―――友よ
黒い稲妻が世界を闇に染め上げていく。
神器が振り下ろされる度に、死が吠え声をあげて、人間たちのちっぽけな生命をなかったことにしていく。
俺も何度となく化身とはいえ〈剣の王〉を使って再修正をかけていくのだが、まったく追いつかない。
人間だけではない。
他の種族も同等におかしくなっていく。
大陸にはトロウル族などという種族はいないのに、気がつくと人間の次に世界に溢れていた。
火竜は最強の幻獣であったはずなのに、雷竜という並び立つ幻獣種が幅を利かすようになってその座を追われた。
おそらくは生きとし生けるものすべてが変節し、変容し、変貌しているのだろう。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
止まれ。
世界を善き方向に進ませるものすべてに対して〈俺〉が呪う。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
終われ。
自分を見捨てた世界に対して〈俺〉が憎しみを吐き出す。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
縊れ。
どこまでも伸びた黒い腕が人々の咽喉を締め上げ、あらん限りの力をもって縊死せんと欲する。
〈俺〉は感情と癇癪と呪縛に支配されたまま、すべてのものを滅ぼそうと剣を執り、振るう。
俺に関わるすべてのものを八つ裂きにせんと、血に塗れた指を握りしめる。
こちらの劣勢はもうどうにもならないレベルだった。
神の剣にかけられた呪詛は手に負えない。
ザバッと呆気ない音がして、俺の左腕が肘から断たれた。
柄を握っていた左手がそのまま落下する。
このままでは〈剣の王〉―――リュシェンドだそうだ―――を支えきれないと俺は判断し、“ロジー”の魔導力を燃やし、瞬時に喪失した左腕を〈復元〉する。
〈妖魔〉の俺の力というわけではないが、もう何度も経験しているのでコツは十分につかめている。
今の俺ならば鼻歌交じりにだってできる行為だ。
だが、それで状況が覆るわけではない。
血走った眼をした〈俺〉の猛攻はまだまだ終わることない。
おそらくスタミナとかそういう部分を原因とした決着はつくことがないと思う。
すでに俺たち同士の闘いは、人間という生き物の範疇には収まらなくなっていたからだった。
俺よりも戦技の技量で上回る〈俺〉は度々刃でこちらの四肢はおろか、胴体までも両断するが、意志の力だけで血潮が噴き出すのは抑えられるし、次の瞬間には傷の一つもなく〈復元〉る。
首を撥ねられてもほとんどすぐに接着され、鎧までも再生するのだ。
要するに俺たちはもう死ぬことも滅ぶこともなく、互いに神器を振りあうだけの状態に陥っていたということだ。
ある意味では膠着状態といえた。
《だが、このままでは負けるぞ、友よ》
「やっぱりな」
“ロジー”が警告を発した。
《わかっているのなら、どうにかしよう。友の肉体は少なくとも彼奴のものよりは脆弱なのだ。このまま復元の力比べを続けていても最期にはジリ貧に陥るのは明白だ》
「とは言っても、どうにもならん!」
《だから、なんとかしろと言っているのだ!》
「できるか!」
俺はリュシェンドを水平に薙いだ。
だが、またも躱されて、そのまま縦一文字に真っ向両断される。
その際に相手の本物の神器が幅広のいかにも鉄の塊に変化するのが恐ろしかった。
頭上で受けた剣がずりずりと下がり、またも額を割られる。
噴き出した脳髄の白い汁をこすりあげて、何度目かもわからない〈復元〉を行う。
すると、さっきまではなかった鈍い痛みが目の奥に生じる。
まさかとは思わない。
もう限界が近づいていたのはわかっていた。
