死を招く嚆矢
ユニコーンの最大戦速で〈雷霧〉に突入した俺たちは、黒い霧の中に侵入して十秒も経たないうちに眩しすぎる雷の一撃を受けた。
もはや懐かしいとさえいえる〈雷霧〉の洗礼である。
もっとも通常ならば致命傷になりかねない雷撃もユニコーンの〈魔導障壁〉が完全に防禦してくれるので危険はない。
問題なのは、雷による稲光と爆音である。
かつて聖士女騎士団員たちが戦死した原因の一つであった、突入直後の光と音による身体の麻痺については〈気〉を充溢させることで耐えるという手段が採られていた。
魔具による聴覚の遮断や目を閉じることは、五感の機能を低下させ、待ち受けている〈手長〉の餌食となってしまうということから採用されず、騎士ならば誰でも鍛錬次第で可能な〈気〉の応用を選択したのである。
これによって、〈雷霧〉の最大の特徴である雷は限りなく無効化され、ユニコーンの騎士たちの生存率は飛躍的に増大したと言われている。
ただし、それは雷による被害が抑えられたというだけのことで、直後に待ち受けている魔物たちとの交戦は避けられない。
「ぐぉぉぉぉぉぉ!」
横殴りに飛んできた〈手長〉の大剣を躱しきり、俺は魔剣で薙ぎ払った。
果物を切るよりもあっさりと魔物の首を撥ねた。
切れ味鋭いというよりも、存在を許可していないといった手応えだ。
さすがは概念武装といったところか。
俺の前を走るノンナをカバーしつつ、“ロジー”を走らせる。
斜め後ろにはナオミが魔導の力がこもった槍を振るっていて、左右にはクゥとミィナが開いていた。
俺を護るという布陣だが、たったの五人になったとしても、いやだからこそ役割がはっきりとして揺るぎがない。
騎士団最硬の重騎士であるナオミが本当の軸となっていることによって、団結がさらに強まっているのだ。
次々と襲い来る〈手長〉どもを突破していくのだが、いつもの進撃速度はない。
高すぎる戦闘能力を持つタナとマイアンの〈双璧〉と補助役のハーニェがいないことの弊害であろう。
ノンナとて優秀な騎士だが、一人では突破力という点では見劣りするのだ。
加えて、いつもなら遊撃的役割をこなすクゥたちも、乗っている相方が慣れ親しんだユニコーンではないということもあって、いつもよりも動きが重く感じる。
「セスシス、無理な突破はせずに時間を掛けてでも堅実に進みましょう」
「了解だ」
ナオミの意見を採って、俺たちは濃霧の中を襲い来る魔物たちという火の粉を払いながら前に進んだ。
しばらくして、俺たちの斜め前に妙に速く動くものが現われた。
見覚えのある上下動をしながら撥ねるように進む敵。
間違いなく〈肩眼〉だ。
〈雷霧〉の中に巣食う魔物のうちの一種である。
肩の部分が異常に盛り上がり、そこに巨大な眼のような器官がついたカエル的な姿の巨人である。
それだけでなく、肩の眼には人の〈気〉に干渉する衝撃波を発するという特殊能力と、上下に跳躍しつつ進む尋常ではない動きをする、トリックスター的な魔物であった。
かつてボルスアの戦いにおいて初めて姿を確認され、マイアンを行動不能に陥れるという戦果を挙げている。
「……だが、もうあなたたちは雑魚なのですわ」
飛び跳ねてきた〈肩眼〉の胴体を薙ぎ払い、ノンナは容易く巨人を仕留める。
もともと彼女が譲り受けた〈瑪瑙砕き〉という魔剣には巨人殺しの属性があるが、それに加えて強力な剛力がある。
目を合わせれば衝撃波を喰らうおそれがあるが、それとて同じタイミングで〈気〉を溜めれば耐えることもできた。
ノンナほどの騎士となれば、そんなことは児戯にも等しい。
つまりは、派手に上下する動きだけに気をつければすでに〈肩眼〉は他の魔物と比べても相手にはならないということであった。
