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心の隙間に思い出を一つだけ

 まるで宇宙空間を彷徨い歩いているような、そんな不思議な感覚だった。

 おれは“ロジー”に連れていかれるままに、ただ時の涯を進む。

 音も匂いもなく、五感でさえ麻痺しそうな空虚の中を。


 ……ああ、このままいればすぐにただの石になれる。


 そんな感慨が思考のすべてを塗り潰すかのような「無」。

 宇宙的恐怖というものかもしれない。

 自分というものが薄れていく感覚。


「……なにもないな」


 喉からでた声さえも空々しい。

“ロジー”の揺れでさえ、意識できなくなっていくぐらいなのだから。


《そうだな》


 おれよりも精神的には強靭である幻獣でさえ似たような有様だった。

 はたと気がつく。

 こうやって生物は非生物になる。

 つまりは「死ぬ」のだ、と。

 おれたちは緩々と狂々と死んでゆくのだ。

 たった二人で。


 だが、その時、


 ブォォォォォォン


 という野性的で粗雑な、しかし確かに何者かの手で作られた人工的な音が耳に入った。

 似たものに聞き覚えがあった。

 それは、角笛の音だった。

 どこかで聞いたとしたら、あの世界で。

 おれが戦って来たあの世界で。


「“ロジー”!!」

《うむ。あれは〈角笛〉の音色だ。余の眷属たちの角を元にして造像された、ユニコーンのもの以外にない》

「角……だと?」

《ああ、そうだ。余の眷属にして子供たちが自らの角を供与して造り上げたに違いない。つまり、余と君を呼び戻すための道標として》

「あいつらが、おれたちのために……なのか?」

《行くぞ。余らの目的地へのおおよその見当がついた。駆けるぞ。しっかりつかまっていよ!》


 宣言のままに幻獣王は駆けだした。

 白い彗星のごとく。

 何もないはずの空間を、〈角笛〉の音色のした方角へ向けて。


「……まさか、角を折ったのかよ、あいつら」


〈角笛〉の音は少なくとも五種類はあった。

 あれがすべて別の個体ものだとすると、五頭のユニコーンが角を捧げたことになる。

 つまりその五頭はもう消滅しているのだ。

 おれたちのために。


「バカなことを……」

《言うでない。彼奴等にとっては、それだけ君が大切なのだよ》

「おれじゃなくておまえを助けるためだろ?」

《どちらでもいいではないか。余と君のためならば》

「おまえはホントに王の器だよ」


 おれみたいな小者とは違う。


「ありがとうな、みんな……」


 おれは脳裏に浮かんだ親友ユニコーンたちに頭を下げた。

 それしかできないからだ。


《くっ、おおよその場所しかわからん。もう一度、響いてくれればもう少し近づけるのだが……》


 おびただしい光が後方に流れ、虹の光帯が現われては去っていく美しい光景の中を必死に“ロジー”が駆ける。

 こいつの想いはわかる。

 子供たちが自分を助けるために不滅に近い命を捨てたのだ。

 絶対に戻らなければ、帰らなければ、無駄死にさせただけになる。


 0……

 ……0

 …………0

 ………………0


 最初に感じたのは“イェル”の魔導力だった。

 タナの相方にして、王子である“アー”を除けばユニコーンたちの一番のリーダー格。

 女の子の太ももが大好きでそのことでいつもおれを困らせていた。


 10


 次に感じたのは“ゲー”の魔導力。

 ユニコーンの中でもっとも足が遅いが、それを上回る体力とタフネスをもった頼りになるやつ。

 同胞の中では淡泊な方で、相方のハーニェとともにいることだけで幸せだという謙虚さが光っていた。


 100


“シチャー”もいた。

 こいつは根が生真面目でよく周りと衝突していた。

 ただ美しい花が好きで、故郷の〈幻獣郷〉ではおれの花見酒につきあってくれた。

 乙女なところの多いマイアンの相方としてぴったりの相性だったんだろうな。


