こちらから広場に降り立った奴がいた。
陽光に輝く白銀の軽鎧、表は浅蘇芳・裏は乳白色の外套を風に靡かせ、ダンスロットの大剣にも引けを取らない巨大な戦闘斧を肩に背負った美丈夫。
さすがに鹿をモチーフにした二つの角をつけた兜を目深に被っているが、その蒼黒い髪は結わずにそのままだ。
別の意味で広場が沈黙する。
皆、降り立った登場人物の正体に気がついているのだ。
「まさか、私では力不足だとか言わないよな、ダンっ!」
「……ふん、貴様のところの小娘が相手では、まことにつまらんと思っていたところだ。こちらから指名する前に出てきてくれて、手間が省けたぞ、ネアっ!」
互いに闘志をむき出しにする、幼なじみにして元婚約者同士。
今では軍における完全な政敵でもある二人は、肉食獣のごとき笑みを満面に浮かべて対峙していた。
「マイちゃん……」
いつのまにか、ミィナが後ろに来ていた。
マイアンの背中に手を当て、
「閣下の伝言。『ご苦労だった。アレの相手は私に任せろ』だって。僕たち、出番がなくなっちゃったみたいだ」
「……そうか」
「マイちゃん?」
「実は正直な話、ホッとしてもいるんだ。情けないけど、拙僧はメルガン将軍と戦える自信がなかった。……なあ、ミィナ」
「なに?」
「……三ヶ月前の最初の出撃のとき、どうやって勇気を奮い起こしたんだ。ミィナだって、実戦は初めてだったんだろ。今だから、わかるよ。拙僧はおまえほどには勇気がないみたいだって」
ミィナは一旦口をつぐんだ。
話すべきかどうか暫し悩んでから、おもむろに言葉を喉から搾りだした。
「……僕も怖かったよ。でも、僕たちの前にはお二人の背中があったからね。閣下とセスシス殿の。あの背中を見ちゃったら、怖いのや辛いのなんて、どうということもなくなるんだよ。最初は震えていたクゥちゃんだって、気がついたら震えが止まっていたって言っていたしね」
「先人の背中か……」
「仲良く轡を並べている二人が、躊躇いもなく突貫する後ろ姿を見たら、勇気が熱く滾ってくるんだ。それだけでもう大丈夫」
「……あの背中なんだな」
「うん、あれだよ」
広場の中央に、ついに二人の将軍が対峙した。
こちらから見えるのは、確かにオオタネアのすらりと真っ直ぐな背筋のみ。
「……ようやくここらで死んで見せるか、ダン?」
「女が男に勝てないことをおしえてやるぞ、ああん」
空気が歪むような睨み合いは、青銅の鐘が鳴り始めるまで無言のまま続いた。
遠くから見ているこっちが吐き出したくなるような、嫌なねっとりとした空気が汚穢な波紋のように広がっていく。
そして、とうとう鐘が鳴った。
同時にまず渾身の一激同士が中空で火花を散らす!
武器の激突音が、衝撃のあとから聞こえてきたような錯覚に囚われる。
「よくもまあ、そんな戦闘斧で私の振り下ろしを受けきれるものだ。褒めてやるぞ」
「こちらこそだ。重いだけの飾りだと侮っていたよ、ダン。よく踏み込めたものだ」
「魔物相手では感じ取れないこの高揚感。いいぞ、いいぞ、オオタネア・ザン!」
「あんたが魔物みたいなもんだからねぇ。しかし、魔物は魔物らしく人間サマに討ち取られてしまえっ!」
「「うォォォォォォ!」」
二人が全身に駆け巡らせた〈気〉が剣戟の度に四方八方に放出され、足元の砂を巻き上げ、風を起こし、石を飛ばす。
振るわれる一撃が、相手の一撃によって防がれるたびに、その本来の弧を描いた先にある地面が触れてもいないのに引き裂かれる。
お互いの重々しい踏み込みがもろくなった大地を割り、長い歩幅のすり足が太く黒い溝を抉り出す。
巌のごとき大剣の爆発。
嵐のごとく繰り出される斧の豪雨。
ともに正面の相手の防御を打ち破ることなく、空気を激震させて、攻守が何度も入れ替わる。
なんという剣圧。
恐ろしい剣風。
バイロンでも、いや世界でも稀にしか起こりえない怪物たちの決闘はいつまでも続くかと思われた。
とはいって、何事にも終わりはくるもの。
その前触れは、オオタネアの戦闘斧の刃に生じていた。
細かい、普通なら気づかれない亀裂がその中央に走ったのだ。
だが、戦闘斧が折れるなどいうことは普通ない。
普通なら、その程度は意味がない。
しかし、この戦いは普通ではなく、その亀裂だけで勝負が決まるレベルのものであった。
ダンスロットの袈裟懸けの一撃をオオタネアが受けたとき、斧の刃が割れた。
一度入った亀裂はそのまま延長し、チーズのごとく軽々と戦闘斧を真っ二つにした。
勝負は決まった。
次の一合を受けきることはオオタネアには不可能だ。
武器がないのだから。
だから、オオタネアは迷うことなく、前に進み、腰を軸にして縦に回転した。
一瞬、ダンの目には彼女が消えたように見えただろう。
そして、突然、長くて黒いものが地から飛び出してきたようにも感じられたはずだ。
それはオオタネアの足。
胴回し回転蹴り。
マイアンも得意とする一撃必殺の奇襲技だった。
オオタネアの右足の踵がダンの額を割る。
だが、それでも倒れない。
不撓不屈が彼の信条。
しかし、それをオオタネアは許さない。
空中でのしかも縦回転中という無理な態勢であるにも関わらず、右手でダンの足首を払い、尻をぶつけるようにして体ごとぶつかる。
すると、反動を受けて背中から倒れるダンの上にオオタネアが乗っかる格好で二人はそのまま地面に倒れた。
となると、軍配はさきに有利なポジションを取ったものに上がる。
ダンスロットの腹の上に、騎乗位のように跨ったオオタネアは、一瞬たりとも表情を変えず、残った全部の〈貫〉の気を込めた拳を叩き下ろした。
獲物を前にしたら、全力で、素早く、確実にトドメを刺す。
西方鎮守聖士女騎士団が常に叩き込まれている戦闘の哲学である。
そして、その哲学は今回も正しかった。
完全に沈黙したダンから目を離すことなく、オオタネアはその場を脱する。
ダンスロットが死んだふりをしていることを考慮しての残心だった。
例え試合でも油断はしない。
終わったと思ったときに隙が生じるからだ。
手を挙げて救護班を呼び、その救護班が気絶を確認した時に、初めてオオタネアは右手を高く突き上げた。
一度、拳を開き、再度何かを掴むようにもう一度握り込む。
観客たちのとんでもない歓声が巻き起こる。
さっきの一騎打ちの一挙手一投足を呼吸を忘れて見入っていた者たちにとって、それは異次元の戦いにようやく決着のついた瞬間だった。
俺も声が枯れんばかりに叫んだ。
騎士たちも声にならない喚きを上げた。
戦いをする者にとって決して見逃せない究極の戦いが幕を閉じたのだ。
西方鎮守聖士女騎士団、これで3勝目。
この瞬間、俺たちの勝利は確定し、公開試合はここに終了した。
―――そして、これ以降、オオタネア・ザンの名前は辺境に鳴り響くことになる。