俺のやり方で
全身が総毛立つ。
毛穴という毛穴から、なにかが噴き出すような感覚が俺を襲ったからだ。
皮膚という皮膚が薄く光を発し、体熱が気化し水蒸気にでもなったかのように舞い上がる。
表面だけではない。
心臓や肺といった五臓六腑にも明らかな異常が生じ、普段なら感じることがない、自分に内臓が存在するということを意識させられた。
いや、そうではない。
すべての骨や腱、血。そして、細胞の一つに至るまで、俺の感覚が逐一報告してくる。
おまえの身体が昇華している、と。
何に?
エーテル光に。
《どこまでエーテル化するかね?》
「決まっている。魂までだ」
《かなり痛いだろうが、痛みすらエーテル光に変わるので我慢したまえ》
「他人事だと思いやがって」
俺の全身が幻獣王の膨大な魔導力の助けを借りて、光の粒子にまで変換されていく。
当然、普段の疲労だけで副作用の残らない程度のエーテル化とは異なり、自己のすべてで肉の領域を逸脱するのであるから、伴う痛みも想像以上だ。
切断されて失って手に生じるというファントム・ペイン。
感覚としてはそれに近いが、存在を意識できないもどかしさもあり、夢中の出来事のように現実味がない。
一切の音が消えた。
咥内の唾液の味が失せた。
それでわかる。
五感が滅しかけているのだと。
視覚だけはまだある。
しかし、触感はもうとうの昔に亡くなっていたのかもしれない。
強力な魔導力を持つ“ロジー”と〈剣の王〉と触れている部分以外はもう俺は薄れかけていた。
《うおおおおおお、とか叫ばないの?》
不思議そうな女の声がした。
子供っぽい、幼女のものだった。
初めて聞くが、俺にはわかった。
俺の〈剣の王〉の化身―――リュシェンドという神器の声だ。
聴覚は失われていても魔導を感じ取れる部位は違うらしく、今までも何かを喋っていたらしい神器の無機質な〈念話〉がダイレクトに届くようになったみたいだ。
驚きもなく俺はそれを受け入れた。
疑問を抱く余裕はない。
なんといっても肉体が金色になって希薄になりつつあるのだから。
《―――声を出すだけの余裕がない》
俺の言葉は〈念話〉となった。
すでに俺の半分以上はもうエーテルの眩い光になっている。
声帯は消失していた。
《あれ、あたしとおしゃべりできるんだ、主さま。驚いた》
《それはこっちのセリフだ。もう少し大人っぽいかと思えば、そんなロリロリした声とはな》
《ロリロリって?》
《……ひどく若々しいということだ》
《そうでもないよ。あたし、鍛えられてから一万年は経っているもん》
《だったら、もう少し威厳をもて》
《そんなこと、どうでもいいじゃん。―――で、どうしてうおおおおおおとか気合をいれないのさ。黙って耐えているだけだと痛いだけだよ。叫んで発散しないと》
よくわからないことを言う。
盛り上がりでも期待しているのか。
《身体がなくなっていく瀬戸際なんだぞ。じっとこらえているだけで精一杯だ》
《どうして? どうして堪えるの? 痛いなら痛いでいいじゃん? 痛いことを訴えないと誰もわかってくれないよ》
《誰かに俺は痛いんです、理解してください、察してくださいって主張するのか? バカらしい。ついさっき俺は親友に諭されたばかりでな。―――誰かに理解と同情を押し付けるのはバカのすることだ》
《人間ってそういうものでしょ》
《俺は、人間をやめるところなんだ》
《どうしてやめちゃうの?》
《そりゃあ、おまえ……》
俺はままならない表情筋を動かして、口元を吊り上げた。
《カッコよく決めるためさ》
そして、俺は相方に指示する。
《いくぜ、親友! やつの隣に張り付け!》
《応!》
ユニコーンの騎馬は一気に加速する。
跳躍する。
時間という概念を超える速度で。
相手方の乗る〈麒麟〉もその速度にはついてこられるが、すでに九割九分はエーテル化している俺が乗っているせいもあり、時空間を凌駕する幻獣王の疾走の上を行くことはできない。
〈俺〉=ホルツェルナもそれほどの乗馬技術はないようだ。
