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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
最終話 聖士女のユニコーン
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奇跡の人

 まさか、という気持ちが先に立った。

 俺の推測とはまるで様相が異なっていたからだ。

 目の前で〈麒麟〉という神獣にまたがって対峙している、俺とそっくりな顔をしている男の正体は、ある一定の時点で今の俺と分岐した自分自身だと信じ込んでいた。

 時と歴史を切り裂いて改変するという〈剣の王〉という神器がすべての元凶であるということが判明した時点で、俺は無意識のうちにうすうすと勘付いてはいた。

 この世界では、一人の人間が一つの歴史を生きることが絶対ではない。

 何かしらの神にも等しい力によって、常に改変され、異常が現出され、変貌が当然なのである。

 時間と空間は必ずしも不変ではない。

 世界の在り様も普遍ではない。

 だから、別の時間軸の「俺」という存在がいてもおかしくはなく、そして、“ゆかり”の発言からもすべての根源はもしかしたらその「俺」なのかもしれないと覚悟はしていた。

“ロジー”もたぶん俺と似たようなものだろう。

 かつて歴史が書き記された〈時の巻物〉―――アカシックレコードが改変された時代を体験した齢千五百歳の幻獣王ならばわからないはずがない。

 確信がないから黙っていただけのはずだ。

 だが、たった今叩き付けられた告白は予想もしていなかった。

 目の前にいる「俺」は十数年前に俺が捨てた「俺」の「肉体」だというのだから。


「まさか……」


 思わず口をついた疑問を、「俺」は馬鹿にしきった顔つきで受け止めた。


「予想もしていなかったのか。ふん、やはりおまえはとんでもないウスノロだ」

「いや、その罵倒は甘んじて受けるが……俺の肉体がこっちに来ていたなんて、聞いたことがないぞ! シャッちんはそんなことを言っていなかった!」


 俺の記憶では〈妖帝国〉のザイムの街で行われていたのは、〈妖魔〉召喚の儀式魔導ではあったが、異世界人の心と記憶を残すために魂だけを召喚して、用意しておいた処女の肉体に移植するというものであったはずだ。

 あまたある〈妖魔〉召喚法の中でも例外的なその儀式によって、死にかけていたシャッちんの姉―――そういえば名前を一度だけ聞いていたな。ホルツェルナだったか―――の肉体を俺は奪うことになったのだという。

 気がついた時には、俺はすでにシャッちんの姉の肉体を魂に見合うように造り替え、自分のものとしていたが、実際に立ち会った魔導師は不気味な光景だったと吐き捨てていたな。

 それはそうだろう。

 俺のやったことは宿主を殺して奪取した寄生虫も同然のことなのだから。

 だが、その時に俺の肉体があったなんて言う話は初耳だ。

 そんなものがあったとしたら、俺の過去はもっと別なものになっていたに違いない。


「おまえ、異世界からの召喚というものが、次元の壁を越えるためにどういうことをするのか知らないのか」

「……いや」

「くそ、この程度の知識しか得なかった奴を、僕はずっと憎んできたというのか! ふざけるな、バカにしやがって!」


〈俺〉は憎しみのこもった唾を吐いた。

 どれだけ深く、こいつは俺を憎んでいるのだろうか。まったく見当もつかないぐらいだ。


《次元の壁を超えるということは、この世界を構成する〈時間〉の流れに飛び込むということだ。つまり、すでに一つの完全な清流に泳げない体のまま身を浸すに等しい。そして、すべての異世界のものは流れに勝てずに溺死してしまう。この世界の歴史に異物が混じりこむということはそういうことだ。故に、〈妖魔〉の魂の溺死に耐えきれずにただの白痴の物体に成り果てる》

「……魂が溺死する?」

《うむ。すべての世界はその特有の〈時間〉で構成されている。他の世界の〈時間〉の流れとは相入れぬものなのだ》

「じゃあ、どうして……俺は……」


 すると、〈俺〉が喚き散らした。


「おまえは! 一度この世界のエーテルに魂が呑み込まれたのに、それを魔導師が女の身体に移植したのさ! 実験でな!」


 なんだと?


