騎士団、進軍
ビブロンの街は、かつてない熱気に包まれていた。
いや、はっきり言えば大変なお祭り騒ぎになっていたというべきか。
その主役は勿論、我らが西方鎮守聖士女騎士団ともう一つの王都守護戦楯士騎士団による対抗試合である。
この降って湧いたような突然のイベントに、街道沿いの主要な商業の中心であるビブロンでもかつてないほどの盛り上がりが発生していたのだ。
年一度の収穫祭でさえ、これほどまでに賑やかにはならない。
道行く者たちすべてが晴れやかな笑顔を浮かべていた。
なぜなら、今日の催しは、二度と起きるかどうかもわからない一度限りの乱痴気騒ぎとなる可能性が高く、それをその目で目撃することができるかもしれないのだからだ。
王都と違い、娯楽らしい娯楽のない田舎の街道都市は、時間が迫るに連れて狂奔といってもいい熱気を帯び始めていた。
街には数多くの露店が立ち並び、近隣の農民たちも詰めかけ、祭りの日だけに認められた路上での飲酒が代官令によって特別に許可された。
それだけで住人はお祭り騒ぎになってしまい、まだメインのイベントすら始まってもいないのに、これほどまでの喧騒となったのだ。
それに、なんといってもビブロンを守護する西方鎮守聖士女騎士団が、初めて正式に姿を見せることの話題性もある。
二ヶ月前の娼館での大喧嘩、いわゆる「少女愚連隊事件」を直接目撃したものは、その艶やかで颯爽たる姿を噂し、一陣の涼風のような振る舞いに心震わせていた。
間接的に話を聞いたものは、街で売りに出されるわずかな写真と絵飾りを手に入れて、戦場において果敢に行動し、潔く戦う少女たちの物語に思いを馳せた。
いまや、彼女たちは顔もしれないただの軍隊ではなく、人類の勝利のための偶像であり、これから起こる脅威への一本の太い藁となっていた。
まだ〈雷霧〉は遠い西方における危機でしかない。
だが、確実にその存在はビブロンに影を落としていた。
難民の流入、物価の高騰、西方産の品物の不入手、そして荒れていく人心。
しかし、しかしだ。
もし、ユニコーンに乗る騎士団が、西方鎮守聖士女騎士団が、本当に強い力を持っているのならば、彼らにとってどれほど代え難い希望を与えてくれることになるだろうか。
彼らの希望を賭けることができる者たちなのか。
ようやく見定めることができるのだ。
そして、対するのは王都守護戦楯士騎士団。
町奴ですら噂を聞いたことのある強大で名前の売れた最強の「男」の軍隊である。
その男で構成された最強の軍隊に、まだ男を知らない高潔な少女の集団である西方鎮守聖士女騎士団が互角以上に戦えるというのならば、これはまさに信じて全てを託すことができるのではないだろうか。
人々の最大の関心事はそこだった。
「自殺部隊」、「〈雷霧〉を止めることは実はできないのではないか」「国によるただの気休めの宣伝工作」。
そのような、これまでの悪い噂を払拭できる働きをすることを、少女騎士たちは求められていた。
だが、心の底にある大きく隠しきれない不安があるからこそ、この異常な盛り上がりが起きているとも言えた。
絶望と裏腹の希望。
どちらにも揺れる天秤。
紙一重の二つの望みがぶつかりあって、ピークに達しかけた時―――
ビブロンの正門を抜けて、オオタネア・ザン将軍が直々に率いる完全武装の西方鎮守聖士女騎士団の少女たちが姿を現した……。
◇
先頭に立ち、すべてを睥睨しつつ、白く巨大な一角聖獣を常歩で進ませるオオタネアは、白銀の軽鎧を着込み、表は浅蘇芳・裏は乳白色の外套を羽織り、女性の持ち物とは思えない鋭利な刃を持つ巨大な戦闘斧をかいこんだ出で立ちは、さながら神話の戦女神のようだった。
