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朱色の決意

 俺が情けなく人質に取られてしまっていた間も、マイアンと白装束の間者との格闘戦は休む間もなく続けられていた。

 マイアンの戦略は宿舎への入口を死守することで、眼前の強敵を俺たちのもとへと向かわせないことであり、構えや足さばきも専守防衛に徹するものだった。

 一方、どういうわけか、白装束の方は無理をして中にまで突入しようとはせず、立ち塞がる無手の騎士を排除することだけに専念しているようだった。

 弧ではなく直線に、矢を放つように伸びてくる右拳を最小限の動きで払い、交差気味になるお返しの一撃を放つマイアン。

 その突きはあまりにも疾く正確だったが、ほんのわずかに背中を反らしただけで躱される。

 伸ばしきった腕を戻す前に、死角ともなる下方から吹きすさぶ白装束の回し蹴り。

 女らしいふくよかな胸をもつマイアンにとっては、本来、見切ることは難しいはずの蹴擊だったが、あまりに的確な技の連繋ゆえに勘に助けられて窮地を免れた。

 瞬きする刹那の小競り合いで、二手三手と連続して行われる格闘者同士の対峙。

 さっきの交錯の間にも、数え切れない騙し技が使われていたことを、当事者の二人以外はまったく気づかない。

 技倆的には確実に白装束が上。

 しかし、マイアンには敵を決して進ませないという鉄の使命感があった。

 そのために、全神経を極限まで尖らせて死闘を制しようとしていた。

 

 ……そのマイアンの動の死闘の裏側で、俺たちと侵入していた間者たちとの静かな闘いが行われていた。

 侵入していたと言っていいかどうかは定かではない。

 なぜなら、俺を背後からがっちりと固めている女は、この西方鎮守聖士女騎士団に所属する文官騎士の一人であったからだ。

 買収などをされて裏切ったというよりも、もともとこれが目的で潜り込んでいたというべきだろうか。

 双剣を構え、いつでも斬りかかる準備のできているタナと、千本を手に投擲姿勢をとるモミの二人を前にしても落ち着き払っている点が、それなりの場数を踏んでいるであろうことを証明している。

 しかし、今まで被っていた擬装の皮を捨てて表に出てきた以上、このまま俺を拉致してこの森をでるだけの算段は出来ているのだろうな。

 いや、この森どころか、この(バイロン)をか……。


「月並みかもしれんが言わせてもらうぞ。馬鹿なことはやめておけ。今、この場を切り抜けたとしても、バイロンどころか森さえ抜けられないぜ」

「……人質が貴方以外ならね。でも、オオタネアは貴方を殺す覚悟まではできないでしょう? あなたを失えば、この騎士団はもう壊滅したも同然ですものね」

「……そう、うまくいくかよ」

「うまくいくわよ。オオタネアは貴方を第一に考えているもの。貴方の生命を全面に押し出せば、要求もきっと通るわ」


 へー、そうなんだ。

 そうであればいいんだけどね。


「おまえらの依頼主だって、俺の生命が大切なんだろ? ユニコーンの騎士団を作るためには」

「それは心配ないわ。だって……」


 俺の肩口にナイフが突き立てられた。

 灼熱の鉄棒を押し付けられたような痛みが全身に広がる。

 確実に、一寸近くは筋肉を貫いている。

 瞳だけを動かして刺された場所を見ると、赤い血がどくどくと噴き出していた。

 

「動くなっ!」

 

 ナイフを持ったもう一人の間者が怒髪天をつかんばかりのタナとモミを制止する。

 こいつは、覆面まで黒い装束を着込んでいて、さっきモミが仕留めていた二人と同じ格好だ。

 背格好からして、多分、こいつも女だろう。

 二人で油断なく、死角を作らないようにして、じわりじわりと後ろに下がる。

 

