気高きものほど地獄へと堕ちゆく
結局、〈ユニコーンの少年騎士〉こと、セスシス・ハーレイシーは二度と帰ってこなかった。
オオタネア率いる西方鎮守聖士女騎士団は、新たに十五期の新人騎士を加えて、数か月をかけて体制造りをしたのちに、西隣にある〈赤鐘の王国〉を制圧した〈雷霧〉の消滅作戦にとりかかった。
すでに幾つもの〈雷霧〉を消滅させている精鋭ぞろいの騎士団にとって、それは問題となるものではなかった。
現実に、十三期が入団してからの〈雷霧〉内での騎士の作戦稼働中の死亡率は、記録される最後の〈雷霧〉消滅までに限ったとしても、5%を切るほどになっていたという。
つまり、この頃には〈雷霧〉での戦死はほとんどなくなっていたのである。
〈自殺部隊〉というかつての悪名は有名無実なものと化していたといえる。
その次に、オオタネア・ザンは二か月の時間を空けて〈紫水晶の公国〉の奪還をした。
二つの国のあった地域を奪還したことによって、バイロンに詰め掛けていた難民問題はわずかに解消することになる。
長らく〈雷霧〉に汚染されていた地域での農作物の育成はすぐには不可能であったが、もともと肥沃な土地であり、数年かければなんとかという見込みで戻っていった元国民が多かったのである。
おかげで王都の人口増加は抑制され、食糧の回転率も回復した。
深刻な魔導汚染があったとはいえ、元国民の帰還により、二つの地域はなんとかかつての風景を取り戻し始める。
とはいえ、統治機構がまったく存在しないということもあり、バイロンの大貴族であるザン家による暫定統治がなされることになった。
オオタネアは〈赤鐘の王国〉〈紫水晶の公国〉をそれぞれ「スツェアン」「アメジェステン」と名付け、代官アラナ・ボンを任命し復興させつつ、さらに西方の〈雷霧〉消滅を指揮した。
アラナは抜群の手腕を発揮し、政治・経済の両面で復興に尽力しつつ、西進する騎士団を援助した。
この二国を基地として、聖士女騎士団はさらに力を蓄え、騎士以外の徒歩の兵士も加えて西進を続けた。
それからおよそ四年後に、〈雷霧〉消滅作戦の最前線はついに元〈妖帝国〉領土に辿り着いた。
そこから、西の海へ達するのはすぐという距離に。
通称〈雷霧戦役〉の終焉はすぐそこに迫っていたといえる。
だが、異変が起こった。
〈雷霧〉の中にこれまでの〈手長〉〈脚長〉とは違う敵が出現したのだ。
黒い魔導鎧をまとった「人間」の軍隊であった。
奇襲によって多くの騎士たちが殺害され、はっきりとした宣戦布告もなされた。
なんと彼らは滅んだはずの〈妖帝国〉の軍だったのである。
宣戦布告の理由は一つ。
―――我が国に侵略しようとする敵国を排除する。
ある意味では正当なものであったが、〈雷霧〉によってすでに十数年前に滅びたとされていた国に自治権と政府と軍隊があるなどとは誰も思ってはいなかった。
王都内に侵入していた魔導騎士の存在などは国家機密であったこともあり、この時点で〈妖帝国〉の健在を確信していたものはほとんどいなかったこともある。
緒戦で大敗北をした後、帝国軍は一気に戦線を拡大させると、一時期はアメジェステンの近くにまで西方鎮守聖士女騎士団を中心としたバイロン軍は撤退した。
人間の軍隊相手の戦争にはすでに不慣れだったことと、また、帝国軍の進撃速度が桁外れだったこともあり、戦線を維持することが困難だったからである。
特に魔導鎧で筋力を強化し、さらに魔物まで飼いならして部隊に組み込んでいた帝国軍の推進力は聖士女騎士団のそれを上回ってもいた。
なにより、〈妖帝国〉との緒戦で当時の筆頭騎士エーミー・ドヴァと十四期の副将エレンル・ジイワズ、ヤンキ・トーガ等の錚々たる面子が戦死し、さらにそれに続く激しい撤退戦でマイアン・バレイが討ち死にしたことが原因であると言われている。
