〈ユニコーンの騎士〉晴石聖一郎
「ホルツェルナ・ヰン・バーヲー……?」
それはシャッちんの姉さんの名前だった。
俺が奪った肉体の持ち主だった。
そして、俺を憎んでいても仕方のない相手であった。
「だから、そんなに世界を憎むのか……」
〈剣の王〉という神器を振るうために喚びだされた俺のために、生きたまま肉体を贄とされたのならば、その無念は測ることもできないほどに巨大であろう。
何百年経ったとしても、元凶たる俺を、自分を捨てた世界を憎悪しても飽き足らないことは理解できる。
だが……
「どうして、俺の肉体に……シャッちんの姉がはいっているんだ?」
そこは理解できない。
目の前の〈俺〉は間違いなく肉体は元の俺のものだし、かつての記憶だってあるようだ。
なぜ、そこにホルツェルナの意識があるというのだ?
《いや、入っているというよりも混ざっているという感じだな》
「……“ロジー”」
《一割、……もっと少ないか。一分程度だけが、もともとの君の魂に混じっているというだけのようだ》
「魂に混じっている?」
酒じゃあるまいし、魂なんて形而上学的なものが混同するなんてことがありうるのか。
いくら魔導が普通に存在する世界といえども、そんなことはありえないだろう。
《推測だが、わずかに残っていた君の魂の欠片があるだけのがら空きの肉体に、自分のものから弾きだされた女の魂がたまたま入り込んだのだろう》
「―――魂ってそういうものなのか? なんだか、ちょっと物質的な存在のように聞こえるぞ」
《議論している暇はないが……。そうだな、魂というものは君が考えているほど概念的なものではない。魔導の正しい作法に従えば、エーテル化したうえでなんとか手に取ることもできる程度のものだ》
俺の世界の理屈とは違う、まさに異世界の理論だった。
魂というものはもっと霊的なもので、見ることも敵わないような、そんな神秘的なものだとか考えていたのだが、どうやらここでは違うようだ。
今更、俺がいるのは異世界なのだと衝撃を受ける。
だが、それでわかった。
俺がホルツェルナの肉体を奪ったせいで、もともとの支配していた魂が押し出され、行き場がなくさまよっていたところに俺の元の肉体を見つけたということか。
しかし、そんなことが現実に起こり得るものなのかよ。
《何兆分の一の確率で起こりうる程度の偶然であろう。時の流れにおいては稀にそういうことは起こり得るのだ。そして、その奇跡的でちっぽけな偶然があったればこそ、世界が滅亡に陥りかねない危機となりうるのだ。ほんの小さな火種が大きな森を焼き払い、多くの生き物たちを住処から追い出すように。そう―――》
“ロジー”は冷たく言い放つ。
《ほんの欠片程度の女の憎しみが、君という絶対的なお人好しの魂すらも黒い焔の形に染め上げてしまったようにね》
俺はあいつを見た。
同一人物とは思えなかったのも当然だ。
あいつはホルツェルナの憎しみによって操られているのだから。
でも、どうして堪えることができなかった。
おまえだって俺だろう。
ああ、わかっているさ。
俺がホルツェルナという不幸な女の子を作ってしまったからだ。
俺が肉体を奪わなければこんなことにはならなかった。
シャッちんも姉を失わずに済んだはずだ。
「また、俺のせいか……」
ホルツェルナを襲った不幸もまた俺のせいなのだ。
俺さえいなければ、こんな哀しい出来事は起きなかった。
あんな憎しみだけで生きているような凄惨な存在を産みださずに済んだのだ。
「一期の騎士たちも、〈雷霧〉によって死んでいったものたちも、みんな俺がいなければ……こんなことにはならずに済んだのに……」
リュシェンドを握る力が抜きかける。
戦う力どころか生きる糧すらなくなりそうだった。
誰かに背中を支えて欲しかった。
でも、ここには誰もいない。
ネアも、シャッちんも、ナオミも、ノンナも、ミィナも、マイアンも、クゥも、ハーニェも、いつも笑顔をくれたタナもいない。
なんだよ、みんな。
こんな時に俺を独りにしないでくれよ。
俺の傍にいてくれよ。
助けてくれよ。
もう、俺は自分の罪に耐えられないよ。
どうしてみんないないんだ。
ここに……いないんだ。
俺は。
独りで。
罪を。
我慢できない。
受け止め。
