おまえなんか私じゃない
「聖士女騎士団の騎士は絶対に負けない……ですって?」
未来のタナは耳を疑った。
こいつはいったい何を言っているのだ。
所属している騎士団の名前などただの身分にしか過ぎない。
それが物理的な力に変わる訳はない。
特定の騎士団の騎士であることが、力をくれるなんてことはありえない。
「あんたはほんとに忘れているんだね。私たちがどんな気持ちで戦っていたのかなんていう初歩的なことまでも」
「ぬかさないで」
「教えてあげるよ。私たちが誰かの代表で、戦う牙のない人たちのために剣を振るってきたということを。あんたのように、戦いに倦んでねじ曲がったりはしない。あんたが私の未来なんてことは絶対に許さない」
タナは思った。
自分の強さの秘密は、天才的な戦技の感覚とそれを活かすための思考の連続と、そしてタナをここまで送り出してくれた人々の想いを感じ取れる自覚にあるのだということを。
戦うのは一人。
勝つのも一人。
勝利の栄光も、敗北の屈辱も彼女一人にしか及ばないように見える。
だが、そうではない。
彼女たちは信じてくれた人たちの代表なのだ。
背負った想いの結晶なのだ。
暗い雷雲に包まれた空に差す太陽の光なのだ。
そして、希望の輝きは決して消えてはなくなったりはしない。
「そんな抽象的な言葉が力に変わるはずがない」
「なるんだよ、力に。魂がこもった武器は魂のない鎧を撃ちぬく。それがただの石ころであってもね」
双剣を再び構えたタナが言う。
「あんた、セシィの〈瑪瑙砕き〉とシャッちんの剣をなんのために振るっているの? あの二人が、こんなあんたを見てどう思うか考えたことがないの? 私が今のあんたを見てなんて思っているのかわかるの? ネア様が、ナオが、ノンが、ミィが、クゥが、マイが、仲間たちがあんたを見て悲しむだろうということがわからないの?」
何も言わない最強の敵に対して、ぶつける。
「聖士女騎士団の騎士であったことを忘れたものが、誰かを護れるはずがない!」
「ふざけるな!」
未来のタナは渾身の剣撃を送った。
元の自分の上からの説教がうっとうしかった。
なんて生意気で勝手なことを抜かしているんだろう。
耐えがたいほどに怒りの炎が燃え上る。
世間知らずな綺麗ごとの説教をどうしてこんな小娘に言われなければならないのだ、と。
自分が繰り広げてきた十年間の地獄のような人生を否定することに腹が立った。
あなたなんかに何がわかるというんだ。
建前と正論なんか聞きたくない。
あなたなんか私じゃない。
私はあなたみたいに、知ったふうな口を叩かない。
「私にだって守るべきものはある!」
「そう、じゃあそれは私が壊してやる」
「―――!」
心が冷えるほどに冷酷な断言。
「あんたが何を護ろうと知ったことか。あんたをここで斃さなければ、私の大切なものたちが壊される。ならば、私があんたの大事なものを壊してでも私のものを護る。当たり前のことじゃない」
「あなた……」
「いい、これは戦いなんだよ。私もあんたも護るものがあるというのなら、戦うしかない。でも、勝つのは私」
「……」
「なぜならば、あんたはもう聖士女騎士団の騎士じゃないから。絶対に不敗で、確実に常勝でなければならない騎士じゃないから。あんたのすべてを奪って、私は私の大切なものを守り切る!」
なんという自分本位な言葉であろうか。
自分のために相手を踏みにじることを宣言しているのである。
だが、タナはそんなことになんの罪悪感も覚えない。
タナ・ユーカーの背中には多くの命が乗っているのだから。
そんな命を護るためならば、敵の大きな夢を蹂躙することだって躊躇わない。
逆に彼女が負ければ、背負ったものはすべて破壊され、犯され、泣きながら消滅するのだ。
そんなことは耐えられない、許さない、認めない。
愛するもののために鬼となれ。
聖士女騎士団が長年共に過ごした仲間でさえもたやすく見捨てるのは、冷酷な戦鬼にならなければ何も救えないことを骨身に沁みて理解しているからだ。
