王都守護戦楯士騎士団
ユニコーンに騎乗して双剣を構えている少女の写真。
視線は写真を撮った人物の方を向いておらず、やや明後日の方向を向いているので、おそらくは遠目から撮影したものだろう。
少女が着ているのは演習用の革鎧と、気を伝導させることのできる長布。
ということは、本部の敷地内での訓練の様子であることは疑いないところだ。
「……これが、例の?」
俺が写真をひらひら振ると、パッと素早く奪い返された。
普段、どれだけ呑気そうに見えても、セザーだって鍛え上げられた兵士であることは確かなのだ。
一瞬の手の速さはなかなかのものだ。
「乱暴に扱わないでくださいや。結構、値が張るんすからね」
セザーは、宝物でも扱うかのように大事そうに写真を胸元にしまった。
いや、実際、宝物なのだろう。
確か、この写真は一枚で一日分の飲み代ぐらいにはなるという話なのだから。
しかも、入手が極端に難しいそうだ。
「……たまに露店で野菜とかと一緒に売られているんすよ。どうやって撮影しているのかはわかりませんけど、そんなに数もでていないし、本当に貴重な写真なんすからね。特に、こういう教練中のものなんて希少価値が高すぎて、ほとんど市場に出回っていないんす」
大切そうに内懐を撫でる仕草は、妊娠した新妻みたいで気色悪かった。
しかし、野菜と一緒に売るって、妙な商売をしていやがるな。
俺の脳裏には金貨の山の上に腰掛けて、扇で自分をあおぐオオタネアの姿が浮かんだ。
あと、教練中の写真なんて「森」に入り込まなければ撮れないんだから、ちょっと自分の仕事を思いだせよ、警護役。
「おまえ、タナのことが好きだったのかよ」
「……好きとか嫌いとかの話じゃありやせん。俺は騎士様たちを、この世の何よりも敬愛しているだけなんすよ」
「じゃあ、外から眺めるだけにしとけ」
「ハーさんはダメな人っすねぇ。男心をわかっていない。敬愛もしていますけど、俺は騎士タナのあの可憐な美しさにもうメロメロでもあるんす」
「……ダメとかいうな」
「ああ、そんなダメなハーさんが羨ましい。四六時中、騎士タナやその他の騎士様たちと一緒に居られて……。俺もユニコーンの騎士になりたいっす」
手綱から手を離して、ぐっと両手を握り締めるセザー。
きらりと瞳が輝き、勝ち戦のあとのような晴れ晴れしい笑顔を浮かべてうっとりしている。
こいつ、そろそろ慰問品の受け渡し役から外したほうがいいかもしれないな。
正直、かなり気持ち悪い。
「ハーさんも、写真が欲しいんスか? でも、さっきも言いやしたけど、たまーに売っているだけですからね。運が良くないと一日中市場を回っても絶対に手に入らないぐらいですんで」
「いらん。今日の俺の仕事は、将軍閣下の来週のお茶請けを買いに行くことだけだ。それ以外は、特になにもない」
「……使いっパシリみたいっすね」
「……せめて舎弟と言ってくれ」
俺は本部の資材運搬馬車に乗って、ビブロンへの道のりを進んでいた。
その隣で御者として馬を操るのは、警護役のセザーだった。
実のところ、俺は普通の馬の扱いというものがあまりうまくない。
これは乗馬に慣れた乗り手たちが、今までユニコーンをうまく乗りこなせなかったことと、逆の関係となっている。
ユニコーンたちと会話ができるおかげで、小手先の乗馬技術というものを必要としてこなかったことの弊害だろう。
手綱を引いて馬に言う事を聞かせるという行為が、親しい友達を殴るようで気に入らないということもあるが。
だから、警護役の詰所から先には、俺の警護をすることになったセザーが御者役を引き受けてくれたのである。
ちなみに荷台には、鋼鉄の棍を抱えたトゥトが横になっている。
トゥトは丸い顔をした片眼のない男だった。
年頃は三十の後半。諧謔を好む警護役の兵士たちの中では無口で通っているが、その腕の方は確かで、なによりも勘が鋭い。
