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想い人、不帰

 世界が震動に襲われ、猛烈な吐き気を感じ、視界が眩暈によって完全に閉じた。

 だが、次の瞬間には何もなかったかのように、すべてが平常に戻っていた。


「……今の、何?」


 ミィナが口元を押さえながら言う。

 その問いに答えたのは“ゆかり”であった。


『〈阿迦奢の断絶〉が発生し、わずかに遅れて誰かがそれを修正したようだ。―――どうやら僕の友達が失敗したらしい』


“ゆかり”の言葉に反応したのは、全員だった。

 事実上の敗北宣言。

 そして、同時に彼女たちの敬愛する男が勝利したということだからだ。

 爆発的に湧き上がる歓喜の声。

 全員が天を見上げて、両手を打ち鳴らし、勝利を祝う。

 彼女たちの数年間。

 先輩たちから数えれば十年以上の時をかけて、少女たちだけの聖士女騎士団がついに掴んだ栄光の時間だった。

 多くのものたちがちっぽけでかけがえのない命を捧げ、ただ与えられた任務を遂行し、数えきれないほどの人々の幸せを守ってきた。

〈自殺部隊〉と嘲られ、無駄飯の税金食らいと罵られ、役に立たない小娘どもと軽んじられてきた女の子だけの精鋭部隊がついに本懐を達したのだ。

 それは年相応の少女に戻れる瞬間だった。

 タナははしゃいで双剣を振り回し、ナオミはノンナとハイタッチし、ミィナは痛い脚を抱えながら飛び回り、ようやく目を覚ましたクゥは座り込みながらガッツポーズを取った。

 ここにいない仲間たち、散っていった騎士たち、彼女たちを送り出した家族たち。

 みんなに伝えてやりたかった。

 今すぐに教えてやりたかった。

 我武者羅な訓練が、死に物狂いの戦いが、時には仲間さえも見捨てていった決断が、すべて結実したということを。

 私たちは勝った。

 あなたたちを守った。

 皆の力添えがあったからだ。

 だから、これは人間たちが掴んだ大勝利なのだ。

 ……ムーラ、シャーレ、アンズ隊長、ユギン、タツガン、トゥト、カボ、キルコ、アオ、多くのものたち。

 戦いは終わる。

 いつか別の戦いが始まろうとも、今、私たちが直面していた苦しみに満ちた悲劇には終止符が打たれたのだ。

 喜べ、人ども。

 歌え、仲間たち。

 尊べ、生命の賛歌を。

 今を愛するがいい。


「……それで“ゆかり”。セスシスはどうなるんだ?」


 一通り祝いあったあと、口を開いたのはナオミだった。

 この勝利の本当の立役者の帰還が待ち遠しかったからだ。

 だが、帰ってきたのは絶望に満ちた言葉だった。


『〈阿迦奢の断絶〉というのは、時の涯でしかなすことができない。その場所は距離にして56億7000万年ぐらいの時空間距離がある。そうたやすく戻ってこられる場所ではない』

「な、そんな馬鹿な……!」

『人の身で神話から存在する神器を使うのだ。それぐらいの面倒は必要だろう。僕の友もわかってやっていた』


 ナオミたちは絶句した。

 開いた口が塞がらない。

 その言葉の意味が脳内に浸透するまでのわずかな時間が過ぎれば、こめられた事実が浮かび上がる。

 つまり、それは……


「セシィが……帰ってこられないってこと……」


 タナが確認するかのように問うた。

 五対の瞳が“ゆかり”を射抜く。

 嘘であってほしいという願いを込めて。


『そうだ。少なくとも、何の道標もない状況においては、さすがの幻獣王ロジャナオルトゥシレリアでも即時帰還とはいかないね。時空の距離に匹敵するだけの時間を掛けなければここを特定できないし、帰還は叶わないだろう。まあ、運よく戻ってこられても数百年単位のズレはあるだろうし、君たちが老衰して死ぬまでには帰れないと思うよ』


