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聖贄女のユニコーン 〈かくて聖獣は乙女と謳う〉  作者: 陸 理明
最終話 聖士女のユニコーン
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暗澹たる時代にて

 なぜ、タナが目の前に立つ敵の正体に気づいたのかというと、実のところそれほど難しい理由はない。

 丘の上から放射されていた剣気の質が自分のそれと酷似しているという第一印象、次に敵の纏っている青銀の突撃騎行鎧のシルエット。

 そして、“ゆかり”の言葉にあった『今の君よりも遥かに強い』という言葉だ。

“ゆかり”の正体について、タナはなんとなく気が付いていた。

 彼女の想像の通りならば、“ゆかり”は決して嘘をつかない。

 神は人を虚言でたばかったりはしないのだから。

 その“ゆかり”がわざわざ「今の」とつけたところが気になっていたが、どうやら答えは簡単だったようだ。

 今の彼女よりも強いものは「未来の」タナしかいないというシンプルな答え。

 タナ・ユーカーを超すものはタナ・ユーカーしかいない。

 虚勢でもなくタナはそう考えていたので、答えはひどくしっくりとくるものであった。


「……どうやって、ここに来たのか? とは聞かないのね」

「そんなものは必要ないわ。どーせ、〈剣の王〉とかいう神器の御大層な力で、でしょ。時間と空間を切り裂けるというのなら、どこかの未来から私を連れてくるのだってそんなに難しいことじゃないだろうしね」

「さすがは私ね。小娘のままでも、頭は最高にキレているのね」

「自画自賛のつもり? オバさん」


 タナは口汚く罵ってみた。

 とりあえず反応を観たかったのだ。

 中位とはいえ貴族の娘であったにもかかわらず、彼女は平然と誹謗中傷を行う。ただし、それは眼前にいる戦う相手についてだけだが。

 煽る、罵倒する、懐柔する、戦いの前にはどんな手を使っても相手のペースを乱すことが必要な時がある。

 特に命がけの戦いにおいては。

 それで自分のペースを乱したものは死ぬだけだ。

 だから、タナはあまり性に合わなくても戦いの前に敵を傷つける言葉を吐くことを厭わない。

 とはいえ、今回に限っては無駄だったようだ。

 なにしろ相手は将来の自分である。

 過去の自分のやり口など承知している。


「もう少し、憎々しげに言った方がいいわね。今のなじり方ではチンピラ程度しかイラつかせられないわよ」

「……へー」

「わかった? このウスラトンカチ」


 逆にタナの方が神経をザラリとしたヤスリで削られた。

 たいして破壊力のある直接罵倒表現ではないのだが、いかんせん言い方が上手すぎた。

 これほどの美女に、あれほど侮蔑的にウスラトンカチ呼ばわりされれば破壊力は段違いだ。

 タナは最初の舌戦では負けを認めてしまった。

 だが、彼女の様子を気にすることもなく、未来のタナは本人よりもその騎乗しているユニコーンの方を見つめていた。


「久しぶりね、“イェル”」

《我は君の相方ではないが、君の相方は我なのだろうな》

「……そんな声をしていたんだ」


 タナが騎乗した“イェル”に、未来のタナは懐かしそうに話しかけた。

 過去の自分に対する物とは正反対の声色で。

 思わずタナが「私の相方なのに」と嫉妬してしまうぐらい優しいものであった。


「……知らなかったの?」

「ええ。結局、私たちの代でも一角聖獣ユニコーンとの会話に成功したものはでなかったから。そのことについては、素直に今のあなたが羨ましい」

「でしょうね」


 少女は本能的に悟っていた。

 自分の直観が正しいということを。

 つまり、目の前の未来のタナは、あのときイド城で西へと旅立って行ったセスシス・ハーレイシーを追うことができなかった彼女なのだと。

 あそこで分かたれた分岐によって、このタナたちは「真の聖獣の乗り手」となることができなかったのだ。

 そうであるのならば、ユニコーンとの〈念話〉もできないだろうし、エーテル化もできないはずだ。

 だが、そのどちらもできるタナがこれほどまでに力の差を感じてしまうのは何故なのか。

 その答えについてもタナは直観していたのではあるが。


「―――あんた、何人の人をあやめたの?」

「言う必要があって?」

「どうせ覚えているんでしょ。後学のために教えなさい」

「―――四桁、ぐらいかな」


 絶句した。

 実はタナはこの時点においてもただの一人も人間を殺したことはない。

 奇怪な魔導生物に進化した〈手長〉などを人と勘定しなければ、まだ彼女の手は同胞の血には塗れていないのだ。

 そして、他の騎士団員も似たようなものだった。

 幸か不幸か、彼女たちは騎士の任務の一つである野盗退治をしたこともなく(あったとしてもタツガン達護衛役が秘密裏に終わらせてしまっていた)、人間同士の戦争に参戦したこともない。

 魔物にとり憑かれたものを斃したことはあったが、人の意識があるものを手にかけたものなど、ほとんどいなかった。

 だからこそ、タナは四桁の人間を殺害したという告白に衝撃を受けたのだ。

 まさかそんなに、と。

 未来のタナの放つ剣気には人を殺したもの特有のねっとりとした殺意が含まれていたことから、きっと多くの人を斬って来たであろうとは予想していたが、さすがに四桁とは思わなかった。


「騎士も、兵士も、野盗も、罪人も、たくさん斬ったわ。中にはただの村人もいたけど、そんなのはどうでもいいことね。だって、私は仲間だって斬った覚えがあるもの」

「な、仲間を……?」

「ええ。覚えているかしら、昔、グゥエルトンが受けた魔導のことを。あれと似たような術を受けたのがいてね。全軍への示しがつかないから、公開処刑場で私が斬ったわ」


 仲間をみせしめのように斬った……?

