聖士女騎士団の騎士とは
刃と刃が打ち鳴らした瞬間、タナは自分と相手との力量差を完全に理解した。
超一流の剣士ならではの、それは外れることのない直観であった。
一矢報いることすらできないかもしれない。
それは厳然たる事実として、タナの精神を打ちのめした。
だが、そんなことは百も承知だ。
タナ・ユーカーは実際に打ちのめされるその時まで、決して諦めることはしない。
「でやあ!」
右の〈月水〉を振るい、それをフェイントにして下からの〈陽火〉の攻撃に切り替える。
当然、必殺ではあるが隙を作らないように二段・三段構えのまま技を組み立てた。
もっともそんなものは昔からよく使う組み立てなので、未来のタナにとっては既知のものだろう。
知りたかったのは、どんな対応をされるかだが、なんと首をわずかに捻るだけで躱されてしまう。
剣の軌道との差はわずか一センチ。
本当に見切られていたのだ。
送った刃を余裕をもって躱されるということ自体がタナにとっては滅多にないことである。
受ける、または防がれるということは往々にしてあるが、彼女の鋭い剣戟を完全に無効化できるものはほとんどいない。
仲間内でさえも、そんな真似が可能なのは、〈拳士〉マイアンと〈神の眼〉アオ、そして超戦士オオタネアぐらいだ。
ノンナやナオミといった騎士たちは逆に受けてから対応するように工夫を凝らすことで凌いでいた。
(さすがは“私”)
タナは舌を巻く。
変幻自在な彼女の双剣をまるで予知でもしているかのように、ことごとく受けきってくる。
右からの突きを、左の剣の峰で流し、左からの斬撃を右の剣で逸らす。
渾身の運足もそれを無効化する足捌きで、どれほど早く動いても優位に立つことができない。
焦れて無理矢理に攻勢に出ようとすれば、その出だしの部分で潰され、まともに前にでることさえもできない。
だが、そんな彼女の焦りさえも未来のタナにとっては予想の範囲内なのであろうか、息を切らせることもなく対応される。
ほんの数合の打ち合いだけで、タナは自分の手の内が丸裸にされたことを知った。
恐ろしいほどに二人の経験値は開いている。
そのことを実感していた。
「―――まずい」
思わず口走ってしまう。
簡単な打ち合いでもこれだけの差がでるということは、相手が本気で斬りこんで来たらどうなるのか想像もつかない。
はっきり言って、タナはここまでの実力差を体感したことがなかった。
特に聖士女騎士団に入団してからは、これほど絶望的な実力差を意識したのはオオタネアとの立ち合いだけだ。
先代の筆頭騎士であったエーミー・ドヴァでさえ、超重兵器の斧槍を掻い潜ることができれば戦えない相手ではなかった。
オオタネアに限ったとしても、この目の前の女ほどの完成度は有していない。
膂力を活かす戦いをする重騎士であるオオタネアには隙がないわけではなく、むしろ、つけこめる部分があり、間一髪での回避などが多かった。
しかし、未来のタナは完ぺきだった。
足の裁きも、身体の動かし方も、剣の位置も、すべてが完成している。
天才タナがどこにもケチがつけられないほどに。
タナは前斬りを送ると、その体勢のまま踵を軸にして回転し、奇襲そのままの低い回し蹴りを放つ。
いつもならばそれで相手の軸足を刈れる。
でも無駄であった。
ほんのわずかに膝を上げるだけで躱された。
そのくせ大技を外したタナに追い打ちをかけたりはしない。
まるで稽古をつけられているかのようだった。
(遊んでいるの?)