 神の端末は残酷な真実を告げる。

 ここまで力の限り戦って来た定命の定めの人間たちを突き放すように。

 自ら関わった創造物たちの無力さを痛感させるためにか。


「そ、そんな!」

「嘘をつかないでください! 貴方の言い分では、まるで……これが……今生のお別れのように……聞こえます……が……」

「セスシス殿が帰ってこれない? “ロジー”ちゃんが帰らない? そんなことがあるもんか!」

「そ、そうです! “ゆかり”さん、どんな根拠があってそんなことを!」


 五人は口々に神の端末の不実をなじる。

 それはそうだろう。

 彼女たちに勝利をもたらした最大の功労者であり、そして最愛の男に関することの中でも最悪に近い事柄なのだ。

 一度、彼女たちの元から離れ、ようやくまた追いついたというのにまたもどこかに引き離されてしまうのかと。

 セスシスを戦場に送り届けるために別れるのは覚悟できた。

 彼女たちは骨の髄まで戦士だからだ。

 だが、その身に宿った使命が成就された以上、彼女たちは年相応の女に戻り、当たり前の幸せを叶えてもいいはずだ。

 その希望が叶えられない。

 認められない。

 なんということだろう。

 掴んだ勝利が指の隙間から通り抜けていくかのような、そんな徒労めいた絶望がのしかかってきた。


『―――下手な期待は持たないほうがいいよ。僕が、彼らをここへ呼び戻してくれるとかね。僕は君らも薄々理解しているだろうけど、時と歴史を司る〈紫の神〉の端末だ。だが、端末に過ぎない。僕は本体ほどの力を駆使できるわけではないし、本体の力を借りることもできない。なぜなら、ちょっと前に言ったと思うが、僕は〈方舟〉の航海士なのだから。―――このね』


“ゆかり”は足元を指し示した。

 ここにいる全員を運んできた〈方舟〉だった。

 セスシスと彼の〈肉体〉=ホルツェルナ・ヰン・バーヲーの、神器を振りかざした一騎打ちが始まったことによって天地が崩壊していくかのごとく切り裂かれていった〈タカマガハラ〉から騎士たちを連れて脱出したのである。

 彼の存在理由はこの神の船の管理だった。

 ある時たまたま出会った、世のすべてを呪い尽くす存在と友となったゆえに、今回のように歴史と時の狭間の出来事に関わることになったが、本来ならばまともに神の端末としての利用もされずに朽ちていくべきものだった。

 こうやって定命のものたちと交わることもなく、おおきくアカシックレコードに記載される出来事に触れることもなかったはずだ。

 だが、棄てられた〈妖魔〉どもを船倉に匿ったり、友の復讐の手助けをしたり、どうしても“ゆかり”には役割に徹しきれないところがあったようだ。

 だから、言わずもがななことも口に出してしまった。


「……本当なのか?」

『僕は神の端末だ。嘘は言わない』

「セスシスは戻れないのか?」

『ああ。なんらかの形で道標を用意しておくか、それとも神の奇跡がなければ。そして、僕は奇跡を発動できるほどの力をもたない。つまり、無理だ』


 歓喜の絶頂から哀しみのどん底に叩き落され、少女たちは湧きだす涙を止められなかった。

 ほんの数分前の喜びがすべて雲散霧消した。

 ……セスシスのいない未来など考えられなかった。

 彼女たちの教導騎士。

 彼女たちの英雄。

 彼女たちの夫。

 今、ともにいるすべての仲間たちと同じぐらいに大切な人がいない未来など。

 ノンナがへたり込む。

 緊張の糸が完全に断たれてしまい、足腰が萎えてしまったのだ。

 ナオミが甲板に魔槍を突き立てる。

 そうでもしないと立っていられなかった。

 ミィナが顔を押さえ泣き喚く。

 最年少の彼女には耐えられなかった。

 クゥはじっと足元を凝視してむせた。

 呼吸が苦しくて耐え難かった。

 そして、タナは―――


「セシィィィィィィィィィィィィィィィ!!」


 と、叫んだ。

 名前を呼んだ。


「私たちはここにいるよ! ここで待っているよ! セシィィィィィィィィィィィィィィィ!」


 大好きな人の名前を呼んで、自分が目印になるぞと叫んだ。


「セシィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」


 ……無駄だった。

 そんなことが何かを起こす訳ではない。

 ただ体力を喪失するだけだ。

 意味のない自己満足だ。

 だが、恋する少女は喉が張り裂けんとばかりに叫び続けた。


「セシィィィィィィィィィィィィィィィ!!」

「セスシスぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


 タナの隣に立っていたナオミまでが叫んだ。

 無駄なことを。

 くだらないことを。


「ボクもいるよおぉぉぉぉ!! セスシス殿ぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

「セスシスさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 涙と涎と汗でぐちゃぐちゃになりながら、ミィナとクゥデリアも続いた。