兜はつけず、左脇に抱えていることから、オオタネアの蒼黒い豊かな長髪がさらさらと風になびく。
人々はその美しさに瞠目した。
噂に聞くだけの、騎士団の長の絢爛豪華な美貌に対して。
馬体も大きく目方も十分なため、肢の長い白い牛のようにも見える巨躯のユニコーンに跨るに相応しい、物語の登場人物のような美女に、沿道のすべての人の視線が集中する。
それはそうだろう。
あの普段はどうしようもなく面倒くさがりの彼女が、一刻の間、侍女の手を借りてまで念入りに化粧を施した成果の顕れでもあるのだから。
美女に慣れたユニコーンどもですら、思わず呆然とするほどの玲瓏たる美貌に時の全てが止まったかのようだった。
しかも、それだけではない。
そのあとに、次から次に、とんでもない美少女たちが群れをなして行軍してきたのだ。
将軍の少し後ろを二人の騎兵が進む。
一人は騎士エイミー、もう一人は十三期の隊長ノンナ。
二人とも騎士団の正式な完全武装である青銀に輝く鎧をまとい、揃いの儀仗を手にしている。
次に、魚鱗に似た陣形に並んだ、十二人の少女騎士とその相方のユニコーンが続く。
喧嘩の時の派手派手しさは微塵も感じ取れない、いかにも正規の軍隊というべき見事な行進だった。
ユニコーンたちの歩調も完璧に揃い、周囲をきょろきょろと見渡したりせず、ただ一点のみを見据えての堂々の進軍はまさに人馬一体。
人々が望む理想の騎馬隊そのものといえた。
しかも、各自の武装もわざわざ騎馬槍で揃え、鋭い穂先が陽光を煌めかせる様は、戦いを知らぬものを畏怖させる威容を保っている。
そして、それらを上回る圧倒的な支持を受けさせるのにも充分なほどに。
オオタネアを見て時を止めた人々の口から、人のものであることがなんとかわかる歓声が徐々に漏れ出し、そして突然の激甚な怒号の発生。
轟き渡り、さめやらぬ大歓声。
少し離れた位置から、例のよって例のごとく警護役の振りをしてついていく俺の耳が痛くなるぐらいだった。
「凄い騒ぎですね、坊ちゃん」
「ああ、洒落にならん。なんだこのバカ騒ぎは」
「そりゃあ、閣下は絶世の美女だからよ。俺なんざ、何年も前からあの方に従ってますが、歳をとるごとに益々美しさに磨きがかかっていくように見えますぜ」
そのタツガンの感想には俺も従わざるを得ない。
あいつの美しさは別格だ。
「願わくば、もし死ぬのなら、閣下の盾になって逝きたいもんですな。そうすれば、八年前の〈雷霧〉で死んだ連中にとてつもない自慢になる。なあ、トゥト」
「そうだな。カマンの街の連中へのいい土産話になる」
二人の警護役は懐かしそうに、カマンという街の名を口にした。
その街がバイロンで最も西に位置し、この国で最初に〈雷霧〉に飲み込まれたことを俺は知っていた。
そして、この二人がカマンの出身であることも。
家族、親戚、友人、近所の親しいものたち、すべてを失って国中を流離っていたときに、オオタネアに拾われたということも。
何度も酒の席で聞かされた話だ。
街の代官所の兵士をしていたときに、突如発生した〈雷霧〉に飲み込まれ、命からがら逃げ出したはいいがすべてを失ってしまった喪失感から無惨極まる傭兵として魔物たちと戦い続けた二人。
最後には、バイロンの傍で盗賊にでもなろうかというぐらいまでに落ちぶれていたらしい。
街道を通る商隊相手に盗賊をしようとしたとき、たまたま通りがかったオオタネアにとっ捕まったのである。
治安を司る代官の部下でもないオオタネアは、別に二人を引き渡す義務もないので、そのまま解き放つつもりだった。