「ここに召喚された時、おまえもただの〈妖魔〉でしかなかった! だが、ザイムの魔導師の長がおまえのエーテル化した魂を戯れに五体満足に動けなくなっていた女に移したんだよ! その結果がおまえという化け物だ!」

「待てよ! そんなことでいいのならば、俺以外にも帝国は魂のある〈妖魔〉を生産できたはずだろ! そんな奇跡が起きるなんてご都合なことはありえない!」

「あったんだよ、奇跡が起きる要素がな!」

「……要素」


 そんなものがあったはずはない。

 俺はただの一般人だった。

 平凡な家庭の平凡な中学生だった。

 こっちの世界に召喚されたのは単に運が悪かったにすぎない。

 だから、俺に起因したもののはずはない。

 では、それはなんだ?


「俺はただの……中学生だった」

「そうさ。おまえなんて、そこらに転がっている石ころ以下のクズだ。特別なもののはずがない。己惚れるな」

「じゃあ、何があったっていうんだ!」

「―――おまえじゃない。女の方だ」

「女?」


〈俺〉は言った。


「ホルツェルナ・ヰン・バーヲー。おまえが肉体を盗んだ女はな、前皇帝の庶子の娘だったんだよ! この世界で最も魔導特性の高い血筋のな。お・ま・え・が奪った女のおかげなんだ! だから、おまえになんて何の価値もねえ!」

「―――皇帝の?」

《なるほど。〈白珠の帝国〉とは、この世界の祭祀を司る人間の中でも最も優れた魔導師であるからな。その血筋―――しかも、皇帝の孫ということであれば、純粋な魔導力でさえ半神に等しい。奇跡があっても不思議ではないということだな》


 ようやく俺にも合点がいった。

 それは、当然のことでもあったろう。

 かつてイド城で帝国のゾング将軍がなにげなく言っていた言葉の中に、かなりシャッちんの生存を気にしていた様子があった。

 あの時は普通に姪の心配をしていたのだと考えたが、今の話を聞くとまったく違う事実が浮き出てくる。

 シャッちんとその姉は双子だったはずだ。

 であるのならば、シャッちんも前皇帝の孫ということならば、ゾングにとっても主筋にあたる。

 皇孫の生存を気に掛けるというのはあたりまえのことだ。

 あの時の違和感は、これか。

 他にもある。

 俺が皇帝と会見をしたときに、いくらもともと魔導騎士でバイロン国王の使いとはいえ、あれだけの重要な集まりにシャッちんが同席できたということも、だ。

 あれは皇帝にとっての血族であったことによる配慮があったに違いない。

 皇帝の血族の強い力があったからこそ、俺のエーテル化した魂はシャッちんの姉の身体に定着し、奇跡が俺の心を遺したのだろう。

 そのおかげで俺は獣に等しい〈妖魔〉にならずにすんだのだ。


「なるほど。言われて納得した」

《では、そろそろ往くべきだな》

「そうだな」


 俺は〈剣の王〉の化身を背負った。

 もうこれ以上は話をする必要もないだろう。

 真相はわかった。

 あいつが俺に対して抱いている憎しみの正体も。

 だが、それは俺が気にするものではない。

 もう一人の俺がすべての元凶だったということにはショック以外ないが、もうそんな段階ではない。

 俺をここに送り込むため、俺がこいつとぶつかるために、いったいどれほどの人間が傷つき、死んだというのか。

 たくさんの顔が脳裏に浮かんでは消えていった。

 彼ら彼女らを殺したのは、結局のところ俺なのだろう。

 悔やむのも凹むのも後回しにしよう。

 今の俺はここで〈俺〉を斃さなければならない。

 覚悟なんていちいちするものではない。

 冬場のコートと同じだ。

 一度、着てみて身体に会うのがわかったのならばずっと纏い続けていればいいだけだ。

 