「だって、貴方って結構タフみたいだし、少々傷つけてもうちの魔導師が治してくれるわ」

「……俺が初っ端から痛い思いをさせてくれた相手の言う事を、素直に聞くたまに見えんのかよ……」

「そこも大丈夫。うちの魔導師のお勉強(せんのう)は凄いのよ。魔導の知識のない貴方程度ならすぐに改心(すきなように)できるわ」


 これは参った。

 力尽くが大前提かよ。

ナイフの黒装束が廊下の壁を叩くと、一瞬だけ光の筋が四方に走り、壁にドア枠のようなものができる。

 それに触れると、今まで壁があった場所に簡素な扉が現れた。

 隠し扉か、扉の召喚術か。どのみち、これが逃げ道というわけだ。

 ここから外に出たら、次の逃走手段も入念に確保されていることだろう。

 俺が逃げ出すなら、もうこのタイミングしかないのだが、残念なことにまったく身動きが取れない。

 血が出すぎているというのもあるが、なにやら神経全体によくわからない負荷がかかっているようだった。

 もしや、なんらかの被逮捕者の動きを強制的に制限する技のようなものを使われているのかもしれない。

 右手だけがなんとか動かせるが、ナイフを突き立てている間者に見張られているので、どうしようもない。

 もうすぐ消火作業にあたっていた連中も異常に気づいて来てくれるだろうが、それでなんとかなるとは微塵も思えなかった。

 タナとモミが、こちらに仕掛けようとするたびに、ナイフの先がさらに俺の肩を抉ってくる。

 これだけ痛みを与えられ続けると、さすがに意識が飛びそうになる。

 もしかしたら、その方が完全にお荷物となって間者どもにとっては厄介になるかもしれないが。

 その時、裏口で死闘を演じていたマイアンたちがついに宿舎廊下に揉み合って倒れこみながら、飛び込んできた。

 俺たちはおろか間者どもも、視線をそっちに向ける。

 すると、マイアンは倒れたままなのに、白装束はさっと起き上がり、廊下の奥の方に飛びすさった。

 どんな音もしない。

 空気さえ存在しなかったかのような動きだった。

 しかし、妙だと思ったのは、仲間と合流せず、まるでどちらとも距離を置くような場所に移動したことだった。

 たまたまではない。

 明らかに意図的な動きだった。

 ナイフ使いが、俺の身体を抉っていた凶器を白装束に向けた。

 目にはなぜか殺気がこもっている。

 もしかして、こいつらは仲間ではないのか?


「……貴様も動くなよ」


 もと文官騎士が、白装束に対して牽制した。

 やはりそうだったのだ。

 しかし、そうなるとこの白装束の立ち位置がよくわからなくなる。

 ゲホッと咳き込みながら、立ち上がるマイアンを見る限り、騎士たちをほぼ本気で排除しようとしているのは確かだ。

 そのくせ、気絶させたモミを殺そうとしなかったということもある。

 いったい、何者なのだ。

 せっかく出現させた扉から逃げようとする、間者たちの動きが止まる。

 目の当たりにした白装束の動きのせいで目が離せないのだ。

 もと文官騎士も黒装束も達者な間者であるようなので、その実力というものを冷静に把握したのだろう。

 少なくとも、無視してしまってよい相手ではないと。


「……貴様、何者だ?」


 はっきり言って盗人猛々しい物言いだった。

 こいつらこそ、人の家に勝手に入り込んできた不法侵入者ではないか。

 他人の素性をとやかく言う資格はないはずだ。


「……」


 だが、白装束は応えない。

 真正面から見ればわかるが、その細身の体つきはどうやら女のもののようだった。

 しかし、性別の問題など歯牙にもかけないその戦闘能力は脅威そのものとしかいえない。

 そして、恐ろしいことに、この廊下には数名の人間たちがひしめきあっているが、男は俺一人で、しかも最弱なのも俺という状況なのだった。

 

「ちっ、だんまりですか……」


 苛立ったもと文官騎士が、なぜか俺を拘束する手に力を込めたので、今度は肩甲骨のあたりに激痛が走る。

 身動き取れないことがこれほど辛いとは……。

 だが、この場の膠着状態が破れたのは、次の瞬間だった。

 白装束が口を開いたのだ。


「……ねぇ、童貞クン。おねえさんは思うんだけど、ちょっとだけ死んでみたら」


 ―――なん、だと?