 タナの受けた衝撃はそれだけではない。

 今、未来の彼女はハーニェのことを「グゥエルトン」と呼んだ。

 そんな風に、タナが右腕を呼び捨てたことなどない。

 なのに彼女はなんの感慨もなく、親友を姓で語ったのだ。


「確か、ジャスカイだったかしら……? まあ、だいぶ昔のことだから忘れたわ」


 ジャスカイ……。

 シノのことか。

 あれほど自分を慕っていた十四期の隊長を殺したことをなんとも思っていないというのか。

 おい、果たしてこの女は本当に私なのか?


「……本当なの?」


 立て続けに受けた衝撃にさすがのタナもふらつきそうになった。

 さっきまで行っていた戦い前の舌戦の一環ではないことは明らかだった。

 もちろん、相手はタナである。

 発言による衝撃は計算に入れているだろう。

 だが、おそらく意識していない部分であっちのタナは壊れている。


《―――君の相方である我はどうなったのかね?》

「あなたは、〈幻獣郷〉に帰ってしまったわ。西に存在していたいくつかの〈雷霧〉を破壊した後にね」

《我が君を見捨てることはありえない》

「そうね。でも、そうせざるを得ない事情があったのよ」

《……聞いてもいいかね?》

「簡単よ。私たちが戦っていた〈雷霧戦役〉が終焉を迎え、新しく中原と〈妖帝国〉の間の戦争が始まったからよ。魔物との戦いは終わり、人と人との戦いが始まった。だから、ザン将軍はあなたたちを故郷に返したの。優しいユニコーンたちを人の争いに付き合わせたくなかったから」


 西に侵攻し、〈雷霧〉を潰して回れば、すぐに帝国の領土に辿り着く。

 そうすれば、滅亡したというのが虚偽であり、実際は健在であった帝国との間に戦争が始まってもおかしくはない。

 領土内に他国の軍隊が侵入するのだから当然だ。


「それに侵略してきた東方の諸国との戦いも始まったという事情もあったわ。私たちも〈雷霧〉とばかり遊んでいられなくなって、もうあとはお決まりの世界大戦争よ。十年以上も長らく続く戦国時代に突入したっていうわけね」


 自嘲気味に未来のタナは呟いた。

 疲れ切ったのは身体ではなく心。

 そこにいたのはもう精神に張りをなくした老婆並みに倦んだ女だった。


「そして、私の主観時間で三日前に、最後まで私につきあっていた仲間が死んだの。しかも、毒殺よ。下手人は同じ陣営からの刺客。……ふふ、笑っちゃうでしょ。味方のために戦って来たのに、最後には味方に命を狙われるのよ。それで唯一の話し相手を無くしちゃったわ」

「……誰を?」


 タナは思わず訊ねてしまった。

 最後まで彼女につきあった仲間とは誰だったのか。


「レレよ。―――レリェッサ・シーサー。あの子、私が口にするものすべてをあらかじめ毒見していたの。私が誰かに暗殺されるのを恐れてね。まったく、それで自分が死んだらしょうがないのに」


 さらりと、簡単に、何事もなかったかのように、未来のタナは言った。

 哀しみはどこにもなかった。

 ただ、虚無だけが残っていた。

 レレだけを愛称で呼んでいることに、わずかだけ感傷がこめられていたのかもしれない。

 ほんの少しだけであるが。


「さすがに凹んでいたら、世界が割れたわ。そして、迎えが来て、私が必要とされている場所と戦いがあるからという理由でここに連れてこられたの。最初は面倒くさいと思っていたわ。でも、実際に来てみてよかった。ここには敵がいて、戦いがあって、あなたがいた。そして……もいた」


 腰に佩いた鞘の中から双剣を引き抜く。

 右手に持つのは〈瑪瑙砕き〉、左手に持つのは漆黒の長剣。見覚えのある帝国様式の剣であった。

 未来のタナは自然体のままであった。


「いい加減、会話には飽きたわ。そろそろ決着をつけないと」

「それだけは同感」


 タナは“イェル”から下りて〈月火〉と〈陽水〉を構えた。


《タナ、我から下りたらエーテルになれぬぞ》

「……仕方ないよ。おそらく、あっちの私にはエーテル化は効かない」

《なぜだ?》

「あの女は時の流れから逸脱している。おそらく、〈阿迦奢〉の支配から外れたものだよ。時間という巻物はあの女を拘束しない」

《……わかるのか》

「うん。だから、エーテル化は意味がない。正面から戦って勝つしかない」


 二人の同じ顔。

 美少女と美女という二人は向き合った。


《信じているぞ、君を》

「うん」

《……そちらの君にも幸運があらん事を》


“イェル”に予想もしていない声を掛けられた未来のタナは少しだけ目を丸くした。


「……いいの、乗り手を裏切って」

《裏切ってなどいない。ただ、君も、我の乗り手であることは間違いのないことなのだ》

「そう。……ありがとう」


 礼を言われた“イェル”は静かに後ずさった。

 あとは戦う二人を見守るしかない。


「じゃあ、決着をつけましょう。無力な小娘だった私」

「望むところよ、可愛くないしかめっ面の私」


 構えはともに同じ。

 十年経とうとも、タナ・ユーカーの双剣術は同じ。

 変わってしまったのは、いったい何なのか。

 まるでそれを確認済みするかのように、タナは真っ先に突っ込んだ。

 全力で、全速で、絶対に勝ち残るために。

 自分という最大の敵に挑むために。




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