だが、馴致のために連れていたゼーが二人がいまだに童貞であることを態度で指摘したことから、「警護役にならないか」と半ば強引に引っ張っられていき、ほとんど無理やり詰所にぶち込まれたらしい。
ただ、当初こそ戸惑ったが、行き場のない二人にとって、警護役の立場は居心地のよいものだった。
そして、それは〈雷霧〉に特攻して〈核〉を破壊するという騎士団の任務と、その度に戦死する騎士たちの戦いぶりを知ることで、劇的に変わっていき、今では自分の死地はここであるとまで決意するようになる。
すでに彼らはオオタネアと騎士団のためにならば、犬死することも厭わない忠義の志士と化していた。
「……あんたらが死んだら、騎士団の連中だって悲しむぜ。できたら、死なずにすませてくれよ」
「なあに、死ぬことも俺たちの仕事のうちですぜ」
「そうだな。〈雷霧〉に向かっていった騎士様たちにもう一度会えるのなら、別に死んだって構わんしな」
「盗賊になって惨めに代官に狩られるよりは遥かにマシな死に方だ。なあ、てめえら」
他に警護についている八人も一様に頷く。
経歴には色々と違いはあるが、想いは同じらしい。
どいつもこいつも酒を飲むと、思い入れのある戦死した騎士の名を挙げ、「置いていかれたみたいな気がする」と愚痴る連中だった。
守るべきもののために殉じた騎士の戦いをよしとしつつも、自分たちよりも若い少女たちの死を受け入れたくない。
それゆえの愚痴だった。
置いていかれるぐらいなら共に死んだほうが良いが、〈雷霧〉と戦う〈聖獣の乗り手〉とただの兵士では最後まで付き合うこともできない。
だからこそ、置いていかれた気分になるのだろう。
「俺たちの生命なんて、騎士様方の背負ったものに比べれば軽いものですわ」
一人の警護役が呵呵として笑う。
十三期の騎士たちが、ビブロンの皆の歓声を浴びて進むあとを、俺たちはゆっくりと誰にも注目されずに歩く。
だが、それすらなぜか心地よい。
信頼できる兵士たちと共に行くからだろう。
あのユニコーンの群れに乗って進む彼女たちが、またいつか、勝利の凱旋をすることができるのを誰よりも望みながら、警護役たちは黙々と従い続ける。
俺の仕事はあいつら全員を生かして、皆の前に連れ帰ることだ。
何度も何度も、そして飽きることなく俺は決意するのだった……。
◇
先鋒として選ばれたのは、騎士タナ・ユーカーだった。
対戦手法は、馬上ではなく特設の闘技広場における一騎打ち。
武器は真剣。
これは双方の代表選手が希望した結果だった。
相手方の騎士が承諾したことに驚いたが、まさしくこれがタナ本人からの望みだということにはさらに驚いた。
まさに本当の真剣勝負ということになるのだからだ。
だが、入念に屈伸運動を繰り返すタナの顔には初戦の緊張というものは欠片も見られなかった。
それはそうだろう。
すでに〈手長〉〈脚長〉を一匹ずつ屠っている彼女にとって、強いと言っても相手はただの人間の騎士。
生物の天敵ともいえる魔物に比べれば迫力には欠ける。
俺が預かっていた彼女の愛刀〈月水〉〈陽火〉を手渡す。
「やれるか?」
「当然」
タナは受け取った双剣を腰に佩く。
いつもの彼女がそこにいた。
「私はまだまだだけど、だからといって負ける気はないよ」
「そうだな。おまえは強い」
「うん。私という女の真骨頂を見せてあげる」
そう言って、少女は闘技広場の中心に歩む。
観客は知らない。
これから始まるのがただの公開試合ではないことを。
今から始まるのは―――
後の〈太陽の騎馬姫〉タナ・ユーカーの歴史的なお披露目の舞台であった。