《友よ、君は強くなった》

「ああ、色々あったからな」


 眼の奥に力を込める。

 自分の似姿と戦うどころか、こいつは俺なのだ。

 やりづらい上に、世界をこんなにした責任というものがのしかかってくる。

 しかし、やるしかない。

 贖罪でも償いでもない。

 てめえのケツはてめえで拭く。

 あたりまえにして、誰かに任せることできない仕事だ。


「その間抜け面が気持ち悪いんだよ!」


〈俺〉も〈剣の王〉を構える。

 それだけで周囲の空気がジリリと捻じれ曲がる。

 光の奥行までが屈折して、あいつの輪郭がぼやけだした。

 こちらの方にはそこまでの変化は見られない。

 要するに、俺とは違って神器の力を完全にとはいわないがある程度までは引きだしているのだろう。


「“ロジー”」

「応」


 幻獣王は力の制限をすでに止めている。

 一息で〈麒麟〉と並ぶ。

 加速どころの速度ではなく、ほとんど瞬間移動に等しい動きだった。

 とはいえ、俺もその動きに十分ついて行ける。

 ユニコーンと契約した乗り手ならではの同調力だった。

 そのまま俺は神器を振り下ろす。

 受け止められた。

 だが、刃と刃が激突するとき特有の音はせず、代わりに黒い光が閃いた。

 黒く見えたのは、亀裂だった。

 亀裂の奥にある空間の色だった。

 しかし、俺は知っている。

 その空間には本来何の色彩もない。

 ただ過去から届く瞬く星の煌めきがあるだけなのだ。


 宇宙。


 何もない空間が裂け、何処とも知れない宇宙が顔をのぞかせたのだ。

 一瞬だけではあったが。


「今のは何だ!」

《時空にひびが入っただけだ。神器同志の激突の結果だ》


 また、あり得ない話が。

 もっともそんな外連は関係ない。

 俺と〈俺〉の闘いは始まっているのだ。


「だりゃあああ!」


 もう一度剣を振るうが難なくはじき返される。

 一撃目からわかってはいたが、目の前の〈俺〉は確実に俺よりも剣が上手い。

 ほんのわずかな腕の動かし方だけで俺の打ち込みをいなしてくる。

 しかもこの剣技には見覚えがある。

 まるでシャッちんのようだった。

 火花の代わりに再び空間がヤスリをかけられた。

 ザリザリと何もない場所が削り取られる。

 神器の激突が巻き起こすものは桁外れの現象ばかりなのだ。

 

 キィィィィィィン!


 再び〈剣の王〉が共鳴する。

 本物と化身がぶつかりあって、変化が起きたのか?

 それもそのはず。

 本来、こいつは神の使うアイテムなのだから。それをまるで包丁のように振り回せば、どんな弊害が起きるかわからないというのに。


「ふん!」


 突きが繰り出された。

 俺は覚束ない剣技を持って、それを受け止める。

 危なかったと安堵する前に、


「何だ! その有様は? 剣もまともに使えないのに、こんなところに来たのか!」


 と、罵られた。

 確かにおまえの言う通りに、俺は戦技をほとんど身についていない。

 これまでの戦いも実のところ、運と〈復元〉任せのごり押しだ。


「うるせえ、少しぐらい腕に覚えがあるからと言って自慢するんじゃねえよ」


 怒鳴り返すが、どう見ても負け犬の遠吠えだ。

 相手は同一人物なのであるし、剣の使い方をきちんと学ばなかった俺の失策なのだが。


「くそっ!」


 ユニコーンに跨った俺と、〈麒麟〉に騎乗した〈俺〉との切り合いは何合か続いた。

“ロジー”の魔導で強化されたおかげか膂力では劣らないが、やはり剣技の点でどうしても敵わないところが出始めていた。

 ギンゴンギン

 剣がぶつかり合い、しかし、どちらも怯まない。

 膠着状態かと思われた矢先、やつらが俺から離れた。

 距離をとったというよりも、飽きたという感じの動きだった。

 何のつもりだと叫ぼうとして、俺は自分の周囲のおかしさに気がついた。

 地面がひび割れていた。

 しかも、何里もありそうなほどに断裂して。

 それが四方八方に広がって、タカマガハラという小島は夥しい傷に覆い尽くされてしまっていたのだ。

 さらに亀裂の中を覗き見ると、底がどこまで達しているかわからないほどに深い。


「なんだよ、これは?」

《友の持つ神器の余波だよ。気が付いていなかったのか? それらがぶつかり合うたびに、世界が震動し、大地は割れていたのだ》

「マジかよ」

《それだけではないよ。上を見たまえ》


 言われた通りに首を上げると、なんと天は気味が悪いほどに多彩の色に染め上げられ、青どころかもとの空の影も残っていなかった。

〈王獄〉のあの極彩色の壁を思い起こさせるほどに。

 正確にはもっとまずいものではあったが。


「……なんだよ、これ。こんな風になるのか」

《君が嫁たちを遠ざけたのは正解だ。これが神器のぶつかり合いの被害なのだから。そして、それだけでは収まらない》

「どういうことだ」


“ロジー”の答えを聞く前に、〈俺〉が突っ込んできた。


「こういうことだ!」


 やつの斬撃に合わせて振り下ろした俺の〈剣の王〉が異音を発した時―――





 世界は崩壊した。






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