三度、〈麒麟〉が切り返し、肉薄する俺たちを躱そうとするが、四度目にはぴったりと横並びにできた。
「何の真似だ!」
本体の〈剣の王〉の横殴りが俺を襲う。
エーテル化していてもこの神器の攻撃だけは無効化できない。
だから、俺はリュシェンドで受ける。
化身なので同格ではないだろうが、受ける程度できることはさっきまでで証明済みだ。
だが、反撃の斬撃は送らない。
そんなものは意味がない。
魔導騎士の戦技を持つものには俺なんかでは歯が立たないのはわかっている。
ピキッ
嫌な音がして、俺の背後の世界が切り裂かれた。
そこには火山の爆発で滅びゆく王国の最期が映し出されていた。
〈剣の王〉の歴史改変でまたどこかの国が滅びたのだ。
何十万人が死んだだろう。
ただの一振りでこの世界の歴史上で数えきれないほどの人が死ぬ。
だが、仕方ない。
こんな神器を鋳造したこの世界の神の不始末なのだ。
俺が悔やんではいけない。
後悔すべきはもっと違うこと。
「おまえが死ねばこれほどまで人は死なないんだよ!」
《違うな。どのみち人は死ぬ。それは変わらない》
「下手な理屈を!」
《おまえは勘違いしているな。……俺はね》
決定的な台詞を俺は吐く。
《もうどうなったっていいんだよ。おまえさえ止められればな》
俺はそのままがっしと〈俺〉の肩を掴んだ。
何かをされるということを理解したのか、手を振り払おうとする〈俺〉。
だが、その行動は無意味だ。
やるのならば神器で俺を斬るしかない。
これだけ近くて大剣が震えるのならば、だが。
「何をする!?」
《“ロジー”、一、二、の三!》
〈麒麟〉の背に俺が飛び乗ろうとした時に合わせて、親友が腰を跳ね上げる。
俺は容易く〈麒麟〉の背中―――〈俺〉=ホルツェルナの背後を取る。
「は、放せ!」
俺はリュシェンドすら手放して、〈俺〉=ホルツェルナを羽交い絞めにした。
「やめて!」
「やめろ!」
〈俺〉=ホルツェルナが叫ぶ。
予感がしたのだろう。
俺がすることに対しての。
いい勘だ。
《さて、詰めといくか》
俺は最後の力を振り絞って、エーテル化を加速させる。
細胞どころか、意識、記憶に至るまで、すべてをエーテルという光に変換し、魂すらもデータに昇華する。
飛び散る光は粒子となり、口、鼻、耳はおろか毛穴という毛穴から侵入する。
〈俺〉=ホルツェルナの体内に。
かつて一人の少女の肉体を奪った時のように、俺はまた一人の人間の身体を奪取する。
それが元々の自分のものであったということはなんて皮肉が効いているんだろう。
結局は、俺はただの肉体盗みの化け物なのだ。
ずっと昔は自分のものだった肉体は意外と馴染みにくかったが、エーテルの光となってしまった以上、もう寄るべきもののない俺はなんとしてでも奪わねばならない。
そして、その途中、俺の粒子となった意識が二つの魂と出会った。
二つとも震えていた。
恐怖に。
肉体を再び無くし、奪われる恐ろしさに。
浸食してくる自分以外への圧倒的なおぞましさに。
(来るな!)
(来ないで!)
(入ってくるな!)
(入ってこないで!)
(もうやめろ!)
(もうやめて!)
(許してくれ!)
(許してよ!)
(助けて!)
(助けてください!)
(消えたくない!)
(奪われたくない!)
((もう酷い目にあわせないで!!!!))
泣き喚く魂。
救いを求める心。
助けを叫ぶ意識。
それらを俺は蹂躙しつつ、自分の中に取り込み、咀嚼し、そして言った。
《お帰り、俺の肉体。ようこそ、ホルツェルナ。多少時間はかかると思うが、同じ身体の同居人同士、仲良くやっていこうぜ》
おれたちは、もともと同じ肉体をもらったり、入り込んだり、混ざったりしているのだ。
今更、一緒になったからといって、うまくやっていけないはずはない。
ちょっと不自由があったとしても構わないだろう。
俺と〈俺〉とホルツェルナは、こうして、三位一体の新しい「おれ」となったのであった……。




