君の想いに応えよう
「君がヒューア・カレト?」
当時まだ西方鎮守聖士女騎士団であった騎士団に、新たに十五期として入団してきた少女にナオミは話しかけた。
相手の少女はものすごく驚いた顔をした。
声をかけてきたのがナオミだったからだ。
ボルスア、カマナの二つの〈雷霧〉を消滅させた原動力となった十三期の騎士たちの、王都における人気は凄まじいものがあっただけでなく、直後に王都そのものをオコソ〈雷霧〉から救った結果として、もうゆるぎなくなっていた。
その中でも、タナとノンナ、マイアン、そしてナオミの人気はズバ抜けていた。
ビブロン時代から騎士団がこっそりと活動資金を稼ぐために販売していた写真や絵入りの品物が飛ぶように売れるほどに。
特にナオミは中性的な凛々しい美貌の持ち主ということで、同性の少女たちから絶大な支持を受けており、その彼女に声を掛けられたのだ。
ヒューア・カレトの驚きは並大抵のものではなかったであろう。
「は、はい、シャイズアル様!」
「ナオミでいい。うちはそのあたりは緩いのが慣行だから。―――君の成績は見た。いい重騎士みたいだな」
「いえ、ナオミ様ほどでは……」
「どうして、槍使いになった? 君のお姉さんはいい剣の使い手だったのに」
姉の話を持ち出されたからか、ヒューアの顔つきが硬ばった。
名誉回復がなされたとはいえ、彼女の姉のトモア・カレトの話題にはまだ複雑な思いがあったのだろう。
もしかして皮肉でも言われるのかと身構える。
しかし、ナオミにはそんなつもりは毛頭ない。
「姉を……ご存知なのですか?」
「話をしたことはないけれど、彼女の剣技についてはよく知っている。手合わせしたことのあるわたしにはよくわかる。あれは、正統派で、血のにじむような努力をして身に着けた美しい剣だった」
「……そう、なんですか?」
実際にナオミがトモアと関係を持ったのは、カマナでの戦いでのことだ。
トモアは〈墓の騎士〉としてナオミと戦い、剣を交えあったが、死んで魔物に憑りつかれた彼女と言葉を交わすことはできなかった。
結果、任務を果たすためにナオミが魔物に憑りつかれたトモアを斃すことになった。
縁といえるのはたったそれだけ。
だが、ナオミはトモア・カレトの心を引き継いだと思っている。
自分たちを蔑ろにして手柄に焦ったものの尻拭いに、潰走する兵士を護るために儚く散った優しい三期の隊長の。
だから、その忘れ形見ともいえる妹が入団してきたということを聞いて素直に喜んだ。
姉の後を継ぎに来てくれたのかと、思ったのだ。
それなのに考課評を見ると、姉とは随分と違うタイプに育っていたので疑問を感じてしまったのだ。
思わず、宿舎内を探し回って、問いかけてみるほどに。
「君はきっとお姉さんに複雑な気持ちを抱いているのだろうけど、それは忘れたほうがいい。うちの規律と掟からすれば、トモア先輩は尊敬すべき最上の鑑だからだ」
「……姉が、世間に言われているような悪評に相応しいとは思っていません。悪く思ったこともないです」
「それならいい。もし、君がトモア先輩にとやかく言うようならぶん殴っていたところだ」
すると、ヒューアはびっくりした顔のまま止まってしまった。
どうしてナオミがそこまでトモアを慕っているのかわからなかったからだ。
同期の十五期の中ですら、いまだにトモア・カレトのことを誤解しているものがいるというのにかかわらず。
「ど、どうして……」
「君もすぐに叩き込まれることになるからわかるさ。聖士女騎士団の一番の仕事は背中に庇った民の命を守ることだ。他のことはすべて後回しにしても、それを怠ることは許されない。トモア先輩は〈手長〉どもに殺されかけた多くの兵の命を救うという成果を遺した」
「……では、二番の仕事はなんなのでしょぅか?」
「残念なことに、それについてトモア先輩は失格だ」
えっ、というヒューアを痛ましげな眼で見つめ、
「それはな、生き延びることだ」
「―――?」
「生き延びること。それが二番目に大事だ。なぜなら、例え民を護れたとしても、その後でわたしたちが死ねば、また民を同じ危機にさらすことになるからだ。だから、わたしたちは決して死んではならない。死地にあっても最期まで踏ん張り続けなければならない」
「だから、姉は……」
「トモア先輩はカマナで戦死された。―――ただそれだけで失格だ。聖士女騎士団は〈自殺部隊〉と蔑まれていたが、決して死ぬことは目的ではない。生き延びて守り続けなければならないんだ」