そのため、なにかしらおかしな事が起きそうだと感じると、一人でも入念に周囲を探索し、異常を発見したりする。
いつぞやの間者の森への侵入に真っ先に気づき、〈遠話〉で本部に知らせたのも彼の手柄だった。
今回の買い出しにおいても、俺としてはセザー一人で構わないと思っていたのに、出かけようとするとのっそりと荷台にトゥトが上がってきて、そのまま横になった。
理由を訊くと、「酒でも買おうかと」とどうでもよさそうに答える。
だが、俺も三ヶ月以上の付き合いから、こいつがこういう首をかしげるような行動をとるときは、何らかの妙な予感があったときだけだとわかっていた。
「……何か妙な音がしませんか、坊ちゃん」
トゥトは俺のことをなぜか坊ちゃんという。
何度か苦情を言ったのだが、一向に改めてくれないので最近は放置しているが。
言われて前を見ると、ビブロンの街の城壁の脇に、何やら人だかりのようなものができている。
人の集団がたむろしているせいで、遠目からは蟻が群れているように見えた。
「……あれ、なんでやんすかね」
「近寄らないとわからないな」
「行ってみましょうや」
棍を担いで身を起こしたトゥトが言う。
好奇心まるだしというよりも、何かが気になって警戒を強めたという感じだ。
とにかく普段にはないことが起きているのならば、曲がりなりにも街の治安を守る義務のある俺たちにとっては見過ごせない。
ゆっくりと馬車ごと近づいていくと、人だかりはどうやら看板のようなものを見上げていることがわかった。
だが、それにしては人々の数が尋常ではない。
どうしたことかと、その看板を見やると、
「……教導騎士」
今日は農家の主婦に変装をしたモミが横合いから声をかけてきた。
俺たちの周囲にいる人々の輪の中から突然出現したかのように。
トゥトが棍を構えかけるのを制して、俺はモミに訊いた。
「どうした。こんな場所でおまえが話しかけてくるのは珍しいな」
「わりと非常事態ですので」
「……あの立て看板のことか?」
「はい、そうです。まずは読んでみてください。それから、北の出口の前に行っていただきたいのです」
「それだけでいいのか?」
「私は街で情報を収集し続けます。西方鎮守聖士女騎士団にとってはかなり面倒な事態になると考えられますから」
そう言うと、俺の返事を聞くのもまたず、間者の娘は人だかりでいっぱいの街の入口に消えていった。
「……今の小娘、間者ですかい?」
「ああ、閣下の直属だ」
「見た目を誤魔化していますが、かなり若いようですね。韜晦の術の練度がまだまだ甘い」
韜晦とは自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと、姿をくらますことをいい、翻って韜晦の術とは、間者が市井の住人に紛れて身を隠すことを指す。
要するに、間者の潜入術を総称して使う言葉だ。
トゥトはただの兵士ではなく、傭兵として各地を渡り歩いていたこともあるそうなので、その経験から間者という職業についても詳しいのだろう。
しかし、ひと目で年齢を見抜かれるというのは、ちょっと問題だな。
あとで注意しておかなくてはならない。
「……どうも、あの間者は坊ちゃんに気を許しすぎですね。その程度で術が破れていたら、いつか命取りになりますよ」
トゥトらしい辛口の評価だった。
そういえば、一月前の騒動のときから、あいつとはわりに顔を合わせるが、間者らしき雰囲気が薄くなっているような気がする。
それから、セザーとトゥトと連れ立って看板に近づいた。
ちょっとした大判の絵画並の大きさの木板に、バイロンの言語で幾つかの文章が墨で書かれた紙が貼られている。
署名はビブロンの街の代官のものであった。
さすがに十年以上暮らしているので、この程度なら読むこともできる。
ただ、書いてあることがすぐには飲み込めなかった。