こんな……
―――こんなしみったれた女のために、投げ捨てることは決してできない。
「……壊させるものか。あなたなんかに」
「潰してあげるよ。私の剣がね」
二人のタナは同時に宣言する。
「よし、死ね」
再び開戦の鐘が鳴り響く。
互いに構えた双剣を騎士たちはぶつけ合った。
形勢は互角。
さっきまでの実力差は覆されたとまではいかなくても、完全に均衡した。
それがどういう絡繰りによるものか、どうしても未来のタナにはわからなかったが、眼前の自分が十年の差を完全に縮めてきたということだけは理解していた。
技量も、練度も、経験値も、すべてそのままだというのに、ただ振るう剣が重くなり動く速度が増していく。
いや、違う。
彼女の知らない別の誰かの技を使っているのだ。
未来のタナの剣尖をわざと作った隙に誘い込み、剣身の「梃子」と「回転」で弾き飛ばす高度すぎる防禦方法はナオミのものだった。
実際には持ってはいない投げナイフを打とうするかのごときちいさなフェイントを繰り返すのは、キルコの動きだった。
双眸に〈気〉を回し、わずかな動きさえも察知するのは〈神の眼〉ほどではないがアオの技術だった。
変幻自在な足技を活かすための運足、相手の疲労を促すためのリズムの奪取、背後に敵がいるようにわざと間合いを空けるタイミング、それはすべてマイアンとノンナとハーニェとの訓練で学んだものの応用だった。
オオタネアという超戦士を打倒するために努力の甲斐に会得した本人たちのレベルには到底及ばないが、どれもが必死になって開発して仲間たちと競い合った技ばかりだ。
憧れて目標としてきた敬愛する騎士に勝つために培った血と涙の結晶だ。
目の前にいる一人で強くなった気でいる傲慢な女には絶対に使えないものである。
人を千人殺しただと?
そんなこと、自慢になるものか。
そんなことで、強くなるものか。
(私が最強を目指したのは、この今のためだ)
タナはアオとともに訓練した〈滑空足〉で滑るように斬りつけながら思った。
(十三期の―――いや、騎士団最強を目指したのは、この高慢ちきな鼻持ちならない女を叩きのめすためだ)
シャッちんから習い覚えた〈魔気〉さえも囮に使い、基本的な剣の型を凄まじい速度で繰り出す。
「仲間たちの血肉を喰らってでかくなった気でいるあんたを斃して、みんなの戦いを穢させないためだ!」
タナの十字斬りが未来の自分を弾き飛ばす。
さすがに倒れこそしないが、未来のタナはすぐに接近できる間合いからはみでてしまった。
その額には油汗が流れている。
今までの十年でもほとんど流したことのない汗だ。
背中も冷たい汗で濡れていた。
原因が恐怖というものだということを思い出すのに時間がかかる。
まさか、この私があんな小娘に伍されようとしているのか。
未来のタナは戦慄までも感じていた。
だが、まだ決定的な一撃は浴びていない。
あの小娘の力では私には及ばない。
「……小技を繰り返したとしても、そんなのは私にはもう通じないわよ」
初見であっても、タナが使っているのは確かに彼女の言う通り小技の連なりだ。
戦闘の帰趨を決するものではない。
すなわち、このまま続ければじり貧に陥って、未来のタナが勝つ。
そんな確定した事項でしかない。
要するに、タナの奮戦は無駄なのだ。
「私の技はみんな知っているんだね?」
「そうよ。さっきまでの変な小技では私にはもう効かないわ」
「―――その変な小技のために、みんなは死に物狂いで努力した。そして、オオタネア様に並んだんだよ」
「だから、何よ。そんなことは私の知ったことではないわ」
友の技を嘲笑われてもタナは動じない。
みんなの技が悪いのではない、使いこなせなかった自分の落ち度なのだから。
しかし、再現度が低いとは言ってもそれらをすべて躱しきる未来の自分の技量はまさに最強といっても過言ではない。
なんと強すぎる相手であろうか。
――強すぎる?
