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間者モミの戦い

[第三者視点]


 セスシスが二人の護衛とともに、本部別室に訪れる少し前―――


 西方鎮守聖士女騎士団の間者であるモミは一人の影を追って、森の中を飛び回っていた。

 中央の馬場で教練中の教導騎士の様子を遠くから伺っていた影に対し、悟られぬように慎重に接近して、片方を飛び道具で仕留めたのはいいが、すぐ傍にもう一人が潜んでいたことに気づかず獲り逃してしまったからだ。

 死体を回収して間者の送り先の特定をしたかったが、せっかく姿を見せた影を逃すわけにはいかない。

 殺してしまった影も、できることなら生かしたまま捕らえたかったということもある。

 そもそも、まさか昼のうちから姿を見せるとは想定していなかったので、やや焦ってしまったのかもしれない。

 モミはまだ若く、経験も少ない間者であったこともあり、咄嗟の判断がまだ未熟であったものといえる。

 だからこそ、失地挽回のためにもモミは必死で影を追っていた。

 相手もそれなりの間者であり、『軽気功』を駆使して身軽になった体で、空中では木の枝から枝を軽々と飛び移り、地上に降りては踏みしめた道もない草むらや藪の中を身を隠しながら進んでいく。

 完全に姿を見失ったことも何度かあるが、その度に、培った勘働きでなんとか発見してきたが、そろそろ限界も近い。

 次で仕留めなければと、手に投擲用の武器である隠し千本を取り出す。

 千本とは、半尺(約15センチ)ほどの鋼鉄の針のごとき武器で、両端が鋭く尖っていて、敵を刺して傷つけるための武器である。

 隠しとは、服の袖や腹にさりげなく隠し持つためということだ。

 熟練者であれば、投擲して手裏剣のように使うこともできるが、致命傷を与えるには、三間(約5.4メートル)は近づかなければならない。

 モミと影との距離はまだその倍ほどはあったが、彼我の距離を埋めるための仕込みはすでにしてある。

 昨日の夜にこの森に侵入したばかりの間者が地形を完全に把握しているはずもなく、普段からこの日のためにモミが間者対策に張った罠についてなど完璧に調べきることはできまい。