 言われたことを咀嚼するのに、数秒の時間がかかった。

 そして、意味をはっきりと理解する。

 なるほど、そういう筋書きかよ。

 オオタネア・ザンの勝ち誇った顔が脳裏に浮かんだ。


「了解。ちょっと見ていろよ、すぐ終わるから」


 俺は唯一まともに動かせる手を上に動かした。

 そのことを不審に思ったのか、黒装束がもう一度ナイフをさっきの傷跡に突きつける。

 おかしなことをすればまた痛い目に合わせる、という脅しだ。

 だが、もう遅い。

 その程度の恫喝で俺は止められない。

 俺は傷口に当てられたナイフの柄に掌を添えた。

 黒装束が手を引く前に、俺は残った全力をかけて、その柄を押し込んだ。

 俺自身に向けて。

 さっきまでとは比較にならない脳をぶん殴るような痛みが広がり、全身に脂汗がとめどなく吹き出す。

 精神力の弱い人間なら、ブチブチ切れる神経への衝撃で死にかねないほどの激痛だったろう。

 自分の出しているものとは思えない擦れ声が、喉の奥の奥から発生する。

 噛み締めた奥歯が割れるほどに軋む。

 俺の手からナイフを奪い返そうと黒装束が力を込めた瞬間に、その腹を力の限り蹴り飛ばす。

 もと文官騎士の絞めの圧力がゆるくなり、余裕が生じたおかげだった。

 黒装束はのけぞり、俺はナイフをその手にする。

 そして、その柄を順手に持ち替えた。

 俺の反撃が来ると予想したのか、背中に密着していた元文官騎士の身体に緊張が走った。

 しかし、そんなものはどうでもいい。

 奪い取ったナイフの穂先は、俺の咽喉に吸い寄せられ、そして、横一文字に翻った。

 赤い奔流が俺の喉から溢れ出す。

 鮮血の滝。

 圧縮された血管が断ち切られたことで吹き出す、血飛沫が廊下を染め上げた。

 それが自分のものでなければ少しは落ち着けただろうが、さすがに精神的に厳しい光景であった。

 自分の血がぷしゅうと前に流れ出すんだぜ。

 我が血の体温のおかげで、胸と腹のシャツがねっとり温かくなっていく。

 何が起こったのか、よくわからないで呆然とする一同の中で、唯一まともに動き出したのは、やはり白装束だった。

 間者たちが正気に戻る前に、数歩の距離をゼロにまで縮め、電光石火の右拳の一撃が元文官騎士の顎を、疾風怒濤の迅雷のごとき回し蹴りが黒装束の鳩尾を、それぞれ容赦なく射抜いた。

 意識をなくし膝から崩れ落ちた二人の間者よりも、喉を貫き自決を選んだ俺が倒れる方が遅かったのは皮肉というほかはない。

 だが、二人よりもやや遅れてまるで丸太のように倒れ込もうとした俺を、白い影が横から受け止めてくれた。

 血だるまの俺を抱くことで自らも朱に染まることを厭わない行動に、俺は感謝した。

 やれといったのは、コイツだけどさ。


「……さすがは教導騎士。お見事でした」


 俺は何かを言おうとしたが、咽喉からはすでに血泡しかでてこない。

 ここまで保っていた意識もついに途切れそうだった。

 だが、聞き取れようが聞き取れまいが、言いたいことがあったので、それだけは口にした。


「ありがとう、ユギン。おかげで助かった」


 ―――そこで、目の奥でバチンと火花が散り、そのまま俺の意識は飛び散ってしまうのだった……。

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