タナはふと初陣の時の〈手長〉との死闘を思い出した。
あの時は今でこそ雑魚にしか過ぎない〈手長〉のことを最強なんて感じたものだ。
そして、タナは不意に笑った。
からりとした笑みであった。
「何よ、それは?」
あまりに見事すぎる不敵な笑みに未来のタナは怯んだ。
これは戦場で浮かべる笑みではない。
「こうやって人は強くなるんだね」
そうタナは暢気に話しかけた。
相手が鼻白むほどに、暢気に。
「あんたのおかげで大事なことをまた学べたみたい。―――代わりにいいものを見せてあげるよ」
そう言い放つと、タナは双剣を握った手をまっすぐに突き出した。
切っ先は対峙する敵に向けて。
かつて一度だけ成功したことがある。
ただあのあとは練習もしたことがないし、試したこともない。
だが、できる自信はあった。
コツは簡単。
奇跡を起こせばいいという、ただそれだけの誰でもできる簡単なものだ。
「それは……?」
見覚えがあった。
だが、知らない構えだった。
未来のタナの記憶にはかすかに残滓が漂っていた。
しかし、記憶にあるものよりも両腕の隙間がなく、わずかに右の〈月水〉が上に位置している。
剣道でいう平青眼。
それよりも高い位置に二振りの剣が重なり合い、平行に敵を射抜く。
遠くから二人の激闘を見守っていた“イェル”の眼には、タナの姿が一頭のユニコーンに見えた。
双剣が一直線に交わることで鋭い一角になったかのようであった。
普段なら鋏のように使う双剣が錐のように伸びる。
タナの荒ぶる剣気が急に鎮まった。
脳内がおびただしい歓喜で満ち溢れる。
彼女は陶酔状態に入った。
一度だけ踏み入れた領域に至ったことを確信する。
あの時はシノとエレンルの刃をとも流すだけで終えたが、今回は違う。
タナ・ユーカーの生涯において初めての、そしてただ一度の技を放つことを決めたのだ。
おそらく二度と使えないだろう。
この領域には二度と至れないだろうから。
だが、それでいい。
ここで私は最強の騎士となる。
「行くよ」
タナはすっと歩んだ。
白い美少女は一角聖獣となり、神々しい奇跡に彩られた双剣による突きが繰り出される。
当然、迎撃される。
速度自体はたいしたことがないからだ。
だが、衒いもない、外連もない、ただの双剣突きは一角の槍のように静かに伸び続け、二振りの魔剣の刃を逸らし、そして、切っ先が未来のタナの心臓を貫いた。
沈黙が世界を塗り潰す。
残心もすることなく、タナはそのまま鞘に納剣すると“イェル”のもとへと歩き出す。
「……とどめを刺さないの? 聖士女騎士団の初歩のはずだよね」
そんなタナの背中に膝から崩れ落ちた最強の敵が声をかける。
致命傷を負ったというのに放つ声はさっきと変わらない。
問われた方も平然としたものだった。
「格付けはすんだからいいよ。いっとくけど、あんたは私の下ってことが決まったからね」
「……同一人物なんだけど」
「一緒にすんな。あんたなんて、聖士女騎士団の騎士としてはナオ以下よ」
心臓を貫かれても未来のタナが死なないのは、彼女がすでに時の軛を外れているからだろう。
だから、タナはとどめを刺す必要を感じていなかった。
意味がないからだ。
「そうか。……シャイズアル―――ナオ以下なのか」
久しぶりに親友の名前を口にした。
うまく発音できなかったが、とても懐かしくて優しい気持ちに戻れそうだった。
「じゃあ、私は行くから。もう邪魔しないでよ」
そう言って、相方の“イェル”に飛び乗る。
目指すのはあの〈雷霧〉だ。
もうここには用がない。
「―――私に訊きたいことはないのか?」
「何をさ」
「あの〈雷霧〉の中であなたたちを待つ人のことよ」
「ああ、そういうこと? 別にそんなのはどうでもいいよ。もうわかっているしね」
未来のタナはきょとんとした。
まるで十年前の自分のように。
「何がわかっているというの?」
心底わからないという顔をしている自分に対して、タナは告げた。
「あんたが護ろうとしていたのはその〈雷霧〉を起こした元凶なんでしょ? 十年後の未来からあんたがすべてを捨ててやってくるぐらいの」
「あ、ああ」
「じゃあ、答えはわかっているよ。私が―――タナ・ユーカーがすべてを捨ててでも守りたい相手なんてたった一人しかいないからね」
わかりきった自明のことを聞かれたので、説明するのも面倒だというようにタナはあっさりと答えた。
すでに彼女の眼は仲間たちの突入していった〈雷霧〉の方に向いている。
茫然としている自分をほとんど無視して、“イェル”に訊いた。
「みんなはもう突入った?」
《ああ、ほぼ十分前だ》
「追いつける?」
《わからん。あまりに魔導力の密度が高く、中の連中については前王の魔導ぐらいしか感じとれない》
「セシィは無事なんだね」
《それだけは保証できそうだ》
「よし、行こう」
タナはユニコーンの馬首を巡らせた。
まだ間に合うというのなら行かなければならない。
最強の彼女が必要な状況というのはまだあるかもしれないからだ。
急いで合流しなければ。
「じゃあね」
振り返らずにタナと相方は走り出す。
この絶望の世界を駆け抜けて、叛逆の勝利を得るために。
立ち止まっている暇などない。
そんなかつての自分をタナ・ハーレイ・ユーカーは眩しい太陽を直視するかのように眼を眇めて見送るのであった……。