 みっともなかった。

 情けなかった。

 無様だった。

 ……だが、少女たちは叫んだ。

 そんな仲間たちの醜態を見つめ、ノンナも立ち上がり、か細くも必死な声を上げた。


「セスシスさぁぁぁぁぁぁぁぁん。ノンナは貴方を待っていますぅぅぅぅ!!」


 誰に何を言われようと知ったことではない。

 彼女たちはその名の持ち主が共に居なければすでに生きていく価値はないのだ。

 そう心に決めていた。


「セシィィィィィィィィィィィィィィ!!」

「セスシスぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

「セスシス殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「セスシスさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「セスシスさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」


 少女たちはかすれ声になっても何度も何度も大好きな男の名を呼んだ。

 命をかけて世界を救う戦いを行った、平凡な男の。

 悲痛で、幸福な呼びかけであった。


 そして、それに応えるものたちがいた。


《―――我らが姫よ。君たちに聞かせたいことがある》


 自分たちの乗り手の絶望と悲しみと悲痛な訴えを黙って聞いていたユニコーンたちの一頭“イェル”が〈念話〉を送った。

 ひたすら一人のことを思いつつ叫んでいた少女たちの視線が集まる。

 そこにいた五頭のユニコーンたちは皆晴れやかな佇まいで立ち尽くしていた。


「どうしたの……“イェル”くんたち」


 愛しい男のことでいっぱいだったとしても、相方の異常に気付かない彼女たちではない。

 静謐を好むユニコーンたちにかつてない何かが生じていたのにすぐに気がついた。


「なにか、変ですよ、“オー”」

「“エフ”も、どうしたんだ?」


 その気遣いを心地よく感じながらも、ユニコーンたちはすでに話し合っていた内容を騎士たちに伝えた。

 代表は“イェル”だった。


《……我らが王と友を帰還させるための方策を君たちに伝えよう》


 全員が仰天した。

 神の端末である“ゆかり”ですら投げ出したわざができるというのか、と。

 驚きの視線を軽く流して、“イェル”は言った。


《我らユニコーンの一角には、個体の魔導のすべてがこめられていることは知っているだろう? そして、その角を魔導加工することで〈角笛〉を造像させることができる》

《ユニコーンの〈角笛〉……? 聞いたことがあるぞ。だが、それで何をする気なんだい?》

《神の端末よ。我らの〈角笛〉は闇を払い、鳴り響いた世界を静寂へと導く魔具だ。数を揃えればこの世のすべてを震わせることができる。その力を使えば、56億7000万年離れた王の元へとしるべを届けることができるだろう》


“ゆかり”の眼が見開かれた。

 それが可能だと理解したからだ。


《―――破滅の喇叭……。まさか、そういう預言なのか? だが、いくらなんでも56億7000万年先になど……》

《できる。我らは、神の乗馬すら勤められる幻獣王ロジャナオルトゥシレリアの化身にして眷属。我らの渾身の音色ならばどの世界だろうと王へ届く》


“イェル”の言葉に。

 同胞たちは強く頷く。

 彼らは聖馬であり、神獣であり、聖獣なのだ。

 喪失を怖れて泣き腫らす少女たちの涙を止めるためならばなんでもできる。

 その想いは人外の神外の心をすら貫いた。


《……神の端末。我らの角を折れ。そうするだけで〈角笛〉が造像できる。……処女おとめたちには酷ゆえに頼めぬことだからな》

《僕は定命のものたちと幻獣を甘く見ていたようだ。ただの怪物だと思っていたよ》

《すまぬ》


 額の角を折りやすいように、揃って首を垂れる五頭のユニコーンの傍に“ゆかり”が近づく。

 だが、その歩みは遮られる。

 遮ったのはユニコーンたちの乗り手だった。

 タナもナオミもノンナもミィナもクゥもいた。

 全員が揃っている。


《邪魔をするのかい? 彼らは君たちのために……》

処女おとめたち……》


 タナたちは頭を振り、


「ううん。そんなことはしない」

《ではなぜ?》

「……私たちがユニコーンたちの乗り手なのよ。だから、あなたにすべてを任せることは絶対にできない」


 そのまま振り向いて、腰の双剣を鞘走らせる。


「“イェル”くん。君たちが命を張るというのなら、介錯するのは私たちの役目だ」


 愛する相方の決意に泥を塗る訳にはいかない。

 その決意が自分たちのためであるとわかっているからこそ。

 他の誰かの手に委ねることなどできはしないのだ。


《―――さすがは我らの姫だ。タナ・ユーカー》


“イェル”たちはほとほと感心してこの見事な騎士の少女を見つめていた。




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