ただ、俺の視界に入って来ただけで十匹ぐらいはいる。
俺たちに並走するようにぴょんぴょん飛び跳ねてついてきやがる。
これがすべて襲ってくるとなると厄介だな。
「わりと数がいるぞ」
「〈肩眼〉はそんなに多い種ではないはず。おかしい」
「……て、敵の最後の抵抗だから、当然じゃあないかな?」
クゥが短弓の射撃で牽制をする。
しかし、それで一度は逃げるがすぐに戻ってきて、こちらの様子を見ていることは確かだ。
「何か狙っているのか?」
ナオミが眉をしかめて怪しむ。
頭のいいこいつのことだ。
俺たちにはわからない何かがひっかかるのだろう。
「上から!」
ミィナの叫びとともに、いっせいに〈肩眼〉たちが飛びかかってきたことを知る。
とはいえ、そんな芸のない攻撃を受けられない俺たちではない。
それぞれが剣や馬上槍で迎撃しようとした時、ナオミが怒鳴った。
「全騎〈物理障壁〉で吹き飛ばせ!! 殺してはダメだ!!」
軍事作戦中、どれほど疲れていたとしても仲間からの指示を聞くことのできない兵隊は確実に死ぬことになる。
ゆえに軍隊ではどれほど疲労困憊していても、耳と判断力だけは絶対に失わないように兵隊を育成する。
聖士女騎士団においてもその理屈は変わらない。
五頭のユニコーンはそれぞれ乗り手の指示に従い、〈物理障壁〉の白い球を造る。
吹き飛ばされるのは俺たちと並走していたすべての〈肩眼〉どもだった。
示し合わせたように一気に襲い掛かってきたのだ。
だが、その攻撃は難なく弾き飛ばされた。
所詮、もう〈肩眼〉などの魔物は敵とは言えないのだと俺が思った瞬間、ナオミが手にしていた短槍の刃先でもって一匹の腹を掻っ捌いた。
殺すなと言っておきながら自分では殺るのか、と疑問に感じていると、ナオミが手にかけた〈肩眼〉からぶわっと凄まじい勢いで血が噴き出した。
尋常ではない勢いであった。
まるで血のつまった革袋を潰したような、そんな光景だった。
「何、今の!?」
ミィナが疑問を呈する。
俺も同感だ。
それによくよく見ると、俺たちが吹き飛ばした〈肩眼〉の中に、いつもと違う特徴がある個体がいた。
腹が妙にでかいのだ。
まるで飢えたカエルのように膨らんでいる。
非常にアンバランスだった。
三分の一ぐらいがその奇妙な姿をしていた。
「……た、ただの〈肩眼〉じゃない?」
「どうやらそのようだ。例の眼の攻撃もしてこないでただ飛びかかってきた。まるで、殺してほしいと言わんばかりに」
「それに意味があるの?」
「わからない。でも、わたしとしても見え見えの策に引っかかる訳にはいかないということよ。あと少しの距離で行き倒れなんて洒落にならないから」
ナオミは参謀らしく用心深い。
特に今は戦闘力の高い騎士を欠いている状況だ。
無理はしたくないのだろう。
「あのお腹の中に入っている血になにかあるとか」
「毒……の可能性もあるか」
ナオミは魔槍についていた返り血の臭いを嗅いだ。
顔をしかめる。
相当の悪臭だったようだ。
ナオミもやや中性風ではあるが凛々しい美女であり、そんな顔するとやや倒錯的な気分に駆られる。
「ただの血にしては臭すぎる」
確かにかなり離れていても、ナオミが殺した〈肩眼〉の方向から異臭が漂ってきていた。
人間でこれだから、他の鼻の利く生き物だったらさっさと逃げ出すほどに気持ち悪い臭いだ。
俺の世界のスカンクを連想させた。
「〈肩眼〉ってこんな臭いをだしてましたっけ?」
「覚えがありませんね。少なくとも、自分たちが騎士になってから遭遇したどんな魔物からもこれほどの悪臭は嗅いだ記憶がありません」
「となると、これが特別におかしいのか、それとも……」
ナオミは周囲を未だに飛び跳ねる魔物たちを睨みつけながら、
