陽光の剣舞
[第三者視点]
タナの相手となる騎士は、丸い果実のように顔全体を包み込む兜とでっぷりとしたお腹をごまかそうとしたかのように下膨れの甲冑を着込み、巨大な斬馬剣の持ち主だった。
選手紹介の〈拡話〉によれば、名前はキィラン。
王都守護戦楯士騎士団で最も怪力の持ち主であるという。
手にした斬馬剣は、刃渡り五尺(約二メートル)ぐらいはある長大武器で、〈手長〉の大剣と較べれば細身で振り回すための重さは足りないが、その分は鋭利に光る刃の切れ味でカバーされている。
それを軽々と振り回すということから、キィランも騎士として気功種〈剛力〉の使い手であることは疑いの余地もない。
騎士団長のダンスロットほどではないが、充分に大男といえる体格の持ち主で、小柄なタナとの目方の差はおそらく三倍ほどはあるだろう。
おそらくは四十貫ぐらいだろうか(約百五十キロ)。
一歩、前に進むだけで地響きでも起きそうだった。
広場に登場した彼の姿を見て、特設の客席から見つめるビブロンの住人から「不公平だ」とか「やめてくれっ!」といった叫びが上がるほどだった。
広場で二人の騎士が対峙すると、叫びは益々強くなっていく。
なぜなら、一方のタナはというと、背丈は五尺二寸(約百四十七cm)、目方は十三貫(約四十八キロ)しかないのだから、その違いは歴然としている。
まるで大人と幼児ぐらいの明らかな差異がそこにはあった。
戦う前から、誰もが結果を予想していたことだろう。
両騎士団の団員と極少数の目の利く観客、そして当事者たちを除いて。
両目と口の部分だけがぽっかりと空いた雪だるまのような兜の下で、キィランは眼前の少女を侮れぬ敵と認識していた。
(こやつ、できる)
キィランは王都守護戦楯士騎士団での在籍年数において、上から数えたほうが早い熟練の騎士であった。
愛用の斬馬剣は小さめの魔物なら一太刀で真っ二つにし、戦場における凄まじい戦いぶりは阿修羅のようだと、王都でも噂されたほどの猛者だった。
そして、その苛烈さに見合わぬ思慮深さと面倒見のよさから、団内においては戦技教導騎士を務め、後進の育成にも励んでいる。
今回の先鋒を任されたのは、まず初戦において完全な勝利を挙げ、全体の勢いをつけるためであった。
ダンスロットは挑発に乗りやすいが、並々ならぬ戦略眼をもつ良将でもあるため、初戦の重要性を理解しきっていた。
ここでまず敵の士気と勢いをくじくこと、そして、自分たちの絶対的な優位を築くことをキィランに求めてきたのだ。
逆に言えば、将軍からそれだけの厚い信頼を勝ち得ているといえる。
騎士キィランならば、どんな相手からでも勝ち星を奪える、と。
その彼をして、目の前の少女がただならぬ相手だと認識せざるを得ないのである。
ところどころに未熟な振る舞いはある。
練気、流気、溜気、すべてがまだまだ未発達。
単純な速度以外は、彼とは力も体格も比べ物にならない。
キィランほどのベテランからすれば、どう見てもただのひよっこで、まさに赤子の手をひねるように苦もなく倒せる相手のはずだ。
それなのに、この異常なまでの落ち着きようはいったいなんなのだろう。
まったく、彼を恐れていない。
自分よりも大きな相手に畏怖することもなく、迷いの欠片もない。
一言で言い表すのならば、自然体。
これが虚勢でないのならば、そこから繰り出される剣技はまさに変幻自在であろう。
(確か、この小娘は十六歳という話であったな)
最初に渡された情報を思い出す。
他の代表者の中には小娘ばかりと侮りまくって、まったく情報を収集しようとしない者もいたが、彼は律儀に相手のことを調べあげていた。
それは、西方鎮守聖士女騎士団の将であるオオタネアがどれほど恐ろしい相手であるかを承知していたからでもある。
四年前、とある地方における〈雷霧〉との戦場において、彼女が眉ひとつ動かさずに麾下の少女騎士達を死地に送り込んだ現場を彼は目撃していた。
あの時の騎士たちは、一人の帰還者も出ずに全滅している。
ただし、〈雷霧〉の〈核〉は完全に破壊され、その地方が〈雷霧〉に飲み込まれることはなかった。
悉く戦死したものたちは、確実にその使命を貫いたのだ。
少女たちの遺体が発見され、その後に行われた検証の結果、十三人の騎士のうち、五人までが〈核〉に辿り付き、破壊に成功後、脱出の過程において力尽きて〈手長〉たちにより殺害されたことが判明している。
〈雷霧〉が完全に晴れるまでの半日のあいだに、その遺体は無残にも魔物たちの牙や舌によって蹂躙、陵辱され、ほとんど人の姿を保てていないものもあったという。
遺体回収の任にあたった兵士たちから、キィランが直に聞いた話だ。
自分の部下をそんな死地に―――しかもうら若い少女ばかりを―――淡々と送り込める将を決して侮ってはならない。
そして、そんな将に率いられる兵たちも。
十六歳だからといって、それが油断してもいいという理由にはならない。
「……騎士キィラン」
「なにかね。ユニコーンの少女よ」
「王都にいたとき、貴方の噂を聞いたことがあります。馬どころか魔物だって一刀両断にできる力持ちだと」
「光栄だな。だが、その噂を知っていても、ワシと戦りあえるのか? 貴公の身体とて真っ二つにされるかもしれんのだぞ」
「戦れますよ」
「怖くないのかね?」
「全然。だって、皆が観ていてくれるから。ほとんど先も見通せない真っ暗な〈雷霧〉の中とは違うもの。友達や将軍閣下、先輩、そして大好きな人が観ていてくれるだから……」
にこりといたずらっぽくタナが笑った。
「―――怖さなんて、刀の錆にもなりません」
「……見事だ、稚き騎士よ。ワシは貴公を全力を持って倒すべき相手と認めよう」
「はい、ありがとうございます」
タナが双剣を鞘から引き抜く。
〈月水〉〈陽火〉の二つの刃が光に輝く。
ユーカー家に代々伝わる双子の魔剣がぼんやりと光るのは、それに含有される微量な魔力のおかげだった。
一方のキィランの無骨そのものの斬馬剣は鋼の鉄塊。
あいまみえた対称的な武器の対峙も、この戦いの見所だった。
ガラァァァン!