俺の〈復元〉がついに及ばなくなってきていたのだ。
「がはああ、おい、聖一郎! そろそろ終わりなんじゃないか!」
「まさか!」
「強がるなよ、もう顔から余裕がなくなってきているぞ、冷や汗が噴き出ているぞ!」
「そんなものは最初っからねえよ!」
そう。
俺には余裕なんてない。
余裕なんてぶっこいて取り返しのつかないことにでもなっても、誰も責任はとってくれない。
ここは社会の一部ではない。
世界のすべてなのだ。
俺が負けたらみんなが死ぬ。
誰もが苦しむ。
徹頭徹尾、俺は必死なのだ。
「さっさと悲鳴をあげておっ死ねよ! この薄汚い世界なんて僕がさっさと潰してやるからさあ!」
「ふざけるな! おまえにはどうでもいいかもしれないが、俺にとっては大切な世界なんだよ!」
「元の場所から勝手に呼び出されてきたのにか? おまえの都合なんてお構いなしに、奴隷も同様のクソ扱いされて、それが気持ちいいのか? 洗脳されてんじゃねえよ!」
「うるせえ、俺はおまえみてえに誰も彼もが憎いとかいう人間じゃねえんだよ!」
「もう人間じゃねえよな、このバケモノ! バイロンの人間たちだっておまえみたいなよそ者を信じちゃいねえよ、好いちゃいねえよ、嫌ってるに決まっているだろうが! 触られたくもないぐらいに汚物なんだよ! 僕と一緒に世の中を憎めよ!」
「だから何だ? 誰かにばい菌扱いされようが、そんなことで俺が折れると思うなよ! 俺はな、俺の責任で生きてんだ! 俺の価値基準で笑ってんだ! おまえの憎しみなんて知ったことか!」
すでに売り言葉に買い言葉。
俺は〈俺〉の吐き散らす戯言に寝言で返した。
例え同一人物であろうと、こいつの言い分には一つも頷ける点は見当たらない。
むしろおなじだからこそ怖気が走るような気がする。
その時、“ロジー”がぽつりとつぶやいた。
《なるほど、腑に落ちた》
ぐおっと乗っているユニコーンが一気に前方へ向けて飛んだ。
いや、一度跳躍し、〈麒麟〉を跨いで、逆方向に移動したのだ。
意表を突いた動きのせいか、〈俺〉側はすぐに対応できなかったようであった。
「お、おい、どうしたんだよ?」
俺が訊くと、
《なに、のどに刺さっていた小骨がとれたような晴れやかな気分だよ》
と、霞を食って生きている聖獣のくせに変な慣用句を使う。
「呑気なことを言っているな! まだ、終わっていないんだぞ!」
《それは承知しているが、一つだけ余にも我が儘を言わせてくれないか》
「―――我が儘だと?」
《ああ、そこの〈剣の王〉の所有者にぜひ問いただしたいことがあるのだ》
「なんだよ、それは……?」
俺の問いにも答えず、前の幻獣王は〈俺〉と〈麒麟〉に向き直る。
《一つ、問おう》
「……」
奴は冷たい視線をくれるだけだ。
もう俺たちとの間には会話などは本来必要がない。
ただ自分の考えをぶつけ合い、信じることをなすべき関係でしかないからだ。
“ロジー”が口を挟む隙間などどこにもないはずなのだ。
なのに、あえて聡明な幻獣の長はくちばしを突っ込んできた。
いったい、なにを問いかけるつもりなのか。
《―――君は、誰なのだね?》
「!?」
「なっ?」
思わず俺は息をのんだ。
“ロジー”の言っていることが理解できなかったのだ。
今、やりあっている相手は、元は俺の肉体だった〈俺〉であることは間違いがないはずだろ。
で、なければ〈剣の王〉を振ることはできないはずだ。
だから、幻獣王の言っていることはまったくの的外れの……はずだ。
だが……待てよ。
何かが引っかかる。
何かがおかしい。
「“ロジー”、何が言いたい? はっきりと言え」
《簡単なことだ。―――あそこにいるものは、余の友とそっくりな顔と記憶を持っている存在であるが、君ではない》