 それに敵も慌てている。

今朝からいきなり教導騎士に護衛がついたことを知り、本来は夜の闇に紛れて仕事をするはずの連中が昼日向に出てきてしまったことが、その証拠だ。

 その混乱をつくのも、間者の役割である。

 逃走する影が向かう先は、最近では「ミィナの泉」と呼ばれている冷たい湧水が溢れる大きめの泉だった。

 週に一度ぐらいの割合で、騎士の一人ミィナ・ユーカーが訪れて、釣り糸を垂れていることからその名が付いた。

 湧水なので、本来は魚など棲みつかないはずなのに、どういう訳か一定数の淡水魚が確認されており、それを目当てにミィナは通っている。

 とは言っても釣れる釣れないは関係なく、ただ糸を垂らしてぼーっとしているのが好きらしく、せっかく持っていった魚籠は空のままということも珍しくない。

 そのため、彼女に付き合ってくれる酔狂な友もおらず、揶揄の意味もあって、「ミィナの泉」と呼ばれているのだ。

 そのため、わりと開けているのにほとんど身内がこないからこそ、間者狩りの罠を張るには絶好の場所といえた。

 わざとそこに追い込まれるように仕向けたのは、モミの間者としての腕の冴えであったが。

 泉に辿り着く寸前、繁茂する木の枝に飛び乗った影が、そのしなりからの反動を利用して、水面を斜めに飛び越えようとした時、その完璧な跳躍ががくんと乱れた。

 乱れたバランスはそのまま跳躍そのものに影響を与え、ぎりぎりの目測で着地できるようにしていた計算を狂わせた。

 そうなれば、あとは泉の水面に落下するだけ。

 大きな水しぶきと共に着水した影が、少しでも素早く泉のほとりにたどり着こうと手を伸ばした時、モミの隠し千本が飛来し、その首の周りを二回転した。

 影は首全体に鋭い痛みを覚えた。

 痛みの原因となっているのが、千本の端に結びつけてあった絹の糸であり、首はそれによって縛られたのである。

 そして、モミの使う絹糸は王都で魔導加工された品で、そう容易く切断できるものではない。

 泳ぎの最中に首を縛られ、呼吸を乱された影はほとりに上がるよりも、さらに潜ることで窮地を脱しようという逆の発想を実行しようとした。

 糸の持ち主の意表をついて泉に引きずり込むつもりだった。

 だが、その前にモミの右手が上がった。千本を投げたのである。

 それが影の背に散弾のように食い込むのを見ると、彼女はさらに近づいた。

 影はすでに絶命して、泉の水面を漂っていた。


「……やってしまったみたい」


 モミは落胆した。

 情報を得るため殺すべきではなかったのだ。

 もちろん、端から情報を得たあとで殺すつもりではあったが、ただ生命を奪っただけではなんの意味もない。

 隠しきれぬ失望を持って、顔を上げた時、泉の反対側、特に大きな針葉樹のてっぺんにある枝の上におかしなものがあることに気づいた。

 白い布、それが何かを包むように丸まった塊。

 布はおそらく寝具の敷き布であろう。

 なぜ、そんなものが木の枝に乗っているのか。


「まさか、〈浮舟(うきふね)〉?」


 針葉樹の木の穂先は、小鳥が羽を休めるために乗ったとしてもやや傾ぐぐらいにか細いのである。

 その上に、敷き布の塊が乗ることなどありえない。

体重を減じさせる「軽気功」を操るモミでさえ、そんなことはできやしない。

 だが、その塊の正体が人であり、「軽気功」の中でもごく少数の達人しか達成できないほどに難しい技―――〈浮舟(うきふね)〉の使い手なら話は別だ。

 自重をほぼ失くし、人の肩の上に乗っても気づかれないという技なのだから。

 モミもその目で拝むのは初めてだった。

 

(ありえないよ……。我が身を(くう)にして、舟のごとく水に乗るなんて……)


 それは〈浮舟(うきふね)〉を伝授するときの口伝だった。

 今まで何度も試してみたが、モミがそれを体感できたことは一度とてない。

 泉から漂う静謐な涼気がまったく感じられなくなった。

 一歩、踏み出しかけて、モミは金縛りにあった。その刹那に、白い布の塊から吹き付けてくる、ちょっと形容できない何かに衝撃を受けたのだ。

 モミは立ちすくむ。

 実のところ、彼女はまだ十八歳、間者としての生活は長かったが、このように一対一で敵と対峙することはほとんどなかった。

 そもそも、この世界において一対一などという勝手な真似が許されるのは、軍の要、いわばエースだけである。

 自軍に勝利を引き寄せるために、敵軍の最高の将を撃破する。

 そんなことが許されるのは、全軍の信頼の篤いまさにエースの仕事だからである。

 それ以外では、決闘と仇討ちだけが合法な一対一である。

 当然、裏方仕事であり、檜舞台に立つことが許されない間者が一対一の戦いをすることなどない。

 彼らに許されるのは、不意打ち、騙し討ち、数に頼った嬲り殺しなどである。

 一対一の状況を想定して修行する間者などまずいない。

 それなのに、今、モミは得体の知れない、しかもはっきりとわかる強者相手に一対一の戦いの状況を作られていた。

 敵か味方かもわからない。

 しかし、西方鎮守聖士女騎士団の領地でもある『騎士の森』内に、彼女の知らない間者と思しき人物がいること自体、看過されていいことではない。

 モミは隠し千本を両手に構えた。

 たった今、ここで、彼女はこの得体の知れぬ間者を殺すことを決めた。

 暗殺ならとにかく、真っ向での決闘など間者の領域ではない。

 だが、そうもいかないのだ。

 この影がもしも真の敵であった場合、彼女の後方にある建物にいる一人の重要人物が危険にさらされることになる。

 その人物の護衛には優秀な騎士がついているが、おそらくは歯が立たないだろう。

 これほど超一流の間者を相手にしては。

 では、どうすればいいか。

 モミが戦うしかない。

 逃げるという選択肢は放棄。

 勝つという選択肢も放棄。

 生命という大切なものも放棄。

 