だが、敵の全身から放たれている剣気は本物だ。
大きな隙を見せたらそのまま食い殺す気であることは確実である。
タナにもそのことはわかる。
「……ふざけているの?」
「なんのために? もしかして私があなたに手心を加えていると思っているのかしら?」
「多少はね」
双剣を下ろし、構えというよりも自然体に戻る。
それでも油断などは欠片もしない。
こちらのタナを見透かした顔をしているだけで。
「今までのでわかったけれど、確かにあなたは強い。十年前の私がそこまでだったかは覚えていないけれど、この時代ではあなたを上回るものは男の騎士でもいないでしょうね」
「……だから?」
「私が本気をだすのに相応しいかをちょっとだけ試してみただけよ。合格にしてあげるわ」
淡々と事実を語る物言いだったが、そこに含まれた意味に気づかないタナではない。
つまり、次の瞬間にはくるのだ。
絶対の死の嵐が
死の世界にはめこまれた影のように、タナは風景に溶け込んだ。
「タナ・ユーカーを……」
口から炎を吐きつつ、未来のタナが吠える。
「受け止めなさい」
戦慄すべき助言といえた。
タナは自分の操る双剣術の完成をその眼に焼き付けることになった。
右と左、どちらが主というものではない。
互いに生き物のように常に急所を狙い続け、挟み撃ちを繰り返す双剣戦術の究極が始まったのだ。
前後に逃げようとも、するすると水のように接近するため、瞬く間に距離を詰められる。
円を描こうとも間合いを外せない。
攻守は簡単に入れ替わり、タナは一切の反撃する余地を奪われた。
鋭く突きこまれる〈瑪瑙砕き〉の剣尖をかろうじて躱したが、戦闘服の肩を切り裂かれた。
ギリギリの防禦が続き、その度にタナの精神が削られていく。
すべてが危ない場面であった。
刹那の判断ミスが命を終わらせる。
タナは呼吸さえ忘れ、魂を武器に換えて、永らえようと懸命に生きた。
心臓が爆発的に弾み、血管に危険が水のように流れる。
しかし、反撃しなければここで死ぬ。
「―――!」
溜めに溜めていた〈気〉を剣身に通す。
天才ならでは絶妙のタイミングでタナは双剣を振るった。
〈魔気〉の奔流が津波のように迸る。
二条の不可視の刃からは誰も逃げきれぬ。
「いいわね」
相手がタナ・ユーカーでさえなければ。
「!」
タナは瞠目した。
見えない〈魔気〉の刃が打ち消されるのを。
彼女にもできない技ではない。実際に、帝国の魔導騎士相手に使っている。
だが、こんな至近距離で、しかも、天才が完全に見切ってはなった起死回生の攻撃を苦も無く消し去ったのは、同じ〈魔気〉であった。
一切の疑問の余地もなく、タナは自分の策が読み切られていたことを知った。
そうなれば大技によってできた隙をついて、次が来る!
「まだだ!」
タナは剣をひいて、防禦を固めた。
その上から弾け飛ばすような強力な前蹴りが襲う。
腕ごと吹き飛ばされた。
踏ん張り切れずに尻もちをつくことになるが、タナはさらなる追撃をおそれて身体をひねりつつ、一気に後方までとびすさった。
片膝をついたまま前方に備える。
予期していた追撃はない。
こんな風にしてできた隙など用はないといわんばかりの態度であった。
「〈魔気〉まで使えるの……?」
「あなた、この長剣が誰のものだと思っていたの?」
未来のタナが左手にある帝国様式の黒い剣を掲げた。
「これはザン公爵の右腕として戦った鎮護将軍バーヲーのものよ。もと〈妖帝国〉の魔導騎士だったらしいけれど私たちの同僚として戦い、死んだ人」
「シャッちんのこと……?」
「あなただって、オコソで一緒に戦ったでしょ。その彼女の形見が、これ」
まさか、あのシャツォンまでが死んだというのか。
「……彼女に教わったのよ。たぶん、あなたと同じに。だから、〈魔気〉が使えるのは自分だけだと己惚れないことね」
特別に〈魔気〉に頼っていたわけではない。
だが、最近の彼女にとっては切り札に近い戦技だった。
それまで簡単に打ち消されるとは……。
しかし、タナにはまだ武器はある。
再度、タナは跳躍した。
空中で二つの剣光が十文字に輝く。