られない。
もう。
終わり。
だ。
だが……
《……やれやれ、そろそろ言おうと思っていたのだが、そのなんでも自分が悪いんだ思考は鼻につくからやめてくれないかね》
“ロジー”が心底呆れたといった口調で愚痴っぽく言った。
「なんだと?」
最初は言っている意味がわからなかった。
一番の親友が真っ向から俺を完全否定したのだから。
すると、“ロジー”は苦虫を噛み潰したような不快な思念を〈念話〉にこめた。
《意味が分からなかったのかね。では、もう少しわかりやすく言い換えようか。……君のいつもいつも俺のせいだ、俺が悪いんだという自虐的な愚痴を聞き飽きたといっているのだ。まったく、何か悲劇的なことがあればいつもその論理を振りかざす友の考え方はもううっとおしくてしかたがない》
と、吐き捨てるように言う。
あまりのことに何も口に出せなかった。
《すぐに、めそめそしくしく泣いて、そのくせ俺は大丈夫だから、迷惑をかけないから、というような同情を誘う態度をとりおって。泣き言をいいたければ誰にも見えないところでやりたまえ。余はもううんざりだ》
「なんだと、てめえ……」
《違うのかね? そもそも、君は根本的な思い違いをしている》
「―――“ロジー”、何を違っているって言うんだ! 俺がみんなを不幸にしているのは本当じゃねえか。俺がもっとしっかりしていれば救えたやつらはたくさんいる。ムーラだってアンズだってシャーレだって、トゥトもタツガンも戦盾士騎士団の連中だって助けられた! それにあのホルツェルナだって、俺さえこの世界に来なければ……」
ダン!!!!
“ロジー”の蹄が苛立たしげに大地を蹴りつける。
《それが間違いなのだ! この世界で引き起こされた悲劇はこの世界のものであり、召喚されただけのよそ者の君が責任をとるべきものではないのだ!!》
いつも穏やかな幻獣王。
平和と調和と秩序を愛するユニコーンの長。
そのロジャナオルトゥシレリアが初めて見せる怒りの表情に俺は凍りつく。
《本来ならば、この世界のものこそが〈雷霧〉を止め、世界を救い、来るべき破滅に終止符を打たねばならん! 君が出る幕はない! それなのに、君という救世主に相応しいよそ者がいたから、君にすべてをおんぶにだっこで押し付けているだけなのだ! すべての悲劇について君にはなんの咎も責もない、そんなものは発生すらしていない!》
「だけど……」
《君は度を越えたお人好しだから、自分が悪いと信じこんでいるだけだ! 誰も君に贖罪をもとめてなどいない! だが、女将軍も、女魔導騎士も、女王も、誰もがそんな君を利用しなければ世界が護れないからあえて唇を噛みしめながら役割を果たしてきたのだ》
ネアが……。シャッちんが……。ヴィオレサンテ陛下が……。
《そもそも、自分の世界を自分たちで守ることができず、よその世界から関係ないものを喚び出して戦わせるというだけで、恥を知るものならば耐えきれずに首を括ってもおかしくない話なのだよ。それでも、自分たちだけではできないから、愛するものを救えないから、どんなに理不尽でどんなに恥辱に塗れようとよそ者にすがらねばならない惨めさを我慢しているのだ》
“ロジー”、おまえ……。
《皆、そんなことは百も承知している。それでも戦っている。だが、君がすべて悪いなどと思い上がれば、皆の恥から目を背けた必死な戦いはただの茶番へと堕するのだ。思い出すがいい。君という切り札をここにつれてくるため身体を張った君の嫁たちのことを。彼女たちを育て上げるために十年という女の大事な時間を捧げた女将軍のことを。騎士団が維持させるために国を守り続けた女王のことを。―――君は彼女たちの闘いを愚弄している! いい加減、目を覚ますべきだ!!》
そして、俺の親友が叫ぶ。
《戦っているのは君だけではない。君一人だけが戦って苦しんで罪を負っているなどという世迷言から卒業しろ、このバカめが!!!》
頭の一部をでかいハンマーで殴りつけられたような衝撃が襲った。
“ロジー”に怒鳴られたこともあるが、問題なのはその内容についてだった。
考えたこともなかった。
いいや、考えないように心に蓋をしていただけなのかもしれない。
俺は目を背けていた。
きっと力があるものと己惚れていたのだろう。