 ―――その代わりに、奴の片足をもらう。


 足が一本なくなれば、いくら手強い相手でも戦闘力は格段に落ちるはずだ。

 それこそ、タナ様やマイアン様ならば充分にやりあえるほどに。


(どうせ死ぬなら、あの教導騎士様の目の前が良かったな……)


 モミは乙女らしいちょっとした感傷を抱いた。

 別に惚れているわけではない。間者に色恋沙汰はありえない。

 ただ、故郷(ふるさと)を救えるかもしれない英雄に最期を看取ってもらえたら、なんて素晴らしいことなんだろうと思っただけだ。

 裏方の、路傍の石に過ぎない間者の自分が、思い入れのある故郷のために戦えるのだ。

 死ぬかどうかなど知ったことではない。

 護国のために戦えるのなら、ただの捨石となっても構わない。

 むしろ、望むところである。

 モミはそう決意すると、頭上の達人の様子を窺った。

「気当て」をしてみると、開き直っているのか、完全に人のものとわかるが、性別までは不明。

 見た目と同じ正体不明というわけだった。

 先ほどの影を捉えた絹の糸は千本に結んで、左右の木々に張ってある。

 いざというときの防御のため―――と、罠である。

 素早い間者の動きを止めるために強靭な糸を張って、罠を敷くのが彼女の特技だった。

 これはすでに水面を跳ぼうとした間者を、水面に叩き落とすという結果を出している。

 モミは「ミィナの泉」の開けた空間に、何箇所も糸を張り巡らして、いざという時のために備えていたのだ。

 そして、その成果は出ていた。

 先ほどの戦いを見られていた可能性もあることから、こちらの手の内はバレているかもしれないが、別段、それに頼る気はない。

 むしろ、絹糸の罠を囮にして勝負を仕掛けるつもりだった。

 相手の武器は不明。

 飛び道具ならばなんとか交わして、近接戦闘に持ち込み、身体を張ってその武器を抑えて、相手の片足をなんとしてでも奪う。

 それがモミの策だった。

 だが、相手が樹の上から降りてくる気配はない。

 じりじりとした対峙の時間が過ぎたとき、ばっと敷き布が地上めがけて降って来た。

 そして、泉の上に立つ。


「さすがは〈浮舟(うきふね)〉」


 魔導も使わずに水面に立つなど、人のなせる技としては極限だ。

 ただし、モミもただ感心してはいない。

 すぐに千本を十字に放った。

 放たれた千本は四本。どれも敷き布に突き刺さる。

 敷き布はそのままぐにゃりと水面に落ち、水を吸い、没していく。

 どんな影も残らない。


「こっちっ!」


 今度は右の茂みに千本を二本。

 落下時に敷き布と分離して、モミの側面に回り込もうとしたことを見抜いたからである。

 だが、凶器による手応えはない。

 外れたかどうかを確認もせずに、後方に飛び退る。

 立ち止まっていたら死ぬ。

 予想通りにその場所に何かがぶつかった。

 驚いた。

 ただの石だった。

 当たれば痛いが、殺傷力は刃物とは比べ物にならない。

 何故に石なのかという理由は考えない。それは隙になる。

 刹那、左の藪の中から何かが襲ってきた。

 人影だとはわかったが、その右手からの攻撃を身体で受けることはできなかった。

 なぜなら、何も握っていない、素手の拳だった。

 

(しまった!)


 まさか実戦において、拳でくるとは予想していなかった。

 何らかの武器ならまだよかったのに。

 咄嗟にあまり上手ではない「強気功」を練る。

 しかし、それは完全に遅く、強すぎる気の篭った正拳がモミの鳩尾を貫いた。

 気が急所を通れば、人はあっけなく気絶する。

 

 ……一瞬で刈り取られた意識の中で、モミは懐かしい産まれ育った村の風景を思い出していた。

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