交錯した双剣が放つ光だった。
まったく逆の軌跡をもって未来のタナが迎撃する。
その光が一つ消える。
振るったタナの左手の〈陽火〉をわざと取り落としたのだ。
隙を作り出すためのトリッキーな奇策であったが、タナがよくやる戦術であった。
自分相手に試したことはないが、この策の胆はタイミングなのでうまくいくはずという見込みのもとであった。
しかし、それは無駄に終わる。
当然の話だ。
天才の奇策は、天才に通じるはずがない。
わざと剣を落としたことで空いた拳を衝きだそうとした時、それと交錯した未来のタナの突きがカウンター気味にタナの顔面を捉えた。
「げほっ!」
口の中がきれて血がでたのがわかった。
それほど腰の入った打撃だった。
タナが顔面から地に落ちて、なんども撥ね回るほどに。
「……いてて」
「そんなものが私に通じると思っていたの?」
タナは頬を押さえながら地面に蹲った。
膝が震える。
神経になんらかの影響を受けたのかもしれない。
立ち上がることができるかどうかさえ曖昧だ。
「思った以上に強いことはわかったわ。私の本気の打ち込みも躱すしね。だが、それだけ。あなたはどれ一つをとっても私には勝てない」
咥内に溜まった血を吐き捨てる。
放っておけば呼吸に差支えができるからだ。
しかし、顔を上げることはできなかった。
敵を見ることさえできなくなっていた。
タナは大地に向かって俯いていた。
「どうした?」
答えられない。
そんな余裕はなかった。
タナは考えていたからだ。
彼女は感覚だけで天才と呼ばれている訳ではなく、同時に考える力を備えていたことから、得た称号であったのだ。
(私は……あいつに勝てないのかな)
剣技は遥かに劣る。
体力はほぼ互角。
気功術の効力・練度はまったく比べ物にならない。
経験値……言うまでもない。
胆力・精神力も勝ち目はない。
唯一上回っているのは若さだけだが、戦いにおいては若さなど有利な要因となることはない。30歳ぐらい離れていれば別だが、逆に老兵の強かさに敗北することだってあるぐらいである。
だから、タナには未来の自分に勝てる要因などただの一つもありはしない。
つまりは用意されたゴールは一つ―――完全なる敗北のみだ。
決して運命には抗えぬように、タナは自分の将来には敵わない。
未完成なタナでは完成形には及ばない。当たり前のこと。
もう負けるしかない。
負けて、死んで、仲間も殺されて……。
顔を蹴り飛ばされた。
いつのまにか近づいてきた自分にやられたのだ。
邪魔だと思われたのだろう。
殺すことさえもせずに、未来のタナは弱い自分を踏みにじる。
「……私が死ぬ思いを重ねてきた十年があなたのものと同じだと思う?」
「思わない……」
「持てるものすべてを切り捨てた私が、すべてを持っているあなたに負けると思う?」
「……知らない」
また顔を蹴られた。
戦靴のつま先で。
切れた額から血が滴る。
「あなたなんか、全然強くないわ。だって、私に歯が立たないぐらいなのだから」
そんなのもうわかっている。
今のタナ・ユーカーはあんたにはもう勝てない。
勝てっこない。
どんな勝因もないんだから。
「……うっとおしいわね」
今度は首筋を蹴られた。
襟がはだけた。
チクリとしたかすかな痛みがあった。
つま先が何かにぶつかったのだ。
同時に地面に何か光るものが転がり落ちる。
目にした瞬間、タナは電撃を浴びた。
そんな気がした。
「ちょっと待って!」
思わずタナは叫ぶ。
普通は真剣勝負の場でそんなことを言っても止まるはずがないのだが、あまりに場違いな物言いだったからか、未来のタナの動きが停止した。
「命乞い?」
「そんなんじゃないって! いいから、ちょっと待ってってば!」
その剣幕に思うところがあったのか、未来のタナは何もしなかった。
確認もせずにタナは襟元から落ちた何かを拾い上げる。
なんと双剣を地面に置いて。
未来のタナが驚いてしまうほどの無防備な姿を晒してまでタナが拾い上げたのは、小さな、小さな、金属片だった。
それは小さな徽章だった。
タナが戦闘服の襟につけていたもの。