「……なぜ、王都の騎士団がこんな田舎に駐留することになったんだ?」
「王都守護戦楯士騎士団でやすか……。王都の騎士団の中では二番目ぐらいに強いと呼ばれている連中っスね」
「北での演習の帰りと書いてあるな」
「……演習地がラニアンということだが、ビブロンに寄るとなると、完全に遠回りだな。意図がないとは思えん」
看板に書かれていることからわかったことは、つまりこういうことだ。
王都を守護する四つの騎士団のうちの一つが、北での北方鎮守の軍隊との演習を終えて帰還する途中で、ビブロンにおいて短期間の駐留を行うということ。
期間は約一月、場所は北側の城壁の外に天幕を張っておこなうこと。
無用な騒ぎは起こさないように、なにか揉め事が起きたときはすぐに代官所に訴えること、などである。
最後の一行は完全に俺たちの巻き起こした騒動が念頭にあったものだろう。
代官所としては、とにかく巨大な武力を有する軍隊との面倒事を避けて欲しいという切実な願いが感じとれる内容だった。
だが、俺は今ひとつ腑に落ちなかった。
確かにビブロンに一騎士団が駐留することは、厄介な火種になるかもしれないが、だからといってそれが西方鎮守聖士女騎士団に関わるものとは思えないのに、あのモミの反応は極めて変だ。
まるで、なにかが起きることが明白だとでも言わんばかりの態度だった。
それに騎士達はいまだに蟄居していることもあり、街で偶然に遭遇するということもないはずだ。
ビブロンに来ることも多い俺や警護役たちが、振る舞いに注意すれば済む程度の話である。
「どうしやす? さっきの間者は北の出口に行けと言ってましたね」
「……坊ちゃん、北ってわかりますか」
「とりあえず行ってみるか。……お茶請けを買ってからな」
馬車は一旦、街の中央に向かい、それからオオタネア御用達の菓子工房で予算のある限りのお茶請けを買い込む。
北に駐留するという騎士団がどういう目的を有しているかは不明だが、厄介事になりそうなら偵察をしておく必要はあるだろう。
ついでに、警護役たちの酒も大量に購入しておく。
だが、正直な話、ここに至るまで俺たちはこの出来事がああまで面倒な事態を引き起こすとは露ほども考えていなかった。
通常の騎士団というのは、百人単位の騎士と五百人近い兵士を一つの基本軍団として構成され、西方鎮守聖士女騎士団のように十数人の騎士でほそぼそと運営されるものではなく、規模にも大きな違いがある。
また、〈雷霧〉特攻に特化した部隊編成であるうちと、王都防衛をはじめとする他国との戦争を視野に入れた編成をされた他の騎士団では、果たすべき役割も違い、対立する要素もほぼないはずだった。
だからこその、俺たちの楽観視だったのだが。
……しかし、その考えは駐留するために数多くの天幕を張り出した王都守護戦楯士騎士団の旗印を見て改まった。
旗印は、その軍団の所属と役割が明確に表されることになっている。
例えば、西方鎮守聖士女騎士団においては、青と赤の盾に交叉する剣と槍、そしてユニコーンの横顔を抱いた紋章が旗印となっており、同時にオオタネアの生家であるザン家の雄々しい牡鹿をモチーフにした紋章も使われている。
つまり、軍団を率いる将軍の旗も、その騎士団にとっては掲げられるべきものとなっているのだ。
一方の王都守護戦楯士騎士団の旗印は、黄色と黒の丸い盾に争う虎と猪の影姿である。
その隣に、当然のことながら率いる将軍の旗があった。
ただ一枚、白い方円に槍を握る二つの拳を描いた紋章。
見覚えがあった。
メルガン侯爵家の紋章だった。
それは、かつてオオタネアと新設されるユニコーンの騎士団の将軍職の座を争った若き大騎士ダンスロット・メルガンのものだった。
そして、何よりも厄介なことに、奴は―――
―――十年前のオオタネア・ザンの元許嫁なのであった。