青銅の鐘が鳴り響く。
試合開始の合図だった。
かつてない緊張が広場を包み込む。
誰しもが予想していたのは、まず最初に様子を見て、斬馬剣の届かぬ距離を取ろうとするだろう少女騎士の姿だった。
だが、タナの勇猛果敢さはそんな後ろ向きな予想を覆す。
鐘が鳴ると同時に、果断にも彼我の距離を詰めたのである。
単純なセオリーも算盤勘定も無視した、そんなものでは読みきれないその異常なまでの果断さが今の彼女の武器だった。
そして、その少女とは思えぬ果断さが、タナをしてただの天才の枠には留めない、まさに最強を睨む一人の戦士へと仕立て上げていた。
「ぬっ!」
地摺りに放たれた左手の〈陽火〉の一撃をキィランはなんとか弾いた。
それほどまでに凄まじい爆発力であったからだ。
次に振るわれた〈月水〉の刃は頭をそらすことでギリギリ避け切った。
タナ本人が、自分の動きをよくわかっていない、今までの修練と研鑽に身を預け切った攻撃だった。
この時、キィランには、タナの姿はまったく捕捉されていない。
小さな身体と強烈な〈握〉を用いた斬撃の連繋は迅速で、双剣の刃の煌きはまさに稲妻だった。
完全に劣勢に立たされたキィランは舌を巻いた。
これは明らかに危険な敵だった。
まだ致命傷は受けていないが、すでに鎧をつけていないそこかしこに傷を受けていた。
いずれも浅傷とはいえ、鎧に守られている部分への斬撃を含めれば、いつ致命傷を受けないとも限らない。
しかも自分は反撃ひとつ出来ず防戦一方だ。
歴戦のベテラン騎士が気圧されかけた。
だが、そこから反撃の狼煙を上げることができるのもまた熟練の技。
強烈なまでの自負心を押したてて、斬馬剣を振るうための一瞬を待つ。
タナの嵐のような連撃が、一回の呼吸をするために一瞬止まった時、溜めに溜めていた気をこめて、身体をねじりつつ横殴りに剣を振るった。
斬馬剣の刃の有効距離、半径五尺(約二メートル)を完全に制圧するための攻めだった。
それに対して少女ができることは、上に跳ぶか、後ろに後退がるか、無理を承知で受け止めるか。
いずれにしても戦いの流れを取り戻せる。
一度勢いを止めてしまえば、あとは膂力で圧し潰すのみ。
そう、キィランは考えていた。
普通ならば経験豊富な彼の戦術選択は正しかっただろう。
だが、戦いの推移は彼の予想通りにはいかなかった。
タナはキィランの反撃に対してどうしたのか?
彼女は自ら地に伏せた。
気絶するように、すとんと。
ただ無様に寝っ転がったように見えるが、すべての目撃者には何が起こったのかわからなかったに違いない。
まさか一騎打ちの最中にわざと寝転がるとは……。
タナの姿勢からならば、そのまま双剣を振るうことでキィランの足を撫で斬りにできたであろう。
絶好の反撃が、キィランにそこまで大きな隙を作ってしまっていたのだ。
だが、タナはそれをよしとせず、倒れた反動を更に利用して飛翔した。
舞った、というのが正しい表現だったかもしれない。
地上に落ちた鳳凰が飛び立つように。
キィランが少し遅れてはね上げた斬馬剣と、タナの双剣が振り下ろされるのはほぼ同時だった。
タナが着地したとき、キィランの丸い果実のような兜は縦に割られていた。
割られた兜の下から、彼の好々爺然とした柔和な顔が現れた時、タナはまたも微笑んだ。
「騎士キィランは、素敵なオジサマみたいですね」
「……これでももう孫がいる年齢なのだよ、騎士タナ」
そして、キィランは斬馬剣を鞘に戻した。
自ら先に納剣するということは、降参したという意思表示だった。
その途端、ようやく勝負の推移を理解した観衆が、広場全体から割れるような大歓声を上げ始めた……。
―――西方鎮守聖士女騎士団、まずは一勝。