「―――はい」
この時のらしくない説教のことを、ナオミはどういう訳かずっと覚えていた。
あまりに恥ずかしいことを言ってしまったという自覚はあったが、それよりもまるで自分に言い聞かせるような内容であったことが原因であったろう。
まったく別の理由でヒューアがこの時の会話を決して忘れなかったことも知らず、ナオミは思い出す度に床の中で悶えることになったのである。
そして、この戦いにおいても同様であった……。
◇◆◇
「“エフ”。少しずつ、左右に歩いてみて」
《応。だが、なんのためだ?》
「わたしたちは〈脚長〉の矢の囮になるためにここに残ったけれど、〈雷霧〉の中の敵は他にもいるから動かないと狙われる」
《なるほど》
ユニコーンの“エフ”は頭がよくない。
指示の意味まではすぐには理解できない程度だ。
だが、疑問を説明されたときはなんとしてでも意図を理解しようとする。
この時も、敵と聞いて〈手長〉の存在を思い出し、突入時に完全に駆逐しつくした訳ではないのならばまだ残りの数がいる可能性があることに至った。
ナオミが〈脚長〉の狙撃のみに神経を集中したいというのならば、〈手長〉からはできる限り距離をとるように動くべきだ。
余計なことを考えている暇はない。
指示を受けた“エフ”は狙撃を迎え撃つために集中している乗り手を乱さない程度に動きだした。
もちろん“エフ”自身も警戒を怠らない。
ブオンと風切り音が鳴った。
第一射が放たれたのだ。
唸りを上げる鉄の矢が少女騎士に迫る。
「ちっ!」
舌打ちをしてナオミは真っ正面から飛来してきた矢を単槍の腹で叩き落した。
正面からということもあったが、霧の中からの狙撃なので矢の軌道が見えるのがほとんど目と鼻の先という至近距離なのだ。
いかに防禦に特化した彼女でも余裕とまではいかなかった。
さらに言えば予想以上に正確な狙撃だった。
まるでこちらが見えているかのように。
どうしてと思う暇もなく、何故とナオミは考えた。
これは戦いなのだ。
戦闘中は常に考え続けなければならない。
そして、一つの回答が頭に浮かんだ。
「こっちが風下だったのか?」
この時に彼女は失策を犯したことに気づく。
沁みついた臭いを囮にしてなされた攻撃を水際で防ぐという作戦ではあるが、当然すべてを受けきれるはずはない。風下に立ってしまえばそれだけ相手に位置を特定されやすくなる。
〈雷霧〉の霧の動きは魔導で作られているために、自然風の影響は受けない。
どれほどの強風が吹いたとしても〈雷霧〉が決して吹き散らされることがないのはそのためである。
風があったとしても視覚的にはほぼ変化はないのだ。
だから、実は風が少しだけ彼女の背中に向けて吹き付けていたことを気が付かなかった。
風が血の臭いを拡散するとすれば、それを頼りに狙撃してくる敵は当然のこととして風上に移動するはずだ。
かつては〈脚長〉にそんな知恵があるとは思っていなかったが、あの魔物たちの出自を知った今となってはありえない話ではなかった。
野生の肉食動物ですら狩りの際には風下に移動するのだ。
元人間がやれないはずはない。
同時に七本もの矢が急激に弧を描きつつ落ちてきた。
さっきの初弾よりもきっと遠目にいる数体の仕業だろう。
だから、やや弓なりなのだ。
しかし、七本を同時に払うことは不可能だった。
事前に“エフ”に告げていた通りに、二本以上の矢についてはユニコーンの能力を使うしかない。
ナオミからの指示に忠実に従う“エフ”が〈物理障壁〉の白い壁を築き上げた。
すべての攻撃を無効化する絶対障壁がタイミングよく七本すべてを弾き飛ばした。
《やったぞ!》
「クゥ、ミィ、真正面の一体を仕留めて! そのあと、ミィナは七体の方に移動! クゥも!」
「了解!」
少し離れて様子を窺っていた乗り手の二人が一気に加速する。
矢の飛んできた方角と速度から、〈脚長〉の位置はだいたい把握できる。
悪臭を発する血という目印がない以上、彗星のように詰めかけるミィナたちに〈脚長〉が対抗できるはずもない。
半里の距離を一瞬で埋め、ナオミを真っ先に狙った一体はミィナの剣とクゥの短弓によって殺された。
ついで二人はそれぞれの相方を駆って、やや離れた場所に陣取っていた七体に向かった。