そして、おそらくは〈妖帝国〉と通じていたのであろう、東方諸国までがバイロンとの戦争状態に突入した。
中原の覇者どころか、世界のはんぶんがバイロンのものになることを恐れた東方の諸国にとっては、〈妖帝国〉との同盟もあたりまえだったのかもしれない。
四か国からなる軍隊が中原を蹂躙した。
東方での戦いには、メルガン家を中心とした軍が当たることになったが、こちらもまた苦戦することになる。
突然の国境侵害と奇襲によって、バイロン東部が凄まじい速度で壊滅状態に陥ったからである。
五大騎士団が健在であったとはいえ、東方にある四か国の連合軍との戦いは熾烈を極めた。
この東方の戦いでは出向していた聖士女騎士団のアオ・グランズとキルコ・プールの二名が死に、ほぼ同時期にハーニェ・グウェルトンまでも重傷を負い、引退を余儀なくされることになる。
あまりに戦死者がでたため、指揮をとれる人材が枯渇し、たまたま王都に所用で訪れていたナオミ・シャイズアルを鎮護将軍として任命して攻防戦を指揮させたという異常事態も発生するほどであった。
そのため、オオタネア・ザンは一時期王都に戻り、ダンスロット・メルガンと話し合い、総将軍の座について全軍を把握しなければならなくなる。
〈妖帝国〉との作戦についてはタナ・ハーレイ・ユーカーが任され、ほぼ同時にかつての西方鎮守聖士女騎士団はなくなり、彼女のための蒼炎双剣戦騎士団が結成される。
すでに〈雷霧戦役〉の末期には〈雷馬兵団〉から鹵獲した魔導鎧数十領による徒歩の攻略部隊が機能し始めたことで、ユニコーンの必要性が落ちていたこと、ユニコーンに人間との戦いをさせたくないということから、歩兵中心の軍隊になっていたため、ほとんど問題はなく受け入れられた。
ほとんどのユニコーンは〈幻獣郷〉に返されていたということもある。
ここでタナは戦術家としての類まれなる資質を見せる。
彼女の指揮によって帝国軍はまったく東へと進めなくなったのである。
剣の天才は戦争の天才でもあったのだ。
だが、この頃には、タナのもとには平騎士時代からの仲間であるミィナ・ハーレイ・ユーカーとレリェッサ・シーサーしか残ってはいなかった。
ナオミ・シャイズアルは王都を守護するために、弱冠二十五歳の若さで五大将軍の一人に引き立てられ、苛烈な命令を下すことから兵たちに異常なほどに憎まれながらもなんとか士気を保ち続けている。
クゥデリア・サーマウは北方の蛮族との小競り合いに駆り出され、ほとんど連絡のつけられない状態であり、ノンナ・アルバイは奮戦後に敵に捕らえられ、辱めを受けるならばと自決していた。
そのほかの多くの仲間が死に、西方鎮守聖士女騎士団の騎士たちはバラバラに散っていった。
十年以上に続く人間同士の戦争は、〈雷霧〉によって傷ついた大陸をさらに致命的なまでに犯し、人々は一片の希望も持たずに日々を過ごすしかなかった。
すでに大陸は地獄となっていた。
〈雷霧〉の中とどちらがマシかといわれるぐらいに。
弱いものは生きる価値がなく、強いものもより強いものに食われ、戦えないものは路傍の石以下の扱いしかなされない。
道徳も愛も優しさもない、黒一色の世界。
ユニコーンの白い光が差すこともない暗黒の時代。
……タナ・ハーレイ・ユーカーが生きていたのはそんな場所であった。
◇◆◇
「レレ……起きなさいよ……」
タナは、血を吐いたきり目を開けない、妹分の肩を揺さぶった。
もう動かないはわかっていた。
首筋には脈もなく、肌も冷たい。
死人のものだ。
だから、もう妹分は死んでいるのだ。
彼女を殺すために仕込まれた毒を飲んで。
「あんたが死んだら、私はもう一人じゃないのさ」
我知らず、口調が昔の自分に戻っていた。
昔?
