拳を打ち合わせて
目を覚ますと、妙に喉がいがらっぽかった。
まるで大声で怒鳴りまくったあとのように……。
何度か咳をしてみると、少しだけ違和感が残る程度までに回復したので、水でも飲もうと上半身を起こした。
そこで初めて、自分が寝ていたのが自室の寝床ではなく、見覚えのない白い部屋であることに気がついた。
おそらくは医務室だろう。
あたりを見渡してみると、こちらをずっと見つめている数人がいた。
オオタネアとエイミー、タナ、マイアン、モミ、そして白装束を脱ぎ捨てていつもの文官騎士の服に着替えたユギン。
彼女たちの足元には、首枷と手枷が一体となった板状の拘束具を付けられ、鎖で両足首を固められた二人の間者がだらしなく座っていた。
オオタネアとユギン以外は、目を見開いて何も口に出せない状態だった。
ここではっと思いつく。
……ああ、俺の体質を見たのか。黙っておいてくれれば別に問題ないのに。
しかし、あの自決もどきを見られたあとでは、それなりの弁明をしなければならないこともあるのだろう。
自分が普通の人間と違うということを親しい人たちに知られるのは、あまり気分のいいものではないということを俺はよく理解していた。
もう十年たっても未だに慣れないが。
俺のことをまったく心配していなさそうな将軍閣下に声をかけた。
「……あー、あ、あー。……なんとか話せるな。耳障りじゃないか?」
「いや、大丈夫だ。たんまりと酒を飲んだ次の日程度にしか聞こえない」
「なら、いいか……。で、どこまで説明したんだ」
「ほぼ全て。騎士たちはともかく、この間者には他国に触れ回って貰わなくてはならないからな。特に詳細に説明しておいた」
「そうか……やっぱりそういう筋書きだったわけだ。なあ、ユギン」
俺は将軍の横で、水差しからグラスに水を注いでいた文官騎士に言った。
彼女はそのグラスを俺に差し出し、少しだけ申し訳なさそうに、
「あの窮地において、すべてを見通すあなたの頭脳の回転に敬意を表します。本当に元のお国ではただの市井の住民だったのですか?」
「……こっちに来て十年もあればね。森に引きこもっていても色々とあるよ」
ユギンからもらった水を一気に飲み干しても、冷たい液体はなんの抵抗もなく喉を嚥下していく。
自ら喉を割いた影響はもうどこにも残っていないようだ。
「……おまえ、影狩り専門の間者だったのか?」
「はい、そうです。今日のようなことがあるのを見越して、文官騎士として閣下に雇われていました。モミさんが外で防諜を行い、私が内部で間者を警戒し、場合によっては誅殺するというのが仕事でした。……騎士ハーレイシーの普段の護衛も私の仕事だったんですよ」
それは初耳だった。
普段の俺に対する献身的な振る舞いは、ある程度仕事込みだったというわけだ。
別に気があったというわけではないが、「お仕事の一環です」と注釈をつけられるとちょっと傷つく。
ふと顔を上げると、タナがハンカチを咥えながらぐぬぬとこっちを涙目で見ているし、モミは凄まじく憮然とした表情でジト目をしていた。
ユギンの正体を知らなかったことから来る、ちょっとした悔しい気持ちを持て余しているといったところか。
特にモミは、自分が西方鎮守聖士女騎士団の唯一の間者だと思っていたのに、実は切り札がいました、しかも影狩りという専門家でしたということで、職業矜持を大分傷つけられる想いなのだろう。
ただ、オオタネアの思惑を考えれば、これは悪くない策だった。
実際のところ、捕まえた裏切り者の文官騎士のように間者が潜り込んでいたのだから、雇い入れた影狩りの存在を隠しておくことはよい対抗手段になるはずだからだ。
「……この文官騎士が他国の間者であることはわかっていました。ユニコーンの騎士さま、文官騎士、その他の従士に至るまで、モミさんが調査した身元調べのさらに裏をとったのは私ですから」
なるほど、ノンナを隊長に推薦したのはその時の裏取りをもとにしたものだったわけか。
モミが今まで以上に憮然とした顔をして、唇を尖らす。
ついさっきまで二人の同僚の正体に気がつかなかったのは、間者としての彼女の不手際だからだ。
いくら外働きが主な役割といっても、さすがにはいはいと聞き流せる心情にはなれないのだろう。
そして、この告白にいきりたったのは、裏切り者も同じである。
視線で殺さんばかりの憎しみを携えて、ユギンを睨みつけているが、彼女自身はどこ吹く風であった。
「負け惜しみだっ! 私のことに気づいていたならすぐに排除できたはずだ。それを今日まで泳がしておいたなどと、嘘をつくなっ!」
「……今日のために生かしておいてあげたのですよ。わざわざ。あなたは本当に二流なんですね」
心底呆れ返ったという顔で、諭されると裏切り者は真っ赤になって、意味不明の言語を口走りだした。
こいつは、西方鎮守聖士女騎士団のことを嘲笑いながら潜入調査を続けてきた関係上、自分が思い通りに泳がされていただけという事実に納得できないのだろう。
「で、こいつらをどうするんだ?」
「……生かして解き放つ。そして、依頼主の国に報告させるのさ、『〈ユニコーンの少年騎士〉は無理にでも拐おうとすればその場で自決する覚悟がある』とね。そうすれば、今回のように強引に拉致しようとする連中はいなくなるはずだ」
「こいつら、きちんと報告するのか?」
「するさ。しなければ、今度は片っ端から間者を殺していくだけだからな。しかも、背後関係も暴いた上で、充分に恥をかかせる。依頼主を突き止めることもせずに見逃してやるのは、今回だけだ」