 1000


 さすがに千年単位の時空を突破すると、おれの全身にも負担がかかり始める。

 だが、まだまだだ。

 億光年単位なんだぜ。

 この程度では終わらないはずだ。


 10000


 ナオミの相方“エフ”を感じた。

 ユニコーンの中でも突出して優しいまさに聖獣。

 女の尻に弱いのがダメなところだが、ナオミのあとを追いかけているだけなら別に問題なかったしな。

 おまえのおかげでナオミという女の子を救えたんだ、感謝している。


 100000……


 桁が増えるたびに、内臓のすべてが凍り付いていく。

 真空の中に蹴り飛ばされたようだ。


 1000000……


“オー”の魔導力だった。

 あいつの魔導力にはどうしてもピンク色の煩悩が感じられる。

 あのおっぱい評論家め。ノンナに不埒な真似をするんじゃないぞ。

 ただ、あいつはいつでもおれたちを庇うように戦っていてくれた。

 そのことを忘れることはない。


 10000000……


 やばい……

“ロジー”の速度に陰りが出た。

 行くべき場所がわからなくなったのだ。

 五頭からの音色が途絶えたせいか?

 このままではもう先に行けない。

 と、焦った矢先、またも別の〈角笛〉の音色が届いてくる。


 100000000……


 ああ、おまえたち……。

 おまえたちまで助けてくれるのか。

“ベー”、“エリ”……

 

 ……七つの誇らしげな音色がおれたちを誘う。

 どんなに離れても友は友だと。

 一緒にいよう、と。


 すでに亡くなった友達の力まで借りて、おれたちは光の壁すらも超える。


 1000000000……


 十億光年の時の流れをおれたちは打破した。

 だが、もう“ロジー”は限界に近付いていた。

 幻獣王はさっきの戦いで消耗しきっている。

 そろそろ底なしだった魔導力さえ尽きかけようとしていた。


「“ロジー”!!」

《泣きそうな声を出すな。うっとおしい。まだ、余の力は残っている》

「だけれど」

《余の角も折る。そうすれば、魔導力など稼げる!》

「バ、バカ! そんなことをしたら!」


 おまえが消えちまうだろ!


《なに、実体を残すぐらいの魔導力はとっておく。そうすれば、ユニコーンは無理でもただの馬程度としては存在できるだろう》

「何を言ってやがる! おまえたちはユニコーンなんだぞ! 聖獣なんだぞ!」 

 

 なのに、前の幻獣王は今までも散々見てきたような笑みを漏らす。

 いつもそうだ。

 おれの周りには振り切ったやつらが多すぎる。


《昔から雌馬の尻を追うという下種な真似をしてみたいと思っていたのだ。幻獣王はハメを外せぬものだからな。ちょうどいい》

「……まるでユニコーンどもみたいなことを言うなよ。乳・尻・太ももとかでうるさいのはおまえの眷属たちだけで十分だぜ」

《余もユニコーンであるのだよ。―――ではいくか》


 ことんと何かが落ちる。

 それは、“ロジー”の額から生えた美しい剣のような一角だった。

 慣性の法則に導かれたのか、ただの偶然か、白い刃はおれの手元にするりと収まった。

 まるで形見分けのように。

 それと同時におれたち―――というか“ロジー”は光になった。

 エーテル光よりもさらに煌めき、太陽のものよりも熱く、水よりも透き通った、根源なる輝きに。


 綺麗で。

 うっとりする。

 虹に。


 ―――ユニコーンの姿をした希望に。



 1200000000……



 1500000000……



 2000000000……



 3400000000……



4800000000……



 5020000000……



 5400000000……



 おれにさえ、わかる。

 目的地に。

 友達と彼女たちのいるところに。


 あと少し。


 届かない。


 親友の力が落ちた。


 意志力が堕ちた。


 足取りが緩くなる。


 存在が微かになる。

 