彼女が輝いていた青春の時代の「私」のことだ。
「どうして、みんなが先に行くのよ。私を独りにして……。勝手だと思わないの」
酷い言い草だと自分でも思う。
独りになろうとしたのは、むしろタナの方なのに。
仲間を切り捨てたのは、彼女なのに。
それでも独りになるのは嫌だった。
「レレ、怒るよ。いい加減にしな!」
怒ったふりをしても無駄だった。
あたりまえだ。
相手は死人だ。
生者が何を言っても聞いてはくれない。
「レレ……このバカ……」
最後までタナについてきてくれたのは、この娘だけだった。
何故かはわからない。
レレは武術でいったらマイアンの直弟子であったし、ハーニェたちとも仲が良かった。
その彼女がタナについてくる理由は本来ならばあまり見当たらない。
では……どうして?
タナはレレが襟につけていた徽章を見た。
彼女はもう外してしまったが、それは聖士女騎士団の徽章だった。
双剣をモチーフにした蒼炎双剣戦騎士団のものではない。
もしかしたら、レレはこの彼女の騎士団の騎士になったつもりはまったくなかったのかもしれない。
レレが所属していたのは、もう存在しない、あのユニコーンのための騎士団だけであったのかもしれない。
タナは目頭が熱くなった。
いつぶりだろうか。
ノンナが自決したことを聞いて以来かもしれない。
あれはもう三年は前のことだ。
そんなに長い間泣いていなかったのだ。
「……そうか。レレにとっては聖士女騎士団に一番近いのがここだったからなのかな」
タナがいて、ミィナがいれば、まだ昔に近い。
それだけだったのかもしれない。
だが、それならどうして私のために毒見役なんかしていたのさ。
私を守ってどうするんだよ。
……おまえが好きだったのは、あの騎士団だったんだろ。
今の私にはあの頃のことなんてほとんど思い出せないっていうのに。
タナは冷たくなったレレの手を握り、そして俯いた。
涙が床にこぼれた。
昔を思い出そうとして、思い出せない自分に気づいた。
もう遅いのだ。
自分はもう間違ったのだ。
取り返しがつかないのだ。
その時、部屋の一角に異様な気配がまろびでた。
タナが思わず腰の剣を構えるほどに、異妖すぎるものが。
そいつは言った。
『―――僕と一緒に来ませんか?』
「あんた、誰?」
『僕が何者かどうかはどうでもいいことですよ。ただ、あなたにとって有用な取引を申し出たいというだけのことなのです』
「どういうこと?」
そいつは提案した。
『あなたに守ってほしいものがいます。きっと、あなたにしか守れないものが。そして、あなたが守りたいものが』
「……私にはそんなものはないわ」
『いいえ、あります』
そして、そいつはある名前を言った。
『どうです?』
タナは頷いた。
それが本当ならば……
行くしかない。
『……あなたはどこかでなくしたものの埋め合わせができる。僕は友達を護るための戦力を手に入れられる。互いに悪い条件ではないでしょう』
「構わないわ。もう、私もここには未練がないしね」
タナはまだ生きている縁のあるものたちを思い浮かべる。
思ったよりも情は感じなかった。
それはもうすべてが摩耗しきっていたからかもしれない。
こんな悪魔そのものの誘惑に抗えぬほどに、彼女は疲れはてて弱り切っていた。
「行くわ。―――地の涯にでも」
……こうして、タナ・ハーレイ・ユーカーは無造作に誇りを捨てた。