「何を言っているんだ」
だが、“ロジー”の指摘を受けた〈俺〉は想像以上にたじろいでいた。
確実に何かが裏に隠されているとわかるような動揺を示して。
はたして、それは何なのだ。
「……言いがかりはやめろ。幻獣め。僕の心を揺さぶろうとしても無駄だ!!」
〈俺〉は揺れる心を振り払うように言った。
傍から見ても何かを隠しているのは明白だ。
そんなところはいかにも俺らしいのだが、また、全然俺らしくもない。
《―――君はさっきから周囲に、いや世界に対して憎しみと恨みを際限なくぶつけていた。最初のうちは友に対するものが強かったようだが、次第に友よりも〈世界〉そのものへの天井知らずな悪意で満ちていくようになった。余の知るどのような悪鬼羅刹ですら顔負けの深い怒りと苦しみを根源としてな》
「……」
《だが、余にはその精神は理解できぬ。余が平穏と純潔を愛するユニコーンだからというだけではない。今、この背に乗っている友のことを、余はよく知り尽くしているからだ》
“ロジー”は淡々と訴える。
俺という“人間”を。
《この人の仔は、凡庸でつまらなく、頭も決してよろしくないうえに、人の好意に気づくことを恐れるようないかにも内向きで臆病で滑稽な男だ。ただ、善良だというだけで人並み外れた勇敢さや魅力がある訳でもない。まったくもって、普通のどこにでもいそうな少年だった》
褒めてないだろ、おまえ。
《―――だが、友は愚かといってもいいぐらいの無類のお人好しでもある。例え、誰かを恨み、世界や社会構造を憎むことがあったとしても、目の前に悲しみにくれているものがいたら気にかけて、背に庇い、手を差し伸べずにはいられない、そしてその間に自分の抱いていた負の感情を忘れてしまうような底抜けのお人好しなのだ。……心善きものたちが、その四苦八苦する不器用な生き様に惚れてしまうほどに》
……幻獣王はまだ淡々と、誇りを誓うように語る。
《この余と眷属たちが唯一無二の友と認め、処女以外に背中に乗ることを許すぐらいのな―――》
おい、“ロジー”。
……いや、幻獣王ロジャナオルトゥシレリア。
こっ恥ずかしいことを言うなよ。
俺はそんなに過大評価される男じゃないぞ。
頼むから、止めろ。
《よって、君のように不義と憎悪のみを信条として八つ当たりをするような人物が、余の友のはずがない。人の性根とは決して変わらぬものだからな。だから問おう。―――君は何者なのだね?》
世界が翳る。
ついさっきまで覆っていた暗闇でさえもまだ明るかったと言わんばかりに。
じわじわと蝕み、浸食する闇。
何もないと言わんばかり面持ちでもう一人の〈俺〉が首を左右に振る。
俺のものにして不釣り合いな哄笑がその口から響き渡った。
「あはははははははっ」
心が支えを失ったかのような、均衡が崩れたかのような、壊れた笑い。
「―――僕が誰かだって? 僕は僕さ。晴石聖一郎だよ」
だが、その当たり前の答えを“ロジー”は許さない。
《笑止!! 余の友は君のように他人に当たり散らすだけの幼稚そのものの精神の持ち主ではない!! 友の名を騙るな、餓鬼め!!》
沈黙。
沈黙。
そして、舌打ち。
〈俺〉の顔がかすかに歪み、どことなく見覚えのあるのっぺらとしたものに変わる。
いや、それは女のものだった。
男のいかつい顔に女の面影がさしたことにより、不気味に変貌を遂げたように視えるだけなのだ。
歪んだ鏡に映った自分を見る思いだった。
そいつは嫌そうに口を開いた。
「……私の名前が知りたいっていうのなら教えてあげるわ。私は、ホルツェルナ・ヰン・バーヲー」
もしかして、その名前は……!
「―――あんたが奪ったその肉体の持ち主さ」
真実と欺瞞と罪悪がすべてをひっくり返す……。