だが、その一方でナオミは別の位置にいる〈脚長〉からの襲撃を受けていた。
「クッ!」
短槍を素早く振り回し、強弓からの矢を弾く。
勢いが強すぎてさすがのナオミも力負けしていた。
もともと慣性のついた射撃物を撃ち落とすことは厄介な上、視認できるのがかなり近くに寄って来てからというハンデが一々動き出しを遅くするのだ。
一本、また一本、と立て続けに矢が襲い、その度にギリギリで防ぎ、躱す。
第二陣と言えるべき矢の数は六本。
すくなくとも六体の〈脚長〉が健在のようだった。
わかっているだけで併せて十四体。これが一度にセスシスに向かったかと思うと……
ナオミはゾッとする。
これは間違いなく“ロジー”の力を全開にしてようやく凌ぎきれる窮地だからだ。
まさか、最初期の戦場でも遭遇していた見慣れた化け物にここまで追い詰められるとは……。
《ナオミ!》
右から飛んできた矢に意表を突かれ、ナオミの手がわずかに遅れる。
“エフ”も咄嗟に〈物理障壁〉を張るが間に合わず、有効範囲に入り込まれた。
ズバッと鏃がナオミの鎧の肩部を引き裂いて、穢れた血にまみれても美しい髪を薙ぐ。
傷は……ない。
予想もしていなかった方角からの狙撃をなんとか躱せただけでも幸運だ。
しかし、まずい。
ナオミは舌打ちをする。
右側は風下ではない。
そちらからも狙われたということは全方位が危ないということだ。
このままではジリ貧だ。
いつかは執拗な連射に射抜かれることは確実だった。
では、どうする。
「……あれしかないか」
ナオミはごちると、“エフ”から飛び降りた。
そして、大地にただ独り佇み、魔槍を斜めに構える。
「回転」と「梃子」。
師に当たるオオタネアを斃すために編み出した防禦術である。
ただ、この技は絶妙なバランスと奇跡的なタイミングを必要とするため、さすがに馬上では使えない。
つまり“エフ”の〈物理障壁〉という切り札が使えないのである。
だが、他に手はなかった。
というよりも、命を預けられるほどの戦技はこれしかないのだ。
四方八方からのあの狙撃を完全に防ぐためには。
〈物理障壁〉という切り札に頼り切ることは無論のこと出来ないし、なによりも騎乗していては踏ん張りがきかない。
とはいえユニコーンの騎士としては、自分の意志によるものとはいえ相方から引きずり落とされるということは死に近い屈辱だった。
聖士女騎士団の騎士にとって、ユニコーンを足枷のように思わされることは決して耐えきれるものではない。
しかし、それしかない。
ナオミは決断した。
彼女が防ぎきり、囮としての役割を全うし、そして仲間の戻りを待って反撃を期待するためには。
それだけの時間を稼ぐのだ。
「えっ、“エフ”」
すると、彼女が下りたはずの相方がぴったりと背中に寄り添った。
そのままぐんと大地を踏みしめる。
まるで樹齢何百年の大樹のように。
そして、ナオミの後方を睨みつける。
《我らユニコーンは不死身だ。どんな矢も我らの皮膚には傷一筋つけることはできない。殺すことはできない。だから、我が君の背中に飛んでくる矢ぐらいは止めてみせる》
「……ありがとう」
《みんなを守りたい、人の仔を護りたいという君の想いに応えよう。我の誇りにかけて、君の願いを叶えてみせよう》
「“エフ”……」
《ナオミ、君を絶対に守り切ることを誓う。あの森の泉の淵でまた君が泣くようなことは絶対にさせない》
かつて二人の乗り手を亡くしたユニコーンは誓う。
愛情が深きゆえにどん底に落ちた聖馬は約束する。
―――君を守る、と。
ナオミは微笑んだ。
彼女らしからぬ屈託のない笑みで。
「―――貴方も覗き見をしていたのか」
《……う、うむ。黙っていてすまない》
「それは許してあげる。でも、そのかわりに絶対に私を守ってくれよ」
《あたりまえだ》
心からさざ波が消える。
凪になる。
水面は静かに落ち着いた。
もう震えはない。
背中はなによりも信じられる相方に預けたのだから。
彼女にとって相方と同じぐらいに信じられるものがいるとしたら、それは最強の親友だけであるから、つまりは絶対に安心ということだった。
ナオミは精神を鋭く尖らせて槍の穂先に変える。
「見ていてください、トモア・カレト。わたしは絶対に生き延びて、みんなを守ってみせる」
魔槍がキラリと輝く。
その名のとおりに、どのような大軍勢に囲まれても決して落ちぬ城と化した持ち主に応えるかのように。