「何かの策のためか……」
と呟く。
「とにかく動くことにしようぜ。ここにいても始まらない。この山の頂までもうすぐだ。俺たちの旅はそこで終わりだし、こんなところで足踏みしている暇はないだろ」
「そ、そうですね」
「了解」
ナオミの警戒もわかるが、答えの出そうもない状況を考えるよりもとにかく動くことが大事だ。
俺は少し適当ではあるが、先に進むことを提案した。
渋々ではあるがナオミも従う。
そして、〈肩眼〉の無残な死骸を放って俺たちが全身を続けようとした時、それは起こった。
ナオミが急に俺の横に並ぶ。
何があったのかと思いきや、どこからか飛来した太い矢が地面に突き刺さる。
しかも、何本も。
四方八方から。
ほんのわずかの時間で同じ位置に集中して突き立った矢の数はおよそ十本であった。
それらはすべて同じ場所に集まっていた。
いや、同じ死骸にというべきか。
矢の的となっていたのは、先ほどナオミが斃した〈肩眼〉の死骸だったのである。
「……〈脚長〉です!」
俺たちは外を睨む円陣を組んだ。
この霧のどこかに、あの高見から敵を射殺す巨人が複数潜んでいることを悟ったからだ。
エーテル化を容易にできるようになったといえ、それは接近戦に限ってのことだ。
遠距離からバンバン矢を射かけられたらどうしても躱しきれない。
この段階においてもやはり〈脚長〉は最大の脅威の一つであった。
しかし、おかしい。
「でも、おかしいですよ。〈脚長〉は〈雷霧〉の中では視界がとれないから役に立たないもんでしょ? 今までだって〈雷霧〉の霧が晴れていない場所であいつらに狙われたことはないよ。これぐらい濃ければあいつらは無害なはずじゃないの」
ミィナの疑問は俺のものと一致する。
これだけ深くて濃い場所で〈雷霧〉の射撃の標的になるなんて経験則上もありえない。
しかも、死骸に突き刺さった矢の命中率は異常だ。
敵の位置がわかってでもいない限りこれほど集中させるなんてことはできない。
「不思議でもなんでもない。〈脚長〉はこっちがわかっている」
「どういうこと?」
ナオミが言う。
「〈肩眼〉だ。〈脚長〉は〈肩眼〉を標的にしているんだ」
「でも……。飛び回っている連中は射られてはいないよ、ナオ姉」
「違う、そうじゃない。腹の膨らんだ〈肩眼〉が発する臭いを的にしているんだ。わたしが〈肩眼〉の一匹を仕留めた時に流れた血とその臭い。それを嗅ぎつけて、狙っている。だから、〈雷霧〉の中では眼が見えないに等しい〈脚長〉が攻撃できるんだ」
……つまり、なんだ。
〈肩眼〉を道具として利用してマーキングさせ、それでできた目標目掛けて射ってきているということか。
なんだそれは。
洒落にならん脅威だぞ。
ただでさえ、〈脚長〉の矢は人間にとっては躱すことが難しいほどなのに、それがこんな濃い霧の外からアウトレンジで狙われるとなったら、どうしても避けられない。
さすがのノンナの顔も蒼ざめる。
狙い撃ちされるかもしれないからだ。
だが、ナオミは冷静だった。
「安心していいよ、みんな。少なくとも、あの〈肩眼〉の血を浴びない限り、〈脚長〉は狙いをつけられない。だから、なんとか〈肩眼〉を遠ざければいいだけのことだから」
「それでいいの?」
「でなければ、さっきのあの死骸以外にも誰かがやられているはずだ。魔物どもにとってもあれが限界なんだよ」
俺は胸をなでおろした。
そういうことならば、安心とまではいかないが気が楽になるからだ。
「じゃあ、やっぱりさっさと先行しようぜ」
「セスシスの言う通りだ。とにかく〈肩眼〉を無理に退治して血を浴び無いように注意して進めば大丈夫。目的地までもう少しなのだから」
「はい、警戒しつつ進みましょう」