戦いの衝撃が外れてしまったのだった。
おそるおそる拾い上げて、大切に胸に抱く。
そして、再び剣を手にして立ち上がった。
―――双眸に戦神のごとき気迫を滾らせて。
「何、その眼は……?」
未来のタナが思わず呟いた。
ついさっきまで敗北寸前だった敵が別人にすり変わっていた。
弱弱しい鼓動と、恐怖の油汗に塗れていた小娘はどこかにいってしまっていた。
ゆらりと立ち上がっていたのは、まさしくさっきまでとは違う人間だった。
「誰なの、あなた? さっきまで蹲っていた私はどこにいったの? どうやって、そんな強い眼を取り戻したの? その徽章はなんなの?」
質問が続いた。
歴戦の彼女でさえ信じられない変貌を見届けてしまったことに、はっきりと狼狽したのだ。
ついさっきまで立つことさえ危ぶまれる敗北に心折られていたものが、どうして復活できたのか疑問だったのだ。
だが、はっきりといえることは一つ。
タナ・ユーカーは甦った。
何か正体不明の拠り所を手にしたことで。
タナは手にしたものをポケットに納めると、双剣をだらりと構えた。
いつもの自然体だが、何気なさという部分では未来のタナに匹敵する落ち着きをもって。
そのまま何気ない、しかし十分な速さを持った剣撃が放たれた。
神速の踏み込みとともに。
さすがの未来のタナが咄嗟に防がなければならないほどであった。
しかも、その一撃を受けてたたらを踏むという始末であった。
ほんの数秒前まで変わらなかった無表情に驚愕の色が躍る。
受けた彼女だけにはわかるのだ。
剣の一撃の質までが異常な変貌を遂げたことを。
ただの軽い一振りのはずなのに。
一体何があったのかと狂奔するほどに。
「―――見つけた」
何を見つけたのか。
タナは爛々と光る眼をもって自分を睨みつける。
「私があんたに勝つためのたった一つの根拠を」
「……何を言っているの?」
「絶対に私が負けないという理由を」
タナは雄々しく言った。
少女の面影をもった、戦女神がそこに降臨する
「あんた、所属は? どっかの騎士団の団長だったと思うけど」
「それになんの意味があるの? ―――蒼炎双剣戦騎士団だけど」
それを聞いてタナは鼻で笑った。
「格好いい名前だけど、それだけだね」
「……コケにされることは好きじゃないんだけど」
「気が合うね、さすが私。でも、それがわかればもっとはっきりと断言できるよ」
双剣をかざして、タナは吠える。
「私にはあんたに勝てる理由がある。なぜなら、私はタナ・ユーカー、人類守護聖士女騎士団の騎士だからだ」
圧倒的な迫力が小さな女の身体に漲った。
「……あんたはさっき心が折れかけた私をすぐに仕留めなかった。それは騎士団の流儀に反する。獲物を前にしたら、全力で、素早く、確実にトドメを刺す。私たちがオオタネア様に叩き込まれた戦いのやり方でしょ。そんな初歩を忘れたあんたはもう騎士団員の騎士じゃない。だから、忘れているんだ」
「何を忘れたというのよ!」
タナは断言する。
正義が自分にあると歌う。
勝利は自分の専売だと煽る。
「聖士女騎士団たちは、いつも常勝で絶対に不敗。自分たちの敗北はすなわち世界の終わり、国の滅亡、家族・友人の死、幸せの終焉なのだから。―――聖士女騎士団の騎士は決して負けない」
彼女が徽章を見て思い出したのは、それだった。
青と赤の盾に交叉する剣と槍、そしてユニコーンの横顔がモチーフとなった紋章。
〈青銀の第二王国〉バイロンを護るユニコーンの騎士であることを証明する聖士女騎士団の誇り高きシンボル。
それを目にした瞬間、タナは思い出したのだ。
聖士女騎士団は―――、ユニコーンの騎士は―――、どんな敵にも勝たねばならないということを。
背中に守るものを護るためにも。
たとえ未来の自分であろうとも、聖士女騎士団であることを忘れたやつに、このタナ・ユーカーが負けるはずがないのだ!
誰かに狂気の沙汰と呼ばれる理屈であろうとも!
「―――背中に庇った誰かを護るのが騎士! あんたをここから先に行かせれば、私の旦那と親友たちが死ぬ。―――だから、私は絶対に勝つ!」