「……」
「曲がりなりにも私の下で三年も働いていたのだから、どういう行動に出るのかということは身にしみているだろうしな」
「……はい、閣下」
オオタネアにまでは反抗的な態度はとれないらしい。
器の差というか、こんな化け物みたいな女に逆らえるほどの器量は持ち合わせていないようだ。
付け加えるように、ユギンがいう。
「それと、あなたたちがビブロンに待機させていた逃がし屋の方々は今日の朝のあいだに殲滅しておきましたよ。出て行く時は普通に巡回馬車に乗って王都まで帰りなさいね」
間者としての力量の違いまで見せつけられ、すでに間者たちには気力の欠片も残っていなさそうだった。
「エイミー、ユギンと一緒にこいつらを街まで送ってやれ。枷は森を出たら外してやっていいぞ。あと、ついでに街で菓子のたぐいを買ってこい。団員全員に行き渡るぐらいな。警護役たちにもいい酒を振舞ってやれ」
「わかりました。行きますよ、ユギン」
「……明日ぐらいは休んでくださいね、騎士ハーレイシー。では、行ってまいります」
そう言うと、二人の騎士が間者を引き連れて、部屋から出ていった。
やっと人数が減り医務室から息苦しさがなくなった。
「……セシィ、本当に大丈夫なの」
タナが俺の傍にやってきた。
かなり心配してくれていたのか、顔色が青いなんてものじゃない。
そういえば、こいつには二度も普通なら致命傷を食らうところを見られていたな。
「この間は嘘をついてすまなかった。見てのとおり、俺は少々厄介な体質の持ち主でな、この世界の物理法則に従った攻撃では、そう簡単に致命傷を与えられることがないんだ。すぐに回復―――というか復元しちまう」
「でも、〈手長〉のときは……」
「あいつらは魔物だから。魔物として微妙にこの世の理からは外れているんだろうな。おかげで戻るのに二日かかった」
「自分で首を掻っ切った程度では、半日で復元か。十年前よりはかかるようになったか。もう、無茶はするなよ」
と、オオタネアが言うが、どの口がほざくのか、という気分だった。
今回の騒ぎはほぼ彼女の書いた筋書き通りに進行していたはずだ。
間者を文官騎士として叙任したことも、影狩りのユギンを雇ったことも、そして俺が派手に自決しようとして、他国がこれ以上手出しをすることを抑制しようとしたことも。
おそらく、各国はもう大きなちょっかいはかけてこないだろう。
俺の意思というものを理解しただろうから。
世界や国のためという大義を押し出したとしても、ただの人間ならともかく、それは俺という唯一の個人の意思を覆すことはできない。
普通なら自分の意思を捨ててでも、大義のために尽くすことが求められる場面かもしれない。
だが、俺には関係がない。
俺はそこまでこの世界のために尽くすつもりはないのだ。
その昔、俺を助けてくれた一人の少女の恩に報いることが第一なのだ。
その過程で大きな何かが救われたとしても、それは別に俺の手柄でもないし、なるべくしてなったのに過ぎない。
だから、俺を拉致して言う事を聞かせようとしても無駄だと全世界に主張することは無駄をなくすいいことなのだろうな。
あの程度では死なないとわかっていても、拒否権を発動するたびに自決もどきなことをしていたらさすがに身がもたない。
「はいはい。即死しないようにしますよ」
「ならばよし」
それから、俺はタナの頭を幼児をあやすように撫でてやった。
こいつはさっきから泣きそうなのだ。
「まあ、即死しなければなんとかなるんだから、気にするな」
「でも、セシィはもう二度も死にかけているんだよ。これからだって……」
「うーん、そういうこともあるが、俺もとりあえず騎士の端くれだからな。戦いやらなんやらで死ぬこともあるさ。……おまえらだってそうだろ? なあ、マイアン。さっきは助かったよ」
マイアンも俺のそばに来て、膝を折って頭を下げてきた。
「……すいませんでした、セスシスさん。貴方を守りきれなかった」
ユギンに突破されたときのことを行っているのか。
宿舎の裏口を守りきれなかったのは確かだが、それだってマイアンが悪いわけではない。
結果を考えれば、人事を尽くしてくれたといえるだろう。
責任を感じて塞ぎ込まれては、これからが面倒だ。
俺は拳を作り、マイアンに差し出した。
「ほれ」
「……なんですか、これ?」
「うちの国の風習でな。いい戦いをした仲間同士が、拳を合わせてお互いの健闘を讃えるんだよ。ほれ」
そうすると、マイアンも手を握り締め、俺の拳と軽く打ち付け合った。
「ナイス、ファイト」
「……それ、どういう呪文ですか? 初めて聞きました」
「よく戦ったって意味さ」
俺はタナにも拳を差し出した。
タナも同じように、おずおずと俺と拳を合わせる。
「……な、ないす、はいと」
「ああ、ナイス、ファイトだ」
そして、三人で笑いあう。
遠目でこちらの様子を窺っていたモミまでがさっと歩み寄ってきて、「わ、私とはしてくれないのですか」というので、今度は四人で一緒に拳を合わせた……。
今回のオオタネアの作戦は、結局のところ彼女の予想通りに進み、二度と大々的な俺の拉致計画が企てられることはなかった。
たまに間者が侵入することはあるだろうが、本業の実力を果敢に発揮したユギンがすべて水際で食い止めてくれるだろう。
―――ただ、みんなで拳を合わせていた時に、ただ一人だけ仲間はずれにされていた上司の某人物の機嫌がしばらく悪かったことは、特段、俺のせいではないはずだ。