その時、ナオミがノンナに対して奇妙な目配せをしたことに俺は気が付かなった。
俗にアイコンタクトと呼べるもので、長らくともに戦ってきた連中にとっては意思疎通のために大切な行為である。
もちろん、二人だけの間でしか通じないので俺にわかるはずがないのだが。
「……ではいきましょう。自分が先頭に立ちますので、セスシスさんはその後についてください」
「隊長のおまえが先頭はマズいだろう」
「ご心配なく。それに現状況でもっとも強いのは自分ですから、適材適所ですよ」
「―――わかった」
「ナオは少し離れてセスシスさんの背中を護って。クゥとミィは左右の翼として張り付く。それでいいわね」
「了解」
誰よりも信頼できる隊長の指示の元、俺たちは再度ユニコーンたちを走らせた。
もうすぐだ。
もうすぐ、俺たちは目指す真の敵の元に達する。
どこかに潜んでいる〈脚長〉は恐ろしいが、今はあいつらの相手をしている暇はない。
急いで進まないと。
「……セスシス」
「なんだ、ナオミ」
「あと少しで、貴方の戦いが始まる」
「そうだな。正直、気が重い」
「大丈夫ですよ。みんなが貴方を信じているし、応援している。だから、貴方にすべてを任せられる」
「あんまり期待するな。これでもきついんだ」
「ふふふ。貴方はいつまでたっても変わらない。―――今でもわたしを信じていてくれますか?」
俺は後ろから話しかけてきたナオミに応えた。
いつのまにかすぐ後ろにやってきていたのだ。
「ああ、前も言っただろ。人のいないところで泣くことを選ぶ女の子を信じない奴はいないさ」
「……昔のことをよく覚えていますね。わたしも忘れていませんが」
「あたりまえだ」
「では、わたしの言った『貴方の盾になる』という約束も覚えていますか?」
「当然だ。忘れたことなんかないぞ。まあ、あまりやって欲しくないがな、」
「良かった。でも、今までもずっとわたしは貴方をお守りしてきましたよ」
「わかっている。―――おまえが俺の背中を護っていてくれるから、ここまで来られた。おまえに任せればいつだって安心だ」
「そうでしょうとも」
ナオミの声に嬉しげなものが宿った。
なんだ、こいつ。喜んでんのか。
普段は冷静なこいつにしては珍しいと思う。
ただ、普段はともかく本来は喜怒哀楽の激しい少女であるということはわかっていた。
冷静なのは仮面だ。
実は激情家だし、博愛家だ。
もしかしたらタナたち以上に。
「では、最後まで貴方の背中をお護りしますね」
「任せたぞ、〈盾の聖女〉」
「みんなを、この世界をお願いします。我が連れ添いよ」
なんだか意味深なことを言って、ナオミの気配が後ろから離れた。
最初のポジションに戻ったのだ。
こうして、俺はノンナの背中だけを追いかける態勢になる。
そのノンナが少し下がってきた。
「どうした?」
「もうすぐ、〈雷霧〉の中心部に出ます。霧の部分が晴れますのでご注意を」
「ああ」
「いいですか、セスシスさん。振り向かずに進みましょう。あなたをここまで連れてきた自分たちのためにもですよ」
「わかっている」
「あなたを進ませるために残ったものたちのためにもですよ」
くどいまでの念押しをするノンナをやや不思議に思いながら、俺は“ロジー”とともに駆け続けた。
山の頂までもう少しだ。
そこに、俺の「敵」が待っている……。
◇◆◇
「行ってらっしゃい、セスシス」
……俺との会話を終えた後、ナオミが相方の“エフ”を急停止させたことに気が付かなった。
それが、濃霧の中、俺たちに向けて迫る〈脚長〉の群れを足止めするためのものであることにも。
「貴方の背中を護るのはわたしの役目。憂いを払うのもわたしの役目。―――魔物なんか貴方に手を出させない、絶対に」