 声がしなくなる。


 握力が感じられない。


 揺蕩たゆたう。


 眠くなる。


 もう駄目だ。


 うぇーい。


 間に合わない。


 こりゃあお終いかな。


 心の支えと呼べるものは親友が一緒にいることだけ。


 でも、そいつが命を賭けてくれてんのに何もできない。


 おれは無力だ。


 クズだ。


 まあ、やることはやったからいいか。


 ネアとの約束は守った。


 それだけは絶対に破れないと誓った約束は。


 頭がクラクラしてきた。


 もう思考が定まらない。


 待っているみんなの顔も消えかける。


 ……ああ、それだけは勘弁してくれ。


 奪われるのは慣れているけれど、大切なものを失くすのはもうこりごりだ。


 悔しいなあ。


 さすがに泣きたくなるわ。


 ただなあ、もう泣いている歳じゃあないんだよ。


 大人だからな。


「……“ロジー”」

《話しかけないでくれ。今は困る》

「行け」

《は?》

「そのまま進め」

《なんだって……?》


 おれは告げる。


「絶対に帰れる。だから、全力を振り絞れ」

《ああ、言われずともするさ》


 親友が偉そうに応える。


 そうさ、おれたちはきっと辿り着く。


 だが、あと百年。

 

どうしてもずれそうだ。


 たったそれだけを埋める奇跡が欲しい。


 百年ずれたら、あいつら全員婆ちゃんになっちまうからな。


 ドクン


やってきやがれ、奇跡ってやつ!


 ドクン

 

 おれたちが賭けた分の配当を寄越しやがれ!


 ドクン




 





 そして、どこからか、七つの破滅の喇叭とは異なる音色が二つだけ轟き渡った……。
















         ◇◆◇



〈王獄〉のどす黒い虹が消えた、美しく澄み渡る蒼穹の下、背中合せに寄りかかりながら、二人の少女は息も絶え絶えになりながら笑った。

 もう首から下は指一本動かせない。

 手にした〈角笛〉を手放すことさえ不可能なほどに。

 減らず口を叩くだけでも精一杯だ。

 だが、なにかを喋らずにはいられなかった。


「……これって意味のある行動だったんスかね?」

「きっと」


 視線を落とし、ユニコーンの角が突然変化した〈角笛〉に眼をやり、


「まあ、“ハー”がやれというのなら絶対に正しいことだったんだろうけど。でも、おかげで立ちあがることもできないッス」

「私は“ヴェー”を信じているから」

「なんか、自分だけが信じていないみたいな言い方やめて欲しいッス」

「そろそろ黙って。疲れてるんだから」


 相棒のしつこい愚痴につきあうのにうんざりしながら少女は言った。


「……酷いッス」


 すると、その二人の元へ何かが近づいてきた。

 音からすぐに判別できる。

 あれは聞き慣れたユニコーンの騎兵たちの蹄の音だ。

 仲間たちが戻ってきたのだ。


「キルコーーー!」

「アオせんぱーーい!」


 聖士女騎士団の後輩たちが口々に呼びかけてきた。

 ずっと心配していたのだろう。

 先頭を走るのは、リユ・ナーカンタス。

 他の十三期は一人もいなかった。

 タナもナオミも隊長のノンナも……。

 もちろん、彼女たちの教導騎士も。

 それだけで何があったか二人にはわかった。


「……みんなは教導騎士について行ったんスかね」

「私も行きたかった。先生は私の初恋の相手だから……」

「そうだったッスよね。キルコもいけなくて残念だったッスね」


 自分を気遣う親友の優し気な声に対し、キルコは辛辣に応えた。


「アオがもうちょっと強ければ良かったのに。そうすれば、私もアオなんか見捨てて一緒に行けたのに。もう全部、アオのせい。最悪……」

「え、ちょっと待って、キルコ。もしかして自分のせいなんでスか?」

「当たり前。みんな、アオが悪い。要反省して」

「そんな~」


 予想外に全責任を負わされて慌てふためくアオを背中で感じながら、キルコはまた天を仰ぐ。


〈王獄〉は晴れた。

〈雷霧〉も消え去る。

 戦いは終わる。


 でも、共に戦った仲間たちはもうほとんどいなくなってしまった。

 

 そうなってもキルコたちの未来は続く。

 新しい明日が来ることを喜ぶべきなのだ。

 胸の中にどんなに強い喪失感があったとしても、いつかは別のものに埋め尽くされることになるだろう。

 ほんの少し空いた隙間に、思い出を一つだけ大事にしまって。



 ―――聖士女騎士団の騎士としての記憶だけを。



 ―――大切に。



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