戦技がないだの、精神的に弱いだの、そんなことを言いつつも、俺は心のどこかで自分が特別な存在であると思いあがっていたのかもしれない。
いや、確かに増長していたのだ。
だから、いつだって仲間を、教え子たちを、もしかしたら敵たちすらも見下していた。
でなければ、俺が悪いなんてことは確かに言えやしないはずだ。
前から多くの人に言われていた。
親しくない人たち、例えばバイロンの宰相閣下や、他の貴族にも面と向かって言われたことがある。
色々と批判も受けていた。
だが、それを俺は正面からは受け止めていなかった。
他人事というよりも、軽く見ていた相手からの発言だから軽視していたのだろう。
もしかしたらこの世界の人間を見下していたのか、それとも二度と帰れない異世界へ連れてこられたということで、目の前の〈俺〉のように憎んでいたのかもしれない。
ただ、人間ではない親友から強烈なまでの皮肉を以って突き付けられることで否応なく考えなければならなくなったのだ。
逃げることはできない。
罪を背負っているつもりでいれば誤魔化せたのであろう驕りから。
なんのために、こんなところで闘いなんて不毛な真似をしているのかということから。
「……だけど、俺は、どうすることも……」
《君は今こそ真のユニコーンの騎士になればいい》
「どういうことだよ?」
《そろそろ、ユニコーンの少年騎士などという子供の肩書は捨てろということだ。我らユニコーンは処女を守ることを使命としている。ならば、その乗り手となるものの使命は―――》
大量の唾が口内に溜まる。
どうやら俺は“ロジー”の台詞をずっと待ち続けていたらしい。
《―――自分の妻を守ることだろう》
ぷつんと何かが頭の奥で切れた。
それがなんなのかはわからない。
きっと存在しない何かだ。
だが、そいつが切断されたことで、俺の目の前が急に明るくなった。
光がどこからともなく差し込んできた。
実際には何も変わらないのに。
ただ異空間のままなのに。
「……確かにそうだな、親友」
《であろ? 余も眷属たちの乗り手たる処女を自分勝手で頭の堅い男の元へは嫁がせたくないからな》
「同感だ。そんな男、きっと甲斐性もなくて家族に心配しかかけないダメ親父にしかならない。眼が覚めたわ。サンキュー」
《礼には及ばんよ》
俺は手にしたリュシェンドに語り掛ける。
「ワリいな、今までだらしない使い手で。今から、おまえにも勝利を味あわせてやるよ。化身だからといって本体には絶対に勝てないという理由はないからな」
取り戻した握力が俺に活力を与える。
いける。
まだ、俺はやれる。
「……まだ力があったのか、おまえ。もう自滅するものだとばかり思っていたのに」
「話が終わるまで待っていてくれてありがとうよ。……えっと、〈俺〉といえばいいのか、ホルツェルナといえばいいのか……。まあ、いいか。どっちでも、どうせ勝つのは俺だ」
「なんだと?」
俺とホルツェルナが微妙に組み合わさった顔が、狂相に歪む。
煽られると耐えきれない性格らしい。
そんなこっちゃラスボスは張れないぜ。
「さっきまで僕に手も足も出なかったくせに……」
「だから、どうした? それはさっきまでの俺だ。今の俺はさっきまでとは違って、てめえを斃すための重大な武器を二つ手に入れている」
「武器だ……と?」
奴にはわかっていないらしい。
それはそうだ。
世界を呪っているだけの奴にはわからないことがたんとある。
「一つ目は、背中に庇った人間の存在さ」
そうかっこよく言い放つと、俺は“ロジー”に怒鳴った。
「エーテル化はできるな!」
《もちろんだ。だが、〈剣の王〉相手には無意味だぞ》
「できればいい。で、試したことはないが、エーテル化の範囲はどこまでだ」
《どこまでとは?》
「つまり、魂までできるかどうかを訊いている」
少し“ロジー”は黙り、頷いた。
《可能だ。無茶なうえに危険な真似だがな》
「―――俺がさっきまでと違う原因の一つはその情報さ」
俺は相方の上で精神を集中する。
こればっかりは〈俺〉にはできない。
幻獣王と契約し、その乗り手となったユニコーンの騎士の俺だけにしか。
「往くぜ、親友」
《応》
俺にできることはただ一つ。
ユニコーンとともに駆けることだけだ。




